月影に揺れる星4:夜空に星は還る
光が揺らいで、世界が反転する。
音も、重力も、記憶さえも──一瞬、すべてが消えた。
そして次の瞬間。
セシリアは、静かな森の中に立っていた。
頭上には、澄み渡る星空が広がっていた。
聖室の重圧も、石壁の冷たさも、すでにそこにはない。
代わりにあるのは、星のまたたきと、風の匂い。
小さな草が、足元を撫でていた。
彼女は一歩、前へ出る。
その歩みに、もう迷いはなかった。
「……成功したようですね」
ふと、背後から気配がした。
木々の影から姿を現したのは、紅牙隊のメンバーたちだった。
シエルが一歩前に出て、眼鏡越しにセシリアを見つめる。
「転移は正常。ここは教会の影響外。敵対追跡なし。結界も確認済」
セシリアは、彼に向かって深く頭を下げた。
「皆さんのおかげです。……ありがとうございました」
その礼に、隊員たちは返す言葉もなく、静かに頷いた。
カイが軽く片手を挙げ、ティナがウィンクを返す。
シュリは控えめに手を振り、ユーンの瞳は、まるで何かを言いかけて、言葉を呑み込んだようだった。
シエルが、一歩だけ近づく。
「ここから先は、我々の管轄外です。以後は、あなたの“意志”がすべてになります」
セシリアはその言葉に、まっすぐ頷いた。
「わたしは、ただ、誰かを癒し、誰かを救いたいと……。
……そう願った、ひとりの人間です」
その静かな宣言に、ごんが隊の誰もが一瞬だけ呼吸を止めた。
それから、ティナがぽつりと呟く。
「……ああもう、泣きそうなんだけど。ねえ、シエル。最後くらい言葉、かけたら?」
「その必要はない」
と、いつもの調子で彼は言いかけ──
だが、ほんの一拍置いて、眼鏡の奥で目を細めた。
「……いや」
彼は懐から、一通の封筒を取り出す。
「これを預かっている。クラリス王女殿下から。あなた宛てだ」
その名前を聞いた瞬間、セシリアの指が震えた。
封筒には、見慣れた筆跡で名前が書かれていた。
――クラリス。
震える手で、セシリアは封を開ける。
そこには、まっすぐな文字が綴られていた。
> 親愛なるセシリアへ
>
> この手紙を読んでいるとき、あなたは無事脱出できたのでしょう。
> あなたが何を選ぼうと、わたくしはあなたの味方です。
> もし何かあれば、必ず助けに行きます。だから、迷わずに。
>
> 忘れないで。
> どこにいても、わたくしたちは繋がっている。
> あなたは一人じゃないのよ。
>
> クラリスより
涙が、一滴だけ、頬を伝った。
セシリアはそっと目を閉じ、そして微笑んだ。
「ありがとう……クラリス」
彼女の心に灯った光は、誰にも消せない。
★
紅牙隊の影が、森の中に紛れる。
誰も言葉を交わさず、ただ任務を終えた者として、その場を去っていく。
最後に残ったのは、セシリアただ一人。
彼女の指先には、もう震えはなかった。
そして、彼女は空を見上げた。
夜空に、無数の星があった。
そのどれもが、自由に輝いていた。
「……あの人は、どこにいるのだろう」
セシリアはそっと自分に問いかける。
答えはない。だが、それでもいい。
足元の草が風に揺れ、彼女の髪が夜にたなびいた。
静かな決意が、彼女の背筋を伸ばす。
「わたしは、あなたを探しに行きます。
わたしの意志で。
わたしの足で」
その瞬間、夜空が開けたように、風が吹いた。
星々が祝福するように、そしてそっと彼女の背を押すように瞬いた。
そして少女は、旅立つ。
“星神の器”ではなく──
ただひとりの、“セシリア”として。
その背には、もう鎖も檻もない。
あるのはただ、彼女自身の願いと、歩むための未来だけ。
こうして、星の少女は夜を越えた。
旅の始まりの名を、《自由》という。




