第7話 黒塗の短剣
クレスの一言に、心臓が一瞬で跳ね上がる。
完全に想定外だった。
いや、もし俺が魔人だということが世間に知られてしまったら、と何度も頭の中で考えてはいた。
だが、まさか、今この時にクレスから直接そう聞かれるとは――。
いきなり突きつけられた問いに、どう答えるべきか分からなかった。
この恐ろしい真実を正直に言うべきなのか? それとも、曖昧にはぐらかすのが正解なのか?
「え……いや、その……」
俺の口から出てくるのは、しどろもどろの返答しか出てこなかった。
自分の心臓が、うるさいほど脈打っている。
「……ぷぷっ、あは! あはははは! 冗談ですよ、先輩!」
あっけらかんとした笑い声が響く。クレスは腹を抱えて笑い転げていた。
……え? 冗談?
その言葉に、張り詰めていた緊張が全身から抜けていくのを感じた。
「すみません、病み上がりの先輩に変なこと言っちゃいましたね。この魔石、パンの中に入ってたんですかね? 間違えて飲み込まなくて良かったですね~」
その口調と表情、いつものクレスだ。
俺の心臓を握りつぶしておいて、平然と笑っている。
クレスは魔石を指先で転がしながら、じろじろと観察していた。
「この魔石、売ったら結構な額になりますよ。……あの、先輩。これ俺が買ってきたパンだし、売った金は半分こってことでどうです? だめ?」
「へ? え……いや、元々クレスが買ってきたものだろ? 売った金は好きにしてくれ」
「ほんとですか!? やったぜ! いやぁ、さすが先輩太っ腹ですね! 後でやっぱり返せとか言わないでくださいよ! 俺、明日非番なんで、さっそく売ってきますから!」
上機嫌になったクレスは、それから立て続けに、どうでもいいくだらない話の延々と浴びせてきた。
開口一番のネタは、道具屋の娘にもう振られたという話だった。
クレスは自分が話したいことを言い終わると、立ち上がり「ほんじゃ、今日はこの辺で!」と言って、ノックもせずに入ってきたように今度は嵐のように帰っていってしまった。
クレスが去った部屋に静寂が戻る。
俺は再び不安に苛まれていた。
あの魔石は何だったのだろうか。
パンになど入っているはずがない。
いよいよ、俺の身体は魔獣化してしまったのだろうか?
不安と恐怖が混ざり合いながら、眠れぬ夜を明かした。
―――――
翌朝。
いつものように衛兵詰所へと出勤した。
今日はクレスが非番だ。俺が昏睡していた間、ガイフォンさんとクレスがずっと勤務を続けていたらしい。
迷惑をかけてしまった。
巡回に出る前、上司であるガイフォンさんから通達があった。
「最近、窃盗や暴行の報告が増えている。妙なゴロツキたちが街に入り込んでるらしい」
原因は先の戦いによりもたらされた大量の魔石の売買によって多額の金が動き、それを目当てにした者が集まっているのかもしれないという事だった。
犯罪率の上昇を懸念し、ガイフォンさんは低く強い声で釘を刺した。
「見慣れぬ顔がいたら、細心の注意を払え」
一人での巡回に不安が募る。一人で巡回すること自体が不安なのではない。
もし先日のように理性を失ったら、その時、自分自身を止められるかどうかが不安だった。
槍を握る手に、無意識に力が入る。
だが、今日は何も起こっていない。
穏やかな時間が流れ、平和そのものだった。
いつもこうだったら良いのに、と心から願った。
そんな考えを振り払っていると、低くしわがれた声が俺を呼び止めた。
「おい、アデル」
鍛冶屋『バルカス印』の看板を掲げる店の前を通ると、店の主であるバルカスさんに声を掛けられた。
バルカスさんは街一番の腕を持つ鍛冶屋と評判だが、その腕とは裏腹に、偏屈で無口なことで有名だ。
「バルカスさん、こんにちは。どうかしましたか?」
俺が近づくと、バルカスさんは顔色一つ変えずに言った。
「お前も、先の戦場にいたんだろう?」
「ええ。バルカスさんもいましたよね。お互い、無事帰れて何よりです」
「ああ。あんなのは、二度とご免だがな……ちょっと工房まで来い」
「え? あ、ちょっと……!」
有無を言わせぬ口調で、店の奥にある工房へと去っていくバルカスさん。
俺は戸惑いながらも、その大きな背中についていった。
工房に着くと、バルカスさんは椅子に深く腰掛け、ふう、と息を吐いた。
「アデル。お前、噂になってるぞ」
バルカスさんの一言に背筋が固まり、ドクンと心臓が跳ね上がった。
……嫌な予感がする。
俺が魔人になったところを、あの騒動の最中に誰かに見られていたのだろうか?
