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ソリオンのハガネ  作者: 伊那 遊
第一章・新入生の問題児たち
13/75

 11 十対一



「あんたらもここで昼メシ?」

 声をかけると、いざ店内へと入ろうとしていた男達の背が跳ねるように反応した。

 驚愕の表情で振り返る三人組。昨日捕まえた男の仲間三人で間違いない。

「てめえは……」

「俺もこの店気に入ってさ。今日もここで食うつもりなんだよ。で、入んねえの?」

 男達は警戒するように顔を見合わせた。先日鋼に突っかかってきたリーダー格らしい男が、鋭く辺りに視線を送る。他に鋼の仲間らしき人間がいないか探っているのだろう。

「お前さっきあのガキを――」

「入るさ。俺達もこの店で食おうと思ってたところでな」

 別の男が言いかけたのをリーダー格が遮った。あの泥棒の子供とこの三人が無関係でないのはもはや明らかだが、それでも建前上は咄嗟に隠すくらいにはこの男も頭が回るらしい。

「だがその前に、てめえとは話したい事があってな。ここで会ったのも何かの縁だ、ちょっとツラ貸せよ」

 にたりと笑みを浮かべぬけぬけと言う。

「ここじゃあ駄目なのか?」

「人に聞かれたくない話でなあ」

 男達がゆっくりと鋼を囲うように動き、リーダー格があごで進む先を示す。大人しく鋼は彼らについて行った。


 数分ほど歩いただろうか。鋼が案内されたのはうらぶれた酒場らしき建物だった。

 裏道のような場所にその酒場はひっそりと建っていて、昼間は営業していません、と言われても信じられそうな寂れ具合だ。

「怖がらなくていいんだぜえ? 立ち話もなんだから、ちょーっとそこで話をしたいだけなんだよ」

 店に入ると、意外にもそこそこ客が入っていた。ただしまともそうなのが一人もいない。鋼を連れる男達と明らかに同種の雰囲気の、ゴロツキっぽいのやら傭兵崩れっぽい男達が昼間から酒を飲んでいる。そのほとんどが入店してきた鋼達を意味ありげに注視している。

 こういう人間達が一般人を連れ込み萎縮させ、色々脅しつけたりするのによく利用されているのかもしれない。

「まあ座れよ」

 誘導されたカウンター席は店内の中央奥だ。他のテーブル席からも見やすい位置にあり、鋼が何かすれば店内の他の男達も動くかもしれないなと気に留めておく。

「わざわざ来てもらって悪いな。魔術師の女に『銀の騎士』、今日は貴族にその護衛。つくづくてめえは、他人の後ろに隠れるのが得意らしいからなあ。てめえが一人の時に、こうやってゆっくり話がしてみたかったんだ」

 全く悪いと思っていなさそうなにやにや顔で男がそんな事を言った。

「話、ねえ?」

「おいおい疑ってるのか? 本当に話をするだけだ。ま、ニホン人は知らないかもしれねえが、この国じゃ『話をする』っつうのはこういう意味だけどな!」

 席の前で男がいきなり拳を振るった。

 狙いはこちらの腹。

 なお、セイラン王国では『話をする』が『殴る』という意味に置き換わっているという事実は無い。全くのデタラメだが、とにかくいきなり殴りかかりたいほど恨まれているのはよく分かった。

「そりゃ勉強になるな」

 繰り出されたパンチを鋼も片手で掴み、受け止める。

 攻撃を止められたリーダー格の男が舌打ちをし、《身体強化》を発動させる。この程度の術式に一秒もかかるのかと驚きながら、鋼もわざと同じ時間をかけて魔術で強化を果たした。

 そのまま固定し、鋼は雑談でもするような気楽な調子で言葉を続ける。

「ああでも、こっちの国でも『拳で語り合う』って表現はあるんだぜ? そんなに俺と語り合いたいなら、乗り気じゃないが仕方ない。話がしたいってお前の頼み、聞いてやるよ」

「ぐっ……、く、この……っ!」

 強化に振り分ける魔力を男が徐々に大きくしていくのが分かるが、男がどれだけ力を込めても鋼の手からは抜け出せない。鋼が感じ取ったところによると、この男の《身体強化》は昨日の襲撃者より少しマシな程度だ。

