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魔人の衛兵  作者: 水乃ろか


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第14話 ヴィオレットの恐怖

 魔人と思わしき衛兵を捕らえたヴィオレットは、魔人から予期せぬ言葉を浴びせられた。

 

『たしかに俺は魔人です。……ですが、俺が何をしたんですか? 何か、この街にとって悪いことをしたんでしょうか?』


 その問いは、ヴィオレットの強固な鎧の隙間を縫い、心の核を直接叩いた。


 当初、ヴィオレットはこれを魔人の詭弁、あるいは何かを試す意図的な挑発かと考えた。


 しかし、その声が、その言葉の響きが、ヴィオレットの脳裏に焼き付いて久しい過去の記憶を、あまりにも鮮明に呼び起こした。


 もう何年も、意識的に思い出すことさえ拒絶してきた幼い日の記憶。

 恐怖と絶望の中で、深く心の底に封じ込めていた出来事を。


 それは赤い眼として生まれてきたがゆえに、両親にも村人にも疎まれ、忌まれ、蔑まれた日々。


 何も悪行を働いていないのに、ただそこに“違う瞳”があるだけで、罪を背負わされた幼き自分。


『私が一体何をしたのか』


 ヴィオレットは、村の子供たちが無邪気に遊び、親に愛される姿を羨みながら、ずっとそう思っていた。

 ただ普通に生きたかった。特別なことなど、何も望んでいなかった。


『俺は魔人です。ですが、俺が何か悪いことをしたんでしょうか?』


 今、この捕らえられた衛兵が口にした言葉は、かつて森の中で独り泣きながら、天に向かって呪っていた、幼いヴィオレット自身の叫びと、寸分違わぬものだった。


 ――私は、私があの時された事と同じことを、今、この者にしようとしているのか?


 ヴィオレットの背筋に、激しい戦慄が駆け上った。

 

 自分は何をしようとしていたのだろうか。


 魔人という存在が持つ不確かな恐怖に支配され、無意識に“排除すべきもの”として見ていた。


 私はこの魔人――この衛兵の日常を壊そうとしていたのか。

 街を救った英雄と言われている事実も知りながらも、その英雄を、自分はただ恐れだけで、闇に葬ろうとしていたのか。


 善悪の判断ではなく、恐れという名の偏見で。


 ヴィオレットは意識が朦朧とし、激しい目眩に襲われた。

 視界が歪み、胃の底からせり上がる吐き気に、この場に留まることができなくなった。

 呼吸が浅くなり、胸を締め付ける苦痛に耐えられなかった。


「……その者を幽閉しておけ」


 辛うじて発した命令は、己の動揺を隠すための、精一杯の強がりだった。

 そう命じる声は震えていた。


 騎士にそう伝えると、ヴィオレットは、逃げるように部屋を出た。

 廊下に出て、どうやって自室まで戻ったか、その道のりを思い出すことができない。


 ――私は何をしているんだ。これでは、ユーリエに顔向けできない。私は何てことを……。


 自室に戻ると、重い金色の騎士鎧を乱暴に床に脱ぎ捨て、ヴィオレットは脱力するようにその場にへたり込んだ。

 鎧が硬い音を立てて倒れ、その残響が胸の中で反響した。


 全身の力が抜け、汗で張り付いた衣服が不快だったが、立ち上がる気力もない。

 彼女を突き動かしてきた『平等性への執着』と、今犯そうとした『不平等』な裁きの罪悪感が、全身を鉛のように重くしていた。


 しばらくして、ドアのノックの音で、思考の淵から引き戻される。


「……入れ」


 辛うじて身だしなみを整え、威厳を繕って答える。

 入室したのは、ヴィオレットに仕える騎士の伝令だった。


「団長、二点ご報告がございます。ひとつは、あの魔人についての調査結果でございます。急ぎ故、簡素な内容ではございますが」

「ほう、どうだった?」


 ヴィオレットは感情を押し殺した声で尋ねた。


「はっ。魔人は衛兵としてフィーンズ国に勤めておりました。名前はアデル。この街の出身ですが、孤児院の出身にて、その孤児院も既に無く、素性の詳細は不明です。犯罪歴は一切ございません。また、これと言った特徴も見受けられませんでした」

