変化
一歳児にこてんぱんにされた父だったが、へこたれることはなかった。
それどころか、喜んでいたのである。
「大の大人を倒してしまうとは、ユークリッド、我が息子ながら将来有望だ!」
こうなるのはわかっていたものの、父という巨悪を前にしたら我慢できなかったのだ。
もちろん、以後は剣や盾はオモチャであろうが握らなかった。
父は躍起になって無理矢理握らせようとするので、窓から放り投げてやる。
それでもめげずに拾ってくるので、最終的に暖炉の火にくべて燃やしてやった。
男児用の服も拒絶すれば、父がそれ以外の服を着せるなと乳母に命じる。
だったら服なんか着てやるものか! と裸で過ごした。
これぞ幼児だけが許される行為! そんな気持ちでいたのである。
そのうち喋ることができるようになったので、自分の意思はしっかり伝えるようになった。
男物の服は嫌! 剣や盾のオモチャはいらない!
ドレスがいい! ぬいぐるみがほしい!
そんな私を見た父は、「もうイヤイヤ期がやってきたのか、思っていたよりも早いな」などと言ってくる。
こんなのがイヤイヤ期なものか! と猛烈な怒りが湧いてきた。
女性である私がドレスやぬいぐるみを所望するのは当然の権利。
それを与えず、男物ばかり用意するのは非道極まりない。
何を言っても聞き入れないときは、父の鼓膜を破る勢いで泣くしかなかった。
「くっ、くう、肺活量だけはまともに育っているのだな!」
どこまで楽天家なのか。
ここまで反抗しても、父は私を男として育てることを諦めていなかったようだ。
それから父との根比べが始まった。
拒絶する私に、諦めない父。
どちらも譲らなかった。
くじけそうになるも、こんなしようもない父になんか屈するものか! と負けず嫌いな性格のおかげで、なんとか抗い続けることができたのである。
そんな不毛過ぎる戦いに終止符を打ったのは、母だった。
「あなた、少しよろしいでしょうか?」
「なんだ! 今、ユークリッドに騎士としての在り方を説いているのだ! 忙しい、あとにしてくれ!」
「あなた」
「だから――」
ここで母が誰もが想像していなかった行動に出る。
振り返った父の頬を、思いっきり叩いたのだ。
「へぶっ!?」
まさかの攻撃に、父は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で母を見つめる。
「いい加減、目を覚ましてくださいませ。この子が悲しんでいるのが、わからないのですか?」
「あ……いや、だって、跡取り……跡取りが必要……なんだ」
「跡取りが男である必要はありますか?」
「あ、ある!! 歴代のリウドルフィング公爵は、お、男だった!」
「始祖は女性だったのでは?」
母の返しに父はぐうの音も出なかったようだ。
そう、何を隠そう、我らがリウドルフィング公爵の始祖たる人物は女性である。
当主が男である必要なんてないのだ。
「それにリウドルフィング公爵家は代々魔法に長けたものを輩出する一族で、剣なんて必要ありません」
「いや、でも、バーベンベルク公爵に勝つには、剣が必要で」
「なぜ、バーベンベルク公爵家と張り合う必要があるのですか?」
「歴代の当主達もそうで」
「揃って愚か者だった、というわけですか」
ご先祖様を含めた攻撃を前に、父は返す言葉が見つからなかったようだ。
「とにかく! 今後、この子の教育には関わらないでくださいませ!」
「しかし、私が跡取り教育をしなければ」
「これは教育ではなく、虐待です! 二度と、ユークリッドに関わらないでくださいませ!」
そう言って母は私を抱き上げると、部屋から去って行く。
父は追いかけてこなかった。
母は私を私室に連れて行くと、大粒の涙を流しながら抱きしめた。
「ユークリッド、助けるのが遅くなって、ごめんなさい! 弱い母を許して……」
大丈夫、と伝えるために私は母の体を抱き返す。
「もう、大丈夫ですから……」
母がこんなに強い人だったなんて知らなかった。
父に隠れて、静かにしているような人だと思っていたのに。
「あなたが戦っているのを見て、私もあの人と向き合わなくては、と思いました。これからあなたのことは、私が守ります」
どうやら私の奮闘が、母を勇気づけることに役立っていたらしい。
こんなことをしても意味がないかもしれない、と思っていたときもあったが、そんなことはなかった。
人生は変えられる。
私は女として生きることができるのだ。
「これからは、かわいいドレスを着て、たくさんのぬいぐるみに囲まれて、楽しく暮らしましょうね」
母の言葉に、私は元気いっぱい「はい!」と答えたのだった。
◇◇◇
それからというもの母は私を連れて領地に行き、父と離れ離れになって暮らすこととなった。
これまで領地を行き来するのは母のみで、私はずっと王都で暮らしていた。
初めて領地で暮らすこととなったのだが、湖水地方と呼ばれる土地は自然豊かで、使用人達や領民も優しい。
母は有言実行の人で、私にドレスやぬいぐるみをたくさん買い与えてくれた。
時折、父から手紙が届いていたようだが、読まずに暖炉に捨てていたようだ。
母がこんなに頼もしい人だというのは、一度目に人生では気づけなかった。
二回目の人生に感謝したのは言うまでもない。
領地ではぬいぐるみで遊んだり、お姫様が登場する絵本を読んだり、お姫様ごっこをしたり。
誰もそれらを咎めず、優しく見守ってくれた。
初めて袖を通したドレスは動きにくいものの、信じられないくらいかわいくて、着るだけで幸せな気分にさせてくれる。
一度目の人生では剣で遊ぶことしか許されず、服も男物しか用意されていなかった。
女の子として生きる喜びを奪っていた父に対しては、怒りが倍増となる。
もう気にするのは止めよう。これからは楽しく生きるのだ。
変化をもたらしたのは私だけではなかった。
母も王都にいる頃より元気になり、溌剌と暮らしていた。
ただ、父と母が離れ離れになっていて、弟ディルクの誕生が心配になる。
あと五年あるので大丈夫だとは思うのだが。
頃合いを見て、王都に戻ったほうがよさそうだ。
それまでに、領地での暮らしを堪能しよう。
しかしながら、楽しんでばかりもいられない。
私が二十歳になった頃に、邪竜が復活するのだ。
何も知らずに邪竜と対峙し、私は命を落としてしまった。
けれども二回目の人生は、邪竜戦に備える時間がある。
今、私にできることを調べてみたら、一度目の人生に習得した魔法が使えることに気付いた。
それらは、体を強化させる筋肉魔法である。
女の身でありながら剣を握って戦い続けるために習得した特異魔法だった。
ただ、邪竜と戦って生き残るためには、物理攻撃ばかりでは足りない。
魔法を極める必要がある。
邪竜の弱点は聖属性である。
私は母に頼んで、聖術を習うことに決めた。