聖術の教師
聖属性の回復術などは魔法ではなく、一般的に聖術と呼ばれている。
基本的に聖職者を輩出する神学校でしか習うことができないが、抜け道がいくつかある。
そのうちの一つが、還俗した元聖職者に習うというものだ。
ただそういった人達は人目に付かない場所でひっそり暮らしていることが多く、見つけることは困難である。また慈善活動に熱心で雇い入れることは難しい。
けれども運よく、リウドルフィング公爵家の領地に目立つ暮らしをしていて、お金を欲していた元聖職者がいたのだ。
エルマ・ホーファー。
二十三歳のうら若き元シスター。
神学校を卒業後、シスターにならずに結婚したものの、数年で離婚。
その後、世俗を捨ててシスターになったが、たった三年で教会を追放されたらしい。
優秀な聖術の使い手だったようだがどうして?
なんて思っていたが、本人を前にして納得する。
彼女は長い赤毛に灰色の瞳が美しい美女だった。
「どうも~~~~、ごきげんよう!!」
エルマ・ホーファーは酒の臭いをぷんぷん漂わせながら、上機嫌でやってくる。
よくよく見たら、小脇に酒瓶を抱えていた。
二日酔いの酒臭さではなく、進行形で飲酒をしているのだろう。
そんなエルマはにっこり微笑み、しゃがみ込んで話しかけてきた。
「あなたが私なんかに聖術を習いたいっていう、奇異な三歳児ね!」
「はあ、どうも」
問題児であることは母から聞かされていたものの、想像以上だった。
「どーして聖術なんか習いたいって思ったの~?」
邪竜を倒して生き延びたいから、なんて言えるわけはなく。
事前に用意していたそれらしい理由を言ってみた。
「お母様を、助けてあげたくて」
母は元気になったものの、依然として病弱で寝込む日もある。
回復術があれば、母を支えることができるのだ。
乳母が私の意を汲んで、それらをエルマに説明してくれる。
「うんうん、そう、親孝行な娘さんねえ」
納得してくれたか、と思ってホッとしたのもつかの間のこと。
エルマは急に真顔になり、ぐっと顔を近づけながら思いがけないことを言った。
「絶対に嘘ね!」
「!!」
突然の指摘に驚き、息をヒュッと吸い込む。
子どもらしい反応ができたらよかったのに、体が警戒して飛び退いてしまった。
「ふふふ、そんな俊敏な動きが子どもにできるわけないわ~。まあ、三歳児が聖術を習いたいっていう点からも、おかしいとは思っていたけれど」
エルマは何を思ったのか、十字架を取りだして私のほうへと向ける。
「悪魔が取り憑いているのかもしれないわ。特別に、祓ってあげわね!」
「――!?」
床に聖法陣が浮かび上がり、眩い光に包まれる。
問答無用で悪魔憑きと判断し、祓おうとするなんて。
もちろん、悪魔など取り憑いていないので、ただただ眩しい光に晒されるばかりだった。
光が収まると、エルマは「あれ~~?」と首を傾げる。
「何をしているのですか!!」
母が駆けつけ、私を抱きしめる。
エルマが問答無用で聖術を展開し始めたので、乳母が呼びに行ってくれたらしい。
母は非難するように叫んだ。
「あ、あなた、昼間からお酒の臭いをさせるなんて!」
「いえいえ、ヤニ臭くなきゃいいって言われていたから、酒は問題ないと思ったの」
「お昼からお酒臭いのもいけません!!」
どうやら母はエルマの喫煙は禁じていたらしい。しかしながら酒は夜に飲むものと信じて疑わなかったので、飲酒まで注意が行き渡らなかったのだろう。
「こんな女性がユークリッドの教師だなんて……!」
「解雇にするの?」
エルマはそれでもいい、とばかりににんまり笑っていた。
母も売り言葉に買い言葉で、そのまま解雇にしそうな勢いだった。
酒臭い教師だなんて、私もごめんだ。
けれども彼女の実力はたしかなもので、これ以上の聖術の使い手は見つからないだろう。
「お母様、私、この先生がいい!」
「え、ですが……」
「すごい聖術、使ったの! だから、この先生がいい!」
母は眉間に深い皺を刻んでいた。このまま雇い続けていいものか、迷っているのだろう。
「お願い! お酒の臭い、我慢できるから!」
「いえ、それに関しては禁じさせていただきましょう」
「え~~~~酷いわ!」
「酷くありません!」
賃金を上乗せする形で禁酒を頼み込んだら、エルマはあっさり了承する。
そんなわけで、私に聖術の先生ができたのだった。
◇◇◇
エルマ・ホーファーは自由という文字を擬人化したような女性で、気ままに生きていた。
なんでも生家が敬虔な神の信者らしく、物心ついたときから熱心に教会に通っていたらしい。
休憩時間、窓を広げて煙草を吹かしながら、エルマは昔話を聞かせてくれる。
「これでも昔は真面目に神を信仰していたのよ。でも、結婚でおかしくなってしまったのよ」
夫の暴力、浮気、精神的な嫌がらせ――そんな彼女は現実から逃げるように酒と煙草、賭博に溺れた。
夫の浮気相手が妊娠したのをきっかけに離婚したのだが、手が付けられる状態でなかったエルマの身は教会に預けられたという。
「賭博は止められても、酒と煙草だけは手放せなくてねえ」
清貧な暮らしを美徳とする聖職者が、酒と煙草に溺れていいわけがなく。
たった三年で教会から追放されたようだ。
「それから医者の真似事みたいなことをして、診療所を開いて日銭を稼いでいたんだけれど、なかなか昼間に起きられなくて」
そこそこ患者がいたようだが、信用を得ることはできずに、診療所は閑古鳥が鳴いていたようだ。
「借金だけがかさんでいって、借金取りに追いかけられているとき、リウドルフィング公爵家の従僕に助けられてねえ」
聖術の教師捜しをしていた従僕だろう。
「私みたいな女を雇ってくれる、リウドルフィング公爵夫人には感謝しないと」
なんて話していたら、母が勉強部屋に乗り込んできた。
「エルマ・ホーファー、やはり煙草を吸っていたのはあなたでしたね!」
「なんでバレたのかしら?」
「風を伝って、煙草の臭いが流れてきました!」
「あらら!」
エルマのおかげで、母は元気になったような気がする。屋敷も明るくなった。
感謝したのは言うまでもない。




