無能と呼ばれた騎士2:静かなる殲滅者
魔物の咆哮が、戦場に轟いた。
森林を抜けた先の斜面――そこに、突如として現れたのは、二十体を超える大型個体の群れだった。
爪を備えた四脚獣。殻に覆われた重装型。牙と尾を併せ持つ亜種。
どれも単体でも討伐ランクが高い、危険種だ。
「なッ――ば、化け物の群れじゃねぇか!」
「騎士団合同討伐クラスだぞ、これ……ッ!」
黒鋼隊の士気が、一気に冷える。
予定されていたのは偵察任務に準ずる小規模戦闘。まさかこの規模の敵と接触するとは、誰も予期していなかった。
「前衛っ、踏ん張れ! 魔導班は後衛から火線展開!」
上官の声が飛ぶ。隊士たちは叫びながら応戦に入るが、すでに布陣は崩れかけていた。
砕かれる盾。吹き飛ぶ剣士。命中しない術式。
混乱は瞬く間に部隊全体へ広がり、戦列が乱れていく。
後衛の詠唱が噛み、式が乱れて火線が逸れる。前衛は足場を失い、踏みとどまるたび列が薄くなる。
「右が抜ける! 誰か——っ」
叫びはすぐ悲鳴に変わった。
その中――一人だけ、別の動きをしている者がいた。
レオン=グランヴェール。
彼は一切の命令を受けず、静かに斜面の上部に立っていた。
右手には剣。左手は添えず、軽く下ろしている。
(……斜面の傾斜、敵の分布……前線の混乱度……)
視線が走る。
まるで“読み取るように”、戦場全体をなぞる。
風向き、足場、魔物の軌道、味方の配置。
全てが彼の“視界”の中に、計算式のように組み上がっていく。
《アナライズ――全領域、展開》
無意識に、彼の脳裏で情報が整理される。
《入力:風向/傾斜/敵行動周期/味方位置/遮蔽物》
《危険因子推定:跳躍型(中央)>突撃型(右)>鋏脚(左後)》
《解:中央を刈る→右の突撃角を折る→左後の関節を断つ》
計算ではない。経験で編まれた反射が、言葉の形で脳裏に浮かぶだけだ。
今ここで最も危険な因子は“中央の斜面を越えた先にいる跳躍型”。
味方の隊列が背を見せた瞬間、跳躍→撹乱→殲滅の流れになる。
(先に、抑える)
その思考と同時に、レオンの足が動いた。
小石一つ動かさぬ静けさで斜面を駆け降りる。
既に三体の魔獣が地に伏していた。
《突爪獣》《鋏脚獣》《跳脚獣》──いずれも、王都近郊で中位種とされる危険存在。
斬撃痕は最小限。急所のみを正確に断ち切られている。
《焔跳獣》が咆哮と共に、火球を吐き出す。
──直撃。
だが、レオンの肩口をかすめたそれは、煙を上げただけで傷一つ残さなかった。
「えっ……今の、えっ……?」
近くで見ていた少年魔導士が、声を漏らした。
跳躍型が膝を屈めた瞬間、その前に剣が閃いた。
魔物が反応するより先に、レオンの剣が前脚を叩き折る。
跳躍が潰えた瞬間、地面に叩きつけるようにして、刃が首を断つ。
無駄がない。
最小動作、最短距離、最速刃速。
次の瞬間、後方から飛来する火球を、レオンは地面を転がるようにして回避した。
敵魔物の位置を視界の端で把握。
跳びかかってくる突撃型の牙を、刃を寝かせて受け流し、首元に逆手の一閃を入れる。
(……ここまで単独、七体目)
呼吸は乱れていない。
だが、決して余裕ではない。彼の動きは“理”の上にある。感情ではない。
そのとき、斜面下の茂みで悲鳴が上がった。
「う、うわッ――た、助け……!」
まだ若い補助要員――魔導士見習いの少年が、倒れ伏しながら三体の魔物に囲まれていた。杖は折れ、術式も発動できず、腕から血が流れている。
(距離、十二メートル。敵は突撃型×二、鋏脚×一。地形は……)
剣を握る手に力が入る。
レオンは一瞬だけ視線を走らせると、斜面を滑るようにして飛んだ。
その姿は、まるで風を切り裂く影のようだった。
飛びかかってくる魔物の一体を踏み台に、空中で剣を一閃。
もう一体の首元に刃が吸い込まれ、三体目が反応する前に足を斬り払う。
地に伏した少年の前に立ち、レオンは刃を払った。
返り血に濡れた鎧のまま、振り返ることなく告げる。
「立て。まだ終わらない」
声は低いが、命令ではない。震える膝が一度で地を掴む。
レオンは振り向かず次の群れへ歩く。守ったのは一人。だが、背中で全員を守る形になっていることを、少年は理解した。
立ち上がった少年は、戦場の空気も忘れて呆然とその背中を見送った。
敵はまだ、いる。
戦場の制圧には、もうひと押し必要だった。
そのとき、空が震えた。
――ギャアアアァアア!!
地響きとともに現れたのは、異様に巨大な個体。
全身が岩のような鱗に覆われ、尾で木々をなぎ倒して進んでくる。
《咆尾獣》――後にそう名付けられる異常個体。
(……Bランク、いやAランク相当か)
その判断の後、レオンは軽く息を吐いた。
彼は前へ出る。
誰に言われたわけでもなく、自らの意志で。
その背を、誰も追わなかった。
あまりに自然に“孤立”していたからだ。
だが――彼は、止まらない。
たとえ誰にも評価されず、理解されずとも。
剣は語らない。だが、剣は真実を斬る。
レオンの剣が、再びその鋭さを示すとき。
戦場の空気は、わずかに、変わり始めていた。




