欠けた記憶
それまでの人生が、走馬灯のように思い浮かぶ。
父から男装することを強いられ、男として生きることとなった。
ずっと父が示してきた道を信じて疑わず、立派なリウドルフィング公爵になるよう努力を重ねてきた。
けれども振り返ってみると、私の頑張りは弟の立場を奪い、フローレスにも不便な人生を送らせてしまった。
こんな結果になるのならば、女性として生きてみたかった。
ひらひらとしたドレスに身を包み、お茶会でおいしいお菓子を食べて、すてきな男性と夜会でダンスをして――。
完全に現実逃避である。
意識が薄れゆく中でも、ヴィルオルだけは私の生存を諦めていなかった。
「おい、眠ろうとするな! 気合いを入れろ! お前はこんなところでくたばる人間ではないだろうが!」
ヴィルオル・フォン・バーベンベルク。
未来のバーベンベルク公爵であり、私の永遠のライバル。
彼とはまともに言葉を交わした覚えはなかったものの、剣を交えたら人となりはある程度わかる。
正義感に溢れ、心が清い上に私欲がなく、真面目でまっすぐな男性。
彼はいつだって多くの友人に囲まれ、女性の取り巻きしかいなかった私とは大違いだった。
彼のように素直に生きたい、そんな望みにも気付かないふりをしていたが、私はずっとヴィルオルが羨ましかったのだろう。
そんな彼の腕の中で息絶えることを申し訳なく思っていたら、思いがけないことを言い出す。
「おい、よく聞け。実を言えば、竜族には三つの心臓がある」
「――?」
「その心臓を、秘術によって他者へ与えることができるのだ」
ヴィルオルは一冊の本を異空間から取りだし、ぱらぱらとページを捲っていく。
本のタイトルは〝竜魔法の秘術〟。
「俺の心臓を一つ分けてやる! だからお前はこんなところで死なずに、生きるんだ!!」
眩い光が全身を包む。
苦しみから解放され、これが〝死〟なのかと思ったら違った。
私の時間は巻き戻り、赤子として誕生したところから人生をやり直すこととなる。
「――!?」
ハッと我に返った私を、リーベが心配そうに覗き込んでいた。
「うう」
軽く身動いだだけで頭がズキンと痛んだ。
知らない天井を見上げ、「ここはいったい」と呟いたあとで、始祖の本拠地に来ていたことを思い出した。
「ああ、目覚めたか」
「始祖様」
「いい起き上がるな」
始祖の手にはぶくぶくと沸騰する緑色の液体が入った器が握られていた。
「これを飲んだら、混乱も収まるだろう」
「いえ、もう混乱していないかと」
「ええい、遠慮なんかするな」
そう言って始祖は私に怪しい液体を飲ませる。
口にした瞬間とてつもない苦みに襲われ、目の前に星が弾けるような衝撃を受ける。
まずい!! という言葉を喉かた出る前にごくん! と呑み込み、消え入りそうになる声で「ありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えた。
始祖が言っていたとおり、ぼんやりしていた頭がスッキリしたような気がする。
「どうだ?」
「頭の中のモヤモヤが晴れたように思います」
「そうであろう?」
始祖が私の手を優しく包むように握ってくれた。
その手が温かいと感じたのと同時に、自分の体が酷く冷え切っていることにも気付いた。
「どうだ、時の旅人になる因果を、思い出すことができたか?」
「おかげさまで」
なんでも時間が巻き戻った私が混乱しないよう、記憶に制御魔法がかけられていたようだ。それを始祖が解放してくれたらしい。
「しかし、記憶は完全に戻ったわけではないようです」
「ほう?」
私は邪竜から受けた攻撃がきっかけで、命を落とすこととなったのだと思っていた。
しかしながらその認識は誤りで、誰かに腹部を刺された傷が致命傷となったようだ。
「いったい誰が私を刺したのか」
「心当たりはないのか?」
「……」
多くの男性を差し置いて、女性陣からの好意を独り占めしていた自覚はある。
けれども女性を略奪するような行動は取っていないし、また他人を裏切るような行為も働いていない。
「まあ、何もせずとも嫌悪の対象になることは、ままあるからな」
「……」
正直に言えば、一人だけ私を猛烈に嫌っていた人物がいた。
「ん、何か思い出したのか?」
「いえ、一度目の人生で、弟に嫌われていたな、と」
私が男として生きていたせいで、弟ディルクは跡取りになれず、道を外してしまった。
ただ、混乱に乗じて私を手にかけようとするだろうか?
わからない。
「その辺の記憶も、ゆくゆくは甦るだろう」
「はい」
始祖はもうしばらく休むように言ってから、二杯目の怪しい液体を差しだす。
「いえ、もう大丈夫かと」
「遠慮するでない! たくさん仕込んだからな!」
「わあ……」
いつの間にかリーベは私から距離を取り、怪しい液体を勧められないように避難していた。
その後、私は合計五杯の怪しい液体を飲み干し、気を失ってしまったのだった。
翌朝、私は寮の寝台で目覚める。
もしや始祖と出会ったのは夢だったのではないか、と思ったが。
「うう……」
喉の奥に謎の液体のとてつもなく苦い風味が残っていた。
奇しくも怪しい液体が始祖との出会いは夢ではない、と教えてくれることとなった。




