第1章 少年野球時代
野球が教えてくれたこと
僕が野球と出会ったのは、8歳のときだった。
実は、最初から野球を始めるつもりだったわけではない。本当は別のスポーツを始める予定だった。ところが、学年が上がるごとに、そのスポーツで使う道具が一つずつなくなっていくことに気づいた。
当時の僕は、自分でなくしてしまったのだと思い込み、必死に親に隠そうとしていた。今振り返れば、なんとも子どもらしい話だと思う。それでも、当時の僕にとっては、親に知られることが怖くて仕方がなかった。
そんな頃、家族が心から喜んでいる姿を目にした。前年、阪神タイガースが優勝し、家族みんなが嬉しそうに盛り上がっていたのだ。
その姿を見て、僕は自然とこう思った。
「自分も野球をやってみたい」
それが、僕の野球人生の始まりだった。
父とは、ときどきキャッチボールをしていた。しかし、その頃の僕にとって野球は、まだ遊びの延長にすぎなかった。本気で上手くなりたいとか、将来どうなりたいとか、そんなことを考えていたわけではない。ただ、父とボールを投げ合う時間が楽しかった。
周りから「上手い」と言われた記憶もある。けれど、正直なところ、その頃の細かな出来事までは覚えていない。
ただ一つ確かなのは、あの頃の何気ない時間が、僕を野球へと導いてくれたということだ。
あのときは、まだ知らなかった。
野球が、これからの僕の人生にどれほど大きな影響を与えることになるのか。そして、たくさんの喜びだけでなく、悔しさや苦しさまで教えてくれることになるのか。
あの頃の僕は、ただボールを追いかけることが楽しかった。
それだけで十分だった。
初めての練習
少年野球チームに入部した日のことは、今でも覚えている。
学校が終わると、少し緊張しながらユニフォームに袖を通し、初めての練習に向かった。
グラウンドでは、すでに同級生や先輩たちがキャッチボールをしたり、力強くバットを振ったりしていた。ボールを投げる姿も、バットを振る姿も、当時の僕にはずっと大人びて見えた。
「かっこいい」
素直にそう思った。
自分も、あんなふうに野球ができるようになりたい。そんな憧れを抱きながら練習に参加したものの、現実は甘くなかった。
ボールを投げても、相手まで届かない。バットを振っても、打球は思うように前へ飛ばない。走っても、周りの選手についていけない。
何をしても上手くいかない。
周りとの差を感じるたびに、自分の未熟さを思い知らされた。それでも、不思議と野球が嫌いになることはなかった。
グラウンドに広がる土の匂い。グローブにボールが収まる、あの心地よい音。仲間たちの声。そして、練習が終わる頃には全身にまとわりついている汗と土。
その一つひとつが、僕には新鮮だった。
帰り道、自転車をこぎながら、心の中で思っていた。
「明日も早く練習に行きたい」
上手くできないことばかりだったのに、またグラウンドに行きたくなる。今思えば、あの頃から野球には、人を夢中にさせる不思議な力があったのだと思う。
ところが、入部して初めて迎えた夏休み。僕の気持ちは少しずつ変わっていった。
毎日の炎天下での練習。思うようにできない守備。失敗するたびに耳に入ってくる監督の厳しい声。
最初は楽しかったはずの野球が、いつの間にか苦しいものになっていた。
「もう行きたくない」
小学生だった僕は、本気でそう思っていた。
好きだから始めたはずなのに、好きなことが苦しくなる。その気持ちを、当時の僕は上手く整理できなかった。
それでも、父は無理に何かを言うことなく、僕を見守ってくれた。母も「無理して行かなくてもいいよ」と声をかけてくれた。
そして、監督も焦らずに待ってくれていた。
誰かに無理やり連れ戻されたわけではない。自分の気持ちが落ち着くまで、周りの大人たちが待ってくれたのだ。
今振り返ると、あの時間があったからこそ、僕はもう一度グラウンドに戻れたのだと思う。
夏休みが明ける頃、僕は自然と練習に復帰していた。
野球が嫌になったわけではなかった。ただ、まだ野球の厳しさを受け止めるだけの心の強さがなかったのだろう。
復帰してからは、ファーストの守備を練習するようになった。左利きだった僕は、心の中で一つの夢を抱いていた。
「いつか、ピッチャーをやりたい」
まだその夢が叶うかどうかも分からなかった。それでも、いつかマウンドに立つ自分の姿を想像することが、練習に向かう小さな原動力になっていた。
練習が終わると、父が古びた軽自動車で迎えに来てくれた。
泥だらけになったユニフォーム。汗で濡れた体。疲れ切った足。
