第7話 不味い酒だが癖になる
キッカから魔族の貨幣を貰うとラギナとミリアはオッドの町をぶらぶらと歩いていく。
目的地である妖精園【クラムベリー】までは流石にラギナの村からでは遠い為に野宿は避けられないのを思ったラギナはここで一泊することに決めたのだ。
その中で宿として機能している場所を見つけるとすぐにそこに向かっていく。
時刻はすでに夕刻、夜に活動する魔族もおり町中が今よりも活気になる前にさっさと宿へ入っていった。
「もう日が沈む。悪いがここで一晩過ごすぞ」
「うん」
「いらっしゃい」
古ぼけた木製の大きな家は依然人間たちが使っていた痕跡があり、二階に上がる先はいくつもの部屋があるのがわかる。
その一階、受付にはカエルのような顔に肥満体系の魔族が座っておりこちらを見て静かに挨拶をしてきた。
「部屋は空いてるか?」
「端はもう埋まってる。上の真ん中だけだな。空いているのは」
「そこでいい。これで足りるか?」
「ああ」
受付に渡したキッカがくれた魔宝石は小さくてもちゃんと少し余る程度には質が良くそれを貰って懐に入れるとドアに掛ける札を机の中から取り出すとラギナに手渡した。
疲れた体を早く休めたいラギナたちは早速二階へ上がろうとした時、ふと受付の魔族の視線が背中から感じ取った。
「……なんか用があるのか?」
「いんや……。お客さんも"物好き"だねぇって思っただけさ」
「……?」
言っている意味を理解できなかったラギナはすぐに考えるだけ無駄だと割り切ってミリアと共にさっさと二階へと上がる。
受付の言う通り端側の部屋には気配があり、真ん中には三つほど空いているのを見てラギナはミリアに顔を向けた。
「どこがいい?」
「うーん……。じゃあ、ここ」
ミリアが示した場所は三つの中から真ん中の部屋に指を示すとラギナはそこのドアに札を近づけるとドアノブからガチャリと施錠が解除される音が鳴るのを聞いて中へと入っていく。
今日泊まる部屋の内装はかなりボロボロで置いてあるのはベッドしかなくシーツも染みだらけ。村で過ごした清潔感ある生活と比べたらかなり不衛生であったが魔族にとってはこれが日常であるために気にすることはなかった。
「ふぅ……。やっと休めるな……。すまんがこの薬で背中を塗ってくれるか?」
「うん」
「頼む」
ラギナにとって少し小さめのベッドに腰を掛けるとミリアも彼の背中に回って受け取った傷薬の小瓶の蓋を開けると独特の匂いが鼻を掠める。
彼女の小さな二本の指に軟膏を掬い取るとそれを矢が刺さっていた箇所をもう片方の手で毛をかき分けて塗ってくれた。
背中の傷口から痛んだ感覚は軟膏のぬるりとした感触によって蓋をするように防がれていき、痛みを麻痺させるじんわりとした温かい感覚に少しだけ酔いしれる。
そんな風に思っているといつの間にかミリアは塗り終わっていたのか彼の背中から隣に移動するとその顔を見上げていた。
「これでもう、いいの?」
「ああ、ありがとう。助かった」
「え、えへへ……へへ……」
役に立ったことが嬉しかったのかミリアは自然と笑みが零れるが少しだけ引きつったような彼女の声は笑うことに慣れてないということがわかった。
彼女の過去は彼女自身も未だに知らない。だが関係を続ければいつかは知ってしまう時がくるかもしれない。
そんな時、幼い少女の精神は耐えられるのだろうか。
嫌な想像をしたことにラギナは頭を振るって無くしていくとそれにびっくりしたミリアが驚いた様子なのを見て、気まずくなったラギナはベッドから降りると近くの壁に体を預けた。
「俺はここで寝る。そのベッドはお前が使っていいぞ」
「……一緒に寝ないの?」
「今更どうした? 村の時でも同じだっただろう?」
「え、でも……」
「そのベッドじゃ小さくて俺の体が収まらんからお前を潰してしまうかもしれん。俺のことは心配するな。こういうことは慣れてる」
「う、うん……」
「明日は早めに出たい。さっさと寝るんだぞ」
ラギナの言葉を聞いてミリアは彼に背を向けた体勢で横になる。
少し早めの就寝、少し寂しそうなミリアの背中を見つつラギナも静かに目を閉じていった。
(どうせクラムベリーで別れるんだ。変に情を持っても辛くなるだけだからな……)
