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魔人の衛兵  作者: 水乃ろか


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第29話 ヴィオレットの危機

 ヴィオレットが処刑場から城へ戻る道で、けたたましい鐘の音が街全体に響き渡った。

 それは単なる小規模な事件を知らせる音ではない。


 緊急事態、厄災の訪れ、魔獣の接近を示す、最も恐ろしい警告音だった。


 ヴィオレットは即座に街へ駆け抜けた。街は既に混乱の渦中にあった。

 兵士たちがバタバタと駆け回り、騎士たちは号令の声を上げている。


「団長!」

 

 その混乱の中、一人の騎士がヴィオレットに声を掛け、駆け寄ってきた。

 ヴィオレットは立ち止まることなく、冷静な声で問い返した。

 

「現状の状況を簡潔に報告せよ」


 騎士は息を切らしながらも、一言一句を正確に伝えようと努めた。

 

「巨大な狼型魔獣を確認! 場所は北門より更に北の山脈地帯。しかし、魔獣の進行速度が異常に速く、このままではすぐに街へ到達します! 緊急事態と判断し、北門を即座に閉鎖。門の内側で迎撃態勢を構築中です!」

「すぐに街へ到着だと? どういうことだ! なぜ、そのように危険な状況になるまで魔獣を補足できなかったのだ!?」

「げ、原因としましては、魔獣が北部の険しい山の影を縫うように進行していたこと、そして我々が前回の侵攻に倣い、主に南門方面の索敵を重視していたためと思われます!」

 

 くッ……! この騎士を責めることはできない。責任は騎士団長である自分自身だ。あまりにも考えるべきことが、一度に押し寄せすぎている。


「住民の避難状況は!」

「急ぎ、城への誘導を始めておりますが、魔獣の到着までに間に合うかどうかという状況です!」

「そうか……」


 ヴィオレットは苦々しく吐き出した。


「急ぎ、避難誘導を最優先とせよ。騎士団は全軍、北門に当てる。戦場は街の外ではない。街の中で、住民を護りながらの迎撃戦とする」


 騎士は厳しい表情で敬礼し、踵を返して指令を伝えに去っていった。


 今回は前回と状況が全く違う。

 街の外で迎え撃つことは叶わず、敵の侵攻速度は予想を遥かに超えている。


 迎撃できていないということは、住民の避難もおそらく全く間に合っていないことを意味する。

 前回に比べ、圧倒的に分が悪い。


 だが、やるべきことはただ一つ。

 魔獣を倒し、この街を護ることだ。


 ヴィオレットは、あの宰相が早々に用意させた対巨大魔獣兵器の存在を思い出した。

 あの兵器がこれほど早く役に立つとは、皮肉なものだ。

 腹立たしいが、今はその力に頼らざるを得ない。


 ヴィオレットはすぐさま北門へと向かって駆け出した。

 

 ――――――


 北門に着くより早く、戦いは始まっていた。


 すでに北門の扉は、内側にひしゃげ破壊されている。街の入口に広がる大通りは、既に戦場と化していた。


 冒険者たちが先陣を切って、街中に侵入してきた魔獣の群れを迎撃していた。

 遅れて到着した騎士団もそれに加わり、通りは剣戟と魔獣の咆哮が入り乱れる喧騒に包まれていた。

 だが、市街地での戦いは苦戦を強いられている。


 馬に乗ることはできず、隊列を組むこともままならない。

 魔獣は、石造りの建物を利用し、壁や屋根を這い回りながら、予期せぬ方向から襲いかかってくる。

 そして何より、住民の避難が間に合っていないことが致命的だった。


「避難を優先させろ! 住民たちを城へ! 我々は盾となる!」


 ヴィオレットは怒鳴り、自らも剣を振るう。

 一太刀で魔獣の胴を両断し、周囲の騎士と冒険者と協力して、なんとか前線を維持している。

 

 だが、問題は魔獣の群れではない。

 あの、巨大な魔獣だ。


 それは、以前目にした牛型よりも人間の形をしていたあの魔人に近い。

 しかし体表は漆黒に覆われ、巨大な狼の頭部を持ち、まさしく化け物だった。


 なぜ、このような異形の魔獣が現れたのか。まさか、あの魔人の仲間なのか? いや、違う。あの魔人は、意思を持っているように見えた。

 しかし、この狼頭の巨大魔獣は、ただ街を破壊することだけを目的とした人形のように見える。

 

 ヴィオレットは眼前の魔獣を切り伏せながら、巨大魔獣へ視線を固定する。

 あの化け物を止められなければ、街全体が瓦礫となるのは時間の問題だ。


「対巨大魔獣兵器は未だか……!」


 しかし、もし今、街の中で発射すれば、住民も、魔獣と戦う味方も犠牲になる。

 あの宰相ならば、住民を犠牲にしてでも魔獣を討つだろう。

 

 だが、ヴィオレットにそんな選択はできない。


 城の方、街を見下ろす丘の上へ目を向けると、避難する住民の波と共に、巨大な対魔獣兵器がゆっくりと移動しているのが見えた。

 高台から発射するつもりか。

 兵器の重量ゆえに、坂を上がる速度が遅い。


 ――時間を稼ぐ必要がある。しかし、どうやってあの化け物を止めろというのだ……。


 巨大魔獣は、その巨大な質量をもって街並みを容赦なく薙ぎ倒し、容赦なく進んでいた。

 そして、民を護ろうと盾となる騎士や冒険者たちとの攻防は、次第に魔獣の圧倒的な数の暴力によって押し負け始めていた。


 その時、巨大魔獣の動きが、唐突に止まった。


 まるで時が止まったかのように静止した魔獣は、ゆっくりと、その巨大な右手を広げ、街の中心へ向かって手のひらをかざした。


「あの巨大魔獣……なにをする気だ……?」


 ヴィオレットは全身に悪寒が走るのを感じた。

 以前の牛型魔獣が放った、街を一角を消し飛ばしたあの咆哮を思い出す。


 巨大魔獣の手のひらに、みるみるうちにマナが圧縮され、集約されていくのが見えた。


「あれはまさか……!?」

 

