第6話 化物の正体
重い瞼を開けると、知らない場所で寝ていた。
ここは……どこだ?
思考が鉛のように鈍く、状況を理解するまでに数秒を要した。
自宅の馴染んだベッドで寝たはずなのに、見慣れない天井と、漂う薬の匂い。
そして、かすかに聞こえるうめき声。
上半身を起こそうと試みるが、全身が重い。なんとか体を起こし、周囲を見渡すと、ようやく場所を特定できた。
街の教会に併設された治療所だ。
大部屋には多くの怪我人がベッドに横たわっており、その一角に俺も寝かされていたらしい。
なぜ俺がここに?
混乱していると、ちょうど白衣を着ている医者らしき男が部屋に入ってきた。
「おお、目が覚めましたか! よかった、本当に……」
安堵したような声と共に、医者はコップに入った水を差し出してくれた。反射的にそれを掴み、一気に喉に流し込む。
喉が砂漠のように乾いていた。全身に染み渡る水分が、ようやく現実へと引き戻してくれる。
「あ、あの、先生。どうして俺は治療所にいるんでしょうか? 自宅で寝ていたはずなんですが……」
俺の問いに、医者はゆっくりと丁寧に状況を説明してくれた。
俺は自宅で寝ていたものの、衛兵――恐らくガイフォンさんとクレスだろう――が、いくら声を掛けても一向に目を覚まさないため、異常事態として治療所に連れてこられたらしい。
「身体に異常は見当たらなかったのですが、意識不明の状態が続きましてね。打つ手がなく、ただひたすら目覚めるのを待つことしかできませんでした」
どれくらい、と訊ねて、俺は絶句した。
「今日でちょうど十日間ですね」
十日間。そんなに長い間、俺は眠り続けていたのか。
医者は「目覚めてくれて本当に良かったです」と心底ホッとした様子だったが、俺の頭の中は不安でいっぱいになった。
簡単な診察を受けた後、問題はないというので、すぐに退院を申し出た。
医者は困っていたが、俺の意思は固かった。
簡単な食事を胃に収め、礼を言って治療所を後にした。
十日分の飢餓感は、不思議とほとんどなかった。
治療所を出ると、太陽のまぶしさに思わず目を細める。
街は魔獣の襲撃直後の混乱からは少し落ち着いたようだった。
崩れた建物の修繕が始まり、人々の表情にはわずかな安堵が戻っている。
俺は迷わず衛兵の詰所へ向かった。二人は、いるだろうか。
ガチャリ、と詰所のドアを開けた瞬間。
「うわぁ!!」
クレスが、まるで幽霊でも見たかのように目を丸くし、甲高い絶叫をあげた。
その大声を確認するように、奥から慌ただしい足音が近づいてきた。
ガイフォンさんだ。
「アデル!? 本当にアデルなのか!?」
ガイフォンさんが静かに駆け寄ってくるのに対し、クレスはすぐに俺の腕を掴んだ。
「ちょっと! 先輩、心配させすぎですよ! もう、どうなってるんですか!」
クレスは俺の体をペタペタと触り、実体があることを確認している。
その明るい顔の奥に、本気の安堵と心配が見えた。
「もう大丈夫。心配かけて、申し訳ない」
そう伝えたが、俺自身、何が大丈夫なのか分からなかった。
十日間の昏睡。
やはり、俺の身に起こった魔獣化が原因なのだろうか。
しかし、それを彼らに話すわけにはいかない。
明日から勤務すると告げると、二人は顔を見合わせて心配そうな表情を浮かべたが、「無理は絶対にするな」というガイフォンさんの強い言葉に頷き、その日は自宅に戻った。
体を拭き、服を着替え、ベッドに腰を下ろした。
窓の外からは、修繕作業の木槌の音。
平凡な日常が戻ってきたようで――それが、恐ろしく感じた。
俺は……魔獣になるのか? もし再び変化したら、人を襲うのか?
