第16話 貧民の集落
重い瞼をこじ開けた瞬間、最初に視界に飛び込んできた光景が、俺の混乱を際限なく深めた。
石造りの薄暗い路地裏。湿った空気と、埃の匂い。
その真ん中に、俺を囲むようにして、見慣れた三つの顔があった。
――なんでクレスとガイフォンさんとバルカスさんが? いや、そもそも、ここはどこだ?
俺の記憶は、檻の中にいるところから途絶えている。
護送車で、行先も知らされずにどこかへ移送されているはずだった。
そして突然、耳をつんざくような轟音と、全身を揺さぶる強い衝撃。
まるで巨大な鉄塊が衝突したかのような……
あれから、どうなったんだ?
顔を上げて、三人の表情を改めて見た。
ガイフォンさん、クレス、そしてバルカスさん。
三人が一様に、安堵と疲労を浮かべながら、ニヤリと笑っていた。
……嫌な予感がせり上がってくる。
――まさか、俺を助け出したのか?
馬鹿な。なんて危険で、無謀なことを。
ガイフォンさんには妻子がいる。クレスは王族の人間だ。衛兵の規律を破っただけでも大問題なのに、魔人の俺を助け出すなど、国家への反逆にも等しい行為だ。
彼らの人生を、未来を、こんな俺のために賭けてしまったのか。
「あ、あの!――」
込み上げてくる感情で、俺が声を上げようとした時、ガイフォンさんの低い声に遮られた。
「アデル、お前には言いたい事も、聞きたい事も山ほどある。だが、ここでは一つだけ確認させてもらうぞ」
ガイフォンさんが、その太く険のある眉を寄せ、俺をまっすぐに見つめた。
その目は、真剣な眼差しだ。
「お前は俺たちの敵か? 俺たちを襲ったり、食ったりするか?」
ガイフォンさんは、俺が魔人である事をもう知っているだろう。
衛兵アデルではなく、目の前の『化物』の正体を見定める目だった。
「しません……っ! しませんよ、そんなこと!」
俺は必死で訴えた。
「で、でも……自分でも、自分を制御できない時があって……」
嘘偽りなく、ありのままを伝えるしかない。この人たちを襲うなんて考えたくもない。
だが、あの時、衝動に任せて冒険者たちを手にかけそうになった時の恐怖が、俺の口を重くした。
『絶対にしない』と言い切れない自分が、情けなかった。
「ふぅむ、そうか」
ガイフォンさんはあごをさすりながら、静かに息を吐いた。
俺の言葉を疑う様子はなかった。
「ま、お前が嘘をついてたり、俺たちを騙そうという気がないのも分かった。何やら訳ありか。だが、それは後で聞かせろ」
ガイフォンさんはすぐに態度を切り替え、鋭く言った。
「じゃあ、話はあとだ。今は逃げるぞ。アデル、お前は処刑場送りになるところだったんだぞ? すぐにこれを着ろ」
「え? 処刑場?」という俺の言葉は、ガイフォンさんが差し出した、フード付きの煤けたローブの影に消えた。
思考が追いつかない。
処刑場? 俺は、もう生きて街を出ることは叶わないはずだったのか。
「おい、アデル。腕を出せ」
バルカスさんが間髪入れずに言った。
彼は腰のポーチからゴツい金槌を取り出すと、俺の腕の手錠に迷いなく一振り。
ガキン!
甲高い音を立てて、強靭なはずの鉄製の手錠が、あっけなく地面に落ちた。
こんな硬そうな手錠を、まるで玩具のように一撃で破壊していた。
「コツがな、あるんだよ」
バルカスさんはニヤリと笑い、静かにそう言った。
彼の笑顔に、どうしようもないほどの頼もしさを感じた。
「じゃあ、さっさと行くぞ。アデル、ついてこい」
ガイフォンさんが建物の影から、大通りに人の気配がないかを確認している。
バルカスさんはローブをひっつかんで言った。
「俺は、お前らが着てた騎士の鎧を回収して戻る。アデルもひとまず何とかなったし、騎士の中に紛れ込んだのがバレると面倒だからな。証拠隠滅ってやつだ」
騎士の鎧。つまり、彼らは俺を助け出すために、騎士に化けていたのか。
彼らがどれほどの危険な橋を渡ったのか、想像するだけで恐ろしい。
「ああ、分かった。後は俺たちが何とかするから問題無い。バルカス、感謝する」
ガイフォンさんの言葉に、バルカスさんは軽く肩をすくめて、来た道を戻ろうとした。
「バルカスさん!」
俺はたまらず、彼の背中に向かって声を張った。
「あの……本当に、ありがとうございます!」
バルカスさんはこちらを振り返り、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「いいってことよ。じゃあな」
そう言って、彼は路地の奥へと消えていった。
俺たちは、急いでフード付きのローブを深々と着こんだ。
「北門に向かうぞ」
ガイフォンさんの言葉に従い、俺たちは静かに裏道を通り、街の外壁沿いに北門を目指した。
北門に着くと、数人の衛兵が門番として立っている。
俺たちが普段勤務しているのは南門の方だからか、見慣れない顔だ。
「行くぞ。どうどうとしていれば、問題無い」
ガイフォンさんは迷いなく門へと進む。俺とクレスは慌ててその後ろを歩いた。
言われた通り、それとない無表情を心がける。
自分の心臓の鼓動がうるさいほど鳴り響くのを感じる。
「そこの、止まれ」
門番は、普段は通行人をいちいち止めるようなことはしない。
しかし、俺たちが着ているローブが怪しかったのか、それとも男が三人という組み合わせが目立ったのか、門番の一人に声を掛けられてしまった。
ガイフォンさんが足を止める。俺たちもそれに倣った。
ここで走り去れば、余計に怪しまれる。
しかし……どう切り抜ける?
