追放の報せ、揺れる聖女
朝の光は届かない。
星神教会の奥──“聖室”と呼ばれるその部屋で、
セシリア=ルクシアは、誰にも届かぬ祈りを胸に抱えていた。
風のない空間。封じられた扉。
外の気配は薄く、足音すら届かない。
胸の奥で光がざわめく。過出力の兆候——“暴走”。
セシリアは息を整え、祈りを形式から意思へ切り替える。
「静まって。……わたしの光」
印が微かに明滅し、波は引く。暴れる加護を自分の言葉で鎮めた。
療養と名付けられた、実質の軟禁。
自分の身体に異常はない。それなのに、なぜここに留められているのか──
その理由を尋ねようとするたび、「聖女様のお体を案ずるゆえに」という同じ答えが返ってくる。優しげな嘘が、檻の鍵になっていた。
机の上には、一通の手紙があった。
送り主は、第一王女クラリス=デストリア。
『無理はなさらずに、と言いたいところですが。
……何かあれば、わたくしが助けて差し上げてもよくってよ?』
その文面に、微かに笑みが浮かぶ。
クラリスは、セシリアにとって無二の友だった。
幼き頃より、ともに魔力の制御を学び、時にその暴走を支え合った。
礼儀よりも、気遣いよりも、先に言葉が飛び出す不器用な姫君。
けれどその根は、誰よりも優しく、真っ直ぐで──温かい。
何度も返事を書いた。けれど、一通として届いた気配がない。
(もしかして、わたしの手紙……検閲されて、止められている?)
そんな疑念が胸に渦を巻く頃──扉の外に、足音が届いた。
「第二王子、アルヴィス=デストリア殿下がお見えです」
扉が静かに開かれる。
差し込む空気に、どこか懐かしさが混じっていた。
教会への監察役という立場──それが、アルヴィスにだけ許された例外だった。
「ご機嫌よう、セシリア。少し、時間をもらっても?」
変わらぬ穏やかな声。
けれどその背に、何かを決意した者の気配があった。
「……アルヴィス様。何か……あったのですね?」
沈黙のまま、彼はひとつの報せを口にした。
「レオン=グランヴェールが、追放された。
──裁定の間にて、処分が正式に下された」
時が、止まったようだった。
「……そんな……どうして、レオン様が……?」
問いかけは、風に消えた。
答えはない。もう、決まっていたことだったのだ。
「正当な理由なんて、もう誰も必要としていない。
……最初から、そう決まっていたんだ」
アルヴィスの言葉に、セシリアは震えた唇で問う。
「誰か……誰か、声を上げてくれたのですか……?」
「……彼を守ろうとした者は、いた。だが……足りなかった」
その現実が、鋭い針のように胸を刺した。
誰も守れなかった。
誰も抗えなかった。
自分さえ、何もできずに、こうして閉ざされた部屋にいる。
その時だった。
アルヴィスが、そっと差し出した一通の封筒。
「これ……クラリスから。最近また送った手紙だよ」
セシリアは手を震わせながら封を解く──そして、言葉を失う。
「……これ……わたし……前にも、読んだことが……」
アルヴィスは静かに頷いた。
「姉上は、君から返事がなくなったのを気にしていてね。
何通も、ほとんど同じ内容で手紙を出しているって言ってた。
……でも、君のもとには“その一通”しか届いていないみたいだね」
衝撃が、心を締めつけた。
やはり、自分は……閉じ込められていたのだ。
表向きには聖女。けれど、その実は“器”として保管されていたに過ぎない。
──じゃあ、わたしはなんのために祈っていたの?
彼女の手が、机の中から一通の手紙を取り出す。
それは、封もせず、大事に抱えていた返事──クラリスへの手紙だった。
震える指先で、それをアルヴィスに差し出す。
「この手紙だけは……届けてほしいのです」
アルヴィスは、静かにうなずく。
「必ず渡そう。君の“想い”を、曲げずに」
その言葉に、セシリアはようやく、小さく息を吐いた。
そして──立ち上がった。
「……わたしは、誰かに祈られるだけの存在じゃない。
わたし自身の意思で……この道を選びたい」
(あの声が、何も告げてこない──それが、何よりも怖い)
星神印が、淡く光る。
それは“星の器”の証──だが、今の彼女はもう、“誰かの器”ではなかった。
それは、誰かに選ばれた証ではなく──
誰かを想う心が、静かに生み出した、ひとつの灯火だった。
★
> 親愛なるクラリスへ
>
> あなたがわたしを想ってくれていること、あの日の手紙で、たしかに感じました。
> ……ありがとう。本当に、ありがとう。
>
> わたしは今、祈りの中で、自分自身と向き合っています。
> 星の声は、まだ沈黙したまま。でも、それでもわたしは、大丈夫です。
>
> あなたと過ごした日々が、わたしの支えになっています。
> あなたが笑ってくれたこと、励ましてくれたこと。わたしには、忘れられません。
>
> 今のわたしは、きっと、少しずつでも変わっていける。
> それが誰かのためでなく、自分の意志であってもいいのだと、そう思えるようになってきました。
>
> 心配しないでください、クラリス。
> わたしは、“わたし自身”を取り戻しつつある気がします。
>
> もしもまた会える日が来たら、あの頃のように笑い合えますように。
>
> クラリス、わたしはあなたが大好きよ。
>
> あなたの友 セシリアより