どうすべきか、答えが出ないまま、夜は更けていった。
―――――
翌朝。
今日は普通に目覚めることができた。体調も問題ない。
詰所へ向かうと、ガイフォンさんはやはり心配そうに俺をチラチラと見ていた。
「大丈夫ですよ」と声を掛けると、「無理するなよ」と短い返事が返ってきた。
クレスと二人で巡回に出る。あれ以来、初めての街の警備だ。
魔獣の攻撃で破壊された区域はまだ痛々しい傷跡を残していたが、住民たちは城に避難していたため、人命被害がなかったとクレスから聞き、ほっと胸をなでおろす。
「でも、皆ビクビクしてますよ。また魔獣が来るんじゃないかって。魔獣がなぜ襲ってきたのか、あの巨大な魔獣は何だったのか、結局何も分かってないですからね」
クレスの言葉に頷く。不安は、情報不足から生まれるものなのだろうか。
一方で、大量の魔獣から取れた魔石のおかげで、冒険者たちは上機嫌らしい。
巨大な魔獣から取れた魔石は、どれほど高値で取引されるのだろうか。
そんなことを考えていた、その時だった。
「てめぇ! 今日こそは殺してやるからな!」
広場の方から、物騒な怒鳴り声が響いてきた。
クレスと急いで声の元へ向かうと、やはり冒険者同士の喧嘩だ。
しかも、見覚えがありすぎる顔。
以前、仲裁に入ろうとして、逆に殴られた、あの身勝手な二人だ。
「クレス、周りの人たちを避難させろ!」
反射的に指示を出し、俺は二人の間に割って入った。
「そこの冒険者たち! 衛兵です! 街中での決闘は禁止されています!」
いつものお決まりのセリフを言う。
しかし、以前のように街を破壊させたり、誰かを巻き込んで怪我をさせるわけにはいかない。
「ぶっ殺してやる!」
冒険者の一人が剣を抜き、相手を威嚇した。
もう一人も対抗するように剣を抜いた。
その光景を見て、この身勝手な暴力のせいで危うく大怪我を、いや、死んでいたかもしれない小さな女の子のことを思い出した。
「死ねぇ!」
「死ぬのは貴様だ!」
罵り声とともに、冒険者たちの剣が激しくぶつかり鍔迫り合いを始めた。
ギリギリと、鉄が擦れ合う、不快な音。
――お前たちの勝手な欲望と力で、どれだけ迷惑を掛かっているのか分からないのか?
怒りがフツフツと湧き、胸の奥で熱い塊になっていくのを感じた。
「……ヤめロッ!!!」
俺はそう叫び、考えるよりも早く、反射的に両手を伸ばしていた。
俺の指先が触れたのは、刀身が激しくぶつかり合っている、その剣の刃そのものだった。
ギシィッ。
次の瞬間、俺は掴んだ刃を、意識的にではなく、ただただ怒りのままに、力を込めて握りつぶしていた。
ガシャン、と鈍い音を立てて、強靭なはずの鉄の剣の破片が、足元の石畳に散乱する。
「なっ!?」
「……え!?」
二人の動きが、一瞬にして凍りついた。
刃を素手で砕いた俺の掌は、血の一滴も流れていない。
――もう、野放しにしてはおけない。こいつらの身勝手な行動のせいで、街が、平和が乱されるのはごめんだ。今回は、釈放などしない。ここで、こいつらの息の根を。
俺は冒険者たちへにじり寄り、その首を掴んだ。
軽い力で、すぐに終わる。
「え、ちょっと待っ……うぐっ!」
俺はもう、彼らの声が聞こえていなかった。
ドクドクと湧き上がる熱に、意識が支配されかけていた。
指先に力を込める。軋む首の骨の感触が、もうすぐそこまで――
「先輩! だめです! 死んじゃいますよ!」
背後から、クレスの必死な叫び声が聞こえた。
同時に、両脇から俺の体にしがみつく両腕が見えた。
クレスが、全力で俺を止めようとしていた。
その声で、冷たい水を頭から浴びせられたように我に返った。
「え……? ……あっ」
両手の力が抜け、咳き込む冒険者たちは地面に崩れ落ちた。
彼らは一瞬の静寂の後、「ば、化け物っ!」という言葉を吐き捨て、広場から逃げ去っていった。
俺は、砕けた剣の破片と、クレスの焦燥に満ちた顔、自分の両手を見つめ、全身から血の気が引くのを感じた。
俺は……俺は、何をしていたんだ?
