第91話 向けた刃に覚悟を込めろ
ヒヒ族からミリアを取り返し、その小さな体をコルネアは優しく抱きかかえる。
まだ気を失っている彼女だが恐らくこいつらの術によって眠らされているだけなのを分かると落ちないようにしつつリンゼルに目配せをした。
「大丈夫だ。別に変なことはされてない。しばらくしたら起きると思う。そうだよな?」
「あっ──、はい、その通りです……」
「そうか……よかった……」
安堵する二人を他所に吹っ飛ばされて地面に転がっているマーグがゆっくりと顔を上げていく。
横にはコルネアの蹴りをモロに食らった手下が倒れており、身代わりをしてなければ即死していたと思うと背筋が凍ったが今の二人は完全に油断している。
今からでも不意打ちはできそうだが抵抗する気力はコルネアの一撃でもうない。とにかくこの場から生きて逃げるのが先決であった。
(くそっ! グリミアのヤツ全く姿を出さん! あいつこの状況を見て裏切りおったな……! だがこのバカ共は気が散っている。他のヤツらよりも先に俺はさっさと逃げるぞ……!)
「やはり、魔族は魔族か」
「──っ!?」
マーグの背後から男の声が聞こえた瞬間、這いずっている腕が切り落とされ地面に落ちていく。
何が起きているか、状況を飲み込む前に切断された部位から激痛がその思考を阻害すると声にならない叫びを上げて苦しみ始めた。
「……っ! ワドルネ団長……!」
「油断しすぎだリンゼル。こいつらは魔族。今逃がせば次に何を仕出かすかわからん奴らだぞ」
「ひっ──」
マーグの真後ろに漂う幻の霧からワドルネが長剣を持った姿で現れ、そして追撃と言わんばかりに首筋に刃による一線を通すとマーグはそのまま息絶えていった。
術者が死んだことにより幻だった霧が晴れていくとそこから彼らの部下たちの姿も露になっていく。残されたのは身代わりとして用意されていた二人のヒヒ族だけで体には傷一つなく、無事だったことに胸を撫でおろそうとした二人だったがその光景に思わず息を飲んでしまう。
晴れた霧の地面には惨殺されたヒヒ族の死体が転がっているのだ。それも彼らだけではない。リンゼルが拘束していたミノスたちも同様であった。
「なっ……!」
「全員……殺したっていうのかよ……!」
「はっ、はっ、ひぃっ……!」
「…………? ……それがどうかしたのか?」
地面が魔族の血で染まるこの状況下でミリアを渡したヒヒ族のみが生き残ることになり、凄惨な光景に彼も思わず腰を抜かして倒れてしまう。
術者を殺すというのは無力化という手を使えばいいのだが状況次第でそう決断せざる負えないというのは二人でも理解は出来る。
しかし、リンゼルが命を取らずに拘束した者たちまで手を掛けたという事に疑問の言葉を投げたのだがワドルネの様子は一切変わらない。
無論、彼の部下も同様の反応であるというこの状況で一体どちらが異常なのか──。リンゼルとコルネアのただ唖然としているだけだった。
「敵意を向けた魔族は殺す。これは昔からそうだろ? リンゼル、何かおかしいことでも?」
「で、ですが私が動けなくした者も手にかけるのは……それは……!」
「リンゼル……お前もまだ甘さがあるな。あの大戦を知らないからそう言えるんだ。魔族は隙あらばこちらの命を狙ってくる。弱い存在を殺すことに長けていると教わらなかったか?」
「それは大戦の時の話でしょう……!? 今の時代に、本当にそれが必要なのですか……!?」
「はぁ……。このままでは埒が明かなそうだな。悪いがここで君と議論する暇ない。それは戻ってからでもいいだろう。それよりも、だ。その娘をこちらに渡せ」
「あぁ? なんでだよ?」
コルネアの方に指を示すワドルネに彼女も疑問の言葉を投げかける。
戦いは終わったはずなのにヒリついた空気がまだ辺りを支配しているこの雰囲気でコルネアは警戒の姿勢を崩さずに睨みつけていた。
