第24話 生活の知恵
昨日、リアナのための小さな小屋が完成した。村人の手助けがあって、なんとか形になったあの不格好な家は、リアナ専用の小さな城だ。
だが、それでもリアナは俺の部屋で、俺と一緒に寝ている。
「あたし、アデルの護衛だから」
そう言って、小さな身体を俺の腕の中にねじ込んでくる。
護衛だから、という大義名分だが、本当の所はただ単に俺と一緒にいたいだけなのは、もう明白だった。
狭い粗末なベッドだが、俺も隣にリアナの温もりがあることには、もう慣れてしまった。
いや、むしろそれが無いと、夜中にふと寂しさを感じてしまうくらいだ。
今日のリアナは、朝になっても起きるのが辛そうだった。
連日の小屋づくりで、小さな身体には相当な疲労が溜まっているのだろう。
リアナは誰よりも一生懸命、曲がった釘を拾ったり、板を支えたりと奮闘してくれたのだ。
「もっと寝てていいよ」と言ってみたが、リアナは頑として首を振り、半分しか開いていない瞳で「いっしょにいく」と主張するので、仕方なく二人で外に出た。
日はまだ高くはないが、空は晴れ渡り、兵士の巡回もなさそうな静かな朝だ。
比較的ゆっくりできそうな今日は、リアナの休日としてはちょうどいい。
村のパン屋で、焼きたてのパンを二つ買った。素朴だが、腹持ちの良いパンだ。
それを手に、村の隅にある、木でできた古びた長椅子にリアナと並んで腰かけた。
リアナはモグモグとパンを食べているが、その動きは緩慢で、目が半分しか開いていない。
食べている最中も、瞼が重そうだ。
今日の日の光が特に温かい。
ポカポカとした陽気が、身体を芯から溶かしていくような心地良さだ。
ふと、身体にずしりという重さを感じた。
見れば、リアナがパンを握りしめたまま完全に寝落ちしていた。
小さな頭を俺の肩に預け、わずかに開いた口から静かな寝息が聞こえる。
俺はそっと、リアナの頭を自分の膝に乗せ、優しく膝枕の体勢にしてやった。
そして、着ていたくたびれた上着を脱ぎ、そっとリアナの小さな身体に掛けてあげた。
リアナは姿勢が変わったことにも気づかず、まるで何も心配事がないかのように、ぐーぐーと呑気に眠り続けている。
こうしてしばらく穏やかな時間を過ごしていると、杖をつきながらゆっくりと歩く、ゲン爺さんの姿を発見した。
ゲン爺さんもこちらに気づき、微笑みながらやってきた。
「おお、アデルよ。リアナはぐっすりじゃのう」
ゲン爺さんは優しげな笑みを浮かべ、リアナの寝顔を眺めている。
「アデルよ、まずは住居の件は心から感謝するよ。これでリアナも、寒さに怯えることもなくなる」
「いえ、そんな。俺の方こそ、ゲン爺さんを始め、皆さんによくしてもらっています。リアナにも、いつも助けられていますから」
俺がそう言うと、ゲン爺さんは深々と頷いた。
「そうかそうか、リアナもお主によく懐いている。これは寂しがり屋でな。リアナこそ、お主によくしてもらって、わしらも助かっておるんじゃ」
ゲン爺さんは長椅子に腰を下ろしながら、静かに続けた。
「村の者も、できるだけリアナの世話はしているが、皆、自分の生活がいっぱいいっぱいでな。食べるのがやっとという暮らしじゃ。わしからも重ねて礼を言わせてもらう」
「いえ、本当に。俺の方こそ、リアナに救われています」
リアナの呑気な寝顔を見つめた。この子が笑ってくれるだけで、俺が恐ろしい魔人になってしまったことも、すべて報われる気がした。
すると、ゲン爺さんが少し真面目な顔になり、口を開いた。
「そういえば、アデルよ。お主、衛兵だったんじゃろう? 『南門の戦い』にも行ったのか?」
南門の戦い。俺の人生を狂わせた、巨大魔獣とのあの激戦だ。魔獣が街の南側から攻めてきたから、そう呼ばれていた。
「ええ。自分も参加しましたね」
「そうか、それは大変だったな。わしらがいるのは離れた北門側じゃからな、そういった戦いがあったことは聞き及んでいるが、実際に見たものは一人もおらんくてな」
たしかに、この集落は街の外の北側にある。街の住民ではないから、あの時、城へ避難することもなかったのだろう。
「万が一、街が無くなってしまうと、ここの存続も危ぶまれるからな。本当に感謝するよ。ところで、アデルよ。ガイフォンから軽く聞いておったが、お主、難儀らしいのう」
「……まあ、はい……」
本題はこれか。
ゲン爺さんの衛兵や戦いに関する質問は、すべて俺が魔人になったことへの前振りだったのだろう。
ゲン爺さんは、ガイフォンさんから俺の事情を既に聞いているようだ。
「事情を細かくは知らんが、心中察するよ。わしも、同じような経験をしたからの」
そう言って、ゲン爺さんはそっと目を閉じた。
「同じような経験……ですか?」
「ふうむ、あれはな。もう何十年も前の話じゃ。目を開けたらな、突然、この街におったんじゃ。そりゃあ驚いたもんよ」
