10 熱血騎士候補
「教官に個人的な用件があり待たせてもらっていました。が、それは後日に改めます。話は聞かせてもらいました」
いや聞くなよ、とは思ったが、協力してくれるようなので鋼も口を挟まなかった。
「見上げた志ではないですか。民を脅かす輩がいるとなれば、自分も放ってはおけません」
「ガンサリット。それは騎士の職分じゃない」
――ガンサリット? ああ、マルケウス少年の家名だったか。
窘めるようにシシドが言えば、マルケウスも力強く反論する。
「職分です! 騎士とは王を守り、国を守り、そして民を守るもの。騎士が悪を見過ごせば、それはすなわち国が悪を見過ごしたという事に他ならない!」
高圧的な貴族のように思っていたが、それは鋼の全くの勘違いだったようだ。
かなり暑苦しい、いや、熱血な少年のようである。
「自分も未熟ながら護身術を身につけておりますし、護衛官も一緒ならば何も問題は無いはずでしょう」
「いや、しかしな……」
「教官!」
◇
学園の食堂に日向達は来ている。
鋼が学長に用事らしいので、残りのいつものメンバーもなんとなく自由行動みたいな雰囲気になった。長谷川省吾と片平雪奈は本日はルームメイトと昼食を共にすると言って別れており、日向は凛と有坂伊織と、そして伊織のルームメイトの四人で食堂の窓際の席に座っていた。
といってもどうせ昨日一緒だった面子は外出を禁止されているので、皆食堂を使う事になる。省吾とそのルームメイト、雪奈とそのルームメイトの二組もすぐに食堂にやって来て、こちらを見つけて近い席に腰を落ち着けた。
そこに、各々のルームメイトをきっかけに、その子と親しい別の生徒もやって来たりして、今現在この周辺の席はかなり大変な事になっていた。見る限りに大人数で埋まり、新入生だらけの一角と化している。
それぞれ話しかけてきては自己紹介してくれたりするので、名前を覚えるのでいっぱいいっぱいだ。どうやら昨日の《火矢》襲撃事件の噂が既に広まり、その詳細に誰もが興味津々らしい。
「ヒナちゃんが窓際の席にしようって言ってくれたのは正解でした……」
凛と同じシルフ組の生徒も混じっているとはいえ、見知らぬ生徒と言っていい集団に囲まれ彼女は目を回していた。けれど席は窓際なので全方位を囲まれるという状況にはなっておらず、それがかろうじて助けになっているらしい。
人見知りの彼女にはこの場はとても疲れるようだ。別に窓際を提案したのは全然違う理由なのだけど……。
「いやー、注目の的だね! やっぱり帰還者は皆すごい気になるみたい。しかも三人揃ってこっちに落ちたんでしょー?」
あっけらかんと発言したのは伊織のルームメイトである魚住真紀という女子生徒だ。彼女はだいぶ寝ぼすけらしく、入学式の日も遅れそうになり、業を煮やした伊織が見捨てて先に講堂に向かったそうだ。それであの時伊織には同行者がいなかったらしい。
聞けば、最初からの知り合いがいないこの学園の日本人生徒は、まだ入学して日が浅いのもありルームメイトと一緒に行動する人が多いらしい。同室・同クラスかは関係なく一緒にいる日本人は現時点では珍しいらしく、そういう意味では日向達は目立っていて、彼女も話しかけてみたかったのだとか。
「いおりんに話聞いてたからさー。私も魔法の事とか色々聞いてみたかったんだよね」
「皆魔法大好きだよねえ。私はあんまり詳しくないから、話せる事も少ないと思うよ?」
伊織は真紀には『いおりん』と呼ばれているらしい。伊織を見るとなんだか諦めた表情で、一応そのあだ名は本人公認みたいだ。
「でもでも、ヒナっちも手から火を出したり出来るんでしょ? やり方とか教えて欲しいんだけどダメ?」
「ごめん、この子にこの前見せてもらった火の魔術話したら興味津々みたいで」
真紀が懇願し、伊織が少しすまなさそうに謝る。日向は全然未熟だし、もっと専門家の凛に丸投げするのは彼女の性格的に可哀そう、という事情もあるけども。残念ながら別の理由からその頼みは聞けないのだった。
「うーん、私なんかでよければ教えてあげたいとこなんだけど。でもごめんね、魔術って結構危ないし、好き勝手に初心者は練習したがるけど何が起きるか分からないからって、そういうのは教えないように言われてるんだ。せめて魔術の授業を皆が何度か受けるまではやめてくれって、学校から」
