第48話 霧に浮かぶ三日月──⑥
かつての仲間だったシャムラが忌々しそうにこちらを睨みつけて立ち上がり、片腕となってはいるがその傷はすでに塞がれて癒えている。
手負いの状態であるがその威圧感は凄まじく、手に持った短剣をクルクルと手癖のように回すその素振りすら何かあるのではと警戒しなければならなかった。
「片腕の状態で戦えると思っているのか? 癪に障るがお前から聞きたいことがあるからな。命までを取るつもりはない。大人しく降伏しろ」
「ハッ! 命のやり取りするってーのになんだそれは。片腕だからってナメてんじゃねーぞ。それにお前も随分と消耗しているのはこっちも分かんだよ。強がってんじゃねぇ」
シャムラの言葉が終わる瞬間、ラギナの背後で気を失っているリンゼルに彼の分身が地を這うように迫っていき、間近まで来ると鋭い爪を彼女の喉に突き立てようとした瞬間、ラギナは素早く振り向いてその分身を拳で叩き潰した。
「──……ッ!」
「お前のやり口は知っている。そうやって油断を誘うようなことをして不意を突く、ただそれだけだ。俺から少しでも目を離してみろ。今度はこの分身がお前になるぞ」
「シャラララ……。その状態のお前には流石に無理か。いいぜ、相手してやるよ!」
シャムラは分身を複数生み出すと自身は濃霧の中に隠れていく。
こちらに迫る分身の中にラギナはいると思うがウルキア族の匂いを以てしても本体との見分けがつかない。
ヒュルマ族の潜伏能力を高い水準で扱えているのはシャムラがそれほどの実力者というのが分かる。
だがそれに臆しては相手の一方的な展開を作ってしまう。故にラギナも赤い闘気を逆手剣に形作ると分身たちを切り刻んでいった。
「中々やるじゃねぇかラギナ! 前のお前だったらその赤い気のせいで自分を呑み込んじまってたのによぉ。今じゃ随分と冷静じゃねーか!」
「この程度なら俺はもう、この力に吞まれない!」
「この程度だと? まさか必死に抗ってんのか? バカが、力が全ての俺たちの世界で血迷ったことを! そんなことしてると死んじまうぜ!?」
「俺には守るべきものが出来た! 力が全ての中というのならそれを守るべき者の為に注ぐ! だから死なん!」
「そんなモンの力なんてたかが知れてるだろーが! シャララララ!」
分身をいくら切り刻んでもその感触は空を切ることと同じであり、空ぶったその隙を見逃さないシャムラは短剣で逆に彼の体を切り刻んでいく。
だがその分身もシャムラの魔力と闘気を複合させた物体であり発現するだけで体力を消耗していく。お互いが手負いの状態での消耗戦はもはや我慢比べに近かった。
「いい加減さっさとくたばれよなぁ! 俺たちの為によぉ!」
「俺たちの為だと? 人間の方まで干渉して人攫いや殺しを生業とした奴が何を言う! お前ほどの奴がなんでそんなことを……!」
「ハァ~? テメェ寝ぼけてんのか? それとも世界を見て見ぬ振りでもしてんのか?」
「な、何を……」
「あの戦争が終わって、くだらねぇ和平で本当に平和を齎したと思っているのかと聞いてんだよ。魔族の世界を見たことあんのか? 戦いで荒れちまった地で数少ない食い物の奪い合いで殺しあってんのを同じ魔族同士でやってんのをお前は見たのか? いいかラギナ、俺のやっていることは生きる為のビジネスなんだよ!!」
「ビジネスだと……? お前はただ私欲でやっているだけだ! 不幸をまき散らしているだけだ!」
「誰かが不幸とかこっちには関係ねーよそんなこと! それに俺たちだけがコレをやってると思ってんのか? すでに勘づいてる奴らは俺みたいにそういうことをしてんだよ! 森で未だに暴れている虫共もそうだ! 平和ボケのテメェらが知らない所で世界はもう、すでに動いている!!」
「なっ……!」
「このビジネスを成功させれば俺たちは先の世界に行ける! そうすれば俺たちは魔族と人間、両方の世界を裏から支配できる存在になれる! 混沌がまだ渦巻いているこの世界を魔族の血で沸かせるんだよ! そんでラギナ、テメェは戦争が終わって何をしていた? 噂も何も聞かないっつーことは隠居でもしてたのか?」
「……ッ!!」
「戦争が終わって皆が英雄に求めたのは疲れ傷ついた魔族たちを導くという責務。四英雄の中で戦争で巻き込んだそのツケを払おうとしていたのはヴァルゴとドミラゴの爺だけだ! カルラはともかくラギナ、お前はそれをやったのか? 英雄としての責務をお前はやったのか? ほら言えよ、テメェは一体何処で何をしていた?」
シャムラの口が止まらないのが彼の攻撃にも表れている。
怒涛の攻めにラギナもたまらず攻撃を受けきるのに精いっぱいになってしまった。
それは彼が得意としている話術ではなく、明らかに感情が乗ったものに心が圧されたのだ。
「そのマヌケ顔、やっぱり何もやってねぇってことだろーが。俺たちはな、魔族の性に沿って生きる為のことをしてるだけだ! それの何が悪いんだ!? 何もしなかったテメェが気分で表に出てきやがって……俺たちの生き方に口出してんじゃねーぞ!!」