 二年と少し前、ニールに魔術を教えてもらっていた時期の事を鋼は思い返す。それが出来るほど今の状況には余裕があった。


『お前はどうやら、《身体強化》の適性が極端に高いようだ』


 その魔術を多用していた鋼に色々と質問した後、ニールが言った台詞である。

 まあ魔物との戦いにおいては実用的なので、そう言われて素直に嬉しかったのは事実だ。だが《身体強化》は練習すれば誰でも出来るレベルの基礎術式なので、鋼は適性の高さを生かした自分だけの魔術というものに憧れてもいた。自分だけ、というのは望みが高すぎるにしても、誰もが使えるわけでは無いような、適性が必要とされる魔術を使えないのは寂しいものだ。

 それであまり魔術方面では自分の能力に期待せず、《身体強化》の適性の話もあまり深く考えていなかった。

 だが今、目の前の男が鋼に力負けしている現実がある。

「この前こっちに来てからどいつもこいつも、《身体強化》が下手くそだと思ってたが。下手なんじゃなくて、俺の適性が高いだけなのか? なああんた、世間知らずの『ニホン人』の俺に教えてくれよ。あんた強化魔術はかなり下手な方か? それとも上手いほうなのか?」

 鋼の感覚では、この男の力は情けないほど貧弱だった。体重をかけて両手がかりで、恐らくは鋼の片手と釣り合うだろう。

 正直、魔力を込めて力を込めるだけの事でどうしてここまで差がつくのか鋼にも分からない。強化された筋肉を使いこなして動くのが難しいというなら分かるが、こうして力を入れるだけなら誰だって似たようなものになると思っていた。これまでは。

「ぐっ、お……、く、そ。てめえ……っ!」

 残る二人と周囲の客はただ呆けたようにこの『語り合い』を見つめるのみ。拳を握られたまま身動きできない男が、もう片方の手も振りかぶろうとする。

 鋼はそれまで固定しているだけだった右手を、初めて握り締めた。

「ぐああ……っ!! お、おお……っ」

 めきめきと骨が軋み、男は脂汗を流し苦鳴をあげるだけになる。そこでようやく硬直していた二人の男も動き出した。

「このガキ!」

 拳を握っている男を引き寄せ二人の男へ突き飛ばす。詰め寄ろうとしていた二人が慌ててそれを受け止めた。

「ちょっと絡まれたってだけなら俺ももう少し穏便に済ますんだが。どうせアレだろ。俺が連れてこられたの、お前らの仲間を捕まえた奴について訊こうとしてたんじゃねーのか? 俺の仲間が逆恨みで手出されるかもしれねえとなると、さすがに見過ごすのはな」

「く、そ……! 馬鹿力め……っ!! ニホン人のクセしてなんで強化できんだよ!」

「で、さ。物は相談なんだが。あんたらに別に興味は無いし、俺の知らねえとこで悪い事してようが知ったこっちゃねーし、俺と俺の仲間に今後は手出ししねえってだけ約束してくれね? じゃあもう俺、このまま帰るからさ」

「ナメんなこのガキが! おいてめえらも手を貸せ! 俺らに逆らったらどうなるか教育してやるぞ!!」

 意外だったのはリーダー格が連れの二人だけでなく周囲に向けてもそう言った事で、もっと意外だったのは、結構な数の客がそれに応えた事だった。

 どうも、この場の客は全員同じ一味みたいなものらしい。乗り気じゃないのか反応しない奴もいるが、助太刀するとばかりに立ち上がった客は七人だった。鋼を連れて来た三人と合わせれば十対一になる。さすがにこの人数差は鋼にも危機感が募る。

「やっちまえ!」

 全員がこのリーダー格くらい弱ければ問題無いだろうが、そう甘くはないだろう。

 魔術で肉体を強化し、手近にいた男二人が飛び掛かってくる。殴りかかる一人の手を反射的に掴んで止め、もう一人に鋼は蹴りを繰り出した。間髪入れずに掴んだ男も投げ飛ばす。