その返答に、聞き耳を立てていた周りの日本人もしょんぼりと肩を落としていた。
「そっかー。じゃあこっちの世界に来てから、魔術使えないかなーって色々自分なりに試してるんだけどさ。それももしかして、アウト?」
どうなんだろう。ちゃんとした知識もなく、感覚で使ってみようと独力で頑張るだけで火が出たりするなら、ソリオンの一般の人達にとっても危ない事ではないだろうか。実際に使える魔術があっても理論的な下地に乏しい日向には、判断がつかない問題だった。
「……あの。アウトでは、ないですけど。ただ、もし実際に何かの現象として発現しそうだったらすぐに練習をやめて、誰か魔術が使える人に相談するべきだと思います。他人の力を借りずに素人が自主練習しても、そう危険な事も起きないとは思いますけど……」
この分野では頼りになりすぎる凛が代わりに答えてくれた。言われてみればそうだったかもしれない。最初は魔術が使える他の人に干渉してもらって、自分の中の魔力を操る練習をするのが一般的とか、そんな話をニールから聞いた覚えがあったような。
「リンリン詳しい!! そっか、自主練くらいだったらだいじょぶなんだ」
「え……、リンリンって私ですか?」
「やっぱリンリンすごいなー。襲ってきた奴返り討ちにするくらいだもんね」
名前に関しては堂々たるスルーだった。伊織の諦めたような表情の意味が日向にも分かった気がする。
昨日の凛の活躍については何故かその日のうちに真紀の耳にも入ったらしく、教室で凛と伊織は色々訊かれまくったらしい。この場にいるノーム組の生徒の中にはまだ知らなかった人もいたみたいで、真紀は嬉々としてその人達にも昨日の事件について語り出していた。もちろん凛の活躍の事も。
凛がおろおろとやめて欲しそうに真紀を見ているが、事実なんだから諦めなさいと伊織に同情するように諭されている。
そんな中、日向はこっそりと窓から外を見ていた。
実はこの席からは正門が見えるのだ。
凛、伊織、真紀の三人の位置からは、向きや角度の問題で見えていない。他のこの場の生徒達も外には注意など払っていない。だからたった今、神谷鋼という男子生徒が正門から出て行った事は、この場では日向しか気付いていない。
――お人好し。
声には出さず口の中だけで、日向はその背中に向けて思わず呟いていた。
満月亭の様子を見に行くのだろう。彼からは何も聞いていないが、学長に用事という時点でそういう目的だろうなとは思っていた。許可が下りたのは意外だったけど、一緒に出て行った意外すぎる面子がその要因なのだろう。
鋼は、口が悪い。
ちょっとしたルールを平気で破るし、あんまり他人には興味がない唯我独尊タイプに見えるし、現実的な考え方と厳しい基準を持って物事を見ている。
だから相当分かり辛い。あの少年が本質的に、かなりのお人好しだという事は。
きっと鋼にどうして満月亭をそこまで心配するのかと訊けば、食事がそれなりに気に入ったからとか、あの店にいた男達がなんとなく気に入らないからとか、理由を色々と語ってくれるだろう。
結局それは、鋼があの店を助けるための口実に過ぎない。助けたいと思った相手はなんだかんだと理由をつけて何が何でも助けるのが、日向の知る鋼という少年だった。
「……あ。コウからメールが」
電子的なメロディが場に流れ、凛はそう言って自分の携帯を開いた。彼女の携帯はメールも電話も、鋼からだった場合だけ別の着信音に設定してあって、その音の時だけ彼女はやたらと反応が早い。
「取り出すの早っ!」
その速度は真紀が驚くほどらしい。ちなみにメールの着信音は某ミリタリーゲームにおけるゲームオーバー時の音楽で、聞いた周りの生徒は『なんか聞いた事あるなあ』という顔をしたり、知っている人は意外そうに凛を見たりした。そして特に強烈に反応したのがすぐ近くの席に座る雪奈だったりした。
「む、村井さんってゲーム好きなんですか!?」
「好きだよー。ルウちゃんって結構そういう趣味だからね」
メールを読む凛に代わり日向が答えておいた。やがて凛が携帯を畳む。
「用事が長引きそう、て?」
「はい。いつ戻るか分からないから適当にしてろって書いてました」
