第10話 ヴィオレットの追想
フィーンズ王国に、その騎士はいた。
騎士団を率いる女騎士――ヴィオレット。
たなびく金髪と、片目を覆う黒い眼帯。
人々はいつしか、彼女をこう呼ぶようになった。
『眼帯のヴィオレット』、と。
今でこそ騎士団長として名を馳せているが、ヴィオレットは貴族でもなければ、騎士の家系でもない。
元は辺境を流浪していた一介の冒険者に過ぎなかった。
ましてや、女性の身であり、戦いに不利な片目である。
なぜ彼女が、国内の騎士や貴族が夢に見る騎士団長の座にいるのか。
それは、彼女の持つ絶対的な、そして異質な強さに起因する。
彼女の膂力は尋常ではない。
細くしなやかな腕からは到底生まれるはずのない、想像を絶する剛力は魔獣をも叩き伏せる。
この異常な力を持ちながらも、彼女は転生者ではない。
そして、この世界に流れ着いた異世界人である転生者たちでさえ、その剛力の前では戦慄し、恐れをなした。
また、ヴィオレットの言動も周囲の評価を高めた。
無駄口を叩かず、必要以上のことは一切話さない。ただ、目の前の悪行や不条理に対しては、有無を言わさぬ暴力で対抗する。
しかし、仲間を決して見捨てない。その姿は、高潔な正義感に満ちた人物と見做された。
その噂がフィーンズ王の耳に入ったのは、当時の騎士団長が引退するという事が決まった頃だった。
王はすぐさまヴィオレットを騎士団へ勧誘した。
しかし、彼女はあっさりとそれを拒否した。誰かに強制されることを嫌ったからだ。
だが王は、ヴィオレットを手中に収めることを諦めなかった。
フィーンズ王は、国内の有力貴族によって要職を牛耳られ、国政が滞り始めていた。
このままでは国内が混乱する。
王は、どの貴族の庇護にも属さず、王にのみ仕える独立した強力な駒を必要としていた。
それがヴィオレットだった。
王は貴族たちを封じるために一手打った。
引退する団長の後釜として、ヴィオレットに『騎士団長』の職位を提示したのだ。
そして、その資格を示す場として、城中を巻き込んだ大規模な模擬戦を開催した。
結果は、もはや勝敗という言葉で表すには生ぬるいものだった。
ヴィオレットは圧勝した。
城中の名だたる騎士たちが、一人として彼女の足元に及ばなかった。
一対一では、誰も彼女の持つ圧倒的な剛力と異様な速さについていけなかった。
そして、その戦いの後。
ヴィオレットは倒した相手に手を差し伸べ、「すまない」「大丈夫か?」などと声をかけ、心からの敬意を払った。
口数は少ないが、その所作には平民らしからぬ品位と、騎士道を体現したような高潔さがあった。
圧倒的な強さと、眼帯が逆に際立たせるその美貌、そして見下すことのない優しさに、騎士たちは彼女を認めざるを得なくなった。
貴族たちも同様に、彼女を己の勢力に取り込もうと画策し始めた。
残る問題は一つ。
ヴィオレット自身が、この騎士団に入る意思があるかどうかだった。
元々、騎士団への勧誘を断っていたが、褒美を出すから模擬戦だけでも出てくれという事で出場していた。
王は、事前に掴んでいた彼女の『弱点』を突いた。
模擬戦の後の労いとして、ありったけのご馳走を用意させたのだ。ここでヴィオレットは胃袋を掴まれてしまった。
ヴィオレットはここまで美味しい物を食べた事がなかった。流浪の冒険者として生きてきた彼女にとって、城の料理は別次元の美味さだった。
無敵のヴィオレットに膝をつかせたのは騎士ではなく、城の料理長だった。
ヴィオレットは心が揺らぎながらも、最後の矜持として幾つかの条件を王に突きつけた。
ヴィオレット自身、王が絶対に受け入れられないだろうと思っていた条件を。
その中の一つとして『王の命令であろうと、私が不本意と見なした戦いであれば、不参加とする』というものがあった。
それは、国が民を脅かすような戦を起こすならば、私は敵対する側に立つ、という意思表示にも等しい。
そして、側近たちが猛反対する中、王はあっさりとこの条件を了承した。
ヴィオレットは、実のところ世間に評価されているような『正義感』で動いているわけではない。
彼女を突き動かしているのは、ただの平等性への執着だった。
『普通に普通が良い。特別な事など、必要は無い』
彼女はただ、そう願っていた。全ての人々が享受しているはずの、当たり前の日常。
ただ、それだけが望みだった。
そう思うようになったのは、彼女の幼少期の記憶からだった。