フードを取れば、俺の顔は知られていないかもしれないが、もし特徴を覚えられれば、俺がクレスとガイフォンさんと一緒に居た事がバレてしまう。
二人に迷惑をかけるのだけは避けたい。
その時。
「どうした? 私たちに、何か用か?」
クレスが、フードを静かに、だが迷いなく取り払った。
いつもの、明るく快活なクレスとは、雰囲気がまるで違う。
冷たく、相手を上から見下ろすような、突き放す語調で言い放った。
「あ……いや……」
門番がたじろぐ。衛兵は怪しい人物に対して怯んではいけない。
だが、クレスの言葉には、俺でさえ驚くほどの威圧感があった。
その立ち姿は、まさに王族そのものだ。
「用もないのに、私の歩みを止めるな。私に用があるなら、後で城に来い」
クレスはそう言い残すと、さっさと歩き出してしまった。
俺とガイフォンさんは、顔を見合わせてから、慌ててクレスの跡を追う。
門番はそれ以上、何も言わなかった。
『城に来い』という言葉が効いたのだろうか。いや、それだけではない。クレスの堂々とした、いや、特殊な威圧的な態度が、まさに王族や貴族の態度と一致していたためだろう。
門番は『とんでもない人間に声を掛けてしまった』という表情をしていた。
その気持ちは痛いほど分かる。
衛兵として勤めている時、貴族が問題を起こすと処理が非常に面倒だ。
貴族は大きな問題でなければ基本的に無罪放免、むしろ衛兵側の態度が悪いと叱責を受けるときさえある。
門番は、面倒な事態を避けたのだろう。
門を出てしばらく進み、門から見えなくなったころ。
「ふー! 危なかったな、クレス、よくやった! まさか、お前の『王子様』が役に立つとはな!」
ガイフォンさんが豪快に笑った。
クレスはまだ少し息が上がっているようだった。
「こっちだってビビりましたよ! 心臓が止まるかと思いました! まったく! ガイフォンさん、大丈夫だって言ってましたよね!?」
「あれ、そんな事言ったか?」
「言いましたよ!」
そんな二人の会話を聞いて、張り詰めていた緊張の糸が緩み、ふと、何故か安心してしまった。
自分の表情が緩んでいるのを感じる。
先ほどまで、自分は拘束されていたはずだというのに。
「こっちだ。念のため、周りを警戒しながら進むぞ」
ガイフォンさんが進む。門から出て道なりに進むと思いきや、街の外壁沿いに歩き始めた。
しばらく進むと、外壁の脇に、不自然なほど大きな木の塀が見える。
その木の塀の中には、古びた建物や、たくさんの人たちがいた。
ただ、街の区画のような雰囲気とは違い、整備もされていない。
さびれた村のようだった。街の横に、こんな場所があったなんて。
ガイフォンさんは、迷いなくその中へ入っていった。
村の中に入ると、村人はローブ姿の俺たちをジロジロと見て、明らかに敬遠している。
ガイフォンさんは、村の中にいた一人の杖をついた老人と何か話していた。
話している素振りを見ると、どうやら知り合いのようだ。
ガイフォンさんと、その老人がこちらに近づいて来た。
「ゲン爺、今言ったのがこいつだ。そういった理由でな、少しの間、ここにかくまってくれ。アデル、そういうことだ。この人はゲン爺。ここの長老みたいなもんだな。かくまっている間、お前は絶対に外へ出るんじゃないぞ」
「ゲン爺じゃ。ふむふむ、何やら大変なようじゃな。ここなら安全だ。ゆっくりとしていくとよい」
そう言うと、老人はほっほっほと笑った。
しわの刻まれた顔は、穏やかで深みがある。
「アデル、お前には聞きたい事がたくさんあるが、よく考えたら俺とクレスはすぐに戻らないとまずい。俺たちが、まっさきに疑われるからな」
たしかにそうだ。
俺と一番親しく、最近の魔人騒ぎで関わりを持っていたのは、クレスとガイフォンさんの二人だけだ。
すぐに戻らなければ、彼らが俺の脱走に関わったことが露見してしまうかもしれない。
そうして、ガイフォンさんとクレスは、名残惜しそうにしていたクレスを半ば引きずりながら、さっさと街に戻って行こうと歩き出していた。
だが、俺には伝えないといけないことがある。
「あの! ガイフォンさん! クレス!」
俺の声にガイフォンさんとクレスの足が止まる。
「ありがとう! 本当に……俺のために、こんな事に巻き込んでしまって……」
ガイフォンさんとクレスはきょとんとした表情で俺の顔を見ていたが、すぐに大きな声で応えてくれた。
「いいんだよ!」
「いいんですよ!」
彼らの笑顔に、心が救われる。……多大な罪悪感もあるが。
そして、二人を見送った後に、ぽつんと残る、俺とゲン爺さん。
ゲン爺さんは俺を見ながら、静かに、そして優しさを帯びた声で言った。
「ようこそ。わしらの街、スラムへ」