――――――――
その後の巡回警備のことは、ほとんど覚えていない。
クレスが全て対応してくれたのだろう。
ただ、クレスの顔には、いつもの呑気な笑顔はなかった。
家に帰り、ぼんやりと今日の出来事を少しづつ思い出していた。
そして自分自身に恐怖していた。
俺は……人を殺そうとしていたのか?
まるで自分が自分ではないような感覚。理性を超えた衝動。あれを、ただの『怒りに我を忘れていた』という言葉で片付けることはできなかった。
俺は、心まで魔獣になってしまったのか? 俺は、人々を害する者なのか? 俺は、死ぬべきなのか?
その時だった。
「せんぱーい、います~?」
呑気な声が響いた。
ノックもせず、ガチャリとドアを開けて入った来たのはクレスだ。
「夕飯買ってきたんですよ。まだ食べてないですよね? あと酒も!」
クレスの手には、屋台で買ったであろう肉の串焼きを挟んだパンと、安物の酒が握られている。
この図々しさが、不思議と張り詰めていた俺の気を緩ませてくれた。
ノックしなかった事を注意する気力もなく、「ああ。ありがとう、クレス」と返す。
テーブルに広げた夕飯と酒を飲みながら、いつものようにくだらない話しをして、少し笑った。
しかし、クレスは今日の件には一切触れてこなかった。
酔いが回ってきたクレスは、いつものように例の魔人の話を繰り返した。
街では魔人の噂で持ちきりらしい。
「だって、人間には一切手を出さず、街を庇ったんですよ? 俺は、あれは街を救ってくれた英雄だと思ってるんです。そう騎士団にも言いましたけどねー」
クレスに騎士団での取り調べが定期的にあったらしい。しかしクレスは毎回同じ内容を内容を説明しているのだという。
ただ、クレスがぽろりと口を滑らせた一言に、俺は体が強張った。
「ま、騎士団は巨大な牛型魔獣の残骸は確認したらしいんですけど、魔人の残骸だけ見つからないって、ちょっと騒いでるみたいですよ。公にはされてないみたいですけどね」
魔人の残骸がない。それは、俺自身が一番よく知っている事実だ。
「ゴホ、ゴホッ! ゲホッ!」
急に胸が詰まるような咳が出た。
酒のせいか、緊張の反動か。
咳き込む俺を見て、クレスが心配そうな顔をしている。
「せ、先輩? 大丈夫ですか?」
「ゴホゴホッ! あ、ああ……大丈夫だ、問題な……ゴホッ! ガフッ!!」
――コロン。
激しい咳と共に、何かが俺の口の中から飛び出し、それは床に転がった。
俺とクレスは同時に、それを凝視した。
転がっていたのは、小石のようなものだったが、それは石ではない。
不気味な紫色に、鈍く光を放っている。
クレスは、それをひょいと拾い上げた。
「これ……魔石ですよね」
クレスに先ほどまでのふざけた表情は無く、クレスはそう呟いた。
クレスの手に握られた紫の小石。
俺の体から吐き出された、魔獣の証。
クレスの視線が、魔石から、ゆっくりと俺の顔へと移る。
クレスの表情は真剣そのもので、もういつものクレスの顔ではなかった。
そして、クレスが、俺をじっと見つめながら、静かに言った。
「……あの魔人、先輩ですよね?」




