第8話 非番のクレス
王城。
その奥まった一角にある、第一王子セオドア=フィーンズの執務室。
そこは、厳粛な静寂に包まれていた。磨き上げられた木材の重厚な机と、高く積まれた書類の山が、この部屋の主の責務の重さを物語っている。
「クレス、お前が来るとは珍しいな。一体、何年ぶりだ?」
セオドアは机の向こうから、変わらぬ穏やかな笑みを向けた。
年の離れたクレスの兄は、銀細工のように整った顔立ちと、王族らしい知性を宿した瞳を持っていた。
「急な謁見、ありがとうございます。セオドア様」
クレスは膝をつき、最大限の礼を取った。
「ふむ、『セオドア様』か。ここでは昔の様に、『兄さま』で構わないぞ」
セオドアの声には、かつての兄弟として過ごしていた情が滲んでいたが、クレスは首を振ってその誘いを拒んだ。
「からかわないでください。もう、私は王族ではありません。セオドア様、私はすでに一介の平民ですので」
「ああ、そうだったな。お前が平民になる、と言った時は本当に驚いた。だが、お前の希望通りにできて良かったと思っているよ。平民としての生活はどうだ?」
「はい。セオドア様のご配慮のお陰で、健やかに務めさせていただいております」
嘘偽りない言葉だった。クレスはセオドアがいなければ、平民として生きる道すら選べなかっただろう。
しかし、その感謝の念を打ち消すように、兄の表情がわずかに曇った。
「そうか。それは結構なことだ。だがな、クレス。お前、戦場に赴いたと聞いたぞ。しかも、騎士団に身柄を拘束され、尋問されたというのも。まさか、本当ではあるまいな?」
クレスの心臓がドクリと跳ねた。
クレスの額に嫌な汗が滲む。この話題は最悪だ。
王族の血をひく者が密かに一兵卒として従軍し、まして騎士団に追及されたなど、兄に言えるはずがない。
クレスは必死に顔の動揺を隠した。
「い、いえ。まさかそんな事は……あの、セオドア様。本日は昔の話に花を咲かせたい気持ちもあるのですが、本日は緊急の用件で参りました」
「緊急? ほう。私との旧交を温めることよりも大切なことが、他にあるというのか?」
セオドアは冗談めかしていたが、クレスは兄の冗談を無視し、懐から一枚の包まれた布を取り出した。
クレスが懐に手を入れた瞬間、セオドアの側に立つ護衛の老騎士――グラガスがピクリと動いた。
「物騒な事はしない。大丈夫だ、グラガス」
クレスは、セオドアの傍らに立つ騎士に向かって静かに言った。
グラガス。
セオドアが幼少の頃よりセオドア専属の護衛を務め、王国最強の位『王の剣』への要請すら、「セオドア様の護衛ですので」という一言で蹴った男。
セオドアとクレスが幼少時に一緒に過ごしていた頃、クレスはグラガスにも世話になっていた。
グラガスはすぐに警戒を解き、静かに視線をセオドアに戻した。
クレスが布を開くと、その中央に収まっていた魔石が明かりの下で鈍く、そして深く光った。
「セオドア様。この魔石を宮廷魔術師『王の盾』に調査いただきたいのです。『王の盾』はセオドア様の管轄でしたよね?」
「ああ、そうだが……少し大きめの魔石の様だが。それが何なのだ?」
セオドアは訝しんだが、クレスの真剣な表情を見て、言葉を選んだ。
「これは……先日、この国を救った、あの魔人に関連しているものです。おそらくですが、あの魔人が残したものかと」
「……何?」
セオドアの表情がこわばった。
懐かしい弟との再会を楽しむ兄の顔から、国を預かる王族の顔へと一瞬で切り替わる。
先の戦い、魔獣の大軍を突如現れた人型の魔獣――魔人が一掃したという奇跡。
セオドアも城からその一部始終を見ていたのだ。
そして、あの魔人の残骸が無い、という事実をセオドアは脅威と見ていた。
