12 魔術実技の授業
「鋼はさあ、自己評価がすっごく低いと思うんだ」
「そうかあ?」
「だってチンピラ十人相手に勝ったって聞いても私はふーん、としか言いようがないし。全然意外じゃないじゃん。魔物二十匹に囲まれても余裕な人が何言ってんのって感じだよ?」
「いやでも、人間は魔物を駆除する側だろ。知恵もあるし。魔物十匹と人間十人だったら、人相手の方が難しい戦いにならねえか?」
「んー。そう……なのかな?」
朝もやの中、そんな会話が交わされている。
鋼と日向だ。
「そういう問題じゃない気がするけどなー。私達がいたとこって普通は生きて帰ってこれないとかで有名な場所なはずじゃん。そこで戦い続けてたんだから、もうその時点でこっちの冒険者のトップクラスくらいに強いって事にならない?」
「魔物との戦いに限って言えばそうかもしれんが……」
「ちょっと賢くて人の形に似た魔物に置き換えて考えるとさ、やっぱり鋼が勝てないのって想像つかないんだよねえ。人相手でも」
「そりゃお前、さすがに俺を買いかぶりすぎだ」
鋼が苦笑すると、向かいで腰を下ろしている日向もまた苦笑した。
「そーゆーとこが自己評価低いと思うんだけどなあ……」
自分より強い人も当然世界にはごろごろいる。そんな当たり前の考えにすら『自己評価が低い』と言われるのは、こちらも納得できるものではない。鋼から言わせれば日向こそ、鋼に対する評価が実際よりも高いし自己評価が低い。
まあ、この話題にこだわったところで意味もない。
「……おいルウ。そろそろ機嫌直してくれよ」
一人離れた場所に座る凛に鋼は呼びかける。だが彼女は拗ねたようにそっぽを向いた。
「別に、機嫌を直すも何も私は普通ですけど?」
「事前に相談しなかったのは悪かったよ。でも俺一人でも十分だったろ?」
「そういう事を言ってるんじゃないです! 十対一でも二十対一でも、コウが負けるなんて思いませんし!」
「やっぱり怒ってるじゃねえか」
きっとした目つきを向けられ、鋼は減らず口を叩くのをやめた。見慣れているので普段はそう意識しないが、美少女と言って差し支えない奴なのだ。令嬢めいた美貌に睨まれるのはそれなりに迫力があったりする。
「……危ない事するならなるべくお前らにも言うつもりだがな。なんでもかんでも報告し合うってのはまた違うだろ。確実に危険があるって分かってたわけでもねえし、今回の事くらいは大目に見てくれよ」
「それは……分かってます。ヒナちゃんが既になんとなく察してたのに言ってくれなかった事は、微妙に納得いってないですけど。私が腹を立てているのは別の事です」
「別の事?」
「コウは甘すぎます! 凶器を向けられたんですよ!? そんな笑って済ませられる話では無いでしょう!?」
烈火のごとき怒りを見せる凛に、気持ちは嬉しいのだが少し身を引く鋼。彼女は怒ると結構恐いのだ。
「私がその場にいたなら……! コウは自分の命に無頓着すぎます。最低でも全員の四肢を折るくらいはするべきでした!」
「言う事がこえーよお前……。結局は危なげなく対処できたんだし、もういいじゃねえか。な?」
「当たり前です! もしコウが本当に危なかったのなら、私はその店を潰してます。物理的に」
滅茶苦茶言うなコイツ……。
それからも続いた凛からの文句をひとしきり聞き終え、彼女が落ち着いてきた頃に日向が改めて訊いてきた。
「それで鋼、その話をするために朝に集合ってのは分かるんだけど、なんでここ?」
まだ朝日も昇りかけの早朝だった。周囲一帯に他の人影はない。
それもそのはず、地面に腰を下ろす三人がいるのは学園の敷地内なのだ。
「ああ、下見も兼ねてな」
「下見? 何の?」
「部活よろしく、朝練でもしてみようと思ってな。ここ、剣術の授業とかで使う場所っぽいな。結構いい広さだ」
見回した付近は、芝生の地面が続く広い空間だ。日本でいう校庭にあたる場所だと思われる。
「朝練?」
「日本でも自主トレやってただろ? こっちじゃ魔術も使えるし、ちょっと本格的に体術とか魔術の訓練しようと思ってな」
鋼達が逆召喚で日本へ帰ってからこの学園に入学するまでの二年間は、それはもう平和な日々だった。その反動か、この三人はなるべく筋トレを欠かさなかったし、時には組み手をして実戦トレーニングのようなものも行っていた。
あの死にかけながらも必死に戦い続けた日々の経験が、風化して色褪せていくようで怖かったのだ。地獄の日々だったからこそ、そこで得た経験が生かされないままただ失われていくのはあまりにも勿体無い損失のように思えた。
