第37話 セオドアの懸念
王城。
評議会室。
重厚な石造りの部屋に、沈黙が張り詰めていた。
窓から差し込む光が床の大理石に反射し、室内の冷ややかな空気を照らしている。
「宰相殿。王命を発動させたと聞きましたが」
玉座に次ぐ席に座る第一王子セオドアが、対面の老練な宰相ガルバルドに問うた。
その声は低く、感情の起伏を一切見せない。
国としての最高命令である王命の発動は、王不在の今、王代理を務める宰相の権限の最たるものであり、その責任もまた重い。
「ええ、左様で」
宰相ガルバルドは静かに、短い言葉を返した。
その言葉には常にいっさいの装飾がなく、セオドアの問いに対する返答としても、形式上は不十分だった。
ガルバルドは、セオドアがその簡潔さで納得するはずがないことを承知していた。
ガルバルドは間を置き、続けた。
「セオドア様もすでにご存じかとは思いますが、魔人が牢から逃亡いたしました。そして、その逃亡を手伝ったと思わしき者たちが、東門から馬車により逃亡中。現在、騎士団が追いかけております」
ガルバルドは一つ呼吸を整え、意図的に言葉の温度を下げて核心に触れた。
「さらに不可解な事が起きておりまして。あの第四王子が、逃亡した魔人に面会したと。加えて、その面会を騎士団長の命令として通していたと」
第四王子、という単語に、セオドアの指先がわずかにぴくりと反応した。
それはすぐに、無関心という仮面の下に隠された。
だが、ガルバルドはその微細な動きを見逃すことなく、さらに言葉を重ねた。
「重要な関係者である、その二人が何故か居ない上に『魔人の少女』も何者かの手によって逃亡。この一連の非常事態に対応するための王命にございます」
王命。
『裏切者を捉えよ。出来なければ殺せ。それは騎士団長、王族、子どもであっても容赦なく』という内容だった。
国に仇為す者は許さないという、宰相の絶対的な意志そのもの。
セオドアは、その言葉を冷静に受け止めていた。
――――
フィーンズ国。
東門外・街道。
地面を揺るがすほどの、騎士団の軍馬の蹄の振動が街道に響き渡る。
決して広くはない道幅を、大勢の騎士たちが土煙を上げながら疾走していた。
その集団の先頭にいる年長の騎士が、指揮官として馬を操っていた。
騎士団長不在の今、彼がこの作戦の全責任を負っている。
宰相が王に代わり発動した『王命』は、騎士にとって絶対の掟だった。彼らは、ただ命令に従って道を急ぐ。
やがて、遠い先に、街道を進む一両の馬車が見えた。
情報通りだった。
フードを深くかぶって、顔は分からないが、御者が一人、荷台には三人の人影。合計四名。そして、子どもの姿も確認できる。
目標を発見した。
指揮官の指示のもと、騎士団は馬車を追い抜き、車体の前後を瞬く間に包囲した。
続々と馬車の周りを騎士たちが囲み、槍と剣が向けられる。
指揮官の騎士が喉を震わせ、大声で叫んだ。
「止まれ! これより先、一歩たりとも動くことを許さん!」
騎士団には並々ならぬ緊張が走っていた。相手は、あの魔人。そして騎士団長。
彼ら騎士団の力量をもってしても、本来、正面から打ち倒せる相手ではない。
それでも彼らは、王命という絶対の誓いを背負い、多勢に無勢で押し通るつもりでいた。
そして、この馬車には王族まで乗っているという。事態の不可解さに、騎士たちは混乱していた。
なぜ王族が国を裏切るのか。だが、これは王命だ。
『抵抗すれば、王族であろうと即刻切り捨てよ』という命令だった。
捕縛対象は騎士団長のみ。
ならば、あの子どもさえも容赦なく切り捨てるのか。
騎士たちは、自分たちがしていることが正しいことなのか、心苦しさに苛まれていた。
いや、王命だ。
対象は子どもに見えるだけかもしれない。
魔人と関連している子どもと聞いている。もしかすれば、その子どもも魔獣の類かもしれない。
何事にも油断は禁物だ――騎士になりたての頃に叩き込まれた、重要な心構えだった。
馬車はゆっくりと、抵抗なく停止した。
すかさず、数名の騎士が動いて馬車の逃走を防ぐため、車輪に槍を突き入れた。これで馬車は走れない。
御者は微動だにせず、手綱を持ったまま無言。
抵抗する素振りを見せないのが、逆に不気味だった。