 強化されているはずの二人がそれだけで壁まで吹っ飛び、動かなくなった。

 ……いやいや。

 残る八人の男達が動きを止め、場を一時静寂が支配する。攻撃した本人もあまりに容易くこうなった事に驚いていた。

「……ああ。そういう事か。あんまし強くないから、徒党を組んでカバーしてるわけだな」

 鋼が思ったままを言うと、男達は無言で自分の武器を抜いた。しまった、怒らせようとしたわけではないのに。

 個人が強くないなら集団で、というシンプルな思考はとても合理的で、鋼は嫌いではない。むしろニュアンス的には感心していたくらいなのだが、今の言い方は確かに挑発と取られても仕方が無い。

 迂闊な発言や態度で相手を怒らせてしまう自分の悪癖はやはり直した方がいいと、小さく鋼はため息をつく。その動作がまた、男達の怒りに油を注いでいるとは気付かない鋼だった。

 男達にもはや手加減などする理由はなく、そうして八対一の戦闘が始まった。



 鋼から離れた位置にいた客の男二人から、魔力が活性化する気配を感じ取る。

 一般的に《身体強化》などの己の肉体にのみ干渉する魔術は、内向きの力であり活性化の気配もあまり外に漏れない。しかしこの時の二人からは、昨日の襲撃者同様はっきりした魔力の波動が感じ取れた。

 魔術を補助とする剣士ではなく、魔術主体で敵を攻撃する魔術師タイプの敵だと鋼は判断。予想通りに次の瞬間二人から放たれた《火矢》を少し体をずらすだけで回避しながら、強化された身体能力を生かしそのまま術者達に接近する。

 鋼の動きに反応すら出来ていないようだったので、片手で一人ずつ掴んで近くの壁へと投げ飛ばす。

 他の敵を見てみると、さっきまで鋼がいた場所に向かっていまだに構えている奴がほとんどだった。驚愕の視線でこっちを見ているが、体全体は鋼の移動に対して全く対応できていない。鋼の姿を見失っている奴すらいる始末だ。

 ここまで速度に差があるのなら、武器の有無など問題にならない。

 近くにいる敵から順番に、近づいては蹴り倒していく。術者達に近づいた時とは違い、接近するのに《身体強化》は使っていないというのに、何も出来ずに男達は床に伏していった。これは別にわざと手加減しているわけではない。魔力の節約はルデスで戦っていた頃から身に染みている習性だ。

 魔術に頼らない速度で接近して、蹴る瞬間だけ強化。たったそれだけの繰り返しを男達は誰も止められなかった。剣で防ごうにも、それより速く足を動かせば体のどこに対してでも好きに攻撃できるのだから。

「このガキ殺すっ!!」

 残るはリーダー格と知らない男の二人になったところで、相手が攻勢に出た。リーダー格が長剣を手に、その後ろからもう一人が小剣を構えて斬りかかってくる。明らかにこちらを殺す気の気迫があった。

 長剣を持つ手を掴み、もう片方の手で殴ってやろうとしたのだが、鋼は咄嗟に飛びのいた。もう一人の小剣使いが剣を突きこんで来たのだ。

 誰もが全く反応できなかった攻撃の速さに対応したのだから、いい目を持っていると言えるだろう。多分この小剣使いが十人の男の中で一番強い。強化や速度に差があっても、この男のように集中力が十分なら相手に対応くらいは出来るものだ。

「あんたみたいなマシなのもいるが、基本は寄せ集めって感じか」

 突きこんできた小剣を避けながら足で蹴り上げる。男が小剣を離した。離さなければどの道手を傷めてしばらくは戦えなくなっただろう。

 体勢を立て直して再度斬りかかろうとしていたリーダー格の男の腹に、鋼は加減した飛び蹴りを叩き込んだ。

 今までの男達の中で一番吹き飛び、吐瀉物を撒き散らしながらカウンターにぶつかる。そのまま伸びてしまった。


 後はただ、静寂だ。


 手をあげて戦意がもう無い事を必死にアピールする小剣の男に鋼は苦笑を向けた。

「別にあんたには恨みはねえから、安心してくれ。その男にもな。手を出されたから警告を兼ねてやり返した、そんだけだ」

 蹴り倒した男達も、別に気を失うほどの威力で蹴ったわけではない。意識を失うほどのダメージを負っているのは今しがたのリーダー格の男と、最初の方で攻撃してきたその連れの二人と、《火矢》で攻撃してきた二人の計五人である。他は奴らは既に起きだしており、しかしもはや誰の目にも戦意は無くなっていた。

