第2話 人類の脅威
翌日。昼になる頃だった。
――ゴーン、ゴーン。
寝ている頭の奥を、鈍く重たい鐘の音が叩いていた。
昨夜はクレスと酒場で飲んでいたから二日酔いかと思ったが、鐘の音はやけに続く。
……違う、これは本当に鐘の音だ。鐘の音が、何でずっと鳴っているんだ?
ゴーン、ゴーンと途切れることなく鳴り響くその音は、俺の寝ぼけた意識を無理やり引きずり出す。
薄い布団を跳ねのけ、窓を開けると街が騒然としていた。
通りを走る人、荷物を抱えた者。
鐘は途切れず鳴り響き、ざわめきがどんどん大きくなる。
――この鐘の音は……非常事態の鐘だ。
頭の中でピンと来る。隣国からの侵略や、国全体を揺るがす災厄の時にだけ使う鐘。
生まれて初めて聞いたその音は、不穏な音だった。
急いで服に腕を通し、詰所へと走る。
上司のガイフォンさんは既に険しい顔で立っており、後輩のクレスも同時に到着した。
「いったい何が起きてるんですか?!」
「分からん、しかし命令が下っている。街を出て迎撃に向かえ──とのことだ。すぐに武器と鎧を着けろ」
「え!? 衛兵の俺らがですか!?」
「衛兵だけではないらしい。街中の、戦える者は総動員だとよ」
ガイフォンさんの声は暗かった。ガイフォンさんは元王国所属の騎士だったが、怪我がきっかけで衛兵になった。
妻と小さい娘が二人いる彼は、戦場へ赴く騎士よりも危険性の少ない衛兵になった事で家族に心配を掛けないで済む、とよく言っていた。
元騎士だった彼の暗い顔が、この出撃命令の意味を物語っている。
これは、この出撃が“生きて帰れない可能性”をはらんでいるということを示していた。
「しかしクレス、お前は――」
「俺も行きますから」
ガイフォンさんの言葉を遮り、クレスが言い放った。クレスは「自分も衛兵ですから」と付け足した。
俺たち以外、ほとんど周りの人間は知らないがガイフォンさんもクレスが王族という身分だと知っている。
だから、おいそれと戦場になど連れてはいけない。
しかし、クレスは自分が身分の違いで特別扱いされるのを凄まじく嫌う。
俺たちがクレスに対して使う言葉遣いも、平民として同じように話してくれというクレスからの強い要望だった。
そのクレスが自分だけ戦場に行かない事を拒否したのだ。ガイフォンさんはそれ以上、何も言わなかった。
俺たちは無言で鎧を締め、槍を握った。
自分の心臓の鼓動が、うるさいほどに響いている。
詰所を出て大通りに出ると、街はすでに避難する人々でごった返していた。
子を抱えた母親、荷車を押す老人、泣き叫ぶ子ども。
皆、城へ向かっている。一般住民は城に避難するらしい。
逆に、街の門へと向かうのは俺たち兵士や騎士、冒険者、予備役、鍛冶屋の親父さんまで——戦える者すべてが武装していた。
こんな光景、見たことがない。この戦いが異常な規模であることを示していた。
街の門に近づくにつれ、一つの疑問が頭に浮かんだ。
なぜ、わざわざ街の外に出て戦うんだ? 門を閉じて、街全体を囲っている大きな外壁から迎撃すればいいのに。
「なぁ、ガイフォンさん。なんで街の外に出て戦うんです? 門を閉じて、外壁の上から弓矢や魔法で迎撃すればいいじゃないですか」
「その必要が……ないらしい」
「え?」
ガイフォンさんの短い言葉は、街の門をくぐった瞬間に理解できた。
――遠くで、山が動いている。
正確に言えば、山のように巨大な魔獣だった。牛の様な二本の巨大なツノを持つ魔獣が四本の脚で大地を踏みしめている。
足音が地を震わせ、巨大な魔獣の足元には大小さまざまな魔獣が群れを成して蠢いていた。
門をくぐった誰もが、その異様な光景にぽかんと口を開けて立ち尽くした。