そんな僕を見ても、父は嫌な顔一つせず、笑いながら言ってくれた。
「頑張ったな」
たった一言だった。
けれど、子どもだった僕にとって、その言葉は何よりも嬉しかった。上手くできたかどうかではなく、どれだけ活躍したかでもなく、ただ頑張ったことを認めてもらえた気がしたからだ。
母は、泥だらけのユニフォームを洗濯機に入れながら、よくこんなことをつぶやいていた。
「本当に野球が好きなんだね」
当時の僕は、そこまで深く考えていなかった。ただ野球をして、疲れて帰って、また次の日にグラウンドへ向かう。その繰り返しが当たり前だった。
でも、今になって思う。
僕が夢中で野球を続けられたのは、自分の力だけではなかった。いつも見守ってくれる家族がいて、戻る場所があったからこそ、何度でも前を向くことができたのだ。
あの頃の僕は、まだ何も知らなかった。
努力することの意味も、仲間の大切さも、負けることの悔しさも。
ただ、泥だらけになって野球をすることが楽しかった。
そして、その小さな喜びが、少しずつ僕を成長させてくれた。
初めての試合
10月になると、四年生以下の大会に出場する機会が訪れた。
僕にとって、初めての公式戦だった。
練習と試合では、何もかもが違って見えた。目の前の相手、ベンチから聞こえる声、そして自分のプレー一つひとつに結果がついてくるという緊張感。
僕はファーストでスタメンに入り、打席に立った。
初めての打席。
何を考えていたのか、今となっては細かく覚えていない。ただ、バットを握り、ボールを見て、何とか前へ飛ばそうとしていたのだと思う。
結果は、ボテボテのピッチャーゴロだった。
決して、きれいな当たりではなかった。誰もが驚くような打球でもなかった。
それでも、僕は一塁に向かって全力で走った。
最後まで諦めず、一塁へヘッドスライディングをした。
そして、判定は――
「セーフ!」
その瞬間、胸の中に大きな喜びが広がった。
泥だらけになりながら立ち上がったとき、僕は心から嬉しかった。ヒットを打ったわけではない。それでも、自分の力で一つの結果をつかみ取れたことが、何よりも嬉しかったのだ。
試合後、監督が声をかけてくれた。
「今のスライディング、いい根性してるな」
その言葉を聞いたとき、胸が熱くなった。
自分のプレーを認めてもらえた。その喜びは、今でも忘れられない。
帰りの車では、父に何度も話した。
「セーフだったぞ!」
何度も、何度も。
自分でも驚くほど嬉しかったのだと思う。
父は笑いながら、こう言ってくれた。
「いいね。泥だらけの方がかっこいいさ」
その言葉は、僕の心に深く残った。
きれいなユニフォームで、格好よくプレーすることだけが野球ではない。失敗しても、泥だらけになっても、最後まで諦めずに走る。その姿にも価値がある。
もちろん、当時の僕がそこまで深く理解していたわけではない。
ただ、父の言葉が嬉しかった。
そして、野球を頑張ることを、もっと好きになった。
今思えば、あの一塁へのヘッドスライディングは、僕の野球人生を象徴する最初のプレーだったのかもしれない。
格好よくなくてもいい。上手くできなくてもいい。最後まで諦めずに、自分にできることをやり切る。
その気持ちは、これから先の野球人生でも、何度も僕を支えてくれることになる。
入部から一年ほどが経つと、僕は念願だったピッチャーを任されるようになった。
運にも恵まれ、四年生の頃から五、六年生の先輩たちと一緒に試合に出場する機会をもらった。背番号は「1」。ユニフォームの背中にその番号を背負い、マウンドに立った。
まだ小さな体の僕にとって、相手はずいぶん大きく見えた。体格も力も、自分より上の選手ばかりだった。
「こんな相手に、本当に抑えられるのだろうか」
そう思うこともあった。
監督からは、こう言われていた。
「スローボールで打たせていけ。フォアボールを出さなければ大丈夫だ」
その言葉を頼りに、僕はマウンドに立った。
不思議なことに、当時はそれほど緊張していなかった。今考えると、怖いもの知らずだったのかもしれない。
難しいことを考えるよりも、ただ目の前の打者に向かってボールを投げることが楽しかった。
ストライクが決まると、ベンチから仲間の声が飛んできた。
「ナイスボール!」
その声を聞くたびに、自然と力が湧いてきた。
ピッチャーはマウンドに一人で立つ。打者と向き合うのも、投げるボールを決めるのも自分だ。
それでも、決して一人で戦っているわけではなかった。
後ろには、守ってくれる仲間がいる。苦しいときには、声をかけてくれる仲間がいる。