「グラガス。『王の盾』シオンを呼んでくれ」
「ただちに」
――――――
グラガスが執務室を出てからしばらく経つと、すぐに二つの足音が戻ってきた。
ドアを開けるなり、白髪にぎょろりとした銀色の瞳。
少年の様な風貌の『王の盾』魔術師、シオンが不機嫌そうに口を開いた。
「忙しいのになんだね、急に呼び出して。僕は暇では無いんだがな!」
礼儀とはかけ離れた言葉。
シオンは辺りの空気をまるで読まない。
「シオン、そう言うな。取り合えず、これを見てくれ」
「なんだ? それは……魔石か? そんな物を見せるために僕を呼び出したのか? ふざけてるのか?」
シオンの無礼な物言いに、グラガスが眉をひそめたが、セオドアは動じない。
「これをすぐに調べてみてくれ。どうやら特別な物らしい。そして、誰にも知られるな。特に宰相にはな」
「……ほう? 宰相に内密、か。それに、これはこれは第四王子様。変わった方までいらっしゃるとは。何やら意味ありげな状況だね」
シオンは鼻を鳴らした。
よくも知らない人間に『第四王子』と言われる事が好きではないクレスは、内心で苦々しく舌打ちした。
使用人との子ども、と揶揄された頃を思い出すからだ。
「今調べてきてあげよう。本当に特別な魔石なんだろうね? 僕の時間を無駄にするんじゃないぞ」
そう言うと、『王の盾』シオンはセオドアから魔石を預かると、自分の研究室に向かってしまった。
ほんの数刻後――セオドアの執務室の前の廊下に、ドタドタドタと大きな足音が聞こえた。
扉がバーン!と勢いよく開き、ゼエゼエと息をするシオンが立っていた。
「こっこここここれは何だね!? どこで手に入れた!? どうやって手に入れた!? これは何だね!?」
「落ち着けシオン。同じことを言っているぞ。それで、何が分かった?」
「こ、この魔石は凄いぞ! マナの含有量がかけ離れている! こんな小さいのに、マナの量が見たことが無いくらい膨大だ! こんなものが存在するんだな!? どこだ!? どこで手に入れた!? 第四王子が持ってきたのかね!? ぜひ、ぜひに教えてほしいのだが!?」
「シオン、落ち着けと言ったろうが。クレスが脅えている。そいつは第四王子だぞ。襟をつかんで揺さぶるな」
「こ、これは失礼した! ゴホン。僕とした事が」
シオンはすぐに手を離し、乱れたクレスの襟を慌てて正した。
ゴホゴホとむせていたクレスは、呼吸を整えながら口を開いた。
「この話はご内密に。この魔石は、先の戦いでこの国を救った魔人からもたらされた物です」
そしてクレスは、セオドアたちに魔石や魔人について説明をした。しかし、内容については脚色を混ぜて。
――自分が魔人によって救われたこと。その魔人が、魔獣を打ち破った後に残したのが、この魔石であること。そして、魔人はこの国を明確に救う意思があったのだと。
そして、クレスはアデルがその魔人である可能性を決して言わなかった。
クレスの言葉にシオンやグラガスは、にわかに信じられないという顔でクレスの話を聞いていた。
しかし、セオドアの態度は異なっていた。
セオドアはクレスの言葉を一言一句逃さず受け止め、その瞳には一片の曇りもなかった。
むしろ、クレスの言葉に静かに微笑んだ。
クレスの説明が終わると、セオドアが静かに、だが確信に満ちた口調で口を開いた。
「そうか。やはり、そうだったのか」
そのセオドアの口ぶりに、その場にいた三人――クレス、グラガス、シオンは驚きを隠せなかった。
セオドアはすでに魔人について知っていたのか? いつの間に? と。
セオドアは一呼吸置くと、目を細め、静かにクレスに問いかけた。
「クレス……やはりお前、従軍していたんだな?」
「え……? あっ!! やべ!」