鋼はその自主トレをもっと本格的な訓練にしたいと考えている。今回の酒場の事件はいいきっかけだった。
「俺が得意とする魔術は《身体強化》と、あとは魔力の塊をそのままぶつける事くらいだからな。正直自分じゃもう、魔術に関してはあんまし期待してなかった。だがまあ、今回の事で《身体強化》やら、自分の適性やらを見直しとくべきかなと」
元々こちらの世界で自主トレ自体はしようと思っていたのだ。寮生活で場所の確保も難しく、保留にしていたのだが。ここで訓練を行うなら寮からの無断外出と学園の敷地への不法侵入、二つの規則を破り続ける事になってしまうが、その決心もついていた。
「その訓練の下見のためだけに、学園への不法侵入を手伝わされたんですか?」
「ルウは留守番のほうが良かったか? 学園の関係者にバレたらかなり怒られそうだし、無理に付き合えとは俺も言えんが」
ここで「悪いな、こんな事手伝わせて」なんて言ったら鋼の経験上、多分こいつは怒る。「そんな水くさい事言わないで下さい!」とか言って。
人見知りの大人しげな優等生に見せかけて、実は結構ルール破り上等なのが鋼の知るこの少女だ。
「もちろん留守番のほうが嫌です。鋼がここで毎日訓練するというのなら、私もご一緒します」
「日向は?」
「ん? 私も付き合うよ。訓練って大事だと思うしね」
戦ったりするのはあまり好きではないのに、日向も軽く頷いてくれる。
「……お前らと付き合ってるとあまり悪い事はできねえなってつくづく思うわ」
いつもこの二人は鋼のやる事についてきてくれる。窃盗・暴行などの犯罪行為はさすがに諌めてくれると信じたいが、鋼が悪事に手を染めると、こいつらも影響されてその道に落ちるんじゃないかと微妙に心配なのだった。
現に学園のセキュリティを破って侵入するのに、二人は理由も聞かずについて来たわけで。
「ところでさあ。魔術の適性見直すって言っても、どうやるの? ルウちゃんが先生役?」
「もちろんお前らのアドバイスも欲しいが、自分で色々考えて試すつもりだ。学長が言ってたろ?」
「なんだっけ? 可能性の話?」
「ああ。どの魔術が得意かとか、そういう事しか今まで俺は意識してなかったからな。自分じゃ気付いてない使い方だとか、他にも色々魔術の可能性はあるだろうに。学長に言われるまでは気付かなかった」
「……え? 学長ってそんな意味で言ってたっけ?」
「違ったか? まあ細かい事は気にすんな」
そういうわけでこの日から、早朝から日の出までの僅かな時間ここで訓練する事が決定した。
以下、余談だが。
「ルウは得意な風魔術で何かアイデアないのか?」
「私ですか? そういえば最近、ふと考えたのがありますけど」
「おお。お前は漫画とかゲームから色々アイデア引っ張って来れそうだしなー」
「拳銃の原理でですね。落ちている石ころなどを筒状の風圧から撃ち出せば、少ない魔力で遠距離から一方的に攻撃できそうだなと……」
「……」
さすが、凛だ。考える事がエグい。
ちなみに『エグい』は鋼の中では褒め言葉だ。
◇
数日が過ぎていた。
あれ以降満月亭は、男達が来る事も嫌がらせをされる事も無くなったらしい。
おいしい軽食屋の話は鋼の周辺から他の生徒達にも広まり、そこそこの客入りになっているとか。
いまだ鋼は外出禁止が解除されていないので、人から聞いた話なのだが。
選択授業も始まり、いよいよ異世界の学園生活は本格的なスタートを切っていた。
「魔術とは」
魔道学者という肩書きの三十くらいの女教師、クオンテラがチョークを手に解説する。
「人間の体内、空気中、この世界のあらゆる場所に存在する『魔素』を利用し、これを消費する事で他の現象に置き換える技術です」
かつかつと音を立てながら、黒板に次々と文字が書かれてゆく。その様子は日本の学校の授業風景とさして変わらない。
その内容を無視すればだが。
「魔素とはつまり、火を燃やすための薪であり、体を動かすための栄養でもあるほぼ万能の物質です。ニホン人の生徒には万能のエネルギーと言ったほうが理解が早いでしょう。このエネルギーとはあらゆる運動・現象の元となる原動力を指すあちらの世界の言葉ですが、魔術においては今日正式に使われるようになった単語でもあるので、こちらの出身の生徒も覚えておくようになさい」
エネルギーに相当する単語は元々こちらの世界では無いらしい。ちょっと奇妙な気分になる。
こちらの世界の大陸で広く使われている言語は『ソリオン語』というのだが、日本人がこちらに来て言葉の違いを意識する機会は少ない。何故なら日本人にとってこちらで話されている言葉は日本語としか思えないものだからだ。