「突然、この街に?」
突然、街にいる? その言葉の違和感に、俺の頭の中で一つの可能性が閃いた。
……まさか。
「……もしかして、ゲン爺さんって、転生者なんですか?」
「うむ、そう呼ばれていたな。懐かしい響きじゃ」
ゲン爺さんは、ほっほっほと穏やかに笑っている。
転生者は街にたくさんいたし、衛兵として何度も接した。
転生者たちはどこか、この世界の人間とは異なる独特の雰囲気を持っている。しかし、ゲン爺さんからは、そんな特別な感じを全く受けなかった。
だが、今になって思い出した。初めて会った時、ゲン爺さんが言った「びっぷ待遇じゃ」という言葉。
あの時『びっぷってなんだ?』と思ったが、転生者は俺たちの知らない独自の言葉を使うことが多々ある。
これで全て合点がいった。
「こっちに来るとな、不思議な能力を備わっていてな。そりゃ驚いた」
「不思議な力? あの転生者特有の力ですか?」
「うむ。どれ、見せてやるかな」
ゲン爺さんはそう言うと、長椅子からゆっくりと立ち上がった。
手にした古びた杖を、まるで剣であるかのように構えた。
その動きは、老いを感じさせない鋭さがある。
ゲン爺さんは、おもむろに「むん!」と短く声を上げ、杖を横一閃に振った。
その瞬間、風が裂けるような音と共に、剣の斬撃が実体化し、白い光の帯となって飛んでいった。
それは、俺たちの先にあった木の上の方の枝を、スパッという信じられないほど鮮やかな音と共に両断した。
切られた枝は、音もなくポトリと地面に落ちた。
「す、すごい……!」
思わず声が出た。あんな恐ろしい威力を持った攻撃を、杖一本で、しかも高齢のゲン爺さんが放ったのだ。
「ほっほっほ。いやぁ、その驚いた顔を見るのが好きでな。……あいたたた」
そう言って、ゲン爺さんはすぐに腰をさすり、再び長椅子に座った。
「しかし、その圧倒的な力を持って、なぜここに?」
こんな力があれば、冒険者として名を馳せ、富も名声も思いのままだったはずだ。
「それも、わしが長年聞かれてきたもんよ。わしを見て分かる通り、もう老いぼれでな。こんな力があっても、身体がついてこんのよ。今みたいに力を使えるのも、身体への負担が大きすぎて、一日数回が限度じゃて。この力はな、持っているだけで、使いようがなければしょうがない。宝の持ち腐れじゃな」
転生者の力も、使い方によっては身体への負担が大きいのか。
俺が魔人として変身する時、身体が軋むような感覚を、長期間の睡眠を思い出し、他人事とは思えなかった。
「わしは長年、冒険者として生きて来たんじゃがな。年をとって引退してからは、転生前に生活していた知恵を使って、ここに村を作った。畑や小屋の建築、家畜の世話くらいじゃがな。剣を振る力より、そっちの知識の方がよほど役に立ったよ」
ゲン爺さんは、眠っているリアナを静かに見つめた。
「そして、どこにも行き場の無い人たちをな、少しでもどうにかならんかと思って今日に至る。この村は貧しい。皆痩せているし、満足に寝る場所も供給できていない。だが、死人は少なくなった。寂しく、のたれ死ぬ人間もいなくなった。皆、身を寄せ合って慎ましく生きていけるだけで、意味があったというもんじゃと思っている」
その言葉は、まるで俺自身に語りかけているように感じた。
「それにほれ、この村はお前の役にも立っているだろう?」
「……はい、世話になりっぱなしです」
この村が無かったら、俺は今頃どうなっていただろう。こんなに安心して過ごせる場所はなかっただろう。
「お主も衛兵だったのなら分かると思うが、人の役に立てるというのは尊いもんじゃ。わしがもっと若くて、もっと身体を動かせれば、役にも立つんじゃがのう。わしの仕事はもっぱら、ここに来る魔獣を倒すのが限度じゃ」
そうか、と俺は全てを理解した。
この村に、武装するための槍や剣がない。
門番も武器すら持っていなかったのは、そういうことか。
この貧しい集落を、転生者であるゲン爺さんがたった一人で守っていたのだ。
「一時期は『けんせーのげんじい』とか呼ばれていたんじゃが、知らんか? まあ知らんか。遠い昔の話じゃからな」
「けんせーのげんじい、ですか?」
俺の知る範囲では、聞いたことがない名前だ。なんだか、申し訳ない気分になる。
「いや、ちょっと発音が違うな。それに皆、ゲン爺と呼ぶが、わしの名前のゲンジを間違って覚えてるようじゃて。まあいいんじゃがの。けんせーは、けんせい、じゃ。それにの……」
ゲン爺さんは、自身の名前と、かつて呼ばれていた通り名について、ゆっくりと教えてくれた。
ゲン爺さんの名前はゲンジ。そして『けんせー』とは、『剣聖』。
俺の目の前にいるのは、かつて『剣聖のゲンジ』と呼ばれた、元冒険者の老人だった。




