第5話 異変の兆候
「アデル……生きて帰ってきてくれて、本当に良かった」
ガイフォンさんの低く掠れた声に、こみ上げるものを堪えきれなかった。
だが、俺にはまだ残る心配事が一つある。
「ガイフォンさん、クレスは……クレスは無事なんですか?」
「ん? ああ、安心しろ! クレスも無事だ! 若いからか、俺と違ってすぐに回復してピンピンしてたぞ!」
ガイフォンさんは安堵させるように力強く頷いた。
だが、次の瞬間、ガイフォンの表情は一転して不安げに曇る。
「ただ、な……」
『ただな』という不安な言葉が、俺の胸にずしりと重くのしかかる。
「クレスに……何かあったんですか?」
「アデル、お前も見ただろ? あの人型の巨大な魔獣を。クレスはな、信じられん事にその魔獣に助けられたんだ」
ガイフォンさんの言葉に、俺の心臓が不規則なリズムを刻み始めた。
巨大な人型の魔獣がクレスを助けた。
ああ、それは他でもない、俺自身が……。
「だからだろうな、城に連れていかれてしまった。戦の後に、クレスの周りに騎士団が来てな、あろうことかクレスに剣を向けて囲って連行されたんだ。『お前は魔獣の仲間か!?』なんて言われてな。まるで罪人みたいな感じだったんで心配でな……」
……クレスが連行された? 確かに俺はクレスを助けようと無我夢中で動いたが、それが裏目に出るなんて。
しかし、王族の血を引くクレスが、そう簡単に牢に放り込まれるとは思えないが……そもそも、クレスは何も悪い事をしていないんだ。
嫌な考えが渦巻く中、不意に背後から聞き慣れた声が響いた。
「おわっ、先輩!? 無事だったんですねーっ!?」
明るく軽い声。その声を聞くだけで、胸の奥の緊張がふっと解けた。
「クレス!」
「クレス!」
俺とガイフォンさんの声が重なった。
「クレス、大丈夫だったか!? 騎士団に連行されたって聞いたぞ!」
「あれ、もう知ってたんですか? いや~、もう自分、有名人なんですよ! なんてったって、『国を救った魔人に助けられた兵士』ってね! 騎士団にも根掘り葉掘り聞かれちゃいましたよ! もう噂になっていて街を歩いてるだけでも、み~んなに魔人の事を質問されちゃって大変なんですよ~!」
クレスはそんな『大変さ』を少しも感じていない様子で、楽しげに笑った。
いつも通りの調子だ。
けれど、その言葉の中に――“魔人”という言葉があった。
……魔人? 俺のことか?
自分の顔が思わず、強張るのを感じた。
「あ、それよりも先輩、無事で良かったです! 先輩は命の恩人ですよ! ぶっ倒れてる俺の前に立ちはだかって、魔獣と戦ってくれた先輩の後ろ姿、わずかにですが覚えてますし!」
クレスの言った『命の恩人』という言葉を聞いて、俺はふと我に返った。
クレスは、もしかして俺が魔獣になった事を知っていたりするのか?
俺が魔獣になった時、クレスは近くにいたが……いや、クレスは倒れていたし、そもそも俺は魔獣に吹き飛ばされていたからクレスから見える場所でも無かったはずだ。
しかし、色々と考えると嫌な汗が背中を伝う。
もし俺が魔獣になっていた事がばれていたら、俺はどうなるんだ? 投獄? いや、もしかしたら狩られる対象か?
