第31話 セオドアの推察
街の中に、不吉な鐘の音が響き渡った。
それは国の危機を告げる、街の非常鐘。
その音は、第一王子セオドアが宰相の秘密裏に進めていた巨大魔獣用兵器の試射から戻る、まさにその帰り道に鳴り響いた。
第一王子セオドアの周囲には、護衛の騎士が数名。
そして、常に影のように控える近衛騎士グラガスがいた。
「殿下、城へ急ぎましょう」
グラガスが、普段の落ち着きをわずかに欠いた声で、セオドアに催促した。
「ああ、そうだな」
セオドアは短く応じながらも、馬車に揺られる短い時間で、頭の中で思考を加速させた。
おそらくは、また魔獣だろうか。鐘の音を鳴らすのであれば、巨大な魔獣付きか。
そして我々への報告より先に鐘の音が先んじて鳴らされるという事は、何かしらの緊急事態。
……すでに街に侵入されているのだろうか。
セオドアは瞬時に、取るべき対処を順序立てて推察した。
騎士団の出動による防衛戦、冒険者たちへの協力要請、住民の避難、巨大魔獣への対処方法の確定、そして最も肝心な情報の迅速な収集。
貴族たちの余計な財産や地位保全など、この危機において考慮に入れる必要はない。
王族としての責務はただ一つ、民と国を護り抜くこと。
城へ到着したセオドアは、そのまま作戦司令室へと直行した。
そして、予感は的中した。
有力貴族たちはまだ到着していない。彼らは常に己の保身を優先する。
部屋には、既に兵士たちが詰めていた。
セオドアは一歩踏み込むと、静かな威圧感をもって兵士たちに指示を出す。
「迅速に状況を報告せよ」
兵士の一人が、震える声ながらも簡潔に状況を報告した。
北門からの魔獣の進撃。新たに確認された巨大魔獣の出現。
すでに北門一帯に魔獣の群れが集結していること。
住民の避難は継続中だが、未だ城へ避難できたのは四割ほどに留まっていること。
騎士団や兵士は迎撃と避難誘導で手一杯であること。
セオドアは情報に欠けている最後のひとつを確認した。
「宰相の巨大魔獣の兵器の状況はどうなっている」
「宰相ガルバルド様がすでに手筈を整えられております。城に配備されている一機は、巨大魔獣が街の中へ侵攻してきた際に、ここフィーンズ城から使用する予定であると」
「城から、か」
セオドアは対魔獣兵器に懐疑的だった。威力は絶大だった。
だが命中精度や射程距離、距離による威力の減衰。再装填の間隔。必要な魔石の確保。あの巨大な矢の製造数。全てが分からない。
なにせ、肝心のその兵器を先ほど初めて知ったからだ。
そしてセオドアはセオドアで、巨大魔獣への対処方法を幾つか検討していた。
だが宰相とは異なり、前回の戦いで破壊された街全体を護る結界についての調査を優先していた。
「グラガス、外の様子を見るぞ」
グラガスは無言で頷き、セオドアの後について歩く。
城下を見渡せる望楼に立つと、セオドアは眼下で起きている惨状を視界に収めた。
北門の方向、既に巨大な魔獣が街へ侵入し、無残に建物を破壊して進んでいるのが見える。
報告からここまでが、あまりにも早すぎる。
そして、その巨大魔獣は、前回の牛型の魔獣でもなければ、魔人でもない。
狼のような頭部を持つ、新型の二足歩行型の魔獣だった。
「グラガス、どう思う」
セオドアは冷静さを保ちつつ、隣の騎士に問いかけた。
「魔獣の侵攻が立て続けに二度もあるとは、不可解極まりないですな。知能を持たないはずの魔獣が、まるで意思をもってここを狙っているかのような行動。何かがあると考えざるを得ません」
まさにそうだ。魔獣が街を襲うなどという事は今までなかった。小さな村を襲うならまだしも、ここは街全体を巨大な石壁で囲っているのだ。
わざわざ、ここを狙う必要もなければ、魔獣が群れとなる理由もない。
……いや、ないのではない。我々が、その情報を掴めていない、というのが正しいか。もしや、魔人が裏で率いているのか?
セオドアはすぐに自分の思考を改めた。
こうであれば良いという楽観的な思考、何も分からないので、それ以上は考えない。
そのような思考はセオドアには持ち合わせていなかった。
「そうだな。『王の盾』シオンを呼んでくれ。攻撃は騎士団や冒険者たち、そしてあの大きな魔獣は宰相に任せよう。俺たちのやる事は他にある。シオンには、あれを持たせてくれ」
「御意に」
グラガスはセオドアの意図を察し、短く答え、部屋を出ていった。
国を預かる者としての責務。それがセオドアの行動規範の全てだった。
しかし、グラガスが去り、一人になった束の間、セオドアは胸中の懸念に目を向けた。
一つは父である王のこと。病に臥せってからは、一切自室から出ず、面会できるのは宰相ガルバルドのみ。
この大惨事においても何もしない父。
宰相が父に何かしているのではないか、という疑念が頭から離れない。
もう一つは、弟のクレス。またも前線に出ているのだろうか。
前回の戦いで一兵卒として戦場に行ってしまった時、セオドアは心臓が潰れるような思いを味わった。
クレスは幼少の頃からいつも手のかかる弟だったが、仮にも王族だ。
その身は国を護る象徴であってほしいと願っている。
……いや、それは建前だ。セオドアにとって、クレスは数少ない『家族』と呼べる人間だった。
ただ、大切な家族の身を護りたいという、個人的な願い。
だが、その願いは王族としての責務の前には許されないという考えが、セオドア自身を苦しめていた。
セオドアが再び城下へ視線を戻すと、巨大魔獣が手のひらをかざし、魔力を放出しているのが見えた。
手のひらから飛び出した飛翔物が街の建物を次々と破壊していく。
やはり、この新型魔獣も魔法を操る能力を持っているのか。厄介だ。
しかし、突如として街を破壊していた巨大魔獣の手のひらの魔力の塊が、何度も、不自然に消えていく。
その不可解な行動に、セオドアは理解が追いつかなかった。
そして方向を変える巨大魔獣。
……何が起きているんだ?
