第36話 ヴィオレットの決断
石畳の廊下をしばらく進むと、空気は冷たく、湿り気を帯びてきた。
城の主要区画から遠く離れたその場所は、使用されなくなった古い牢獄へと繋がっている。
なぜ、こんな場所に魔人を? 城の中の古びた牢など、魔人が巨大化したら容易く打ち破れる。もしや情報操作や、囮のための罠ではないのか。とさえ思った。
第四王子クレスは、そんなヴィオレットの内心の焦燥を知ってか知らずか、悠然とした歩みの速度を崩さない。
まるで散歩でもするかのように、彼は暗い通路をどんどん進んで行く。
そして案の定、牢獄の入り口で、兵士が立ちはだかった。
「申し訳ありません。ここから先は王命により、許可なく通すことはできません」
クレスが「第四王子の命令だ」と告げても、騎士は青白い顔で「宰相に確認します」と、頑として譲らない。
「私が保証する」ヴィオレットは一歩前へ出て、冷たい声で言い放った。
片目を覆う眼帯の奥で、彼女の眼差しは揺るぎなかった。
「騎士団長殿もですか……であれば」
兵士たちは深々と頭を下げ、重い鉄の扉を開いた。
兵士は目の前の王族と騎士団長の命令に従う他なかった。
扉が背後で鈍い音を立てて閉じる。
クレスが再び歩き出すその道中、ヴィオレットへ語り掛けた。
「これで、もう共犯だな」
「……問題ありません」
ヴィオレットの冷静な返答とは裏腹に、ヴィオレットの心中は焦りに焦っていた。
ついに、一線を越えてしまった。
だが、これでいい。私は自分の心に従った。
ユーリエ……あなたに顔向けできないような、不義理な振る舞いだけは二度としたくないと誓ったのだ。
ヴィオレットは過去の過ちを思い出し、己を深く説得するように頷いた。
この選択が、自分にとって正義なのだと。
突き当りの部屋に入ると、異様な光景が広がっていた。
魔人アデルは、半裸のまま、太い鉄の鎖で四肢を拘束され、首には痛々しい首輪まで嵌められている。
その姿は街を守った英雄の面影もなく、まさに残虐な罪人のそれだった。
アデルは気を失っているのか、静かに目を瞑っている。
そして、その魔人を威嚇するように、アデルには対魔獣兵器が向けられていた。
魔人には効果がないというのに。この無駄な威嚇は……
ヴィオレットは、その非人道的な扱いに奥歯を噛みしめそうになったが、隣のクレスがあまりにも冷静だったため、己も冷静を装うことに努めた。
クレスは部屋の周囲に控えていた兵士たちを見回し、涼しい声で命じた。
「ここは、私と騎士団長のみでよい。他の者は下がれ」
兵士や騎士たちは困惑し、互いに視線を交わしていたが、ヴィオレットが「大丈夫だ。下がって構わない」と頷くと、彼らはすごすごと退室していった。
部屋から人の気配が完全に消えたことを確認すると、クレスは懐に手を入れた。
ごそごそと服の中から取り出したのは、一本の簡素な鍵。
それを魔人を拘束していた手枷の錠に差し込み、回転させると……
ガチン!
硬質な音と共に、錠が地に落ちた。
その音を合図のように、それまで閉じられていたアデルの瞳がカッと見開かれた。
アデルが視線を向けた先には、屈託なく笑うクレスの姿があった。
「せんぱーい、助けに来ましたよ~」
「クレス!?」
第四王子が魔人と話しているが、先輩? 魔人が第四王子を呼び捨て? 知り合いなのか? どういうことだ? ヴィオレットは混乱した。
すると、アデルがクレスの後ろにいたヴィオレットの方を向いて言った。
「あなたは……」
静かに、それでいて確かな言葉で、アデルはヴィオレットを認識した。
実際にアデルの目の前に立つと、ヴィオレットは自分がかつて、アデルを敵と見做し、連行したことを思い出した。
その行動に恥じるばかりだった。そのため、今は、ただばつが悪かった。
ヴィオレットはアデルに何と声をかけていいのか分からず、無言で目線を外してしまった。
「あれ? 先輩、騎士団長と知り合いなんですか?」
クレスは呑気に尋ねたが、アデルはそれに答える余裕もない。
アデルの心は、ある一点に集中していた。
「クレス。リアナを。俺と一緒にいた少女を助けてくれ。あの少女は、リアナは大丈夫なのか?」
「ああ、あの子ですか? 牢にいましたよ」
クレスは、少女に関する情報をアデルに伝えた。
「連行されてから、尋問しても何も情報を吐かなかったらしいですね。ただ、オドオドとした態度で椅子に座って、喋る内容は『アデル』と先輩の名前だけ。それからずっと泣いていて、何も話さないと。『魔人の少女』として監禁されていたみたいで」
ヴィオレットは、保護するはずだったのに牢に映したばかりか、その処遇を聞いて怒りが沸き上がった。
「俺の事はいい! リアナを助けてやってくれ! あの子は俺とは関係ないんだ!」
自分の命よりも少女の安全を気遣う魔人の姿は、ヴィオレットの心を強く打った。
それは、過去、己を救ってくれたユーリエの姿と重なる。