あの頃の僕は、仲間の声援に支えられながら、少しずつピッチャーとして成長していった。
そして、いつしか背番号「1」が、自分にとって特別なものになっていた。
初めての優勝と挫折
五年生になる頃には、体も少しずつ大きくなり、力もついてきた。
それまで内野を越えなかった打球が、外野まで伸びるようになった。投げるボールにも勢いが出てきた。試合では最後まで投げ切ることが増え、完投や完封も珍しくなくなっていった。
当時の僕は、自分が成長していることを素直に喜んでいた。
それと同時に、少しずつ自信もついていた。
マウンドに立てば、相手を抑えられる。
自分なら何とかできる。
そんな気持ちが、いつしか当たり前になっていたのだと思う。
その自信を、さらに強くしてくれた出来事があった。
五年生のときに出場した大会で、僕たちは初めて優勝を経験したのだ。
僕は四試合すべてを完投し、そのうち二試合では本塁打も打つことができた。
投げて、打って、チームの勝利に貢献する。
野球を始めたばかりの頃には想像もできなかった自分の姿が、そこにはあった。
試合に勝つたびに、チームの雰囲気は盛り上がっていった。そして、ついに優勝が決まった。
仲間たちが涙を流しながら抱きついてきた。
「ありがとう!」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥から熱いものが込み上げてきた。
嬉しかった。
自分が頑張ってきたことが、チームの勝利につながった。そのことが、何よりも嬉しかった。
一人で頑張ってきたつもりでも、勝利の喜びは一人では味わえない。仲間と抱き合い、みんなでトロフィーを掲げたとき、僕はそのことを少しだけ理解した気がした。
それまでの練習も、苦しかった時間も、すべてが報われたように感じた。
「もっと強くなりたい」
優勝した喜びとともに、そんな気持ちが胸いっぱいに広がった。
あの大会は、少年時代の僕にとって、大きな自信を与えてくれた経験だった。
優勝トロフィーは、今でも家の棚に飾ってある。
時間が経ち、少し埃をかぶっていても、それを見ると、当時の歓声や仲間の笑顔が思い浮かぶ。
あのときの喜びは、今でも色あせていない。
けれど、野球はいつも思いどおりにいくわけではなかった。
優勝の喜びに浸る間もなく、次の大会で僕は大きな壁にぶつかった。
それまでの自信が、一気に崩れていった。
ストライクが入らない。相手打線に打たれる。自分の思い描いた投球が、まったくできない。
どうにかしようとすればするほど、投球は乱れていった。
そして、まさかの一回戦敗退。
前の大会では四試合を投げ抜き、優勝の中心にいた。それなのに、次の大会ではチームを勝利に導くことができなかった。
その現実を、当時の僕は素直に受け入れられなかった。
悔しかった。
それ以上に、自分が思うようにできないことが許せなかった。
苛立ちは、少しずつ表情や態度に出るようになった。仲間への声のかけ方も乱暴になり、気づかないうちにベンチの雰囲気まで悪くしてしまっていた。
自分では、勝ちたい一心だったのかもしれない。
もっと上手くなりたい。負けたくない。自分ならできるはずだ。
そんな気持ちが強すぎたのだと思う。
けれど、勝ちたいという思いが強ければ、それだけでチームを良い方向に導けるわけではない。
そんな僕に、監督が言った。
「お前が怒ると、チームも負ける」
その言葉は、当時の僕には厳しく感じられた。
自分だって一生懸命やっている。勝ちたいからこそ、悔しいのだ。
そんな思いもあったと思う。
けれど、監督の言葉は、僕の心に深く残った。
自分が怒ることで、仲間まで苦しい気持ちにさせているのではないか。自分の態度が、チーム全体に影響しているのではないか。
そのときは、まだ答えを出せなかった。
ただ、あの一言は、僕が野球選手としてだけでなく、人として成長していくための、大切なきっかけになった。
その意味を本当の意味で理解するのは、もう少し先のことだった。
六年生での気づきと成長
六年生になり、僕はチームの最高学年を迎えた。
下級生たちから見られる立場になり、エースとしての責任も、少しずつ感じるようになっていた。
五年生の頃の僕は、負けると悔しさをそのまま態度に出していた。
自分の思いどおりにいかないと苛立ち、周りが見えなくなることもあった。
けれど、最高学年になった僕には、もう自分の感情だけで行動するわけにはいかないという思いがあった。
自分の態度一つで、チームの雰囲気が変わる。
