第17話 護衛の少女
「はてさて、ではな。ここのことを簡単に教えようかね」
ゲン爺さんが楽しそうな声でそう告げ、足取り軽く歩き出した。
老人とは思えないその速さに驚いたが、俺はすぐさまその後を追う。
「ここはな、スラムと呼ばれている。わしが名付けたんじゃ。見て分かるように、街と言うより村じゃな」
確かにその通りだった。街の石畳とは違い、足元は固められた土のまま。
視界に入る建物はすべて、粗野な木材を継ぎ接ぎして作られており、手作りの小屋や物置という方が実態に近い。
だが、奇妙なことに陰湿さのようなものはない。
「スラムはな、行き場を失った奴やら、街に住む市民権がない奴やらが住んでいるんだ。だが規律もあるし、貧しくはあるが皆が自分の出来る事をして助け合って生きている。まあ皆が家族みたいなもんじゃな」
ゲン爺さんの言葉を裏付けるように、人々は皆、せっせと手を動かしている。
着ている服はくたびれてはいるが、瞳に光は宿っており、それぞれがお互いに話しかけ、ささやかな笑い声が飛び交っている。
街の横に、こんな温かい場所が存在していたとは、にわかには信じがたい光景だった。
だが、この事実は同時に俺の胸を締め付けた。
俺がここにいることで、彼らの平穏を乱してしまうのではないか。
俺は、必ず騎士団の追跡を受ける。
そうなれば、この集落にも迷惑が掛かるだろう。
俺はすぐにでもここを出て、一人身を隠すべきだ。
いや、そうするべきだ。
意を決して、ゲン爺さんに話しかけた。
「あ、あのゲン爺さん――」
「大丈夫だ」
ゲン爺さんは俺の言葉を遮るように、しかし優しく、力強い口調で言った。
まるで、俺の心の内を覗き見たような返答だった。
「アデルといったな。大丈夫だ。安心しろ。ここには定期的に兵士が視察にくるが、問題は起こらん。それにの……」
ゲン爺さんはそう言いながら、おもむろに懐から、ゴソゴソと袋を取り出した。
中には金属の塊でも入っているのか、ジャリジャリと心地よい音が響く。
「もうガイフォンから金は受け取っているからな? お主、びっぷ待遇じゃぞ。ほっほっほ!」
ゲン爺さんは口元に深く刻まれた笑い皺をさらに深くし、ニンマリと笑ってみせた。
「え、びっぷ……? 何ですか、それ? あ、ちょっと!」
俺の戸惑いを無視するように、ゲン爺さんはまた歩き出してしまっていた。
小走りで追いつくと、ゲン爺さんはピタリと立ち止まり、俺の方を振り返って言った。
「さて、アデルよ。わしはな、お主にずっと付いてるわけにはいかんのでな。わしは色々と仕事もあるしの。そこで、だ。おーい! リアナや! ちょっとここに来ておくれ!」
ゲン爺さんが大きな声で叫んだ。
ゲン爺さんの視線の先。木の後ろで何かが動いている。
小さな人影、子どものようだ。
ちらちらと木の陰から顔を出して、こちらの様子を伺っている。
「だいじょうぶじゃ! リアナ、仕事じゃぞ! こっちに来なさい!」
ゲン爺さんの呼びかけに、木の陰から恐る恐ると、一人の少女が出てきた。
十歳くらいだろうか。俺の腰のあたりまでしかない小さな背丈だ。
髪は手入れが行き届いていないのかボサボサで、服も擦り切れている。
少女は俺のことをチラチラと見ては、すぐにうつむいてしまう。
その仕草から、ひどく人見知りしているのが伝わってきた。
「あの、ゲン爺さん、この女の子は?」
「うむ、お主の面倒をみるリアナじゃ。アデルよ、村の事は何もしらんだろう? リアナに色々と教えてもらうといい。それに、リアナはお主の護衛だ」
ごえい。ゴエイ。……護衛?
ゲン爺さんの言葉が一瞬、頭の中で認識できなかった。
この、おどおどしている小さな子が護衛?
