第38話 王子の信託
「東門から逃げる方が有利だって、クレスが言ったんだろ?」
思わず訊き返す俺に、馬車を駆るクレスは西門へと続く石畳を一切の躊躇なく進んでいた。
その速度はまるで門が目の前にあることを忘れているかのようだ。
「こっちでいいんです。今頃、城からの追っ手が東門を走ってますよ」
クレスはちらりと御者席からこちらを振り返り、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
何をしたのかは聞かずとも分かった。
クレスは、見かけによらず、いや見かけ通りか、こういう事が得意だ。
俺の逃亡を助けるために、どれほどの時間と労力を費やしたのだろうか。
そして見えてきた西門。
西門は本来ならば門番がいるはずだが、なぜか門番の姿は見えなかった。
いや、居ないのではなく、おそらく見えないように隠れているのだろう。クレスが手を回したのか。
馬車は速度を落とさず、西の門をくぐり抜ける。
その時、馬車から顔を出して門を見上げていたリアナが、思わず「おー」と感嘆の声を上げていた。
そして、難なく街を出てしまった。
「クレス、どこへ向かってるんだ?」
「このまま西の関所を目指します。ただ本道から行くと、通行人が多すぎて人目を避けられません。ですから、時間はかかりますが、迂回路を通ります。獣や賊などの危険がちょっとありますが」
獣や賊? 大丈夫だろうか。俺には気になる事があった。
「クレス、俺は武器を持ってないぞ。それに、その……魔人の力も使えないんだ」
あの戦いの後、魔人化は身体に激痛を走らせるだけで、力さえ湧き上がってこない。
魔人化できない自分が、今はただの重荷でしかない。
そして、俺の言葉に呼応するように、前に座るヴィオレットが震える声で言った。
「あの、私も……以前の戦いのせいか、全く戦えない。戦力として、本当に役に立てそうに無くて……すまない……」
俺とヴィオレットの状況を聞いても、クレスはいつものようにひょうひょうと答えた。
「まあ、どうにかなるんじゃないですかね?」
その言葉に呆れながらも、確かにそうだと納得する。
どうにかなるか、どうにもならないか、二つに一つだ。
そして、俺たちはもう後戻りできない場所にいる。
何か起きても、どうにかするするしかない。
細い迂回路に入ると、悪路が馬車をガタガタと揺らした。
その激しい揺れに、リアナが座席の上でビョンビョンと跳ねてしまっている。
あまりに危ないので、俺はリアナを抱き上げ、自分の膝の上に座らせた。
リアナは膝の上でくるりと反転し、俺に抱き着いてきた。
まるで赤ん坊のようだったが、それを見ていたヴィオレットは微笑んでいた。
しばらく馬車が進んだ後、御者席のクレスが前の方を指をさした。
「この先に国境の関所があります。本道の関所は、今頃厳重な検問があるはずです」
指さす先はどこも同じような森なので、一体どこを示しているのかは分からなかった。
「で、その検問を避けるため、別の細い道を通ります。小さな関所ですが、普段は無人。居ても少数の兵士で、素通りですよ」
「クレス。お前、よく知っているな」
俺がクレスに感心して言うと、御者席にいるクレスが振り返り、俺に親指を立てて自慢げな顔をしていた。俺は「危ないから前を見ろ」と返した。
そして、その細い道に入ると、悪路はさらに激化した。
馬車が軋む音に、壊れるのではないかとさえ心配になる。
人通りの少ない道だと思っていたが、それでも多少の人々が使っていた。
馬に乗っている人や、ゆっくり進む馬車。
道が狭いせいで、追い抜くこともできず、俺たちの馬車もノロノロと進むことになった。
「思ったより人が多いんだな」
「道が二つしかありませんからね。まあ、俺たちのことが後でばれても隣国に入ってしまえば追っては来れませんし、大丈夫ですよ」
クレスが軽く言う。その言葉に、俺も一瞬、気が緩みそうになった。
だが、次の瞬間、クレスの目が真面目な、いや、緊張を帯びたものに変わった。
前方に関所が見えてきた。しかし、その様子がおかしい。
素通りのはずの関所に、何台もの馬車が止まっている。
どうやら順番待ちのようだ。検問が始まっている。
そして、さらなる不安が、後方から舞い込んできた。
大きな蹄の音。目をやると、数人の騎士がこちらに向かって駆けて来ていた。全身に緊張が走る。
しかし、騎士たちは俺たちの馬車を素通りし、関所の方へと進んで行ってしまった。
――どうしたらいい。引き返すべきか?