 刹那、巨大魔獣の手のひらから、爆発的なマナの奔流が放たれた。

 街の一角が、轟音と共に吹き飛び、建物が、木材と石が、粉砕される。


「……こいつまで、魔法が使えるのか!?」


 それはマナを圧縮し、砲弾のように放出している。

 牛型の咆哮よりも威力はわずかに劣るが、発射までの速度が格段に速い。


 そして巨大魔獣は、間髪入れずに次のマナの砲弾を手のひらに集約させ始めた。


 このままでは、街が跡形もなく破壊されてしまう。ヴィオレットは思考を巡らせた。


 何か、どうにかしなければ。


 牛型魔獣の時は、マナの集約が見えなかった。

 だが、この狼頭の魔獣は、手のひらにむき出しのマナの塊が見えている。

 

 ――もし、あの集約されたマナを、私が操れるのなら……!


 ヴィオレットは騎士団たちが魔獣と戦っている前線を離れ、巨大魔獣の側まで駆け寄った。


 周りには騎士も魔獣も、住民も居ない。ここでならば集中できる。


 ヴィオレットは自身の持つ力、マナの操作能力に賭けた。


 剣を地面に突き刺し、巨大魔獣の手のひらに集約しつつあるマナに向けて、自身の両手を翳す。

 そして、全身の集中力をもって、魔獣のマナの塊へ干渉を試みた。


 ヴィオレットにしかできない、マナの操作。


 巨大魔獣の手のひらに集約されていたマナの塊が、徐々に、しかし確実に、霧散していく。

 

 ――できる! これなら抑えられる!


 膨大なマナの操作。

 それは、ヴィオレットの身体に普段とは比べ物にならない負荷をかけていた。

 しかし、極度の集中状態にあったヴィオレットは、その異変に気づいていなかった。


 ヴィオレットが自分の身体の異変に気が付いたのは、喉元に鉄の味が広がり、口から鮮血を噴き出したその瞬間だった。

 同時に、鼻から血が垂れているのも気が付いた。

 

 だが、止めるわけにはいかない。ここで手を止めれば、魔獣のマナの砲弾が街を破壊する。

 そして、再び狼頭の魔獣のマナの塊が分解された時、巨大魔獣がマナを集めるのを諦めたように止めた。


 その時、ヴィオレットは自分の認識の甘さに気がついた。


 以前の牛型魔獣も、そしてあの魔人も、人間の騎士や冒険者を完全に無視していた。

 まるで彼らが存在しないかのように。


 しかし、この狼頭の魔獣は、自分のマナの操作が邪魔されたことを理解していた。

 そして、その邪魔者を特定したのだ。


 狼頭の魔獣の血のように赤い瞳が、血を流し息を乱すヴィオレットを正確に捉えていた。


 ヴィオレットもすぐに気づいた。

 あの化け物が、自分を狙っていることに。


 すぐに逃げなければ。


 そう思った瞬間、ヴィオレットは自分の足が動かないことに気がついた。

 限界を超えたマナの操作が、身体に深刻なダメージを負わせていた。


 情けなく、己の無力さを呪いながらも、ヴィオレットは剣を杖代わりにして、震える足を引きずり、後ずさりする。


 だが、この速度では逃げ切れるはずがない。

 そう悟ると、もう足は動かなくなっていた。


 もう、ここまでか。


 それでも、ヴィオレットは僅かでも抵抗しようと、狼頭の魔獣の方へと向き直る。


 狼頭の巨大魔獣は、手のひらをヴィオレットに向けてかざしていた。


 もう、そのマナを分散させる気力も、動く身体もない。


 死の淵で、ヴィオレットは思った。


 こんな時、あの魔人がいてくれたら。


 国と民を救おうとした、あの魔人に対して、なぜ自分はあんな仕打ちをしてしまったのか。

 後悔の念が、鋼鉄の鎧を着たヴィオレットの心を突き破る。


 私はどうなってもいい。

 だから、この国をもう一度救ってくれないか。

 ……私の命を差し出すから。


 後悔と自責、かつてユーリエから貰った愛と、彼女から教わった人の心。


 魔人にしてしまった仕打ち。


 全ての思いが走馬灯のように駆け巡り、ヴィオレットの目から涙が溢れた。


 巨大な魔獣の手のひらから、閃光と共にマナの砲弾が放たれた。


 ヴィオレットは、それを直視した。


 自分に迫る、死と罰の光を。


 ――しかし、ヴィオレットの体が消し飛ぶ事はなかった。


「ガアアアアアアァアァァァッッッ!!!!」


 ヴィオレットの目に飛びこんできたもの。


 それは、マナの砲弾を拳で殴り飛ばす魔人の姿と、その咆哮だった。


 その魔人は最初こそ人と同じくらいの大きさだったが、次の瞬間、みるみる内に巨大化し、狼頭の魔獣と同じほどの巨体へと変貌を遂げた。


 ヴィオレットは驚愕しつつも涙を拭い、確信した。


 この魔人こそが、救世主だと。


 ――魔人の衛兵よ。私が救えない人々を、どうか救ってほしい。


 ヴィオレットは、心の中で強くそう願った。


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