「アデル。お前、剣を素手で砕いたんだってな。本当か?」
「……ああ、あの件か。正直よく覚えてないんだ。喧嘩を止めようとして、無我夢中で……そんなことをしたかもしれない、けど……」
「覚えてない、か。ふぅむ。もしかすると、お前も転生者なのか?」
「転生者? 転生者って、違う人間の記憶があるんでしょう? 俺には別の記憶なんてないですよ」
「ふーむ、俺も別に転生者ってのに詳しくないがな。だが、転生者ってのは何かしらのとんでもねえ力を持ってるのは確かだ。素手で剣を砕くなんて、ただの衛兵にゃできねぇ芸当だ」
バルカスさんは顎をさすりながら、興味深そうに俺を眺めていた。
俺は反射的に、その恐ろしい疑惑を打ち消そうとした。
「もしかしたら、あの刃がたまたま古くて壊れかけていたのかもしれないですし」
「……ま、そうかもな」
バルカスさんはそっけない返事をしていたが、その眼差しはどこか探るような色を帯びていた。
話題を変えよう。そう思い、俺はガイフォンさんの通達を思い出す。
「そういえば、バルカスさん。最近、街にゴロツキが増えているらしいんです。バルカスさんの工房の品はどれも高級品ですから、気を付けてくださいね」
「そんなのがいるのか、物騒だな。なあに、そいつらが来たら、この俺が叩きのめすだけだ」
バルカスさんはニヤリと、その口元を僅かに歪ませて笑った。
バルカスさんは鍛冶屋だが、その体躯は屈強で、そこらへんの冒険者よりも腕っぷしは強そうだ。
もしかすると、本当に一線級の強さを持っているのかもしれない。
バルカスさんは立ち上がると、工房の隅にある武器をごそごそと漁り始めた。
そして、一本の槍を手に取った。
「おい、アデル。この槍をもってけ」
ひょいっと放られた槍を慌てて受け止める。
「え!? こ、これ……高いのでは……?」
「無料だ」
「いやいやいや! さすがに貰えませんって!」
「あのなぁ。お前の持ってる、その槍。柄が今にも壊れそうだぞ。衛兵の槍は街を守るためのものだろうが。気にせず持っていけ。それに、それは試しで作ったなまくらみたいなもんだ。だが、今のお前の壊れかけた槍よりは幾分にはマシだ。街にゴロツキがいるんだろ? いざという時に、そんなボロ槍でどうするつもりだ」
バルカスさんにそう言われ、俺は自分が持っていた衛兵の槍をまじまじと見た。
確かに、柄の部分にはヒビが入っている。
衛兵の槍は使いまわしで、老朽化が激しい。
魔獣と戦っていた時に、槍が折れたことをふと思い出し、バルカスさんの言う通りだと納得した。
渡された槍は、衛兵用の木製のものとは違い、全体が金属でできている。
見た目よりも重いが、細く鋭く、そして硬質だ。
冒険者や騎士団が持つ、実戦用の武具なのだろう。
その時、店の外の通りから、何やら騒がしい声が聞こえてきた。
しかし、店の奥の工房では、何が起きているのかまでは分からない。
「ちょっと様子を見てきます! バルカスさん、この槍、本当にありがとう!」
「おう、使い潰して構わん。気ぃつけてな」
バルカスさんが片手をあげて見送ってくれた。
その表情は、どこか満足げだった。
通りに出ると、商人の馬車から荷崩れした野菜が道全体に散乱していた。
どうやら車輪が石に乗り上げてしまったらしい。
俺も急いで拾うのを手伝うと、商人は「ありがとうございます。急いでいたので助かりました」と深々と頭を下げてきた。
俺も「気を付けてくださいね」と言い、商人を見送った。
物騒なことが起きて居なくてよかった。
巡回を再開しようとすると、道の外れに、さっきまでは気が付かなかったが未だ拾われていない野菜が幾つか落ちているのを見つけた。
先ほどの商人のものだろう。
この野菜をどうしようかと思って、それを拾い上げようと屈んだ、その時。
すぐ側に、キラリと黒く鈍く光るものがあった。
何だろうと良く見てみると、刃が黒く塗られている短剣が野菜に突き刺さるように落ちていた。
「これは……あの商人のものか……?」




