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魔人の衛兵  作者: 水乃ろか


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第26話 ヴィオレットの責務

 フィーンズ王国。

 騎士団長ヴィオレットは焦っていた。


 『魔人』アデルが逃亡して、すでに数日が経過していた。

 騎士団が総力を挙げて追跡にあたっているにもかかわらず、その足取りはまるで掴めない。

 彼は単なる衛兵であったが、その異形の力は今や国家の脅威と見なされている。


 やはり、自ら逃亡したのか。あるいは、魔人を逃がした仲間、あるいは組織が存在するのか。

 もし後者であれば、事態は厄介極まりない。


 この国には、あの巨大な魔人が再び現れた際、対抗し得る手段がない。

 だから、襲われる前に魔人を捕らえること。それが騎士団長たるヴィオレットに課せられた最大の責務だった。


 『王の剣』としての彼女の責務は、いかなる時も王国の秩序と平和を守り抜くこと。

 だが、その秩序は、正義を成した英雄を『魔人』として処刑しようとする冷酷な現実の上に成り立っていた。


 ――――――


 王城の深部に位置する評議会室。

 重厚な木材と古びた石壁が、この国の最高意思決定の場であることを示していた。


 議題は、当然ながら『魔人』への対応である。

 参加者の顔ぶれは、この国の現在と未来を担う重鎮ばかり。


 第一王子セオドア。老獪な瞳で見通す宰相ガルバルド。

 そして『王の剣』騎士団長ヴィオレットと、『王の盾』宮廷魔術師シオン。

 第三王子フロドと第四王子クレスは欠席していた。

 第二王子はすでに亡い。


 ――宰相殿の孫である第三王子が欠席か。第三王子を巡る動きは、宰相殿の暗躍と無関係ではあるまい。


 ヴィオレットは内省を巡らせながら、冷静に報告を始めた。


「魔人は以前の報告通り、騎士団による連行中に原因不明の爆発によって失踪いたしました。現在に至るまで、目立った足取りは何も見つかっておりません」


 簡潔で事実のみを述べる報告に、宰相ガルバルドが口を開いた。

 彼の声は低く、しかし評議会室全体に響き渡る権威を伴っていた。


「魔人の周辺調査の内容はどうなのかね」

「街の住民、魔人と関連していた近しい人間についても調査を続けておりますが、進展はございません。現在は街の周辺も含め、徹底した捜索を継続中です」

 

 国内に、これほどの脅威が潜伏している。

 騎士団の責任は重大だと、ヴィオレットは重々承知していた。

 しかし、ガルバルドの続く言葉は、彼女の堪忍袋の緒を試すものだった。


「しかし、なぜ魔人は逃げ出せた? そして、なぜ見つからない? まさか騎士団が、この件に関与しているわけではあるまいな?」


 それは明らかな非難と、騎士団への侮辱だった。

 ヴィオレットは、宰相が自らの独断による処刑命令を棚に上げていることに、静かな怒りを覚えた。


「我々騎士団は、規則通り魔人を幽閉していました。しかし、宰相殿の命令により、急遽、魔人を外へ連れ出したと聞いております」


 ヴィオレットの声は低く、感情を抑えていたが、その瞳は鋭くガルバルドを射抜いていた。


「ああ、そうだな。私が命令した。だが、それを問題無く執行するのが騎士団の責務であろう。それに魔人など、用意した兵器によって容易に討ち取れるはずだったのだ」

「……兵器、と?」


 ヴィオレットは思わず眉をひそめた。魔人を処刑するという話は聞いていたが、具体的な手段までは知らされていなかった。

 まして、あの圧倒的な力を持つ魔人を、本当に殺せる兵器など存在するのだろうか。


「あのような巨大な魔獣が現れて、ただくすぶっていたと思ったか? また現れない保証などどこにもない。故に対抗策を講じていたまでだ」


 ガルバルドは傲然と言い放った。


「そのようなものが、いつから造られていたのですか?」


 第一王子セオドアが驚愕の声を上げた。セオドアは隣に立つ宮廷魔術師シオンに視線を送った。

 シオンは静かに首を振り、『自分は何も聞いていない』という意思表示をした。


「いったい、どのような兵器なのか、教えていただきたい」


 セオドアの問いかけに、宰相は満足げに口角を上げた。


「そうですな。せっかくこうして皆さんが揃っている。魔人を捕らえた際はすぐに使うことになるでしょう。兵器が設置してある処刑場までご足労願えますかな。対巨大魔獣兵器の威力を、その目で見ていただくのが手っ取り早い」