「まあ、あんたがもうちょっと俺にとって脅威だったら違ったがな。自分の命が本気で脅かされても笑って許してやるほど、俺は聖人君子でもない。もっとあんたらが明確な殺意でもって、しつこく挑んでくるようだったらつい殺してたかもしれん」

 先日の《火矢》襲撃以来、鋼はこちらの法律に関して自分なりに調べていた。

 それで知ったのだが、例え自分より強者が相手だとしても、武器や魔術を人に向けた時点でセイランの法では殺されても文句は言えないらしい。殴ろうとしただけの相手を殺したとして、それくらいの事例でようやく過剰防衛だ。しかもその場合でも相手が前科のある犯罪者だったり複数がかりだったなら、殺される危険もあったとして結局は正当防衛と見做(みな)されるのがほとんどのようだった。

 今は人殺しなどする気はなかったが、殺されそうになってまで不殺を守ろうとは鋼はさらさら思っていなかった。それは法的にも何の問題もない。小剣の男も鋼の言葉を表面上の脅しとは受け取らなかったようで、怯えたように微かに頷いた。

「そいつが起きたら言っといてもらえるか? もし次に俺達に手を出してきたら、最低でも一生剣を握れない体になってもらうって。……まあ、そいつが思ったよりもまだ馬鹿だったら俺の仲間を今度は狙うかもしれんが。俺にすら勝てないようじゃ、俺の連れをどうにか出来るわけがねえしな」

 誰に向けたわけでもない風を装った最後の呟きに、今度こそ意識のある五人の男達の顔が恐怖に染まる。一体この少年の連れとやらは、どれだけ恐ろしい奴らなのだろうかと。

 とりあえずは狙い通りである。鋼より戦友達の方が更に強い、と思い込んだなら、仕返ししてくるにしてもそちらを襲う事は無いだろうから。

 日向の気の抜けた暢気な顔を思い返せば、きょとんとしたまま不意打ちに対応できない姿は簡単に想像できる。もし彼女達が標的にされるような事があれば絶対コロス、と胸の内で誓う鋼だった。


 しかし、まあ。

 この喧嘩とも言えない騒動では収穫もあったと言えよう。

 魔物との交戦経験は豊富な鋼だが、こちらの街で過ごした事が無いのでどうにも知識や常識が偏っている自覚があった。そこらの冒険者よりは修羅場をくぐった自信はあれど、それで十対一の喧嘩で勝てるかは別問題だ。他の異世界人と比べて自分の能力はどうなのか、相対的に測る常識の物差しが鋼には足りていない。

 だがどうやら、得意とする《身体強化》はこれぐらいの悪党相手なら十分過ぎるほど通じるようだ。それが分かっただけでも結構な収穫だった。

 最近この街の治安に関しては若干の不安を抱いていたのだが、これならもう少し肩の力を抜いたっていいかもしれない。

 ――そろそろ、帰るか。

 目的は果たした(・・・・・・・)

 泥棒の子供を追いかけて行った三人はもう満月亭に戻っているだろうか。シシドのむっつりとした困り顔が目に浮かぶ。なるべく早く戻ろう。

 そう決意した矢先だった。


 ばん、と入り口の簡素な両開きのドアが開いて、子供が外から飛び込んできた。

 そして。


「とうとう追い詰めたぞ! さあ、盗んだものを返せ!」


 次に現れたのは見覚えのありすぎる騎士学校の男子制服だった。

 鋼は頭痛をこらえるような仕草をしてみる。なんとか顔を隠せないかなという、無駄な努力である。

「ガンサリット! 不用意に屋内に踏み込むんじゃない!」

 マルケウスに注意しながら、続いて入り口から顔を出したのはシシドだった。ほぼ同時に護衛官のターレイも店内に踏み込んでいる。ちらっと見たが、入って来た子供はさっきの椅子泥棒で間違いなさそうだった。