次の瞬間、驚くべき光景が目の前に広がった。セオドアは思わず目を見開いた。
巨大魔獣のすぐ側に、あの魔人が突如として現れたのだ。
まるで街の中から生えた植物のように、瞬く間に巨大化していく黒い異形。
それを目撃した避難中の民衆から、凄まじい恐怖の悲鳴が上がる。
民衆は、巨大魔獣がもう一匹増えたのだと驚愕しているのだろう。
……あの魔人は敵か? 味方か?
それはすぐに判明した。魔人は現れるや否や、すぐに狼頭の巨大魔獣と激しい戦いを始めた。
セオドアは九死に一生を得た感覚だった。
あの魔人、やはり噂の衛兵なのだろうか。
セオドアの胸中に、魔人への期待がせり上がった。
魔人が狼の魔獣を圧倒し始めると、先ほどまで悲鳴を上げていた民衆が、今度は安堵の歓声を上げ始めた。
しかし、魔人と魔獣の攻防の中、狼頭の魔獣がさらに身体を巨大化させ、異形の姿に変化する。
それに苦戦し始める魔人。民衆は息を呑み、戦いの行方を見守っていた。
劣勢だった魔人は、突如として魔獣のような凶暴さで、狼頭の魔獣を荒々しく嬲り始めた。
巨大魔獣と戦っているはずなのに、魔人の放つ凶暴さが目を引く。
そして、信じられないことに、狼頭の魔獣が魔人に抱き着いて噛みついたかと思えば、その巨大魔獣の姿が塵のように消滅した。
何が起きたのかは不明だが、魔人が狼の魔獣を倒した。
そう見えた。
だが、民衆を再び恐怖の底に突き落とすのはここからだった。
魔人が突如、苦しみだしたように見えた。
その全身の異形が更に歪み、そして、制御を失ったかのように街を壊し始めたのだ。
それを見て、民衆は凍り付いた。
魔人は味方ではなかったのだ、と。
すると、セオドアの眼下から、一つの鋭い光が魔人に向かって放たれた。
宰相の対巨大魔獣兵器。
巨大な槍が魔人に命中したが、魔人はびくともしていない。
魔人は城の方へ振り向き、血のように赤い目がこちらを睨んでいるのが分かった。
間髪入れず、さらにもう一機の対巨大魔獣兵器が巨大な矢を放った。
魔人は飛んできた巨大な槍を掴み、あっさりと握りつぶした。
その光景を見た全ての者に、深い絶望が走った。
唯一の対抗手段が、意味をなさなかったのだ。
そして、魔人は手のひらを城へ向けた。
手のひらに凝縮されていくおぞましい魔力。
あの魔力の塊が放たれれば、城を含め周辺一帯は消し飛ぶだろう。
セオドアは、声を上げた。
「シオン!」
「ああ、準備はできているよ」
セオドアの後ろに控えていた『王の盾』シオン。
その時、魔人から解き放たれたマナの砲弾。
シオンの静かな、しかし確かな詠唱と共に、シオンの手のひらの魔石が眩い光を放った。
王城に急速に広がるマナの壁。
それは以前、街全体を囲っていた結界と同じものだが、今回はマナの層が桁外れに厚い。
魔人から放たれたマナの砲弾は、城を覆う結界に阻まれ、光の粒子となって散っていった。
脅えていた民衆や兵士たちが、自分たちが生きていることに驚いている姿が見えた。
「シオン、間一髪だったな。よくやった」
セオドアは、安堵と共にシオンをねぎらう。
「まったく、魔人の攻撃を、魔人によってもたらされた魔石で防ぐ事になるとは。なんという皮肉だろうね」
シオンの手に握られていたアデルが吐き出した魔石は、その輝きを失い、ただの石塊になっていた。
「まさか、これほど大量の魔力量を扱う事になるとはね。僕は……も……だ、め……」
シオンは全身の力を使い果たし、倒れてしまった。
グラガスが素早くその身を受け止めた。
しかし、魔人は気にすることなく、さらに手のひらに魔力を集め、次のマナの砲弾を溜め始めていた。
「もはや、打つ手は無しか」
セオドアがそう思い、最悪の事態を覚悟した時。
さらなる不可解な現象が起きた。
鐘の音のように、大きく、そして耳ではなく頭に直接響くような、人の声が聞こえた。
「なんだ? この声は。グラガス、お前も聞こえるか?」
「聞こえております。これは……いったい?」
民衆たちも、その声が聞こえているようで声の方向を確かめようと、あちこちを向いている。
その声は、街中に響き渡っていた。
『やめてくれ……誰か俺を止めてくれ……誰か……誰か……』
それは、助けを求める、悲痛な叫びだった。




