王都での暮らし
たった数年、王都にいないだけで、状況は大きく変わっていた。
両親の仲がこれまで以上によくなっていたのだ。
離れていた時間が愛を育んだのだろうか。よくわからないが、夫婦仲が良好なのはいいことである。
それから使用人も顔ぶれが変わっていて、乳母や侍女が私を気にかけてくれるようになった。一回目の人生では父が何をしても見て見ぬ振りを決め込んでいたが、今は私を守るように傍にいてくれる。そして、父が接近してきたら、警戒するような眼差しを向け、守ってくれるように立ちはだかってくれるのだ。
なんでも新しい乳母や侍女は母が選定してくれたらしい。私が王都で暮らしやすいよう、いろいろと対策していたようだ。感謝したのは言うまでもない。
ヴィルオルの噂についても耳にするようになる。父だけでなく、使用人達もバーベンベルク公爵家の嫡男について気になるようで、情報収集に余念がないようだ。
五歳となったヴィルオルはすでに剣を握り、従騎士となって訓練に明け暮れているという。
騎士隊関係者は将来有望と口々に評価しているらしい。
そうだろう、そうだろうと誇らしい気持ちになった。
私はと言えば、父に男装や剣の修行を強要されることなどなく、悠々自適に暮らしていた。
五歳児らしく、ぬいぐるみを愛でたり、乳母から絵本を読んでもらったり、庭を散歩し花の名前を教えてもらったり。
「スズランってかわいいけれど、全草に毒があるのよね」
「……」
エルマと散歩していると、なんか違う、と思ってしまう。
もっとこう、かわいい花の名前や花言葉なんかを教えて欲しいのに、エルマは毒草ばかり教えてくれるのだ。
それはそれで危険回避に役立つだろうが……。
エルマは王都でも相変わらずだったが、私達と暮らすようになって、飲酒と喫煙量はぐっと減った。お酒を飲むのは数日に一度くらいで、煙草はほぼほぼ吸っていないらしい。
今はおいしい物を食べ歩くのが楽しみらしく、今度一緒に王都名物を食べにいこう、と話している。
「このジキタリスも毒なのよ」
「ずいぶん詳しいんだね」
「ええ! 自然にある花で元夫を苦しめることができたら、と思って個人的に調べて……いいえ、なんでもないわ」
もう全部言ったようなものだろう。聞かなければよかった、と思う。
「ふふ、元夫は今も元気に暮らしているから、気にしないでね」
「は、はあ」
ちなみにエルマの元夫は横領事件を起こし、騎士隊に拘束され、今も出所できていないらしい。
エルマは「離婚しておいてよかったわー!」と明るい表情で話していた。
◇◇◇
一度目の人生同様、ディルクと名付けられた弟はすくすく育つ。
母は産後の肥立ちがいいらしく、乳母と交代で授乳しているようだ。
赤子が一生懸命お乳を飲んでいる様子は愛おしい。いつまでも眺めていられる。
そんな私に、母は申し訳なさそうな眼差しを向けていた。
「あなたには、こうしてお乳を与えることができなくて……」
「体調を崩していたのだから、仕方がない話かと」
「でも、ずっと後悔していて、胸が痛んでいたの」
それは比喩でもなんでもなく、授乳する元気なんてないのに体内では問答無用で母乳が作られ、胸がカチコチになって痛かったらしい。
「本当はあげたかったのだけれど、お医者様が安静にしているようにと言って聞かなくて」
乳母が母の胸を一生懸命揉んで、どうにかしてくれたらしい。
「こうして飲んでもらうだけで、胸の痛みがなくなるのだから、多少無理をしてでもあげたらよかった、なんて思って」
まさか体調不良の他に、胸の痛みがあったなんて知らなかった。
一度目の人生では、男として生きていたので、出産は未経験だったから知りようもなかったのである。
けれどもそんな私には婚約者がいた。
私と同じように、異性装をした男だった。
もしも結婚していたら、彼との子をもうける予定だったのである。
彼――フローリスはどうしているだろうか?
私の婚約者として生きるために、女性として育てられたと聞いていたが。
ずっと申し訳なく思っていたのである。
二回目の人生では、私と同じように異性装を強いられることなどないだろう。
会ってみたいが、彼の人生に介入したら何か悪影響を及ぼしてしまいそうで怖い。その気持ちはヴィルオルに対してもある。
そのため積極的に関わりたいとは思っていなかった。
元気でさえいてくれたらいい。そんな気持ちがあった。
なんて考え事をしている間に、弟は寝てしまったようだ。
「ああ、なんて愛らしい寝顔なんだ」
「本当に」
一度目の人生では弟のかわいいところを見ないでいたなんて、もったいないことをしていた。
今回は見逃すことがないよう、つきっきりでいなくては。
「ディルク、世界一幸せにおなり」
その願いを叶えるためには、父の魔の手から守らないといけない。
常に目を光らせておかなくては。