幕間:沈黙の玉座と三つの声2――揺らぐ均衡の中で
王都ロメリア――中央区、王宮。
冬を越えたばかりの静かな陽光が、広々とした玉座の間を淡く照らしていた。
窓の外では、ほころび始めた木々の芽が、春の兆しを告げている。
王政の中枢にして、世界の均衡を支える玉座の間。
そこに在るべき王の姿は、まだない。
だが、玉座の背後には、三つの影があった。
ルキディウス=デストリア。
クラリス=デストリア。
アルヴィス=デストリア。
グラン=デスト王国の王子王女――王家の三つの声が、今、再び揃っていた。
★
「……やはり、動き出したか」
手元の文書を静かに置きながら、ルキディウスが呟いた。
そこには、冒険者ギルドから送られた報告書が添えられている。
「未確認の召喚痕跡、“星刻”と呼ばれる古代術式の名が記されていたわ」
彼女の手には、一冊の綴じられた文書がある。
「文面のまとめ役は、ミリア=ルヴェール。
とても丁寧な構成だった。内容にも抜けがない。あの歳でこれほど……。
このレベルは王宮の文官にもなかなかいないわ」
感嘆混じりに呟いたクラリスに、ルキディウスが応じる。
「……ルヴェール。
聞いたことがある名だと思ってはいたが──まさか、セオドア=ルヴェールの縁者か?」
その名に、クラリスとアルヴィスが驚きに目を向けた。
「兄上、ご存知なのですか?その名の人物を」
「セオドア=ルヴェールとは王立学院の時期が1年間だけ被っていたんだ。
──法学徒としての才覚に加え、義にも熱い男だったから、一時期側近候補として考えていたこともあってね。
だが、星神庁に入った後……ある命令を拒み、離反したと聞いた。
それ以来、行方知れずだったはずだ」
言葉を区切ったルキディウスの瞳には、微かな悔恨の色が浮かんでいた。
「星神儀式に関する記録管理の部署にいたはずだ。
……私はこう思ってるんだ。
彼は“何か”を知ってしまったのではないかと。知るべきでなかった何かを――」
しばし沈黙が流れる。
それを破ったのは、アルヴィスの問いだった。
「……ルヴェール家は、確か教会系の名門だったと記憶しています。
彼女──ミリア=ルヴェールについて、姉上は何か知りませんか?」
クラリスは首を振る。
「直接の面識はないの。けれど、才女としての噂は、学院時代から耳にしていたわ。
報告書の文面にも、それが表れている」
静かに頷いたルキディウスが、アルヴィスに教会側の動きを尋ねる。
「北区の大聖堂では、何度か“非公開の異端審問会”が開かれています。
ガリウス筆頭審問官が自ら主導しているようですね。
また、典礼院が下位巫女の配置を再調整し始めました。
おそらく、“新たな聖女”の擁立を見越した布石でしょう」
その声は低く、だが明瞭に場を切り裂いた。
「セシリアが姿を消してから――もうひと月以上が経ちました。
星神庁は沈黙を貫いたままですが……それそのものが、異例です」
アルヴィスの声音に、微かな疑念がにじむ。
「沈黙とは、しばしば、最大の警告であることもありますから」
クラリスが瞳を伏せ、息を吐いた。
「……セシリアを追い詰めたのは、わたくしたちの沈黙でもあったわ。
“器”という名の運命に、誰も抗えなかった。
でも、あの夜を越えて、彼女はまだ、生きている」
アルヴィスは静かに頷いた。
その瞳の奥には、決意と、わずかな迷いが混じっていた。
「……父上はなんと?」
アルヴィスが問いかけると、ルキディウスが首を振った。
「沈黙を保っておられる。ただ、各方面からの報告は目を通されているようだ」
王の名は語られぬまま、しかし王の意志は、そこに在る。
誰よりも厳しく、誰よりも静かに、世界の変動を見据えている男――グラディウス王。
「……均衡は、崩れ始めている」
ルキディウスの声が、玉座の間に響いた。
「教会、王政、各ギルド――
それぞれの“均衡”が揺らぎ始めたこの時代に、
我々王家もまた、ひとつの選択を迫られている」
その言葉に、クラリスもアルヴィスも、黙して応えた。
「レオンたちは、きっと何かを掴んで帰ってきます」
アルヴィスが言った。
「その時――僕たちは、“立つべき場所”を間違えてはいけません」
クラリスがそっと頷く。
その瞳には、親友への祈りと、自らの責任が混じり合っていた。
★
玉座の背後。
円卓の影に置かれた盤上の駒が、一つ、動いた。
ルキディウスの指先が、銀に輝く獣の駒を静かに弾く。
音もなく、それは盤の中央へと進んだ。
王家の三つの声に、新たな決意の気配が、確かに芽生えていた。
世界が、変わり始めている。