「あまりに何も情報が無いな。間者や刺客の可能性が高いという事か」


 ヴィオレットはそう言いながら、報告通りの『特徴のなさ』が、逆に魔人の日常の証であるような気がして、胸がざわついた。

 彼に悪いことをしたという確たる証拠がない。ただ、それだけだ。


「で、もう一つの報告は?」

「はっ。先ほど、魔人が移送されました」

「移送? 私は何も指示を出していないぞ。誰の指示だ?」


 ヴィオレットは眉をひそめた。


 いったい誰が? 何を勝手な真似を。


「え……宰相様から、団長の許可を経て移送命令が来ているとの話でしたが」

「宰相だと!? 私はそんな許可は出していない! 魔人をどこに移送しているんだ!?」


 宰相ガルバルド。

 王が病に臥せた後、この国の実質的な支配者だ。

 騎士団は宰相の管轄ではないが、宰相の息のかかった貴族出身の騎士が多くいるのも事実。


 自らの権限を使い、勝手に命令を下したのだ。

 ヴィオレットの腹の底から、激しい怒りが煮えたぎった。


「処刑場です。間もなく着く頃かと」

「……処刑場だと? 正気か! 何をする気だ!?」

「命令としては即刻処刑せよとお達しでございましたので……」

「そんな命令は出していない! すぐ止めよ! ……いや、私が、行く!」


 ヴィオレットは急ぎ身を包み、自室を飛び出した。

 馬丁に馬を呼ぶよう怒鳴りつけ、処刑場まで馬を走らせる。


 背後からは数人のヴィオレットの側近の騎士が慌てて後を追ってきている気配があったが、彼女はそれを気に留める余裕もなかった。


 ヴィオレットは焦っていた。

 あの衛兵を、何も分からないこの状況で、死なせてはならない。

 このままでは、最も嫌う『不平等な扱い』に加担したことになり、自分の全てが崩れ去る。


 しかし、道の進む先から立ち上る黒煙に、ヴィオレットは動きを止めた。


 煙は濃く、空へと勢いよく昇っている。不穏な騒がしさに、彼女は馬をさらに加速させ、煙の立ち上る場所へと駆け寄った。


 現場に到着すると、通りは黒煙が充満しており、大勢の騎士たちが倒れ伏していた。

 煙は護送の馬車からも出ており、周囲は焦げた匂いが立ち込めている。

 幸い、倒れている騎士たちに大きな被害はないようだった。


「何があった!?」


 馬から飛び降り、近くにいた騎士に声を張り上げるヴィオレット。

 その騎士が慌てて振り返る。


「あ!? えと、襲撃です! 魔人がさらわれました!」

「襲撃だと!? 何をしてたんだ! 魔人はどこに行った!?」

「そ、それが……煙のように消えてしまって……たぶん、あちらの方かと!」


 騎士が指さした方向は、まさにヴィオレットが今駆けてきた道だった。


「……何?」


 行き違いになったのか? くそ、焦って道中の周囲に気が配れていなかったのか。


 ヴィオレットはすぐに追いかけようとしたが、護送車の壊れようが妙に気になった。


 砕け散った護送車に駆け寄り、目視で確認した。

 車体の一部が外側から爆発物の衝撃で破られていた。


 魔人が檻を力で捻じ曲げたような跡も無く、おぞましいマナの残滓も無い。

 魔人が暴れた結果ではない、ということが明らかだった。


「もしや、仲間が居たのか? 油断したか……」


 いや、先ほどの騎士は『さらわれた』と言っていた。

 魔人の仲間が助けたのではなく、他者に連れ去られたような言い方だ。


「おい、なぜさらわれたと分かったんだ!? ……ん? どこにいった?」


 先ほどヴィオレットに報告していた騎士の姿は、そこに既に無かった。


 まるで煙のように、忽然と。

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