そりゃまあ、たった今学園の外に出かけたのだから、すぐには戻って来れないだろう。鋼は凛にも日向にも、満月亭に行くのは秘密にしておきたいようだ。
それについて特に腹が立ったりはしない。鋼が知らせなかったなら、その必要は無いと判断したというだけの事だ。本当に困った事態になったり何か危険があったりすれば、鋼は素直にこちらを頼るだろうと日向は信頼している。
まあ、凛の場合は頭ではそうと理解しても、納得はできずに鋼の後を追いかけて行きそうな気もする。鋼がこちらに知らせないのはそれが理由だろうと日向は当たりをつけていた。昨日の男を捕まえた凛を連れて行って、満月亭にいるかもしれない仲間の男達を無駄に刺激するのを、鋼はよしとしなかったのだ。
昨夜クーと会った場所があの店の前だったのも、襲撃があった日のうちに一度様子を見ておきたかったからだろう。あの店の店員にギルドの場所を教えてもらった時、店の前で四人組にも絡まれたのだと少しだけ日向も聞いている。鋼の性格から考えて、彼がトラブルを完全に避ける気であったなら、昨夜あの場所には長居しなかったはずだ。
「ねえね、そのメールのコウ君っていつも一緒にいる男の子の事だよね。前にこっちの世界に一緒に落ちたっていう」
「はい、そうですけど」
目を光らせる真紀に対し素直に頷く凛。ああ、あれは獲物を狙うハンターの目だ。
「……二人って付き合ってるの?」
「へ?」
予想外の直球の質問に固まる凛を、周囲の男子生徒達はどこか固唾を呑んで見守っているように見えた。はっきり言って凛は美人なので、男子達には気になる話題だろう。
「そ、そそそんな、付き合ってなんて……!」
「違うのー? 今だって、用事が長引きそうってだけでわざわざリンリンにメールくれてるじゃない。前にこっち来た時もずっと一緒にいたんだったら、お互い気になる存在になってて、みたいな展開はむしろ自然でしょ」
「い、いえ、ヒナちゃんもクーちゃんも、……他の人だってよく一緒でしたし」
「あ、そんな何人も一緒に行動してたんだ。で、結局リンリンはコウ君とは付き合ってないの?」
まだ凛と鋼が付き合っている疑惑は真紀の中で継続中らしい。何故日向よりも凛がそこまで疑われるのか、長く一緒にいる日向にはその理由がよく分かった。
「付き合ってなんて、ないです……。そんな、私なんか恐れ多い……」
顔を赤らめてもじもじと恥ずかしそうに言う彼女を見て彼女の想い人に気付かないなら、そいつは相当な鈍感であると日向は思っている。
「私、『恐れ多い』なんて言葉口に出して言う人初めて見たわ……」
頷く伊織はやっぱりというか、既に気付いていたような感じだ。
これはいじり甲斐があると見たのか、真紀が「じゃあ相手から付き合ってくれって言われたらリンリンは受けるつもりなのー?」なんて風にかなり際どい質問を飛ばし始めている。必死に誤魔化そうとする凛に、あんたそろそろ自重しなさいと真紀を窘める伊織。周囲の日本人生徒達もそれぞれが雑談を始めていた。
それらを眺め、自然と笑みが込み上げる。
なんとも平和な光景だった。
ここに鋼がいないのを、それどころか彼が平和とはかけ離れた状況にいるかもしれない事を、日向は残念に思った。
◇
マルケウスの護衛官は、いかにも執事、といった風情のおじさんだった。
護衛として凄腕なのかどうかはよく分からない。弱くはないだろうが、戦いが本職でも無さそうな。とにかく、使用人という印象の男性だった。
マルケウスの安全を第一と考える人であれば、今こうして外を出歩くきっかけとなった鋼にもいい感情を抱いていないだろう。それでもマルケウスが決めた事だからか、嫌な顔一つせずむしろ温厚な態度で鋼達に同行していた。
「しかし、今更ながら僕は詳しい事情を何も知らないんだが」
なのに一緒に来たのか……。
ツッコミどころ溢れるマルケウスのその台詞をきっかけに、道中で昨日の襲撃事件の事などを手短に話す。
話し終えるとマルケウスは、
「そんな暴漢の仲間が巷には野放しにされているのか……!」
と憤ってみせた。まず最初に思う事がそれらしい。無事で良かったとか、災難だったなとか、そういう言葉を期待していたわけでもないが……。