異世界人からしても同じである。不可思議な事に、日本語とソリオン語はそのまま互いに通じてしまうほど似通った言語なのだ。
一応その理由を説明できる学説はある。
いわく、世界というのは地球やソリオン以外にもそれこそ無数にあるのだが、世界を隔てる壁は厚く、通常繋がってしまう事はあり得ない。しかし似た言語が話されている地域同士は、その壁が薄いのではないか、という説である。
これだと繋がった別の世界が同じ言葉を話すのは、偶然なのだが必然でもある、と説明できるのだ。証明する手段が無い学説だし真相などどうでもいいが、言語を一から覚える必要がないのはとにかく助かっている。日本でセイラン王国が『海外より近い国』と紹介される理由は、物理的な距離だけではないのだ。
「この魔素はさっきも言ったように、ほとんどどこにでも存在します。空気中にも、地面や石の中にも、我々が食べる食事にも、です。その環境の中で生きているのですから、当然我々人間もこれを持っています。この人が持っている魔素を一般的に魔力と呼びます」
この授業は『魔術教養』という必修授業だ。基本的過ぎて多分凛だと退屈な授業だろうが、ちゃんと習っているわけではない鋼には新鮮な驚きに溢れていた。
教室内を見てみれば、どの生徒もそれなりに真面目に授業を受けている。特に日本人生徒は傍から見ても分かるほどの気の入れようで、なんだか面白かった。
余所見はやめて鋼もすぐに授業に意識を戻すが、やはり周囲の席からは浮ついた熱気を感じる。板書されたものを写すだけの本来のこの授業だけなら、これほど皆気合を入れはしないだろう。次の授業のために、少しでも魔術に関する知識を増やそうとしているのだ。
日本人お待ちかねの選択授業、『魔術実技』が次に控えていた。
魔術に関連する授業は必修・選択を問わず複数ある。
魔術を一切使えない素人のみが取れと言われた『魔術基礎』の選択授業を除き、鋼は選べるものは全て取っている。魔術基礎を既に受けている片平や有坂に訊いてみたところ、教師の力を借りて自らの体内にある魔力を自覚できるようにするための授業らしい。
魔力を自覚し、意識してそれを操れるようになって初めて、魔術を使うためのスタートラインに立ったと言える。指先から火を出すなんてのはまだまだ先で、魔術基礎はひたすら集中するだけの精神修行みたいな内容だったそうだ。
日本人が憧れるような魔術の実践的な授業は、今回の魔術実技が最初となる。
芝生が広がる学園敷地内の校庭で、生徒達の正面に複数の教師と助手らしき人が立っていた。
「当学園では、魔術師を志望する生徒でなくとも魔術基礎の授業は取らせます。卒業するまでにはどの生徒も基礎的な魔術は使えるよう教育する方針だからです。これは入学の日にも説明があった事だと思います」
魔術教養に引き続き、生徒達を前にして場を取り仕切るのはクオンテラ教師だ。今回は何故か、片方の目だけにかかった眼鏡、多分モノクルとかいう奴を装着している。
「基礎に関してはそちらの授業で行いますから、この魔術実技では実践をまじえた専門的な授業を行います。事前に配られた説明書きにも注意してあったように、あくまで魔術師を志望する生徒に合わせた内容です。まず言っておきますが、軽い憧れや興味でこの授業を取った生徒には厳しいものとなるでしょう。授業内容についていけないようなら、授業以外の空き時間に担当の教員か助手に訊きに来ても結構です。自分で選択したからには、それぞれ意欲を持って授業に臨むように」
「中々厳しそうな先生だよな」
それにお堅そうというか、あまり融通も利かなさそうな印象だ。近隣の生徒にのみ聞こえるような小声で鋼が言うと「真面目そうやし良さそうな先生やんか」と省吾からは返ってきた。鋼はこういった教師とは反りが合わない事が多いので苦手意識が先行していたが、確かにちゃんと習いたいのなら真面目な先生のほうがいいなと思い直した。
選択授業なので、あくまで二クラス合同だ。日向や凛、省吾に有坂に片平といったいつもの面子は、生徒の集団の端のほうでひっそりと固まっていた。
「生徒数が多いのでいくつかのグループに分けて授業を行います」
クオンテラがそう言ったのに対し有坂は苦笑していた。
「いくらなんでも多過ぎだものね……」
本来この授業は、例えば騎士を純粋に目指している生徒は選ばないような専門的分野を扱うものだ。事前のプリントにもかなり注意書きがされてあったのを鋼も覚えている。騎士が魔術も使えるに越した事はないのだろうが、これ以外にも魔術に関する授業はあり、普通ならそちらで十分補えるのだと。