 そうして、一行は対巨大魔獣兵器が設置してあるという処刑場へと移動した。


 処刑場の中央に鎮座していたのは、巨大な大砲というよりも、むしろ巨大なボウガンのような異様な装置だった。

 丸太のように太い金属の槍が、その装置に装填されている。

 その巨大なボウガンは、恐るべき威圧感を放っていた。


「巨大な矢ですね。こんなものが本当に発射できると?」


 一人の貴族が、その装置の大きさに圧倒されながら尋ねた。


「愚問ですな」


 ガルバルドは鼻で笑い、装置の側に控えていた兵士に合図を送った。

 兵士は無言で頷いた。


 巨大なボウガンは軋むような音を立てて立ち上がり、処刑場の横に広がる森林地帯へとその狙いを定めた。


「撃てっ!」


 兵士の掛け声と共に、対巨大魔獣兵器が火を噴いた。


 バチィッ!!


 雷が弾けるような恐ろしい轟音と共に、大量のマナの放出により巨大な槍が視認できないほどの速度で飛び去った。

 その槍は、森の木々を、道を塞ぐ巨岩を、すべてを巻き込みながら粉砕し、地面を深く抉り取っていく。

 一瞬にして、森林の一部は無残な更地と化した。山をも破壊し尽くしそうな、凄まじい破壊力だった。


 ――雷の魔法で発射される兵器か……? たしかに、大量の魔石を動力源とすれば、このような兵器も可能だろう。

 

「この対巨大魔獣兵器は、もう一機作ってある。魔人討伐のため、ここ処刑場に一機。そして、もう一機は、城内に秘密裏に配備している」


 宰相ガルバルドは静かにそう告げた。

 その威力に口をあんぐり開けている貴族たちには目もくれず、ただ静かに力を誇示した。


「確かに凄まじい威力だ」

「あの牛型の魔獣が放った咆哮と、同等かそれ以上の威力がある」


 集まった貴族たちは、口々に宰相への賞賛を始めた。

 この兵器があれば、あの巨大な魔獣に勝てる。誰もがそう確信した。


 騎士団長であるヴィオレットに知らされず、ましてや王子殿下にも内密に、宰相の私兵によってこんなものが造られていたことに、彼女は深い疑念を抱いた。


「これで魔人討伐も、巨大魔獣への対抗策も万全となりましたな」


 宰相ガルバルドは、力の掌握に隠しきれない傲慢な笑みを浮かべていた。


「……万全、ですか」


 ヴィオレットは静かに返した。

 もし魔人を再連行できたなら、この兵器で、国を救った男を殺さなければならないのか。


 ――――――


 処刑場から王城へ戻る道すがら、ヴィオレットは心の中で自問していた。


 なぜ、私はあの時、衛兵を『魔人』としてではなく、ただの『英雄』として扱えなかったのだろうか。


 ヴィオレットには『王の剣』騎士団長として、国の秩序を守る絶対的な義務があった。

 だが、その秩序は、正しい行いをした人間を、異物というだけで犠牲にしようとする冷酷なものだった。


 ヴィオレット自身、かつては異質なものとして排除されかけた過去を持つ。

 あの時、ヴィオレットを救ってくれたのは、ユーリエという存在だった。

 もしあの魔人が、本当に人々を救うためだけに行動していたのなら、処刑などあってはならない。

 魔人にも、ユーリエのような救う存在はいるのだろうか。


 騎士団長として、ヴィオレットはアデルの再連行を命じる立場にある。

 しかし、彼女の心はまったく逆のことを願っていた。

 

 もし、あの魔人が我々に害するものでないのあれば、どうか逃げおおせていてほしい。

 私は魔人を捕まえられないままでいい。この混乱の中、魔人の足取りは消えたままで構わない。

 この国から遠く、誰も彼の力を恐れず、彼を咎めない場所で、平穏に暮らしていてほしい、と。


 それが、今のヴィオレットにできる唯一の事だった。


 そして「騎士団が関与しているわけではあるまいな」というガルバルドの言葉は、本心を隠しているヴィオレット自身への皮肉のように重く響いた。


 ヴィオレットは処刑場の重い空気を背に、王城へ戻る道を一歩一歩進めた。

 空は晴れ渡っていたが、彼女の胸の内は、重い鉛のように沈んでいた。


 その時。


 ゴォンッ……!


 王都のすべてを震わせるような、深く、重い音が響き渡った。


 ゴォンッ……!


 古びた鐘の音が鳴り響く。


 ヴィオレットは反射的に立ち止まり、その音の方向へ視線を向けた。


 ヴィオレットの表情から、葛藤や焦燥は一瞬で消え失せた。


 そこにはただ、冷徹な責務を果たす『王の剣』の顔が戻っていた。


 ゴォンッ……ゴォンッ!


 鐘の音は鳴り止まない。


 それは、あの巨大な脅威が、再びこの街に迫っていることを、冷酷に告げていた。


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