反射的に正直な感想が口から漏れた。
「え? 護衛、ですか? あんまり強そうには見えないですけど……」
「そうだ。強くないぞ。そりゃ、子どもじゃからな」
ゲン爺さんは悪びれる様子もなく、カラカラと笑った。
「なぁに、ここはちっと特殊だからな。お主が慣れるまで、お主の面倒を見る。それにな……」
ゲン爺さんは持っていた袋から、お金を取り出し、ピン! と、少女――リアナに放り投げた。
リアナのボサボサの頭にコインが弾み、リアナは慌てて地面に転がったお金を追いかけている。
「ここではな、子どもであっても生きるために仕事をしないといかん。しかし、村に子どもはリアナ一人しかいなくてな、子どもには厳しい仕事ばかりなんじゃ」
そう言うゲン爺さんの瞳は、優しさに溢れていた。
そうか。この子のために仕事を用意したのか。
……だとすれば、俺が断るという選択肢は消える。
ゲン爺さんはリアナに何か小声で喋ってから、俺の方をくるりと向いた。
「ではな。わしは行くが、用事があればリアナに相談してやってくれ。そうした方がリアナも喜ぶ。仕事が無いと不安がるからな。それに、リアナは誠実に仕事をするから安心してくれ」
ゲン爺さんはそう言い残すと、ほっほっほと笑いながら行ってしまった。
その場に取り残される俺とリアナ。
リアナは、俺の横に立ち下を向いて、モジモジしている。
まるで迷子の子どものようだ。
かつて衛兵として巡回中に、泣きじゃくる迷子を何度もなだめたことを思い出す。
俺はゆっくりと膝をつき、リアナと目線を合わせるようにして、穏やかに語りかけた。
「えっと、俺はアデル。よろしくね? あの、名前は?」
「う……あっ……リ、リアナ……」
蚊の鳴くような声だったが、確かに名前を返してくれた。
俺はこわがらせないように優しく微笑む。
「うん、よろしくリアナ。この村に詳しいんだって? すごいな! 俺にも村のこと、色々と教えてくれるか?」
「え……あ……う、うん! く、くわしい! こ、こっち、来い……!」
「あ……ちょっと!」
リアナはそう言い終わるや否や、勢いよく走り出してしまった。
俺も慌ててその小さな背中を追った。
この集落の住人は皆、身のこなしが軽いのだろうか。
「ここがなー、ひろばだ」
「ここが、井戸だ」
「ここに、猫がいる」
「ここが屋台だ」
「ここは雑貨屋だな」
リアナはたどたどしいながらも、一生懸命に集落の説明をしてくれた。
一箇所に数秒も留まらず、場所を指さすだけ、あるいは簡単な一言を添えるだけの、非常に性急な村巡りだった。
俺はただ「うんうん」とか「そうかそうか」くらいしか言える事がなかったが、リアナが必死に役目を果たそうとしている健気さが伝わってきた。
「……あ! そ、そうだ。アデル。こ、こっちだ。忘れるところだった」
リアナが思い出したように、またも走って行ってしまった。
俺もまた、見失わない様に走って追いかける。
「こ、ここだ……」
ハァハァと肩で息をしているリアナが指さしたのは、木の板で継ぎはぎされた、小屋というか、物置のような建物だった。
リアナは勢いよく扉を開けて、そこに入ってしまった。
中から「入れ」というリアナの声が聞こえて、俺も扉を開けて中を覗いた。
小屋の中には、簡素なベッドと、ランタンが置かれた小さな机と椅子、そして棚が一つ。最低限の家具だけが置かれていた。
「ここがなー、アデルの家らしい。ゲン爺に、ここに案内するように言われててな。すごいなー、窓もあるな」
こんな所を用意してくれたのか。これがゲン爺さんの言う『びっぷ待遇』というものなのだろうか? 俺のために、どれだけの気を使ってくれたのだろうか。
リアナは棚を開けて、中から袋を取り出して、俺へ持ってきた。
「こ、これがなー、アデルのお金らしい。好きにつかえ。ご飯食べる時とかな。なくなったら、ゲン爺に言えって言ってたぞ」
「え? お金?」
俺はリアナが差し出す袋を受け取り、袋を開けた。
確かに、お金が入っている。
――ふと思った。
これ、リアナは俺に何も言わずに、盗む事ができたんじゃないか、と。貧しい暮らしの中で、お金は喉から手が出るほど欲しいだろう。
だが、不思議と、ゲン爺さんやリアナの顔を見ていると、そんなことをしそうにないと思う自分がいた。
彼らは、俺がこれまで生きてきた世界とは全く違う、信頼と優しさで繋がれた世界に生きているような気がした。
「ありがとうな。リアナ」
俺は素直な感謝の言葉と共に、リアナのボサボサの頭に手を置き、そっと撫でた。
リアナは一瞬固まり、「お、おう」と言って不器用にニカっと笑った。
褒められたりすることに慣れていないのだろうか。
ぎこちない笑顔だったが、その顔には喜びが満ち溢れていた。