いや、まだクレスは俺のことを知らない可能性もある。ここは一つ、知らない振りをしてみるしかない。
「そ、そうか。でもまあ結局、俺は魔獣に殴られて吹き飛ばされただけだしな……その後に気絶しちまったらしくてな。何も覚えてないんだ。クレス、ほんと心配してたんだぞ。その後どうなったんだ?」
「え!? 先輩、気絶してたんですか? じゃあ、あの魔人の事も知らないんですか!?」
クレスは目を丸くしていた。
俺の内心はヒヤリとしたが、クレスの表情は純粋な驚きだけだった。
「あの後ですね――」
堰を切ったように、クレスがそのあとの事態を事細かに説明してくれた。身振り手振りを交えて大げさに。
クレスは魔獣の攻撃で負傷し、俺が盾となり俺が魔獣に吹き飛ばされた後、意識を失ったらしい。
しかし、バキ!という大きな音で目を開けると、熊型の魔獣が吹き飛んでいく様が目に飛び込んできたという。
驚くことに初めて見る人型の魔獣が、周りの魔獣を豪快に殴り飛ばしていた。
そして、その人型魔獣――魔人がクレスの方を向いた時、なんと魔人が巨大化しはじめた。
巨大化した魔人は、クレスの事を両手で覆った時、クレスは死を覚悟したらしいが、さらに驚くことに魔人は両手でクレスをすくい上げると、後方部隊まで運び、そっと降ろしてくれたという。まるで、安全な場所に運ぶように。
その描写の一つひとつが、俺の記憶と重なっていく。
「ここからです! ここからが凄いんですよ!」
クレスが興奮しながら説明を続けた。
なんと巨大化した魔人は、魔獣の群れを蹂躙しはじめ、そして牛型の巨大魔獣と戦い始めたんだ、と。
「そしてですよ、巨大魔獣が再び街に光線を撃とうとした時、魔人が身を盾にして庇ったんです! 魔人は大怪我をしていましたが、その後、自分の腕を魔獣の口に突っ込んで魔獣を押し戻して――ドッカーン! とんっでもない大爆発! もう、あれ見れなかったなんて先輩ついてないですよ!」
「へ、へぇ〜……そ、それは……すごかったな……」
あの時は無我夢中で、何も考える余裕はなかった。だがクレスに客観的に説明されると、自分のした事が信じられない。
クレスにしどろもどろに返事するのがやっとだった。
「あの魔人、ただ魔獣同士で縄張り争いをしてたんじゃないかって言う奴もいるんですけど、俺はそんな事ないと思ってます。だって、人間には一切手を出してこなかったんですよ? 第一、俺も助けられたし、街も庇ったんだし。むしろ、皆を救ってくれた英雄なんじゃないかって思うのが普通ですよね~」
「う、うん……まぁ、そうかもな……」
そんな曖昧な返事をしていると、クレスがいきなりズイっと顔を近づけてきた。
「で、先輩。いったいどこに居たんですか? 俺たち、ずっと先輩を探してたんですよ? めっちゃくちゃ心配したんですよ!」
いきなりクレスの語気が強まる。その明るい瞳の奥に、真剣な心配の色が宿っていた。
ガイフォンさんも同じような静かで強い眼差しを向けていた。
それを見て俺は申し訳ない気持ちと、そして俺を心配してくれていた仲間がいる事が心の底から嬉しく感じた。
クレスを、ガイフォンさんを、この街の皆を救えてよかった。
本当に。
俺は、クレスの盾となった時にそのまま夜まで藪の中で気絶していたと説明した。
「……すまん。藪の中で気を失っていたんだ。気がついたら夜でな」
「えぇ〜、その辺りずっと探してたんですけどね~。でもまあ、全員無事だったから良かったです!」
そう言って、クレスはにこりと微笑んだ。
その笑顔を見て、ようやく肩の力が抜けた。
――ああ、みんな、生きてる。
そして、それぞれが帰路につき、俺は自宅のベッドにたどり着くや否や、泥の様に眠ってしまった。
――――――――
ガチャガチャという金属の擦れる音が聞こえる。
聞き慣れた音。鎧の音だ。
「先輩、大丈夫ですか〜?」
薄く目を開けると、クレスが俺を覗き込んでいた。
ドアのところには、まだ包帯を巻いたガイフォンさんも立っている。
どうやら、朝起きれずに詰所に来ない俺を心配し、二人で俺の家まで様子を見に来てくれたらしい。
先日の戦いで街の中は混乱している。だから衛兵の俺たちに休みは無い。
今日も働かなければならない、それは分かっている。
しかし、身体が鉛のように重く動かすことができない。
「アデル、今日は休んでろ。そんな状態で警備をしたら、逆に危険だ。冒険者達も昨日の戦でいきり立ってるしな」
「ガイフォンさん……申し訳ないです」
「なぁに、俺たちの命の恩人だ。申し訳ない事など、何もないよ」
ガイフォンさんが穏やかに微笑む。クレスもウンウンと力強く頷いている。
俺は二人への感謝を胸に、ベッドに横になったまま見送った。
二人が去り、静けさが戻る。
眠りに落ちようと目を閉じた、その時――胸の奥で“ドクン”と音がした。
聞き覚えのある鼓動。それは自分のものとは思えないほど重く、鈍く響いた。
……まただ。
まるで、あの戦場にいた時のような――。
息を呑む間もなく、意識が闇に沈む。俺はそのまま、眠り込んだ。
十日間も。