仲間が不安になったり、逆に前向きになったりする。
少しずつ、そのことを実感し始めていた。
ある試合で、ピンチを迎えたときのことだった。
僕がマウンドで苦しい表情を浮かべていると、タイムがかかり、キャッチャーが歩み寄ってきた。
そして、僕の顔を見るなり、笑いながら言った。
「笑って投げろよ。顔こわばってるぞ」
その一言に、思わず肩の力が抜けた。
ピンチの場面で、僕はいつの間にか、失敗することばかりを考えていたのかもしれない。
打たれたらどうしよう。負けたらどうしよう。
そんな気持ちが、知らず知らずのうちに自分を追い込んでいた。
けれど、キャッチャーの言葉を聞いた瞬間、少しだけ気持ちが楽になった。
自分を支えてくれる仲間がいる。
一人で全部を背負う必要はない。
そう思えたことで、もう一度前を向くことができた。そして、次の打者を打ち取ることができた。
その経験は、僕にとって大きな気づきになった。
イライラしているときほど、野球は上手くいかない。
ピッチャーが不安そうにしていれば、守っている仲間も不安になる。反対に、苦しい場面でも前向きな声を出し、笑顔を忘れなければ、チーム全体が落ち着きを取り戻すことがある。
もちろん、いつも笑顔でいられるわけではない。悔しいときもあるし、思いどおりにならないときもある。
それでも、自分の感情をそのまま仲間にぶつけるのではなく、どうすればチームが前を向けるのかを考えることが大切なのだと、少しずつ分かってきた。
野球は、一人で戦うものではない。
マウンドに立つのは一人でも、勝利を目指すのはチーム全員だ。
自分を支えてくれる仲間がいるからこそ、苦しい場面でも踏ん張ることができる。そして、自分もまた、仲間を支える一人でなければならない。
そのことを、僕は野球を通して学んでいった。
負けたときに、ただ怒るのではなく、仲間に感謝する。
上手くいかないときこそ、声をかける。
勝ったときには、自分だけではなく、チーム全員で喜ぶ。
そんな小さなことを意識するようになってから、僕の中で野球に対する考え方が変わっていった。
エースとは、ただ一番いいボールを投げる選手ではない。
苦しいときに仲間を信じ、チームが前を向けるように行動することも、エースに求められる役割なのだと思うようになった。
まだ小学生だった僕が、そのすべてを理解していたわけではない。
それでも、仲間と一緒に野球をする中で、少しずつ変わることができた。
あの頃の僕は、野球の技術だけでなく、人として大切なことも学んでいたのだと思う。
最後の夏、そして卒団
六年生の夏。
僕たちは地区大会で優勝し、チームとして何十年ぶりとなる県大会への出場を決めた。
そこにたどり着くまでには、技術だけではなく、気持ちの面でも成長する必要があった。
五年生の頃、僕は自分の思いどおりにいかないと苛立ち、その感情を周りにぶつけてしまうことがあった。
けれど、六年生になってからは、そうした部分を少しずつ変えていこうと決めていた。
自分が変われば、チームも変わるかもしれない。
そんな思いで、野球以外の部分にも目を向けるようになった。
そして、チームの雰囲気は少しずつ良くなっていった。
僕がマウンドで投げられたのは、決して自分一人の力ではない。
キャッチャーとして僕を支えてくれたキャプテンがいた。苦しい場面でも声をかけてくれる仲間がいた。失敗しても、もう一度前を向かせてくれるチームメイトがいた。
自分が仲間を支えようとしていたように、僕自身もまた、仲間に支えられていたのだ。
そして迎えた、地区大会の決勝戦。
試合を決める最後の打者は、相手チームの四番だった。
僕はマウンドに立ち、キャッチャーのサインを見つめた。
あと一人。あと一つのアウトを取れば、優勝が決まる。
けれど、相手も簡単には終わらせてくれなかった。ファウルで粘られ、カウントはフルカウント。僕は最後まで集中を切らさず、目の前の打者と向き合った。
ここまで一緒に戦ってきた仲間たちの顔が、頭のどこかにあった。苦しい練習も、思うようにいかなかった日も、悔しくてたまらなかった試合も、すべてを乗り越えて、僕たちはこの場所までたどり着いた。
絶対に勝ちたい。
その思いを胸に、僕は最後の一球を投げた。
外角いっぱいのストレート。
ボールがキャッチャーのミットに収まった。
相手の四番は、バットを振らなかった。
一瞬の静寂。
そして、審判の右手が高く上がった。
「ストライク! バッターアウト!」
見逃し三振。
その瞬間、僕たちの優勝が決まった。