眼帯の理由にもなっているが、ヴィオレットの右目には異質な特徴があった。
赤く、瞳は爬虫類のように縦に長い。
生まれた時から両親は彼女を『魔獣の子』と恐れ、愛情は一切なかった。
それでも、小さな村では子供も貴重な労働力だったため、村人にもさげすまれる中、彼女は生かされた。
ヴィオレットは村の子ども達がうらやましかった。
親たちから愛される様を見て、子どもが友達と遊ぶさまを見て、自分も皆みたいになりたい。
ただ普通に愛し、愛されたい。幼児が、夢にまで見た願い。
ヴィオレットが唯一孤独を忘れられたのは、大気中に浮かぶ、ふわふわとした黒いものと戯れているときだけだった。
彼女の赤い右目には視力はない。
しかし、その黒いふわふわだけを捉えることができた。
物心ついた時から見えていたので、皆も見えるものだと思っていたが、両親に黒いふわふわの事を話すと気味悪がられて殴られて以来、口を閉ざした。
そこでヴィオレットは気づいた。
この黒いふわふわが見えるのは、自分だけなのではないか、と。
ある日、彼女はそのふわふわを身体に纏うことで、いつもの畑仕事や水運びが格段に楽になることを発見した。
これでたくさんの仕事ができれば、両親も喜んでくれるかもしれない。
そう思い、彼女が黒いふわふわを操り、懸命に仕事に精を出していた。
しかし、ある日に事件は起きた。
村に一頭の大きな狼が襲いかかってきたのだ。
その時の彼女は、それが『魔獣』だったことを知らなかった。
狼はあっという間に村の塀を破り、人々を襲い始めた。
大人が槍で応戦するも、次々と餌食になっていく。
恐怖に震えながら村の隅に隠れていたヴィオレットは、狼が両親の家の壁を破り、侵入していくのを目撃した。
「お父さん! お母さん!」
ヴィオレットは叫び、家へ飛び込んだ。
狼はすでに両親の目の前に迫っていた。
無我夢中だった。
彼女は全身に黒いふわふわを纏い、咆哮を上げる狼へ向かって突進した。
小さな女の子が、魔獣に適うはずもない。
刹那。
家中に、鮮血が飛び散った。
ハァハァと荒い息を吐きながら、ヴィオレットは両親を見た。
父と母の二人は怪我をしていないようだった。
安堵したヴィオレットの顔に、無邪気な笑顔がこぼれる。
だが、両親の顔は恐怖に凍り付いていた。
その小さな娘は、血に塗れた素手で、魔獣の首を引きちぎっていた。
ヴィオレットは、父と母の瞳に宿った恐怖の眼差しを、忘れることができなかった。
その数日後、両親は初めてヴィオレットに、優しげな声で「出かけるからついてくるように」と告げた。
生まれて初めての誘いに、彼女はこれ以上ないほどの喜びを感じた。「こんな嬉しいことがあるのだろうか」と、胸が高鳴った。
初めて荷馬車に乗り、村から離れるのは初めてのことだった。
道中の見慣れない景色に目を輝かせ、キョロキョロと辺りを見回してしまった。
そして黒いふわふわは、どこにでもいることも知った。
荷馬車が止まったところで、意識を起こした。
いつの間にか荷馬車で寝ていたようだ。
そして父から言われた。
「ここらへんの山菜を探しておくれ。できるだけ、たくさんね」
いつもより優しいその声に、ヴィオレットは張り切って森へ入っていった。
褒められてもらえる様に籠いっぱいに山菜を積み、荷馬車が止まっていた場所に戻った時、彼女は凍り付いた。
荷馬車が、消えていた。
いや、たしかにここにあったのに。
なぜ突然、荷馬車が消えちゃった? お父さんとお母さんも?
ヴィオレットは焦った。
後になって、この時の事を思い出したヴィオレットは理解した。
その時、自分は捨てられたのだと。
突然の出来事に、子どものヴィオレットはどうすることもできず、ただ森の中でむせび泣いた。
すでに夕暮れが迫り、闇が広がり始めている。
村から遠く離れた、見知らぬ森の中で、たった独り。
孤独と恐怖、獣と闇に、涙と嗚咽は止まらなかった。
その時だった。
「子ども? 大丈夫か? 一人か?」
いつの間にか、背後に知らない大人が立っていた。
驚いたが人の声を聞けたことに安堵し、ヴィオレットは再び声を上げて泣きじゃくった。
その女性は、森を進んでいるうちに、子どもの泣き声を聞いて駆け寄ってきたらしい。
それが、ヴィオレットの生涯の恩人であり、冒険者としての師匠であり、そしてヴィオレットが『お母さん』と呼ぶことになる、エルフの冒険者、ユーリエとの出会いだった。




