第11話 絶望のヴィオレット
エルフの冒険者ユーリエに保護されたとき、ヴィオレットはまだ幼く、自分がなぜ見知らぬ地に置き去りにされたのかも理解していなかった。
だが、ユーリエはヴィオレットの赤い瞳と、遠く離れた場所で独りだったという状況から、彼女が捨てられた子であるとすぐに察した。
このまま村に返せば、再び同じ運命を辿る、いや、最悪の場合、その命さえ奪われかねない。
そう考えたユーリエは、憐れみと、そして一種の運命的な出会いだと受け入れ、ヴィオレットを引き取った。
しかし、長年の生きてきたエルフであり、魔法使いでもあるユーリエは、ヴィオレットがただの子どもではないことにすぐに気づいた。
「黒くてふわふわしたものが見えるの」
ヴィオレットがそう告げたとき、ユーリエの胸はざわついた。
ヴィオレットは、その『ふわふわ』を体に纏うことで、並外れた膂力を得ているようだった。
それは、万物に宿る力の源――マナ。
マナを操り魔法を使うユーリエでさえ、マナを可視化することはできない。
この娘は、その根源を見ることができる。
その事実は、ヴィオレットの持つ強さが、制御を誤れば自身にも周囲にも甚大な危険をもたらすことを示していた。
ユーリエはヴィオレットにマナの制御、そしてこの過酷な世界で独りでも生き抜く術を教え込んだ。
こうして、ヴィオレットはユーリエの背を追うようにして、冒険者としての道を歩み始めた。
ユーリエの傍で過ごす日々は、ヴィオレットにとって、それまでの生活からは想像もできない幸福の極みだった。
ユーリエは彼女を特別扱いせず、ただ一人の子どもとして、一人の人間として接していた。
その日常を、ユーリエはいつも「普通のことだよ」と言った。
ヴィオレットは知った。『普通』が、これほど暖かく、幸せなものだとは。
ヴィオレットの眼帯も、ユーリエからの贈り物だ。
街を歩けば、ヴィオレットの赤い瞳は好奇の目に晒され、時に心ない言葉で揶揄された。
ユーリエはそれを許せなかったが、ヴィオレットの心が傷つくことを最も恐れた。
「これを着けていれば、少しは気が楽になるだろう」
そう言ってユーリエに渡された黒い眼帯は、子どもに付けるには重々しいものだったが、ヴィオレットは宝物のように喜んだ。
それは、ユーリエの優しさの証。
ヴィオレットは今日に至るまで、その眼帯を大切に身に着け続けている。
時は流れ、ヴィオレットはユーリエのもとで一人前の冒険者へと成長していた。
そんなある日、一つの依頼の最中に、二人は離れ離れになってしまった。
街中を探し、周辺の森を何日も彷徨ったが、ユーリエは見つからない。
もしかして、誰かに……最悪の事態が脳裏をよぎる。
その時、ヴィオレットはユーリエとの決め事を思い出した。
『もし、何かの拍子で離れてしまったら、目印となる街で必ず落ち合おう』という言葉を。
それが、フィーンズという名の街だった。
ヴィオレットはフィーンズを拠点とし、ユーリエを待ち続けた。
数年が経過しても、愛しい師は一向に姿を現さない。
ただひたすらに再会を願いながら、彼女は冒険者として生計を立て、ユーリエの情報を探した。
多くの冒険者に聞き込みをしたが、「そんなエルフは知らない」という返答ばかりだった。
そんな彼女に、ある日、フィーンズ王国の騎士団から模擬戦の招待が届く。
本人は自覚していなかったが、ヴィオレットは既に街一番の実力者として、その名を轟かせていたのだ。
ユーリエの捜索に王族や貴族の協力を得られないだろうか。
ただその一心で、ヴィオレットは模擬戦に参加し、勝利を収めた。
全ては、ユーリエのために。
そして、その結果はヴィオレットの想像を遥かに超えるものだった。
国王みずから、騎士団長の座を、という破格の依頼。
「なぜ、私が……?」と戸惑いながらも、ヴィオレットはいくつか条件を提示した。
その最優先事項こそ、ユーリエの探索協力だった。
国王の了承を得て、ヴィオレットはフィーンズ王国の騎士団長となった。
当初、騎士団内部だけでなく、貴族たちからの反発は凄まじかった。
平民の、しかも女性、そして怪しげな眼帯の騎士団長。
しかし、彼女が率いる騎士団が魔獣討伐で次々と功績を上げ、大量の魔石が国庫を潤し始めると、彼らは皆、手のひらを返したように態度を変えた。
騎士団長としての仕事がないときは、ヴィオレットは街中をうろついた。
ユーリエの情報を探すため、そして騎士団の責務として街の平和を守るため、ついでに美味しいものを食べるためだ。
