第73話 鍛錬、鍛錬、鍛錬
日もまだ明るく、さんさんと降り注ぐ森の中に似つかわしくない戦いの音が鳴り響いていた。
一人はラギナ。少し開けた場所で体を構えて待機おり、鋭い瞳だけが辺りを目視するように動かしていった。
瞳が動く先には一つの影があり、それはコルネアであった。ただ走るだけではなく、周囲の木々を蹴り飛ばしていく彼女は猛スピードでラギナの周りを駆け巡っていた。
「すごい……とんでもない速さだ」
それを離れた位置で見ていたリンゼルがポツりと漏らす。
今日はラギナとリンゼルの鍛錬にコルネアも加わることになり、三人で交代しながらすることになっている。
それにしてもこの光景は人間同士の鍛錬ではまず起こりえない。想像以上のことが目の前で起きていることにただ圧倒されていた。
「いつまで走ってるつもりだ。そろそろ来い、コルネア」
「んなこと、わかってるっつーのッ!!!」
ラギナの挑発に乗るように応えたコルネアは彼の視線が追っている自分とズレた瞬間に一気に接近する。
彼の視線とは真逆の方向に猛スピードを加えた蹴りを側面から顔目掛けて振ったのをラギナはそれを見ないまま片腕で防いで見せた。
「ああっ!? そっち見てたのになんでだよ!!」
「俺は目だけで追ってるワケじゃないからな」
「鼻もかよ! ズリーぞ!」
「ズルくない。匂い以外にも気配とか色々ある。この程度、強い奴らなら出来るしお前の経験不足だ。そして──」
勢いを止められたコルネアの体はラギナに弾かれて空中に放り出される。
宙に浮かされれば羽など浮く手段が無ければ基本的に大きな隙を生むことになり、ラギナはそれを見逃さなかった。
「一撃に頼りすぎだ、お前は!」
空いているもう片方の腕に力を込めて宙にまだ浮いている隙だらけのコルネアに強く振るっていく。
──勝負はついた。それはラギナとリンゼルが頭に浮かんだものだったがコルネアだけそれを見てニヤリと笑って返した。
「それをすると思ってたさっ!」
「……っ!!」
振りかざしたラギナの剛腕、それが体に当たった瞬間にコルネアの全ての筋肉が総動員して稼働して体がぐにゃりと動かされ、この腕を逆に両手で掴んだ。
掴まれたこの腕の勢いは止まることはない為に、振り落とされないように力を入れつつ、器用にラギナの背面に回るように動くと両腕で首を締めあげた。
「ぐっ……!」
「へへっ、どうよ。前のウーズからピンと来た動きだぜ、これ」
「い、いいアイディアだな。それは……」
「だろ? だからさっさと堕ちろよな!!」
柔らかい動作で相手の攻撃をいなしていた結果、コルネアの裸絞はガッチリと決まっている。
ラギナも今の勢いをつけた攻撃の反動のせいで動きが止まってしまう。しかもオーガ族の力も加われば猶更だった。
「このままいけば、アタシの勝ちだ!」
「ラギナ! おい、これ以上は……!」
「…………」
やりすぎ、というリンゼルの言葉を遮るかのようにラギナは目と手でそれを制する。
ラギナの顔は真っ青になっていくがその瞳に力がまだあると知ったリンゼルは一度黙ると事の終わりを見届けることにした。
「ふっ──」
「なっ……」
首を絞められた状態、しかも相手がオーガ族なら生半可な抵抗では振りほどくのは不可能。ならばと思ったラギナは前に倒れてそのまま四つん這いになると気を失う前に大きく空に向かって跳躍した。
周囲の木々よりも少し高めに飛んだラギナにコルネアも思わず体が飛び上がってしまう。
それでもコルネアじゃ首を絞める両腕だけは離さなかったがラギナはそのまま空中で体を捻ると彼女が地面側に向くように体勢を変えた瞬間、両足で空を思い切り蹴ると地面へ一気に落下した。
「うぐっ!?」
ラギナの全体重に落下速度を加えた一撃は両腕で絞めているコルネアにとって受け身すら許さないものであり、その苦痛に顔を歪めながら堪らず両腕を離してしまう。
潰された肺は空気を求めて反射的に大きく口を開けながら息を吸っていくコルネアはそこでようやく自分の置かれている状況に気が付いた。
地面に倒されているコルネアには大きな影がずっと残っているのだ。ラギナが乗っているのであれば話は別だが重さはもう感じてない。朦朧とする意識の中で映った光景はラギナが再び跳躍している姿であり、降り注いだ追撃の片足がコルネアの腹に踏まれ刺さった。
「ぐぅえっ!?」
「ふぅ……」
「ちょ、ちょっと! 流石にそれはやりすぎだろ!」
「えっ!?」
「ま、待って……ごほっ、リンゼル、アタシは大丈夫だ……。ま、参ったよ……」
「コルネア……。ほ、本当に大丈夫なのか?」
「ああ……こう見えても頑丈だからね……。これぐらいすぐに平気になる……」
「そ、そうなのか……」
「リンゼル、やっぱりこれはダメだったか……?」
「う~ん……私たちにとって魔族のこういうのはわからないからな……。大事にならなければいいのだが」