荷台にいる人影の一人、フードで顔が見えないが、その中の一人がフードから覗く金色の長い髪が出ていた。
……騎士団長のヴィオレットだ。
そして、全ての者がローブで顔も身体を覆い隠しており、手元が見えなかった。
もしや、彼らはすでにローブの中で抜刀しているのではないか。と、指揮官は察した。
「抜刀! 全軍、構えろ!」
指揮官の声に騎士たちが武器を構え、臨戦態勢に切り替わる。
だが、馬車の御者たちはいっさい気にする素振りを見せなかった。
指揮官は構えつつ、改めて警告を発した。
「すぐに馬車から降りて投降せよ! 王命により、抵抗すれば即刻切り捨てよとの命令だ!」
その言葉に、御者の肩がぴくりと反応した。
そして、御者が騎士たちに向かって言い放った。
「おいおい、随分な物言いだな」
御者はゆっくりと顔を上げ、深くかぶっていたフードを、音もなく上げた。
騎士は御者の顔を見た瞬間、大きく声を上げてしまった。
よく知った顔だったからだ。
「なっ!? ガイフォンさん!?」
「おうおう、なんで剣を握りしめてるんだ? 何事にも油断は禁物だとは教えたが、随分と物騒すぎないか? お前らが騎士になりたてのころ、誰が世話してやったと思ってるんだ」
続けて、荷台にいた三人の人影もフードを外した。
御者――ガイフォンは、朗らかな笑みを浮かべながら騎士達に言った。
「お前ら、俺の家族に会うの久しぶりだよな? 俺の妻と、娘の二人だ」
ガイフォンの妻は金色の長い髪をなびかせ、ペコリと上品にお辞儀をし、娘二人は小さい手を大きく振っている。
その姿に、騎士達は完全に意表を突かれた。
彼らの手にあった武器は、構えることなく、力なくぶらんと垂れ下がっていた。「どういうことだ?」とお互いの顔を見合わせていた。
混乱する騎士団をよそに、ガイフォンは手綱を握り直して言う。
「で、俺に何か用か? 家族旅行の最中なんだがな。お前たちも付いていきたいのか?」
ガッハッハ!という豪快な笑い声が、騎士たちの戸惑いの上を通過して街道に響き渡った。
――――――
王城。
評議会室。
街道での騒動を知る由もないセオドア達は、宰相ガルバルドの言葉を受け、依然として無言だった。
「セオドア様が大事にされていた第四王子も、今回の件に深く絡んでいると聞いていますな。まさか、セオドア様がこれらの件に関係している事はありませんな?」
ガルバルドは、ほとんど尋問に近い言葉でセオドアを追い詰める。
この国の王族として、関係を疑われることは致命的だった。
セオドアは即座に、冷たい断言を返した。
「無論だ。私はこの国の王族。魔人の逃亡に絡んでいる謂れも、手を貸す理由も一切ありませんな」
「なるほど。では、よかった」
ガルバルドは満足げに頷いた。
「相手は魔人と騎士団長。いや、元騎士団長と言い換えるべきですかな? 騎士団長の捕縛どころか、切り捨てることも、並の騎士では到底不可能でしょう。ただ、一人をのぞいては」
ガルバルドの視線は、セオドアの背後に控える護衛騎士グラガスに向けられた。
騎士団長を辞退した最強の騎士。
ガルバルドの態度は、この事態の責任が第四王子を庇護したセオドアにあると暗に示しつつ、その信頼を証明したければ、裏切り者である元騎士団長を始末せよ、と要求しているに等しかった。
護衛騎士グラガスは第一王子セオドアの元を離れないことで知られていたが、王命と主君の危機の板挟みに遭っている。
「王命であれば尚更、行かせないわけには行きませんな。グラガス、すぐに向かえ」
セオドアはグラガスに『行け』と合図を送った。
グラガスは一瞬戸惑ったものの、セオドアの身の考えるのであれば、断るわけにはいかなかった。
グラガスは無言でセオドアに深く頷き、部屋を出ていこうとした。
だが、宰相ガルバルドの言葉がグラガスを止めた。
「待ちなさい。君がいく場所を指定しよう」
グラガスは立ち止まり、怪訝な面持ちで宰相に振り返った。
「……場所、と? 魔人たちは東門から逃げたのでは?」
ガルバルドは、ここで初めてその唇の端を吊り上げ、ニヤリと笑った。
「いや、逆だ。西の国境関所に急ぎ、すぐに封鎖したまえ。そこに、魔人たちは来るだろう」




