第85話 動き出す。濁流の如く
「アタシはこの拳で向かってくるアイツを殴ったはずだった。でも、ダメだった。まるで霧を殴った感じでアイツは通り過ぎて行って、アタシもトリンも気づいたときにはこのアリ様だった……」
伏せながらも手をあげて握る拳を見るコルネアの表情は悔しそうに涙を流していた。
声を殺しながら泣く彼女がどんな思いでこの村を守ってくれたのかラギナも痛いほど感じていると何か疑問に思ったのかリグの口が静かに開いた。
「話を聞く限り蒼黒い闘気っちゅーのは、つまりお前さんのヤツと同じということか?」
「……俺のこの力は本来はウルキア族の選ばれたモノにしか扱えないものなんだ。だから血統のあるヴァルゴが扱えても何もおかしくはない」
「それならラギナさん、何故貴方がそれを……?」
「正直言ってそれはわからん……。覚えているのは尻尾を失う前、気が付いたらこの力が身に纏っていたからな……」
「混血……だからか?」
「さぁな……。少なくとも先にこの力を扱えたのは俺のほうだった。ヴァルゴはあの戦争の最後の方でその片鱗を見せていたが、まさかこんなことになるとは……。すまなかったコルネア。俺がいなかったばっかりに……」
「謝んなよ。そういう時もあんだろ」
「…………。……俺はもう行く。ありがとう」
「も、もう行くのか!? 日はまだ出てこんぞ!?」
「あの山脈を超えられたら完全に追いつけなくなる。里までに逃げられたら手が出しようがない」
「なに? 一人で行くの?」
ラギナが立ち上がってミリアを攫ったヴァルゴを追おうとした時に後ろからリンゼルの声がして振り向くとそこにはドレス姿はなくサーコートと鎧という彼女の正装した格好が見える。
その後ろには騎士団長のワドルネもおり、周囲を照らす松明の光源から多くの兵たちも見えた。
「リンゼル……」
「事情はすでに把握してる。ミリアちゃんを攫ったなら助けないとね。でも抜け駆けは駄目だから」
「その件についてはこちらも協力しよう。襲われた事がそのままならこの村での活動に支障が出るだろう」
「いいのか?」
「止む無し、だがな。私はここについてまだ懐疑的であるが、すでに投資した者たちの中に聖教会が絡んでいればこういうことに私情を捨てて対応しなければならない」
「ならばもう行かなければ。今ならまだ間に合うかもしれん」
「それは無理だ。お前が良くても我々の足はそこまで速くはないし、そもそもお前が我々と同行というのをまだ許していない」
「なんだと? どういうことだ?」
「落ち着けラギナ。こっちにも考えがあるんだ」
焦りを見せるラギナをリンゼルが宥めて落ち着かせるとワドルネはやれやれと言った表情でこちらを見ている。
いつもなら感じないはずのその態度にイラつきを隠せないラギナだったが彼女の事もあり仕方ない様子で黙って腕を組んで彼らの考えに耳を貸した。
「本来はこの件に関して我々は動くことはないのだが事情が事情だからな。しかも魔族のお前がいるとなれば猶更だ」
「団長……今はそういうのは……」
「おっとすまない、ついね。これはラギナ、つまりはお前の信用という部分が関係している」
「信用だと……?」
「そうだ。今回我々が協力するにあたってお前は完全にこちら側につく、ということを示さなければならない。この重い覚悟が魔族のお前にあるのか?」
ラギナの間にいたリンゼルを押しのけてワドルネが険しい顔を近づけて聞いてくる。
この問いは魔族から人間側に完全につくことを意味しており、裏切りは自分だけではなく周りを巻き込むことになるだろうと十分に分かる。
ワドルネもそれに対して真剣であり、彼の気迫がそれを表しているのを見てラギナは彼の目をしっかりと定めて、そして声を出して言った。
「俺はミリアを、あの子を守ると誓った。奪われたのなら奪い返さなければならない。それにあの子にとってここがどれだけ大事な場所になったのかも知ってる。ならばこの心に誓ってその覚悟を受け止めよう」
「……よし、ならば日が出る直前で出発するぞ。皆、準備をしておけ」
──ロミナ大陸を割るように聳え立つ山脈地帯をヴァルゴ率いるウルキア族たちとヘルハウンドの群れが駆け走っていく。
丈夫な脚力によって際立つ崖すらも飛び越えていくが、境界線の役目であるここを突破するのは一苦労であった。
すでに日の出は近いがまだ完全には超えていない。追ってを想定するのであればここをどれだけ早く超えられるかが勝負でもあった。
「長、うまくいきましたね!」
「ああ、全ては予定通りで進んでいる。怖いぐらいにな」
「これも賢老様の助言通りですね。このタイミングならうまくいくなんて、さすが耳が良いお方だ」
ヴァルゴの後ろに引き連れた若いウルキア族の言葉に引っ掛かりを覚えたが敢えてそれを無視する。
その言動を考えるに彼の後ろには相談役どもの誰かがいるのだろうが、恐らく本人はそのことに気が付いていない。
この作戦に付いてきたのは実力もあるがヴァルゴを純粋に思う気持ちもあったことはその表情を見れば明らかであるからこそ、そこに付け込んでくる奴らの悪辣さに辟易した。
「それにしてもこの娘、一体何なんですかね? 青い肌の魔族なんて見たことない……」
「俺も定かではないが伝承通りなら、その娘はこの世界が二分される前に存在した魔族になる。つまりは魔族の王、その子孫になる」
「魔族の、王……!」
魔族の王という仰々しい言葉を聞いた若いウルキア族は目を丸くすると気を失い拘束されて背負っているミリアを思わず見てしまう。
鼻を近づけ、その匂いを嗅いでみるが眉を顰める反応をするとその疑問が口から出てきた。
「本当なんですかね……それ。そういうのならこう、もっと特別な感じがしてもおかしくないような……」
「その力が今発揮してなくとも他の魔族どもはこれに従わなければならない。大事なのはウルキア族がそれを人間の手から助けたという筋書きが大事なのだ。我々がこの力の恩恵を受けるためのな」
「それって……」
「一部の魔族しか成しえなかった上位魔族になるため覚醒。魔族の王は古の時代にその一部を覚醒させた。今それらはほとんど存在しない。この娘は象徴、そして我々の種族を反映させるために必要なのだ」
「なるほど。つまりこいつを他の魔族に奪わせちゃダメってことですね」
「そういうことだ。里に持ち帰るまではこの子は絶対に奪わせてはならない。追ってくる人間どもよりも待ち伏せしてくる魔族の方が厄介だ。こちらの動きを察した奴らがいてもおかしくないからな。だが同盟を組んだ他の同胞たちにしんがりを任せている。とにかく彼らのいる場所まで合流しなければ安心はできん」
「獣の、ウルキア族の時代の為に成功させなければなりませんね!」
(ウルキア族の時代……。そうだ、俺たちはこの流れを止めてはならないのだ……)
山脈の頂点付近まで駆け上ったヴァルゴは一度立ち止まって後ろを振り向く。
空は黒紫から少しずつ明るみを帯びており、この後すぐに日が出ることを示している中、彼の視線は襲ったミクス村に向けられていた。
(悪いなラギナ。だがこれも時代という奴だ。俺はこの流れに乗る。ウルキア族のためにな。だがお前はどうする? お前はこの時代に逆らうつもりなのか?)
休憩なしに駆け上るのは流石に体力が持たず、ここで息を整えていく。
高い位置であるために吐く息が白いのが肌寒い気候であることを示していると、その白い息に艶が帯び始めるとそれと同時に朝日が顔を出し始めたのだった