「別にアタシが背負ってもいいだろ。この子とは仲良しなんだ。目が覚めたらそのほうが安心するだろ?」
「その娘はこちらで保護することになっている」
「こちらってアンタたちが?」
「正確には我々ではない。聖教会が直々に保護することになっている」
「……!!」
聖教会の名を出したことでリンゼルも只ならぬことを感じ取り、静かに眠っているミリアの方を見る。
ワドルネのそれが正しければ教会は彼女の持つ力に興味を示したのだろう。そうでなければわざわざ彼らが自分たちと同行する意味は無いのだ。
彼らの様子を見るに戦いは終わったのにその姿勢は一切崩していない。一触即発の雰囲気の中でリンゼルはワドルネに顔を向けて慎重に言葉を発した。
「この子……ミリアについて教会はなんと……?」
「その娘はどうやら不思議な力を持っているようでな。魔族の手に落ちれば何が起こるかわからん。だからこちらで事前に保護するのだ」
「私はその事を聞いていませんが」
「当たり前だ。これは我ら直に下された命なのだ。そこから外され、端の村に追いやられたお前に伝わるわけないだろう?」
「…………」
「だからこちらに渡せば事はスムーズになるだろ? お前たちはこちらを気にせずにあのウルキア族の方に向かえばいいんだからな。ここは奴らの場所だぞ? こんなことで時間食ってる場合じゃないんだ。さっさと渡せ」
ワドルネは手を広げ、こちらにミリアを引き渡すようにリンゼルを説得する。
それを見たコルネアとヒヒ族は不安げな表情で彼女を見るが、リンゼルは苦悩の表情をしたままだった。
教会の命令は信徒ならば絶対である。だからこそワドルネの言葉に対して返答に対して無言を貫くリンゼルに彼は苛立ちを隠せないようだった。
「さぁ、早く……!」
「リンゼル……!」
「くっ!」
「──ッ!」
リンゼルは複雑な表情をしたまま剣を抜くとその刃をワドルネに向けた。
それを見た誰もが彼女の行動に驚いた。刃を元上司に向けた、この状況による意味は上下関係が厳しい魔族ですら理解できるほどである。
「……どういうつもりだ? リンゼル」
「団長……今の貴方を完全に信用することは出来ません。貴方、その部下たちから漏れ出る敵意が未だに消えていないのです」
「それは戦いが終わって感受性が高くなっているだけだ」
「私以外に向けているのに、ですか?」
「……ッ!! おいヒヒの奴! 逃げろ!」
「えっ……!?」
「いいからっ!!」
リンゼルの一言にコルネアはこの状況を即座に理解すると腰を抜かしたヒヒ族を片手で強引に立たせるとそのまま背中を押して森の中へと逃がしていく。
その瞬間、部下たちが一斉に動き出そうとしたのを見たがワドルネが手でそれを制した。
「いいのですか?」
「構わん。あれぐらいならいいだろ」
「やはり……そのつもりでしたか。あのまま渡してたらコルネアも殺す予定だったんですね」
「……っ。嫌な予感はしてたけど、マジかよ……」
「リンゼル、聞け。こちらに向けてるその刃の先を今すぐそのオーガ族に向けろ。これは教会の命なんだぞ。ここは魔族の地だ。ここで起きたことはこちらには知ることはない。元々お前は聖律機関から目をつけられてたんだ。だがこれがうまくいけば白いままで元のポストに戻れるんだぞ」
「彼女は私の友達です。それに刃を向けろなんて出来るわけがない」
「私に刃を向けるというのは聖律機関、いや聖教会自体に歯向かうということになるのと同義というのを分かっていないのか?」
「分かっています」
「だったらその意味も──」
「──覚悟の上です」
刃を向け続けるリンゼルの顔は先ほどまであった複雑な表情なく、そこには真っすぐとワドルネを敵として見ている顔だった。
彼女には迷いは無い。その覚悟を知ったコルネアもミリアを抱いたまま彼らに身構えていったのだった。