やはり、この魔人を悪人とはどうしても思えない。
「そうは言っても、なんせ魔人と一緒でしたからね。先輩の事も知っていたようですし。危険性があるということで……処刑が決定されたみたいですよ」
「なんだと!?」
「なに!?」
アデルとヴィオレットの声が響き渡った。
その情報にヴィオレットも動揺していた。
子どもを処刑? 私は聞いていないぞ。この速さの無慈悲な決定、おそらく宰相か。
「あっ、でも大丈夫です。もう助けたんで」
「えっ!?」
「えっ!?」
再び、二人の声が重なった。
動揺する二人を尻目に、クレスはアデルに残されていた足枷と首輪の錠前を全て取り除いた。
ガシャリと音を立てて、魔人を縛っていた鉄塊が解放される。
「じゃあ、行きましょうか。先輩。ひとまず、国を出て逃げましょう。あの女の子、迎えに行きたいでしょ?」
アデルはリアナが助けられたという事実に放心していたが、すぐにクレスの行動の重大さを認識した。
王族のクレスがこんな事をして大丈夫なのかと。
「え……ああ。もちろんだ。だが、いいのか? クレス」
「え? 良いに決まってんでしょ。さあ、ここから正念場ですよ、先輩。逃げ切らないと。ここにいたら先輩は死刑、少女は処刑。俺も反逆罪で死刑。考えてる暇は無いんです。急ぎますよ。それに色々、協力してくれた人たちにも悪いし成功させないと」
「え、協力してくれた人?」
アデルの問いにクレスは答えず、身体を起こし、ヴィオレットの方へ向いた。
「ではな、騎士団長殿。手伝ってくれた事に感謝する。いずれ、礼はさせてもらうよ。周りには私の命令だったとか、脅迫されたと言えばいい」
クレスは礼儀正しく頭を下げた。
クレスがヴィオレットを置いていくつもりだとヴィオレットが理解した瞬間、ヴィオレットの唇から、力強く言葉が飛び出した。
「私も……私も、連れて行ってほしい」
ヴィオレット自身、信じられない返答だった。
しかし、少女を救おうとする魔人を、騎士団長としてではなく、一人の人間として救いたいという思いが理性を超えて強かった。
かつてユーリエが自分を救ってくれたように、今度は自分が誰かの救いの力になりたい。
ヴィオレットの心の中で、すべては決着した。
ヴィオレットは決然とした表情で告げた。
「私はすでに魔人の逃亡を手伝いました。ここに居られるわけも無いのです」
クレスは少し考え込み、ぶつぶつと呟いた。
「確かにそうだが、一緒にか。いや待てよ……確かに……逃げるのは全員で四名か。ちょうどいいかもしれない」
クレスは顔を上げ、アデルとヴィオレットに言った。
「馬車を用意してあるので、急ぎましょう。そこに少女もいます。さあ、すぐに向かいましょう! さあ騎士団長殿もこちらへ」
「あの……私の名はヴィオレットです。私はもう今この瞬間から、騎士団長ではないのですから」
――――――
アデルとクレスは兵士の恰好をしていた。
クレスがどこからか調達したのものだった。
そして二人は騎士団長のお付きの兵士という艇だった。
城内は驚くほど移動が容易だった。
道中、ヴィオレットの顔を見て挨拶してくる兵士はいたが、アデルの顔を知る者は少ない。
それ以上に驚いたのは、クレスが王族であるにも関わらず、誰も彼に挨拶をしないことだ。
クレスもまったく気にしていない様子だった。
ヴィオレットはクレスが本当に王族なのだろうか、と少し疑った。
城の裏道。数台の馬車が繋がれていた。そして不自然なほどに人の気配がない、これもクレスの手筈通りだった。
アデルはキョロキョロと周りを見渡していた。
警戒ではなく、リアナを探していた。
クレスが馬車の一つを指さした。
荷台の隙間から、もぞもぞと動く小さな影が見える。
アデルは馬車に駆け寄り、抑えきれない喜びを込めて小さく名を呼んだ。
「リアナ!」
荷台で蠢いていた小さな物が、ひょっこりと顔を出して応えた。
「アデル!」
次の瞬間、リアナは荷台から飛び出し、アデルの胸へと飛び込んだ。
再会を喜ぶ二人の姿を、ヴィオレットは静かに見つめていた。
彼女の胸に去来するのは、己の選択に対する後悔ではなく、確かな安堵だった。
「先輩、その子との再会を喜んでいるのを眺めていたいところですが、今すぐに逃げますよ。馬車に乗ってください。ほら、ヴィオレットも」
クレスに促され、馬車に乗った四人は、全員フード付きのローブを深くかぶった。
御者席にクレスが座り、手綱を器用に操って馬を走らせる。
そして、なんの問題もなく城の敷地を出てしまった。
「クレス、どこに行くんだ?」
「逃げるなら東か西。東が有利ですね。隣国への距離も短いし、逃げ切れる可能性が高いです」
「しかし、街を出ようとしても門番がいるんじゃないのか?」
「へへ、大丈夫ですよ。じゃ、行きましょう!」
クレスはニヤリと笑った。
クレスのその顔に、アデルは言葉にはしなかったが、思った。
『何をしたんだ。こいつは』と。