人間であるリンゼルにとって魔族同士のやりとりはスケールが大きくて少々過激に見えてしまう。
しかし、本人たちはこちらの反応に戸惑っているようであり現にコルネアも踏まれた箇所を撫でながら立ち上がる様子である。
人間と魔族、種族の違いとしての見え方が違うことを改めて知ったリンゼルはこれも教訓として学べそうであった。
「次は私だな。コルネアはそこで休んでくれ」
「あ、ああ……。そうさせてもらうよ」
「ラギナ、準備はいいか?」
「いつでも来い」
模擬用の剣を構えたリンゼルを見てラギナは休憩なしに身構える。
先に仕掛けたのはリンゼルであり、素早く剣を振るうそれをラギナは身を躱しながら手刀で応戦していった。
「アタシの時よりもかなりしょぼいけど……スゲーな、これ……」
痛む腹を摩りながらコルネアはポツりと漏らしてしまう。
戦いのスケールは自分の時よりは遥かに小さい。にも拘わらずコルネアの目が釘付けになってしまうのはその技の練度の高さであった。
自身の身体能力に身を任せた強引な立ち回りとは違い、リンゼルの攻撃は一つ一つ丁寧で、そして確実にラギナを追い詰めていた。
勿論ラギナも隙を見ては反撃を試みている。しかしリンゼルの卓越した剣捌きはそれすら予想されたものであり、一度の反撃をすればその隙を逆についてそれ以上の攻撃を受けてしまうものだった。
本気を出し切っていないとはいえ、その対応をまともに受け続けるのはラギナもかなりキツそうなのはコルネアの目から見てもわかる。つまりこれはお互いが本気になればこれ以上の戦いになり、そこに自分が身を置いたときに勝てるビジョンが全く浮かばないのだ。
「ラギナもそうだけど、リンゼルっていう奴も、人間なのにメチャクチャつえー……。世の中、本当に強いヤツっているんだ……」
考えてみれば当たり前の事だが実際に目にするのとは印象が違う。
特にコルネアにとっては人間は下に見ていた存在である。それをこうも自分の価値観をひっくり返す出来事が目の前で繰り広げられているのだ。
「今はこの二人に勝てる気がしねぇ……。でも……いつかは……! だから……!」
すでに腹の痛みは治まっている。コルネアは腹に当てていた手を離すと握りこぶしを作りながら瞳に力を入れて二人の戦いを食い入るように見ていく。
強いヤツからは学ぶことは多い。それは決して戦いだけではなくこういった"見る"ということも重要だと幼いころに学んでいた。
それはコルネアにとってどうでもよいほどの価値しかなかったが、それもこの時まで。頭を切り替えたコルネアは二人の動きを一つも見逃さないように見た。
「これで!」
「くっ!」
リンゼルの連撃に防ぎ躱し続けたラギナがついに崩れる。
ラギナの腹に剣が食い込むとそのまま後ろ側に尻をつくように倒れてしまう。
リンゼルは倒れたラギナを見て勝ち誇ったような表情をしながらその剣の先を彼の顔の前に翳した。
「ラギナ、私の──」
「いや、まだ早い──!」
勝利宣言をしようとしたリンゼルにラギナの片足が素早く持ち上げられると、彼女の剣が空へと蹴り飛ばされる。
空中でくるくると回りながら飛んでいく剣はやがて勢いが無くなると落ち始めていき、そしてぽとりと草の上に乗っかったのを二人は見届けた。
「油断したな。そういうのはあまりよくはない」
「……普通ならこうなってしまえばここで勝負はついた、となるんだがな」
「むぅっ……」
「でも確かにラギナの言う通りだ。こうなるとどうしようもない。つまり──」
「引き分け、か?」
「そうなるな。ラギナ、立てる?」
「ああ」
彼女の差し出された手を取りながらラギナは立ち上がると互いに健闘した事を表すかのように微笑んだ。
「くううー! すげぇな、二人とも! 本気で戦いあったらどうなっちまうんだ!?」
遠くで見ていたコルネアが自分たちよりも興奮している様子に少しだけ驚いていると彼女の疑問に二人は唸りながら悩み始める。
しばしの沈黙、その間にワクワクとしながら待っていたコルネアを見ながら二人は同時にそれを答えていった。
「戦いたくはないね」
「戦いたくはないな」
「んっ……?」
「おっ……?」
「……はぁ~? なんだそれ。つまんねぇの」
「まぁお互いが苦手……って感じなのかもしれないな」
「そうかもしれん」
「ハァァァ……。まぁいいや。よっしゃ次はアタシとリンゼルだな。終わったばっかだけどいけんだろ?」
「私は大丈夫だけど……コルネアの方はもう平気なの?」
「まぁね。それよりも早く戦ろうぜ! もう体がさ、疼いてしょうがねーんだ!」
「ハハッ、これは鍛錬だというのに全く……。それじゃあ、とことん戦ろうか、コルネア」
「おうよ!」
草の上に落ちている模擬用の剣を拾ったリンゼルはコルネアと対峙したのを見てラギナはゆっくりと離れていく。
十分に離れたのを確認して座り込むと二人が戦いあうのを静かに見守っていったのだった。




