沈黙の玉座と三つの声
王都ロメリアに圧倒的な存在感を誇る王宮、その内部、とある私室。
玉座の裏手、限られた王族だけが使うことのできるその空間に、三人の兄妹が集っていた。
第一王子・ルキディウス=デストリア。
第一王女・クラリス=デストリア。
そして第二王子・アルヴィス=デストリア。
「──レオン=グランヴェールが、追放処分となったな」
その一言で、空気が変わる。
「……本当に、処分が通ってしまったのね」
椅子の肘掛けを握るクラリスの指先には、怒りが滲んでいた。
「あの裁定は、出来レースよ。
証拠も何も、都合のいい“報告”だけを積み重ねて……!」
ルキディウスは唇に指を当て、静かに息を吐く。
「父上──国王陛下も、あえて動かなかった。
“この程度では王が口を出すまでもない”という態度だ」
「では……お兄様も、“見ているだけ”?」
「まさか」
ルキディウスは目を細め、窓の外に視線を送る。
「私は、“そのために手を打っていた”つもりだよ。
彼のような男が、ただ潰されるのを見過ごすなんて──まっぴらごめんだ」
アルヴィスが、小さく頷く。
「僕も、彼のことは理解しているつもりです。
不器用ですが誠実で、決して剣を誇らず、背中で語る男ですよ」
「……本当に、そうなのかしら?」
クラリスがぽつりと呟いた。
「セシリアが、以前こっそり言っていたの。
“レオン様は、すぐに人の名前を忘れてしまうんです”って」
「ふふ……彼、そういうところありますね」
アルヴィスが苦笑を浮かべる。
「礼儀や社交ではなく、“目の前の人そのもの”を見るんだろう。
──名も、地位も関係なく」
「……わたくし、その時、思ったのよ?」
クラリスはそっと目を伏せ、静かに言葉を継いだ。
「そんな不器用で愚直な男なら、いっそわたくしが助けて差し上げてようかしら? ──って」
ルキディウスとアルヴィスが顔を見合わせる。
「……どういう意味だ?」
クラリスはわずかに顎を上げ、凛とした声音で言い返した。
「誤解しないでちょうだい。すべてはセシリアのためよ」
そして、机に積まれた書簡に視線を落としながら続けた。
「あの人は、名前にも、地位にも縛られなかった。
人を“ありのまま”に見ていたの。
セシリアを、“器”ではなく、“ひとりの少女”として──ね」
「だからわたくしにはわかるのよ。
今、セシリアがどれほど苦しんでいるか。
……誰よりも、自分を閉じ込めてしまっているってことくらい」
空気が張り詰めた。
アルヴィスが一歩進み出て、言葉を重ねる。
「──彼女は、閉ざされた聖室にいます。療養の名のもとに、事実上の隔離です」
「手紙も検閲され、返事すら届かない状態だと?」
「その通りです。姉上からの手紙も、最近は届いていないようでした。
彼女からの返事は……一通も、届いていませんよね?」
クラリスの眉が震えた。
ルキディウスは、黙ったまま窓の外を見つめていた。
「王国の均衡は、いま壊れかけている。
星神教会と王家、騎士団、それぞれの力のバランスを誰が保つのか……。
このまま“器”を使い潰す道を選べば、いずれ国家そのものが崩れる」
「そんなこと……!」
クラリスが叫びそうになるのを、アルヴィスが手で制した。
「兄上。僕は、動きます。
彼女をこのまま閉じ込めておくなど、あってはならない」
「……方法は?」
アルヴィスは、ゆっくりと視線を上げる。
「シエル=ノヴァリスと話をしました」
その名に、クラリスの目が見開かれた。
「あなた、第五に頼むつもり?」
ルキディウスが、小さく笑った。
「やれやれ。君たち、本当に優しいんだな。
……でも、いいだろう。可愛い弟妹たちのためでもある、私も協力しよう」
「お兄様……!」
「私にできることは、なんでもするよ」
そう言って微笑んだその目は、どこまでも冷静だった。
「そうだね、こういうのはどうかな。
明日の夜、東門側に儀式妨害の情報が入る。教会側は北路の警備を一部減らすはずだ」
「まさか、それって……」
「偶然、ということにしておいてくれ」
ルキディウスはさらりと答えながら、机に置かれた盤の駒を一つ、静かに倒す。
それは、紅牙の紋が刻まれた“紅の騎士”。
「……その時、誰かが動いても、私の知るところじゃない。
ただし──それが“うまくはまった”なら、次の一手も打ちやすくなる」
その瞳には、どこか“遊び”にも似た色が宿っていた。
クラリスが呆れたようにため息をついた。
「……本当に、腹黒いわね」
「褒め言葉だと思っておくよ」
アルヴィスが、懐から手紙を取り出す。
「姉上から預かった手紙、必ずセシリアに渡します」
クラリスは、ほんの少しだけ、微笑んだ。
「ええ、お願いね。わたくし、あの子にはいつも笑っていて欲しいの」
沈黙の玉座の背後で、三つの声が密かに交わされた。
それは、まだ夜の深い王都に、小さな革命の灯をともすものだった。