 そして三人は、散らかった椅子や変な体勢で転がったまま動かない男達に絶句する。

「……なんだこれは」

 ぽつりと言ったシシドの台詞に、店内の誰もが沈黙を返した。やはり男達と同じ一味だったらしい泥棒の少年も、驚愕に目を見開いて気絶している男達の中心点を凝視した。

 迂闊な事にそこからまだ、鋼は動いていなかった。

「……どうしてお前がここにいる、カミヤ。……というか、いつから別行動をしていたんだ?」

 ずっと鋼の不在に気付かず子供を追い回していたらしいマルケウスに鋼はがくっとなった。前へ前へと進む勢いが強い分、後ろは全く見ないという性格らしい。

「これは……、お前がやったのか?」

 この質問はシシドだった。ターレイは目を細め、ただ黙ってマルケウスの隣に侍っている。

「いや、俺が来た時にはもうこうなってましたよ。俺にも何がなんだか」

「どうやって先回りした?」

「へ? いやいや、偶然っすよ。教官達について行けずに俺、置いてかれたじゃないですか。つーかそれすら気付いてなかったなら割とひどいと思うんですが。まあそれで、先に店に帰ろうにも周りを見たら知らない道だし、色々彷徨ったあげくついさっきこの酒場に来たんです。帰り道を訊こうと思って」

 疑うどころか嘘と断定しているような、凄みのある表情でシシドはただじっと見つめてくる。

 全く気付いていない素振りで鋼は笑いかけた。

「ま、でも運良く合流出来たんだから良かったですよ」

「……。本当に、これをやったのはお前じゃないんだな?」

「俺がこんな事出来るように見えます? ……なあ、そこの人」

 武器を失い立ち尽くしたままの小剣の男に呼びかけると、「は、はい!?」と上ずった声が返ってくる。……そうあからさまに怯えられると、いかにも白々しい演技に見えてしまいそうだが仕方が無い。

「あんたからも言ってやってくれよ。ここでどんな派手な喧嘩があったのか知らないが、俺が来たのはついさっきで倒れてる人達とは関係無いって。ちなみにこの人達、騎士学校の護衛官だったり教官だったりするから、――嘘は言わないほうがいいぞ?」

 これで通じないならもう知らん。嘘がばれて困るのは鋼ではなく、先に手を出してきた上に刃物まで持ち出したこの男達だ。

「! は、はい、そうですよ!? その人はついさっき来たところで……!」

「……なるほど」

 怪しまれているだろうが、ひとまずはシシドも納得したフリをしてくれた。

「……教官。それよりもまずは盗まれた物を取り返しましょう」

「ん? なあ、マルケウス。取り返すって言ってもそいつはもう椅子持ってねえじゃん」

 マルケウスの進言に鋼が横から口を挟む。話題に上った泥棒の子供はびくりと身をすくませた。

「椅子? 逃亡の邪魔だったのか逃げる途中で道に放っていたな」

「いや盗品それだろ」

「何を言っている。椅子なんか盗んでどうするんだ。カミヤ、ニホンでは意味が違うのかも知れないが、泥棒というのは金品を盗み取る輩の事を言うんだぞ」

 偉そうに説明してくれるマルケウスの隣でターレイは気付いた表情を見せた。

「マルケウス。貴族はそんな事想像もできんのかもしれんが、椅子一つ満足に買えない貧乏人にとっては椅子も立派な『金品』だぞ」

「椅子一つ買えない? 何を馬鹿な――」

 一笑に付そうとしたマルケウスが、椅子泥棒にきっと睨みつけられ戸惑ったように言葉を途切れさせる。まさか、本当に? とその顔は語っていた。

 ここの一味と関係あるならどう考えてもまともな育ちでないだろうその子供が、貴族少年のその反応に怒りを見せるのは当然だろう。それでもまあ、盗んだ側が悪いのだが。

 しかし多分、今回はこの子供は椅子が欲しかったわけではなく、男達の指示に従っただけと思われる。満月亭から店員を外へ引っ張り出すためか、マルケウス達を引き離すためかは知らないが。その男達はこうして床に伏せているので、もはやどっちでもいい。鋼としてはさっさと満月亭に帰って昼食にしたかった。

「細かい話は後でいいだろ。その子供連れてさっさと満月亭に戻ろうぜ。椅子以外に盗まれた物が無いか確認してから、そいつをどうするかとか決めりゃいい」

 ターレイもシシドもそれに異論を唱えず、店内の人間が静かに見守る中、そうして四人は子供を連れ名も知らぬ酒場を後にした。



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