「シャムラ……! それでもお前は間違っている……!! こんなことは絶対に……!」
「うるッせぇぇぇぇぇッッ!!! テメェが今更ッ!! この俺に説教垂れてんじゃねぇぇぇ!!!」
殺意と怒りが籠った分身たちが凄まじい勢いで発現されていき、その数は十を超える。
それらが一斉にラギナに飛び掛かり、四方八方からの脅威をラギナは逆手剣を振るって対応するが、流石の数にいくつかの攻撃を体に受けてしまう。
先の電撃と本体からのダメージの蓄積はラギナの体力を著しく消耗していく。
少しでも気を緩めれば今解き放っているこの赤い闘気の制御も効かなくなる。そうなれば今のシャムラを倒すことは容易ではあるがそれは確実に殺してしまうし周囲、特に近くにいるリンゼルに危険が及ぶのは目に見えていた。
そしてラギナの目の前に本物の気配がする分身が三体目に入る。
首、心臓、脇下からの肺という急所を狙ったそれぞれにラギナは対応しなければならない。
全てを蹴散らすことは簡単だがそうすれば分身の裏に隠れていたシャムラに隙をつかれてしまうことになり、それは致命的な一撃だとラギナは直感で理解した。
(抜き足……)
ヒュルマ族秘伝の技をここで見極めなければならない。時間が遅くなる感覚が両者の中に広がり、この時だけは世界は二人だけになっていく。
(差し足……)
ラギナは赤い闘気に飲まれないように五感を研ぎ澄ませていく。遮られた視界の中で僅かでも相手の動きを見定め、空気を吸ったこの中から鼻腔と口内で僅かでも本体の獣臭を感じ取ろうとし、肌に伝わる空気の振動のブレに気を使い、そして僅かな違和感の音すらも耳の中で注意深く聞いていく。
(忍び足……!!)
シャムラの分身が一斉に襲い掛かった瞬間、僅かに感じた違和感をラギナは信じると逆手剣をそいつに向かって振るった。
「そこだァァァ!」
ラギナが狙った分身、それは脇から肺を狙う個体であり脚を蹴って一直線に刃を当てるとそこには確かに"感触"があった。
「……ッ! 掛かったな!」
「──ッ!!」
分身の中から感じた刃の感触は確かにシャムラであったが、その手前に奇妙な別の感触がある。
それは彼の体に張り付けられた魔法書であり、刃を当てた瞬間、そこから豪火がラギナを襲った。
「シャラララ! バカがよぉ! 念には念をってヤツさ! シャーララララ!」
「…………」
「シャーララララ! ララ、ラッ……あぁ?」
分身をも巻き込んだ凄まじい火の渦は確実にラギナの体に纏わりついている。万が一こちらを当てた場合の保険によって焼ける苦しみで悶える姿が火の中から影として踊り狂うのが見える──はずだった。
シャムラの誤算、それはラギナはこの火の中から一目散にシャムラに近づいていることだった。
「──……なっ!!?」
「お前なら絶対に何かすると思っていた。策に自信がありすぎて油断したな、シャムラ!」
「く、くそっ……!」
「ガアアアァァァッッ!」
体を焼きながら空を蹴ってシャムラの体に逆手剣の方向を持ち替えて刃を突き立てる。
刃が肉を抉り、逃げられないように貫通したまま持ち上げられたシャムラは口から血を吐き出した。
「うう……ごはっ! ば、馬鹿な……テメェ如きに俺が……」
「魔法書に頼りすぎたな。昔のお前ならそんな安易なモノに絶対に頼らなかった」
「何を言って……」
「ヒュルマ族の誇る秘伝の足捌き。僅かな音も無くしたその動きは闇夜なら気配すらも消せる。だがお前はほんの僅かだけ踏み込んだ音を鳴らして気配を出した。お前ほどの奴がこんな程度のミスなんてしなかったはず。新しいモノに目を暮れて鍛錬を疎かにしたな。この魔法書もそれを補うための物だろう?」
「チッ……バレてたのかよ……。ふざけやがって……」
ギリギリ急所は外してあるとはいえ、重傷のシャムラは下手に動けば命はない。
それでもシャムラは最後の抵抗とばかりに動ける部分を動かしているのを見てラギナは思わず叫んだ。
「おいやめろ! それ以上動くな! 死ぬ気か!?」
「シャ、シャラララ……。ラギナ知ってっか? ヒュルマ族はよぉ、死んだ姿を見せねぇんだ。正確には死体をな……」
「お前は何を……」
シャムラはそう言うとローブの中に隠し持っていたもう一枚の魔法書を発現させると自身の体を一瞬で発火させる。
先ほどラギナが食らった豪火が今度はシャムラが包まれていき、ラギナは思わず逆手剣の刃を彼から抜くと焼き焦げながらシャムラは睨みつけて口を切った。
「シャラララ……! いいかラギナ、これからテメェはもっと苦しむことになるぜ。その生ぬるい考え方をしている限りな。先にあの世に行って、そこから苦しむテメェを見てやるよ……! シャララララ……!!」
火の中でシャムラは最後まで笑い続けるとその体は朽ちていき、やがて彼の言葉通り死体すら残らず灰となって消えていく。
それと同時にミクス村を覆っていた濃霧が晴れていく。日差しが照りだしていく中、ラギナの心は彼の言葉が刺さっており晴れることはなかった。




