月影に揺れる星2:紅牙は影に集う
翔月の三日月が昇る夜。
王城を遠く離れた、古びた馬小屋跡。
ひと目につかぬ森の奥、かつて使われていた騎馬訓練場の廃墟に、数人の気配が集まっていた。
「……ここなら、星神教会の耳も届かない」
そう言って静かに腰を下ろしたのは、グラン=デスト王国第二王子・アルヴィス。
彼の前には、漆黒の外套をまとった数名の騎士たちが膝をついている。
その中央に立つ一人の青年こそ、今回の作戦指揮を担う参謀役、シエル=ノヴァリスだった。
第五騎士団──通称《紅牙隊》は、王家直属の特殊任務部隊として、 公的記録には残らない作戦を専門とする。隊長シエル=ノヴァリスの指揮のもと、王家の裁可を受けた独立行動が許可されている。
銀灰の髪をひとつに束ね、眼鏡の奥で冷ややかな蒼の双眸が月明かりに鈍く光る。
その佇まいは静かで整然としていながら、周囲の空気をぴんと引き締める力があった。
「兄上が手を回してくれたようだ。東門の騒ぎで警備が手薄になっている。状況、確認を」
アルヴィスの一声に、シエルは迷いなく頷く。
「目標:大聖堂神殿区・最奥“聖室”にて、対象セシリア=ルクシアを回収。
制限事項:非戦闘、迅速、安全。
追加条件:星神教会関係者および王城側へ、任務の痕跡を可能な限り残さないこと」
端的で、簡潔。だが確実に伝わる言葉。
「今回は“奪取”ではなく“迎え”だ。こちらの意思ではなく、向こうの意志による選択──その点、殿下方も了承済と理解してよいか?」
問われたアルヴィスは、静かに頷いた。
「彼女の意志で動く。それが、何よりの真実だ」
「了解」
シエルはひと呼吸置くと、背後に控える仲間たちへ目をやった。
「全隊員、配置説明。資料を」
その合図に、隣の隊員が一枚の布地に描かれた地図を広げる。
それは、星神教会・神殿区の簡略構造だった。
「神殿正門──通常の巡回兵はここ。
東側斎塔に警戒詠唱師が四名。西の書庫区には、警備ゴーレム二体が常駐。
そして、聖室へ通じる最奥路は三本──うち、封鎖解除が可能なルートは北路だけ」
言いながら、地図の各箇所に光る印をつけていく。
それを見ながら、ごんが隊の面々が頷く。
「正門からは陽動。内部潜入班と連絡役を分けて配置する。
目標回収後、転移離脱までの猶予は──180秒」
「魔力感知は?」
そう問うたのは、後方に立っていた少年隊員──シュリという名の魔導索敵兵だった。
「教会側の常設結界は“範囲感知”型。
ただし、即座の追跡には移行しません。回避時間は最大12秒」
「十分だ。……陽動は俺がやるよ」
そう口を開いたのは、柔らかく笑う赤茶の髪の隊員・カイ。
軽口めいた口調だが、彼の隠密行動技術は隊随一と評されている。
「音と光だけでやりゃいいんでしょ? 誰も傷つけずに、目立つのは得意なんだよね」
その言葉に、隊員たちはクスリと笑った。
この部隊には“正義”や“感情”を掲げる者はいない。だが、確かな連携と技術がある。
そして、その中心には、誰よりも静かで、誰よりも冷静な“指針”があった。
「――救出は、情ではない」
静かに、シエルが言った。
「合理だ。動機も手段も、“可能性”を最大化するためにある。
……それが、我々《紅牙》の原則」
凍るような口調。
だが、それを聞いて誰も否定しなかった。
「……でもさ。前に『あんな若い子を閉じ込めてるなんて、どうかしてる』って、言ってたじゃない」
口を挟んだのは、淡い栗色のポニーテールを揺らしている女隊員・ティナ。
サポート役として誰よりも冷静に動く彼女だったが──今は意地悪く、微笑んでいた。
シエルはわずかに眉を動かし、そして淡々と告げた。
「感情で動くな、とは言わない。だが、それは理に適う行動の中に隠しておくべきだ。
……それが《紅牙》という部隊の在り方だ」
ティナは肩をすくめて笑った。
騒がしくも、確かに信頼で繋がれた部隊だった。
月が、雲間から顔を出す。
静かな風が、枯れ葉をさらりと舞い上げた。
シエルは視線を地図に戻し、最後にひとこと呟く。
「“星の巫女”を逃がす。……そのために、我々は“影”であり続ける」
その言葉に、誰も返さなかった。
だが、それぞれの胸に同じ決意が宿っていた。
春の兆しが見え始めた王都の夜空には、新たな星座が昇り始めていた。
そして、夜は静かに──裂かれた。
紅き牙が、闇をまとい、星の巫女を迎えに行く──。




