裁定の間、追放の宣告
裁定の三日前──王国騎士団第二司令部、深夜。
暗闇に包まれた会議室に、三つの影が蠢いていた。
「グランヴェール二等騎士の件だが……」
低い声が闇を裂く。
「独断専行が過ぎる。指揮系統を乱す存在だ」
「魔力を持たぬ異端者が騎士団にいること自体、士気に悪影響を与えている」
三番目の声──年配の司令官が、重々しく告げた。
「適当な理由をつけて排除しろ。報告書の件は既に手配済みだ」
「北方任務での行動を問題視すればよい。証拠は十分に"揃う"」
「了解いたしました」
影が静かに散っていく。その会話を、誰も聞いてはいない。
★
裁定当日。
裁定の鐘が、冷たく鳴り響いた。
王都ロメリアの北塔、その最上階に設けられた《裁定の間》。
王国騎士団と星神教会、両組織の代表が集まり、
名誉と責任を問う"特別聴聞会"が、今まさに始まろうとしていた。
中央に立たされたレオンは、静かにその音を聞きながら、周囲の視線を受け止めていた。
嘲りも、侮蔑も、哀れみも──すべてを。
(……やはり、最初から決まっていたのか)
数日前から感じていた違和感。
報告書の内容、処分の根拠、証人の不在──それらすべてが、整然と"用意された"ように積み重なっていた。
だが、それよりも胸を刺したのは──
──その中に、あの姿がなかったことだった。
「星神教会代表、聖女セシリア=ルクシア殿は療養中のため、本裁定には欠席となる」
その言葉に、誰も驚かなかった。
不在の理由が"本当"なのかどうか──誰も確かめようとしない。
当然のように進行が続く中、レオンだけが、ほんの一瞬だけ視線をさまよわせた。
(セシリア……なぜ、ここにいない)
期待していたわけではない──はずだった。
けれど、ほんの少しだけ、彼女が何かを言ってくれるかもしれないと。
そんな甘い期待が、自分の中に残っていたことに気づいてしまった。
それが、何よりも堪えた。
「よって、第三騎士団騎士・レオン=グランヴェールに対し──
"共同作戦における指揮の逸脱、味方への危険行為、および魔力干渉記録の異常"の責を問う」
読み上げられる罪状に、レオンは無言で耳を傾ける。
(指揮の逸脱……? 俺は命令を無視などしていない)
(味方への危険行為……? 俺が救った補助要員の証言は、どこにある?)
(無導因体質でどうやって魔力干渉記録に影響するんだ?)
だが、その疑問を口にする場は与えられなかった。
審問席から声が上がる。
「証人として、第三部騎士団補助要員の証言を求めます」
「……証言に信憑性なし。戦場での錯乱状態による誤認とみなします」
レオンの心が、僅かに揺れた。
(あの少年の証言も……)
あの夜、手当てをしてくれた補助要員。
「あんたが俺を、みんなを助けたって、俺は知ってます」
真剣に報告書を書いてくれたと言っていた彼の証言さえ、"錯乱"として片付けられている。
誰かが、ささやいた。
「やっぱりあいつ、勝手に動いたんだってさ。上からも目つけられてたらしいし」
「ちょっと剣ができるからって、でしゃばっただけだろ?」
誰も、真実を見ようとしない。
見えていたはずのものさえ、見えないふりをして口にする。
レオンは、何も言わなかった。
ただその背筋を、まっすぐに伸ばしていた。
だが、その背に──
ほんの一瞬だけ、わずかな"軋み"が走っていた。
宣告の瞬間。
その場の誰もが、驚きもせず、それを"当然"として受け入れていた。
いや、最初からそう決まっていたのだ。
理由は後付けでいい。気に入らない者を外す方法は、いくらでもある。
胸の奥で、何かが音もなく崩れていくのを、レオンはただ感じていた。
(これで……すべて、終わる)
その視線の先に、誰かの顔が浮かんだような気がした。
翠の瞳と、優しい微笑み。
けれどそれも、すぐに闇の中に沈んでいった。
(期待していたわけではない。だが──)
彼女だけは、違うのではないかと。
ほんの少しでも、自分のことを覚えていてくれるのではないかと。
その甘さが、今は痛みとなって胸を刺していた。
「……装備は返還せよ。武具類の持ち出しは禁ずる」
「三日以内に王都を離れろ。それまでに出立を完了すること」
短い裁定が終わると同時に、レオンは静かに一礼し、振り返って歩き出した。
誰の視線にも興味はない。ただ、義務を終えた者のような歩みで。
★
控室に戻ろうとしたレオンに、ひとりの少年が駆け寄ってきた。
先日の任務でレオンが助けた、あの補助要員の少年だった。
「あの……!騎士様……!」
息を切らして立ち止まった彼は、言葉を探すように、一瞬視線を泳がせた。
「……あの時、庇ってくださってありがとうございました。
俺……本当は、あのままだったら……」
「……怪我も治ったようだな」
「はい。……あなたのおかげです。
だから俺、ちゃんと報告もしたんです。全部、ありのままに」
レオンの表情が、わずかに和らいだ。
「あなたの行動は、確実に我々を救った。あの異常個体も、あなたが──」
少年の声が震える。
「でも、上官は『補助要員が何を騒いでいる。錯乱してたんじゃないか』って……」
「……そうか」
レオンは、微かに表情を緩めた。
それは、たったひとつの救いのようで──けれど、その場に留まることは許されなかった。
「すみません、俺……何の力にもなれなくて……」
レオンは首を横に振った。
「お前が生きているなら、それでいい」
そう言って、ほんの一瞬だけ。
彼の肩にそっと手を置き、静かに背を向けた。
(誰か一人でも、真実を知ってくれているなら──それで十分だ)
歩き去るレオンの背中を、少年はじっと見つめていた。
その瞳には、決して忘れまいとする強い意志が宿っていた。
★
その夜、少年は自室で一通の手紙を書いていた。
宛先は、リグナ=バスト冒険者ギルド本部。
「グランヴェール騎士の真の功績について、証言いたします」
彼の証言は、やがて別の形で世に出ることになる。
権力が握りつぶした真実も、必ずどこかで誰かが記憶している。
そして──真実は、いつか必ず光を見る。
★
塔の上と城門の下を、同じ風が撫でた。
セシリアは閉ざされた窓辺に手を置き、名を呼ばない祈りを結ぶ。
レオンは荷を軽くし、灯りの落ちた街路へ歩み出す。
その刹那、白銀の“微光”が胸奥で瞬いた。
——互いの視線を受け取ったような、名を超える呼びかけ。
二人は気づかない。
けれど、その一瞬の同調が、のちの選択を静かに繋いでいく。