これは本気で魔術師を目指している生徒のためだけの授業なのだ。
しかし驚いた事に、いや驚きでもなんでもないが、この専門的な選択授業でさえ日本人は一人残らず全員受けていた。さすがは漫画やアニメで世界的にも有名な我が国日本と言うべきだろうか。
周囲を見渡せば人、人、人だ。選択授業のくせに必修の授業より生徒がうじゃうじゃと多くてなんかもう鬱陶しい。その内訳は日本人が百人全員に対し、セイラン人十数人といった感じであり、この場の生徒はほぼ日本人といっても過言ではなかった。
クオンテラ以外にも魔術の教師は二人いて、この授業での助手だと紹介された若い男女にいたっては五人もいる。その中でも特に同世代くらいに若そうな二人は、もしかするとこの学園の上級生かもしれないが、とにかく教える側の人数が今まで経験したどの授業よりも多かった。
多分、事前のプリントにもあれだけ注意が書かれていたのだから、去年もこんな感じに日本人ばかりだったのではないだろうか。予想はしていたが改めて見るとすごい人数だ、みたいな感じに助手達は苦笑しつつ、授業の準備を進めていた。
「グループを分ける前に、ニホンの生徒達のほとんどはまだ魔術というものに馴染みが薄いでしょうし、一つ実演してもらいましょうか。初歩的なものでいいので、今の時点で魔術を使える生徒は前に出てきなさい」
鋼達は顔を見合わせる。この六人の内、有坂と片平以外が該当していた。
「それじゃあ、ちょっと行ってこよか」
「もしかすると使える人と使えない人でグループ別になったりするのかな?」
「あるかもな」
鋼、日向、凛、省吾はぞろぞろとクオンテラに向かって歩き出す。セイラン人ならともかく、魔術を使える日本人には否が応でも視線が集まっていた。
百人ほどの生徒達の真正面に立つ頃には、凛など緊張でかちこちに固まっていた。鋼の影に隠れるように身を小さくしている。日向と省吾はいつも通りののんびりした表情に見えた。
前に出てきた生徒の中には鋼達以外にも日本人が二人いた。帰還者は六人いると聞いているので、つまりこの場に全員揃っているらしい。
そしてセイラン人はやはりほとんどが前に出てきた。全員でなかった事はむしろ驚きかもしれない。
「この中で《身体強化》を使える者は?」
クオンテラの質問に、顔を見合わせたりもしつつ鋼達は小さく手を挙げる。前に来た者全員だった。
「結構。なら、そうね。あなた、カミヤ君と言ったかしら?」
突然名指しされ、鋼へと注目が集まる。以前の《火矢》襲撃事件の際に名前を覚えられたのか、それとも元から生徒の名前を把握しているのか知らないが。
「そうっすけど」
「あなたと、あともう一人……そちらは《身体強化》が得意な生徒がいいのだけど。誰かやりたい人はいないかしら?」
もう一人はわざわざ訊くくせに、何故鋼は名指しなのか。シシドから何か聞いて、要注意生徒とか思われていないだろうなとやさぐれた気持ちになる。
「俺がやりますよ。得意な生徒のほうがいいんでしょう?」
台詞の後半を妙に強調して手を挙げたのは、言っちゃ悪いがなんだか気障な感じの金髪のセイラン人男子だった。なんとなく貴族っぽい気がするが、同じクラスかどうかさえ鋼には分からなかった。貴族は大抵どの授業の時でも貴族同士固まっており、あまり交流がないので顔すら覚えていない。知った顔はマルケウスくらいだろうか。
「鋼も《身体強化》かなり得意なのにね」
「今んとこそれが唯一の強みだからな」
ぼそりと呟いた日向に凛がこくこく頷き、鋼も小さく同意しておく。それを聞きとがめ、さっきの気障っぽい男子がふふんと笑った。
「ニホン人は知らなくて無理もないだろうけどね。我がゲイルド家は代々魔術師を輩出している由緒正しき家系なんだよ。俺も幼少の頃から魔術に触れている。悪いがニホン人には負ける気がしないね」
「へえ」
ゲイルド何某は自信満々のようだったが、漫画とかでいかにもありそうな小物っぽい台詞でもあった。これで鋼より下手だったら気まずい話だ。しかし入学してから初めて会った魔術の腕が良さそうな相手に、鋼の期待も膨らむ。
「あなた達二人には《身体強化》の実演をしてもらいましょう。強化してそちらの樽を持ち上げてもらいます」
クオンテラが示す先には、助手の人達がせっせと運んできたタルがでんと置かれていた。
大きなタル、中くらいのタル、小さめのタルと何やら三種類あり、口ぶりからして中身も入っており重いのだろう。同じサイズのタルごとに複数用意されているようで、こうしている今も助手達がどこかから休みなく運び込んでいる。
そうして鋼ともう一人は、《身体強化》の実演をする事となった。