だが、俺たちの馬車の後ろには、すでに他の馬車が並んでおり旋回もできない。
俺たちは今、怪しい雰囲気を出さないよう、前の馬車の後ろにただ並ぶことしか許されない状況に追い込まれていた。
ヴィオレットと目配せをする。馬車を捨て、森の中へ逃げ込むしかないのではないか、と。
だが、森を見ていたヴィオレットが、目を見開き息をのんだ。
何が起きたのかと思い、俺もちらりと森の方へ目をやる。
森の中に、キラリと光るものがあった。
それは騎士の甲冑の反射だった。
周囲一帯、森の中にも騎士団が配備されている。
逃げ場は、どこにもなかった。
クレスも全てを察したようだ。
手綱を握るその手が、小刻みに震えているのが見えた。
俺は静かにマナを吸った。だが、全身に焼けるような痛みが走るだけで、魔人としての力は全く沸き上がってこない。
魔人になれないことが、後悔を呼ぶとは想像もしていなかった。
馬車は少しずつ進み、関所がよく見える位置に来た。
関所には騎士が多数いる。このままでは、まずい。
前の馬車が検閲を受けている。騎士たちの声がはっきりと聞こえてきた。
「王命だ! 検閲を行なう!」
王命。絶対的な命令。城からの追っ手どころか、国が本気で国境を封鎖している。
そして、ついに俺たちの馬車の順番が来てしまった。
だが、騎士たちが声を張り上げることは無かった。
代わりに、俺たちの馬車の周りを、静かに騎士たちが取り囲んだ。
……すでに俺たちの存在は把握されていた。最初から、罠だったのだ。
一人の騎士が馬車に近づき、俺たちを確認すると、後方を向き、一つ頷いた。
奥の兵舎から、一人の騎士が出てきた。周囲の騎士たちとは異なる、特別な装束。
クレスの口から、小さな声が洩れた。
「くそっ……グラガスか……」という声が。
クレスの知っている人物か。だとすると、クレスの顔も知っているはずだ。
これで、御者であるクレスが誤魔化す道も断たれた。
だが、そのグラガスと呼ばれた騎士の後ろから、さらにもう一人、兵舎から現れた人物がいた。
俺が牢で一度会ったことのある、あの冷静沈着な男だった。
第一王子、セオドア。
正面に座っているヴィオレットを見た。彼女は下を向きうつむいていた。
その手も、クレスと同じように震えていた。
セオドアたちが馬車に歩み寄ってきた。
そして、セオドアが一歩前に出て、馬車をジロジロと観察していた。
その視線は、御者席のクレス、そして馬車の中にいる俺たちを、まるで品定めするかのように移動した。
セオドアはさらに馬車に近づき、クレスの近くに立った。
そして、セオドアは空を見上げ、辺りに聞こえるような大声で、声明を上げた。
「国の裏切り者がいる。咎人の逃亡を手助けした王族、そしてあろうことか騎士を率いる者までもが、だ」
もう全てを把握されている。
……なのに、なぜすぐに逮捕しない? わざわざこんな演説じみたことをしているのは何故だ。
セオドアは、ゆっくりと言葉を続けた。
「……もし、そういった者を見つけたら、すぐに報告するように。通って良し」
目の前に立ちはだかっていた騎士たちが、一斉に道を開けた。
だが、馬車は動かない。
クレスは思わぬセオドアの言葉に、完全に戸惑っているようだった。
セオドアは、捲し立てるように、動かないクレスに向かって強く言った。
「どうした、さっさと行け」
ゆっくりと、馬車が進み始める。
そして、セオドアが俺の座っている馬車の横を通過するその瞬間、セオドアの声が聞こえた。
「馬鹿な弟を頼みます」
そして、馬車は国境を通過した。
俺は国境を振り返ると、騎士団が整然と整列しているのが見えた。
そして、その騎士団は、俺たちの馬車に向かって、一斉に敬礼していた。
……こうして、俺たちは国境を超えることができた。
クレスの言ったように、本当にどうにかなった。
だが、クレスはいつものように調子に乗るようなそぶりは一切ない。
ただ無言で、馬の手綱を強く握りしめ、馬車を進めていた。
その背中は震えており、クレスの嗚咽が聞こえてきた。
膝に座っているリアナも、クレスの異変に気が付いたようで、俺に小さな声で尋ねてきた。
「抱きしめてあげたほうが、いいか?」
俺はリアナに静かに告げた。
「そっとしておいてあげてくれ」