改めて思うが正義感の塊みたいな奴だ。護衛官のターレイは慣れているのかすまし顔で、シシド教官はどこか疲れたような無表情で黙ってついてきている。このシシド教官、護衛官だけで十分ですと主張したマルケウスと鋼の組み合わせを見てよほど不安に思ったのか、同行を申し出たのだ。
護衛官がついていようと鋼は外出禁止だと言い張る事も出来ただろう。だがマルケウスの方には元々何の制限も無いのだ。あの場の勢いとこの性格から考えると、貴族少年は護衛官と二人だけでも満月亭に行こうとした可能性は高かった。シシドとしてもこれは苦渋の選択だったに違いない。
心配のし過ぎですよと励ましてあげたいところだが。
しかしどうも、そうはいかないようだ。
――見られている。
学園前のあたりから、ずっと何者かが自分達を監視しているのを鋼は感じ取っていた。
なんとなくそう感じているというだけで、怪しい人物を発見しているわけでもない。しかし鋼は確信に近いものを抱いていた。
直感というものは馬鹿に出来ない。
理屈で説明できなくても、それは確かにあると鋼は信じている。かつてそれに何度も助けられた身としては。
他の三人は気付いていないのだろうか? あるいは気付いていて、その素振りを見せていないかだ。直感なんてあやふやなものを無理に信じてもらおうという気も起きず、鋼は淡々と、マルケウス達を連れて満月亭に向かう。
結局何も起こらずに店の前に到着してしまった。ただし見られているという感覚も継続中だ。
「お前も昼飯はまだなんだろ?」
「ああ。僕は普段、こういう場所で食事をとらないから何か新鮮だな」
会話を交わしつつ中に入ろうとしたところで、店内から誰かが飛び出してきた。
「うおっと」
ぶつかりそうになったのをかわす。小さい人影だった。
というか、子供だ。想定していたあの男達の誰かではない。
連れの三人の間をすり抜けて、その子供は通りを駆けていく。何故か引きずるように椅子を掴んでいた。
「ちょっ、ドロボー! 待ちなさい!」
聞き覚えのある声と共に、次は店員の少女が入り口に姿を現す。鋼達四人に気付き驚いて立ち止まった。
「すいませんお客さん! 今ちょっと――」
「事情はおおよそ理解しました! 自分達が捕まえますのでご安心を!」
え? と鋼が首を傾げる間もなく、当然のようにマルケウスがきっぱりと請け負う。
ターレイが諦めたように嘆息し、シシドが何か言おうとし、それよりも早くマルケウスは身を翻した。
「窃盗を見過ごすわけにはいきません! 協力を」
鋼達の返事すら待たずにマルケウスは通りを走り出す。
「待てガンサリット! っ、ああチクショウ!」
シシドが毒づき、目が合った鋼と頷きあう。マルケウスに続いてすぐさまターレイが駆け出し、少し遅れて二人も追う。
複数の魔力活性化の気配を鋼は感じた。マルケウスもターレイもシシドも、皆当然のように《身体強化》の魔術を発動させたのだ。
そして逃げた子供も、驚いた事に同じ魔術を使っている。その小柄を生かし人ごみの隙間をするすると抜けていき、進路を曲げて細い路地へと入っていく。
こちらもみすみす見逃すほど甘い面子ではない。離される事なくそれに続く。もちろん鋼も《身体強化》を己にかけ、三人と同じ速度で追走していた。シシドが様子を伺うようにこちらを振り返るのに頷きを返し、大丈夫だと視線で伝える。
やはり昨日の襲撃者はこの魔術が相当下手だったのだとよく分かった。今回の子供はいくらかマシだ。
マルケウスはともかく、護衛官のターレイや教官のシシドの限界速度はいくらなんでもこんなものではないだろう。そう判断して、細い路地に入った途端に鋼は静かに足を止めた。幸いにもシシドは気付いた様子もなく、そのまま子供と三人は行ってしまう。遠くでまた横の道に曲がり、完全に視界から消えた。
あちらは任せておいても問題なさそうだ。
「貴族だからほっとくわけにはいかないんだろうな……」
あの二人は多分子供を追いかけているのではなく、マルケウスについて行っただけだ。満月亭の事はそれほど深刻に考えていないのだろう。
その場で十秒数えてから、鋼はそっと路地から通りに顔を出した。遠いがなんとか確認できた。
全くの想像通りだった。
三人組の見覚えある男達が、満月亭の前に姿を現していたのだ。