無能と呼ばれた騎士1:その剣、沈黙を背負いて
――星歴1725年星月、北方国境・第三警戒圏。
寒の入りの風が草の匂いをさらい、灰色の空を裂いて、警鐘が響いた。
辺境に棲息する魔物どもが、また人域へと侵入してきたのだ。
「黒鋼隊、出撃準備完了! 一斉展開まで三十秒!」
号令とともに、騎士たちが続々と配置に着いていく。
剣を抜き、魔導符を起動し、掛け声と共に気勢を高める隊士たち。
だが、その中にあって、ひとり静かな男の姿があった。
潤色の少し跳ねた髪と琥珀色の瞳、名はレオン=グランヴェール。
グラン=デスト王国第三騎士団――“黒鋼隊”と呼ばれる実戦派部隊の所属。
二等級騎士ではあるが、今や誰も彼を“同僚”とは思っていない。
「……またあいつ、ひとりで黙ってんな」
「つーか、あいつ――魔力、持ってないって噂だぜ?」
「は? マジかよ。じゃあ何で騎士やってんだ」
背中越しに聞こえてくる陰口に、レオンは無言で鞘を鳴らす。
喋らないのではない。喋る必要がないだけだ。
レオンの背にあるのは、漆黒の軽装鎧と、一本の剣。
装飾のない、ただ鍛え抜かれた実戦用の直剣。
それだけを持って、彼は今日も任務に向かう。
(……来る)
レオンがわずかに眉を動かすと同時に、遠くから地鳴りが起こった。
振動が地を這い、空気がぴりつく。
「第一斥候班、敵影確認! 数は……四十以上、大型種混在!」
緊張が走る。
魔物の突発的な集団行動――“突発群化”だ。
本来なら複数部隊で迎撃する事態。だが今、ここにいるのは一部隊のみ。
「黒鋼隊、展開開始! 散開して迎撃陣形を取れ!」
号令と同時に、森の陰から火球が飛ぶ。早い。避ければ列が割れる。
レオンは一歩前へ——爆炎、直撃。
土煙が晴れると、彼はそこに立っていた。
「……こいつ、何者だ」
誰かの声が、自然に漏れる。
「聞いたか、“無導因体質”ってやつだとよ」
「魔術が通らない体質——支援も、だ」
魔術が効かない。味方の回復術も、敵の魔術攻撃も——それがレオンの体質だった。
無導因体質。魔力を持たず、魔術の干渉を一切受けない異常体質。
戦術的には有利だが、仲間からの支援も受けられない孤独な戦い方を強いられる。
戦場の囁きが、煙の向こうで揺れた。
レオンは静かに歩き出した。ただし、部隊の右方――誰もいない側へと。
「おい、そっちはフォローいねぇぞ? 単独で行くのかよ」
「放っとけよ。どうせあいつ、誰とも組まねぇし」
それでもレオンは、無言で歩く。
彼の動きには、意図がある。それが誰に伝わらなくても。
森の中へ踏み込むと、土の匂いと枯葉の音が彼を包んだ。
魔物の気配が、じわりと濃くなる。
(……三体、正面。うち一体は《甲殻獣》。
残りは《突爪獣》、《魔焔獣》か)
剣を抜く。鍔音が静かに響く。
風が止み、時間が歪む。
次の瞬間、茂みが裂け、牙が飛んだ。
――《突爪獣》の突進。
前肢の鉤爪は黒鉄のように鈍く輝き、突進と同時に地面を抉る。
咄嗟の反応では捌けない速度。 だがレオンの剣は、それを真正面から迎え、半身でずらし、刃を滑らせる。
「――っ!」
左足を軸に回り込む。
《甲殻獣》の外殻は岩石のように暗緑で、打撃を受けるたび火花を散らす。
だがその首元、わずかな隙間へと刃を差し込む。硬質な手応え。 魔獣が断末魔を上げる前に、次の一体が飛びかかってきた。
レオンは冷静だった。
敵の脚の動き、地面の跳ね返り、風の乱れ――そのすべてを“読む”。
(……遅い)
刹那、重心を沈め、逆手に構えた剣が閃く。
前脚ごと切断。次の一手で胸部を貫き、返す刃で斬り伏せる。
「残り、一体……」
最後の魔物――《魔焔獣》。
赤黒い鬣と、燃え立つ双眸。皮膚からは微かに熱が滲み、地面には焦げ跡が残っていた。
その魔獣が、戸惑ったように距離を取る。
本能で理解したのだ。目の前の男は、ただの人間ではないと。
レオンは一歩、踏み込む。
足音は静かだった。
だがその“歩み”こそが、彼の実力を示していた。
《魔焔獣》が咆哮し、火球が一直線に走る。
その瞬間、レオンの視界の端で、倒れた補助要員が身を起こしかけた。
逃げ場は——彼の背後。
「——下がるな」
レオンは半歩だけ前へ。炎が肩をかすめ、爆ぜる。熱風が草を焦がし、砂利が跳ねた。
けれど、彼の足は一歩も退かない。
(このまま受ける。ここは、避けられない)
灼熱は皮膚に届かず、焦げたのは地面だけ。煙の中から、男は剣先を下げて現れる。
背後の少年が、息を呑んだ。
「……どうして、燃えない……?」
レオンは答えない。答える必要がない。“結果”が、戦場に答えている。
レオンは、静かに剣を振り払うと、無言で戦場へと戻っていった。
その背に、誰も気づかない。
彼の剣が、どれほどの重みを背負っているのかを。