──夜が更けてもこの町はまだ静かになることはない。
そんな中でラギナはこの町の酒場におりカウンターの端に座っていた。
何故ラギナが今ここにいるのか。それは夜空に星がよく見える時刻になったときにラギナは重くなっていた瞼をつい開けてしまったのだ。
本当は気にしないようにしてたがこの部屋の両側から盛っている音が鳴り響いているのだ。
耳に入る荒ぶる声たちは徐々にヒートアップしていきそれに伴い匂いもキツくなっていった。
(クソ……。受付のあの言葉の意味はこれだったのか……。完全にやらかした……)
「すぅー……。すぅー……」
(コイツ意外と豪胆だな……。こんな状況なのに起きる気が全くない)
"こういうこと"に対して詳しい知識があまりないラギナは悔やんだが一度起きてしまった以上、この状況で再び寝るのは困難である。
完全に目が覚めていしまったラギナはミリアの方に顔を向けるとそこにはこの騒音をもろともせずに静かに寝ているのを見て思わずボサボサの髪を整えるように撫でると札を持って外へと出て行った。
「しかしまぁ、またアンタに会えるなんてな。ほらこれは奢りだよ」
バーの奥には魚顔をした魔族の酒場のマスターが座っているラギナに一杯の酒を目の前に置いて話しかけてくる。
コップに注がれたその液体は濁っており、手に取って鼻を近づけるとアルコールのキツい匂いが漂ってきた。
「そういえばこっちでは酒を飲んだ記憶はほとんどないな」
「そうかい。だったらいい思い出になるぜ」
「ふむ……」
特別な場合を除いてちゃんと酒の味を知ったのはあの村で暮らしていた時であり、親切な村の者から何度も注がれた記憶を思い出す。
あの時の酒はあくまで人間の度数に合わせたものであり、魔族であるラギナにとっては渋みと甘みのある飲み物程度でしかなかった。
おかげで全く酔いつぶれないラギナを見て面白半分で飲ませ続けた結果、その時にあった酒をほとんど飲み干してしまった。
ラギナを除いた村の男たちがそれに付き合った結果、全員泥酔状態になった為に彼らの伴侶や子供たちから一緒にこっぴどく怒られたことに思わず小さく笑いながら、それを肴にして目の前の酒を飲んだ。
(う~ん……。これはなんともまぁ……)
口に含んだ魔族の酒の味を舌で感じると、それは酷いものであった。
針のような刺激はあるが味は苦みがほとんどであり、村で飲んだ酒はこれと比べるとアレはかなり美味いものだったんだなと改めて思う。
そんな思いが顔に出ていたのかマスターはそれを見て思わず笑っていた。
「どうだい? "いい味"だろ?」
「まぁ、そうだな……。記憶には残る……」
「はははっ! 美味い酒も不味い酒も、酒は酒だ。こういうのでもここじゃあ結構人気なんだぜ?」
「これしか飲むもんがないだけじゃないか?」
「おいおい。それは酷いな」
「それにしても、ここも大分活気があるな。前に来た時は町のほうもかなり寂れていたが……今だと見違えるぐらいに変わってる」
「ああ。お前さんがいなくなって結構経ったからな。ここはならず者ばっかだが何だかんだで家みてぇな場所になってる。皆さ、意外と仲良しで暮らしてんだぜ?」
ラギナはオッドの町に来た時はもっと魔族が少なく、少なくともこの酒場で魔族たちが飲みあっているほどの余裕すらなかった。
しかも複数の種族がここに入り混じっている。そういったコミュニティは魔族ではあまりなかったがいつのまにか変わりつつある光景は争いばっかだった魔族に対して少しだけ感心した。
「だけどよ……。最近はちょっと色々あってな……」
「なんだ? 何かあったのか?」
「いや……まぁあれだよ。こういう場所でもリーダーっていうのは生まれてくるモンだろ? こいつがまた面倒でなぁ……お前さん、どうせまたすぐにどっかに行くんだろ? だったら早めの方がいいぞ」
前に座っているラギナに対してのみ聞こえるように小声で忠告してくるマスターに頷くと酒を再び口に入れていく。
度数だけは高いこの酒なら少しは酔ってあそこでも眠りにつくことができるだろう。
やがてその量も半分になったとき、外の方が騒がしくなっていくのをラギナは感じ取っていたのだった。