仲間たちが一斉にマウンドへ駆け寄ってきた。さっきまで張り詰めていた空気が、一気に歓喜へと変わった。
僕は仲間たちに囲まれながら、ようやく勝ったのだという実感が込み上げてくるのを感じていた。
嬉しかった。
ただ、それだけではなかった。自分一人の力で勝ったわけではないことも、僕には分かっていた。後ろで守ってくれた仲間がいた。苦しいときに支えてくれたキャッチャーがいた。そして、最後まで僕たちを信じてくれた人たちがいた。
みんなでつかんだ優勝だった。
汗と涙と泥にまみれながら、僕たちは喜びを分かち合った。
あの瞬間の景色は、今でも僕の心に残っている。
地区大会で優勝し、県大会への出場を決めた。
その喜びは、今でも心に残っている。
さらに、不思議な縁もあった。
この大会の決勝で戦った相手チームのキャプテンとエースとは、後に高校で一緒にプレーすることになる。また、同じ地区大会で何度も対戦した選手の一人も、高校でチームメイトになった。
小学生の頃は、目の前の相手に勝つことだけを考えていた。
まさか、その相手たちと、いつか同じユニフォームを着て野球をすることになるとは思ってもいなかった。
当時の僕にとっては、ただのライバルだった。
けれど、時間が経てば、ライバルが仲間になることもある。
野球がつないでくれた縁を思うと、どこか運命的なものを感じずにはいられなかった。
やがて、少年野球の卒団式の日がやってきた。
六年間続けてきた野球。
当たり前のように通っていたグラウンド。仲間と過ごした時間。練習が終わるたびに泥だらけになったユニフォーム。
そのすべてに、終わりが近づいていた。
卒団式で、監督が僕に言ってくれた。
「お前の泥だらけのユニフォーム、あれが一番好きだったよ」
その言葉を聞いた瞬間、胸が熱くなった。
頭の中に、父の言葉がよみがえった。
「泥だらけの方がかっこいいさ」
小さな頃、初めての試合でヘッドスライディングをした僕に、父がかけてくれた言葉。
あの頃は、ただ嬉しかった。
でも、今なら少し分かる気がする。
泥だらけのユニフォームは、ただ汚れた服ではなかった。
上手くいかなくても練習を続けた証だった。悔しくて泣いた日も、勝って仲間と抱き合った日も、夢中でボールを追いかけた日も、すべてがそこに詰まっていた。
泥にまみれた分だけ、僕はたくさんのことを経験してきた。
嬉しいこともあった。悔しいこともあった。逃げ出したくなったこともあった。
それでも、グラウンドに戻り、仲間と一緒に野球を続けてきた。
その時間を、監督は見ていてくれたのだ。
そう思うと、嬉しさと寂しさが込み上げてきた。
このチームで野球ができる時間は、もう終わろうとしている。
けれど、ここで過ごした六年間が終わるわけではない。
父や母に支えてもらったこと。監督に待ってもらったこと。仲間と喜び合ったこと。そして、自分の未熟さと向き合い、少しずつ成長できたこと。
その一つひとつが、これから先の僕を支えてくれるはずだった。
少年野球の六年間は、決して楽しいことばかりではなかった。
上手くいかないことも、逃げ出したくなることもあった。
けれど、そのたびに、僕には戻る場所があった。
家族がいて、仲間がいて、指導してくれる大人たちがいた。
その人たちのおかげで、僕は野球を続けることができた。
野球を通して学んだのは、ボールの投げ方や打ち方だけではなかった。
自分の感情と向き合うこと。仲間を思いやること。苦しいときにも、もう一度前を向くこと。そして、一人ではできないことも、仲間と力を合わせれば乗り越えられるということ。
それらは、野球を離れたとしても、きっと自分の中に残り続けるものだった。
野球は、単なるスポーツではなかった。
勝ち負けの中で喜びも悔しさも味わいながら、人として成長する力を与えてくれるものだった。
そして、僕の人生の土台をつくってくれたものだった。
あのグラウンドの匂い。仲間たちの笑い声。泥だらけのユニフォーム。
今でも、その光景を思い浮かべると、あの頃の気持ちがよみがえってくる。
八歳で野球を始めた少年は、六年間の経験を胸に、次のステージへ進もうとしていた。
まだ知らない世界が待っている。
新しい仲間との出会いも、これまで以上に厳しい練習も、そして、自分の力の足りなさを思い知らされる経験も。
それでも、僕は野球を続けることを選んだ。
あのグラウンドで学んだことを胸に、もう一度、新しい一歩を踏み出す。
僕の野球人生は、まだ終わらない。
中学でも、僕は野球を続けることになる。