この街で目を引くのは、冒険者、中でも異世界から流れ着いた転生者たちだった。
彼らはヴィオレットの赤い瞳のように、特別な力を持つ者が多い。
そして、その力ゆえに問題を起こすこともまた多かった。
その日もまた、広場で転生者たちが問題を起こしていた。
ヴィオレットが街を歩いていると、遠くで建物が崩れる轟音が響き、彼女は即座に現場へ駆けつけた。
転生者同士の喧嘩の余波で、ヴィオレットが駆けつけて来た時には建物の屋根の一部が落ち、その下に居た小さい女の子を衛兵が助けていたのが見えた。
ヴィオレットは激しい怒りに、奥歯をギリッと食いしばった。
己の力に溺れ、周囲の迷惑を顧みず、平穏な日常を不幸の渦に叩き込む者たちが、ヴィオレットは心底許せなかった。
同時に、驚く事が起きた。
少女を身を挺して助けた衛兵は喧嘩をしている転生者を止めようと、無謀にも力で抑え込もうとしていた。
一般兵が転生者に敵うはずもない。衛兵はあっという間に吹き飛ばされた。
このままでは衛兵の身が危ない。
ヴィオレットは咄嗟に動いた。
衛兵としての責務を全うしようと、その身を賭して市民の安全を守ろうとした、あの衛兵を救わなければ。
吹き飛ばされた衛兵を間一髪で受け止め、同時に暴れていた転生者を叱責し、戦いを止めた。
衛兵はヴィオレットに感謝したが、ヴィオレットは街の安全を身を挺して守ってくれた衛兵に申し訳ない思いがしていた。
本来であれば、我々がこの街を安全に敷くべきだったのに。
そして、その翌日。
騎士団長として街を安全に敷く、最大の責務を果たす時が来た。
ヴィオレットは命令を受け取った。
騎士団、そして街全体へ向けた迎撃の命令。
街に魔獣の大軍が侵攻しているという。
ヴィオレットは、街の丘の上に建つ城から、進軍してくる魔獣の群れを見下ろした。
――信じられない光景だった。
それは、見たこともないほど巨大な魔獣だった。
遠く離れたこの場所からもはっきりと視認できる、生きた山のような巨体。
あれを、人が倒せるというのだろうか?
脳裏に恐怖がよぎる。
しかし、選択肢は一つしかない。
『民を護る』。
それが、ヴィオレットの全てだった。
騎士団長用の黄金色の装甲を纏い、軍馬に跨る。
騎士団を率いて街の外に出ると、既に先兵と魔獣との間で開戦していた。
しかし、問題はやはり巨大魔獣だった。
ヴィオレットや転生者のような力ある者たちを全て結集し、ようやくその進行を阻むのが精一杯だった。
すると、城にいる『王の盾』と呼ばれる魔術師が、街の周囲に結界を張り巡らせるのが見えた。
大量の魔石を代償に、民を守るための最後の防壁。
結界が張られ、安堵したのも束の間、巨大魔獣の歩みが唐突に止まった。
魔獣はゆっくりと口を開け、その内部にマナが収束していくのが見えた。
「マナを集めている……? 何をするつもりだ……?」
嫌な予感、という生易しいものではない。
危機感がヴィオレットの全身を焼く。
今すぐ、この魔獣を止めなければ。
しかし、全力の力を以てしても、巨体の動きを止めることはできなかった。
すると、巨大魔獣の口の中で、収束したマナが圧縮され、急激に膨れ上がっていくのを感じた。
――何かするつもりか……? あれはっ!?
「伏せろおおおぉぉぉぉっ!!!」
ヴィオレットの叫び声と同時に、巨大魔獣の咆哮が街に向かって放たれた。
『王の盾』が張った結界を簡単に破り、街が爆炎に包まれたのが見える。
……なんなんだ、こいつは!?
焦りが、絶望へと変わる。
すぐに倒さなければ。
だが、どうやって……?
巨大魔獣には、矢も魔法も、渾身の斬撃も、まるで効いているようには見えなかった。
そして最悪な事に、巨大魔獣の口にマナがまた収束しているのが見えた。
……いや、もっと最悪な出来事は続いて起こった。
ヴィオレットの心の中はすでに絶望の状態だったが、更に絶望を超える絶望が待っていた。
左翼の森林に突然、巨大な人型の魔獣がもう一体現れた。
本当に突然だった。あれほど巨大なものが、なぜいきなり現れるのか。
その人型の巨大な魔獣は、ヴィオレットのように身体中にマナを宿していた。
しかも、けた違いの大量のマナを。
しかし、ヴィオレットとは大きく異なる点があった。
人型の巨大な魔獣が纏うマナは、ヴィオレットが幼い頃から見てきた黒いふわふわとは似ても似つかない。
それはまるで地獄の業火の様に燃え盛る、おぞましいマナの塊だった。