しかも既に開戦している。人と魔獣が入り乱れて戦っていた。
魔獣――マナに侵され狂暴になった変異した獣。俺も魔獣の討伐に出たことがある。兵士の訓練としての討伐だった。
狼型一匹の魔獣を相手に兵士五人がかり、熊型なら二十人の連携が必要だ。
それが今、大群で押し寄せている。
「あれが、敵なのか……?」
「なんですか、あのでかいの……牛の魔獣ですか?」
クレスが震える声で言った。
「……あんなでかい牛、いないだろ」
俺は呆然と呟くことしかできなかった。
その時、後方から「道を開けろ!」という怒声が響いた。
振り向くと、騎士団の軍馬が駆け抜けてくる。
その先頭に、金色の鎧を纏った人物がいた。
「あれ……騎士団長だ!」
近くの誰かが叫んだ。
騎士団長、『王の剣』と呼ばれる騎士。転生者ではないが、転生者ですら恐れる実力者らしい。
初めて見るその姿に、俺は既視感を覚えた。
騎士団長は金色の長髪に、片目に付けられた黒い眼帯を纏っていた。
──広場で俺を助けてくれた女性冒険者と、瓜二つだった。いや、まさか。騎士団長が広場に一人でいるわけがない。似ているだけだろう。
騎士団が前線へ向かっていくのを見送りながら、俺たちも続いた。
前線に近づいた時、「全軍、進め!」という声が響いた。
その号令が響き渡った瞬間、地獄が始まった。
―――――
前線はすでに混沌としていた。
騎士団は統率の取れた動きを見せるが、俺たち衛兵や冒険者は、ただ混乱に放り込まれただけだった。
そもそも、こんな大軍で戦う練習などした事がない。
俺とガイフォンさん、クレスは離れ離れにならないよう互いを確認しながら前に進んだ。
巨大な魔獣は街を目指してドスンドスンと地響きを立てながら悠々と歩み、足元の兵士達を意に介していなかった。
「冒険者はでかい奴を止めろ! 他は魔獣を各個撃破しろ!」という号令が飛び、戦闘が始まった。
俺たちは三人で連携し、狼型の魔獣を二匹、三匹と屠る。だが体がすぐに重くなった。
本来、魔獣の討伐で複数を連続で倒すことは稀で、一回一回の討伐で身体にかかる負担は大きい。
特にガイフォンさんには堪えている様子があった。元々、怪我が原因で騎士を引退した身だ。
「ぐあっ!」
ガイフォンさんの叫び声が響いた。狼型の魔獣の一匹が、俊敏にガイフォンさんの腹を裂いたのだ。
俺とクレスですぐに魔獣を仕留め、ガイフォンさんに駆け寄り傷の具合を見るが、血が止まらない。
「クレス! ガイフォンさんを連れて一旦下がろう!」
俺はガイフォンさんに肩を貸し、後方へ向かう。
部隊後方には怪我をした兵士や冒険者たちが居た。ガイフォンさんが崩れ落ちる様に、地面に倒れた。
「う……クソ……」ガイフォンさんが悔しそうに呻く。
ガイフォンさんの顔色は真っ青で、腹のあたりの布が深紅に染まっていた。
「クレス! 衛生兵か回復魔法ができる人を呼べ!」
「わ、分かりました!」
俺はガイフォンさんの止血を試みた。だが血は止まらない。
思ったより傷口が深い。ガイフォンさんの意識が朦朧としている。
「ガイフォンさん、大丈夫だ。今クレスが回復術師を呼んでるからな」
「あ、ああ……」
ガイフォンさんの虚ろな声に焦る。このまま気を失わせては危険だ。
「ガイフォンさん、しっかりしろ! 娘さんが二人もいるんだからな!」
「……ああ、そうだな。これくらいの……傷なんて……」
「俺も、あんたの家族には世話になってんだ。あんたを死なせたなんて報告するのは、冗談でもイヤだからな! 絶対に弱気になるなよ!」
「……ふん、こんな傷、大丈夫に……決まってんだろ……誰が……死ぬかよ……」
強気な言葉とは裏腹に、ガイフォンさんの目の焦点が合っていない。
――頼む、間に合ってくれ。




