第34話 都市カラカルドへ
ミクス村の早朝、冷たい夜によって靄が残る中でそれによって草に帯びた露が滴るこの時間とこの場所に見慣れない馬車が村の入り口に止まっている。
その手前には青いサーコートを纏っているリンゼルが腕を組んで立ち尽くしていた。
彼女の瞼は閉じて静かに呼吸をする音がこの静かな朝の空間では自身の息遣いが大きく聞こえるようだった。
「待たせたか?」
ラギナの声を聞いたリンゼルはゆっくりと瞼を開いて彼の方を向く。
そこには人間の姿をしたラギナが見え、その体には深緑色のマントで体を覆い隠していた。
「いや、大丈夫だ。それよりもそのマント、体に合っているか?」
「思ったよりも着心地がいいな。あとはこの布が伸びるのが面白い」
「昨日来た運び屋に特殊な繊維の布にエルフ族の魔力を込めて縫ってくれたからな。それがあれば万が一の時でも破けることはほとんどない」
「なるほど……わざわざ俺のために……」
「礼が言いたいなら仕立ててくれたクローディアに帰ってから言うんだな。話は中でも出来る。そろそろ行こう」
リンゼルが馬車の扉を開き、そこに手招きするのを見てラギナもそこに入っていく。
ここに訪れた馬車は通常よりも大きめではあったが、それでも人間の姿ですら巨体のラギナにとって狭く、体を縮ませないと窮屈な空間であった。
「一応、ここに来させるのに一番デカイのを頼んだのだがな……。それでも狭いか」
「だ、大丈夫だ。心配するな」
「そ、そうか。それじゃあ出してくれ」
少し苦しそうなラギナを後目にリンゼルは御者に手と声で合図を送ると馬車を引く二頭の馬が動き出していく。
正直言って魔族の姿で馬車の隣でも走れば、こんな状態にもならないのだが自分が人間の姿でないといけないということがリンゼルの口調の変化からでも分かる。
領主という言葉に馴染みはないが、この雰囲気を見るに重要な人物であることは間違いなかった。
「すまんなラギナ。私に付き合ってもらって」
「その領主というのはあまり耳にしたことない。かなり偉いのか?」
「そうだな、魔族でいうと族長……場合によってはもっと偉いな。この地域一帯を領地として収めている者を考えていい。今後のことも考えてお前もバード公と面識があったほうが都合がいいだろう」
「なるほど。それは確かにそうだな」
「しかしまぁ……。まさかこんなことになるなんてな……」
リンゼルは頭に手を当てて苦い顔をする。
その理由として先日、運び屋がミクス村に訪れた時に伝えられた時に『今後、望まれた物をミクス村に送ることが難しい』という内容が書かれた文書が添えられており少しずつ安定してきているが、まだまだミクス村にとって不可欠なことであるためにここで補給が途絶えれば魔族との共生というのは夢のままで終わってしまうのだ。
幸いにもリンゼル、というよりセフィリナ聖教会と蜜月な関係にあるエルクライド・バード公はミクス村の援助に対して初めに声を挙げてくれた方だ。
そんな彼がこのような判断になったのは何か事情があったことを察するのは容易であり、それによってすぐに馬車を取り寄せたのだ。
ミクス村に続く森を抜けると、舗装された街道が続く場所へと出る。
朝早くから出て昼が過ぎる頃、馬車の中から窓を覗いてみるとのどかな風景も大きく変わっていった。
「おお、これは……」
カラカルド領を統治する領主エルクライド・バード公が住む城ある都市カラカルドへとラギナたちを乗せた馬車はたどり着き、その中へと入っていく。
朝靄のせいでよくわからなかったが馬車は豪華な装飾品によって飾られており、道行く人の視線を集めているのが窓越しからでもよくわかる。
「初めてか? こういう場所は」
「ああ。俺が住んでいた場所はこんなに多くはなかった。それに綺麗だな。活気は魔族の方も負けてないが人間の方はここまで暮らす場所が整っているものなのか」
「景観は大事だからな。それが一つの力の示し方にもなる」
「そうなのか。中々面白いな」
魔族と人間、その価値観の違いがこんな場所にも表れていることに二人は不思議な感覚を覚えていると、やがて都市の奥に城が見えるとその中へ入っていく。
噴水のある広場で馬車は立ち止まると近くの者がその扉を開けて先にリンゼルが外に出るのを見てラギナもそれに続いた。
「……っ」
自身の重い体重による軋んだ音を鳴らしながら馬車を出るとその光景に思わずラギナは気圧される。
それは警備の兵たちがこちらを出迎えるように待っているのだが、ラギナの姿が見えた途端、その空気が一変し明らかに警戒の目が向けられているのがわかる。
それもそのはず、身なりが整っているリンゼルに比べてラギナの風貌は体が大きくて目立ち、しかも浮浪者のような恰好はその印象を与えるのに十分であった。
魔族といっても自分がここでは場違いな存在ということはすぐに理解し、こういった事を知らないラギナにとって勝手がわからないでいた。
「ラギナ行こう。待たせるのは失礼だ」
リンゼルの一言がラギナの耳に入るとハッとした顔で彼女に視線を向ける。
そこには凛とした姿で自分を導こうとしてくれる様子であり、ラギナは頷くと彼女の後についてく形になった。
バード公の従者に手紙を渡すと二人を城の中へと案内されていき、やがて大き目の扉に従者がノックするとその内側からバード公と思わしき声が聞こえたのを耳にするとその扉は開いていった。
「失礼しますバード様。リンゼル様とその付き人がお着きになりました」
「おお。来たか」
テーブルの上に整理された書類の向こうには領主エルクライド・バードが入ってきた二人を待っていたかのような顔をして招き入れる。
少し老けた顔に疲れが滲み出る声は少し情けなく、威厳な雰囲気は無い。
リンゼルがお辞儀をして挨拶をするのを隣で見たラギナもぎこちなく真似をすると彼女はそのままバード公に話かけていった。
「久しぶりだなリンゼル殿。前はいつだったか?」
「お久しぶりですバード公。聖都の祝祭以来ですね」
「そうだったか。その時と全く変わらないな君は。でも活躍はここにいても聞こえてくるよ。最近だとモンスターの群れを撃退したんだって? 素晴らしいじゃないか」
「お褒めに預かり光栄でございます。今後も聖律機関の騎士として精進するつもりです」
「うむ。それで、そっちの男は……?」
「こちらの名はラギナ。今は私の付き人として下につかせています」
「なるほど……」
バード公がラギナの顔をまじまじと見つめる。
そこには警戒の目ではなくこちらに興味を示しているようだったが、今は口から言葉を下手に出せば自分の首を絞めることになるのは容易に想像できラギナは静かに会釈をする程度に収めた。
「バード公、今回私がこちらに伺った件。それはあの文書についてなのですが……。これはいったいどういうことですか? 今まで援助してくれたのに突然何故……」
「それはだねリンゼル殿、こちらにも事情というのがあるのだよ……」
「事情……」
バード公は大きくため息をつきながらテーブルの引き出しから瓶を取り出すと、その中にある丸薬を手に落としてそれを口に含む。
味はとても苦いというのを表情で表しながら置いてあるコップに入った水を飲んで丸薬を喉に通していくと腹を摩りながらもう一度、深いため息をついていた。
「実はな、ミクス村の件については貴族たちが反対しててな。うちは昔からセフィリナ聖教と仲が良かったから最初は声が大きくはなかったんだが、近ごろそれも増してきていてね。それを抑えるのにも限界がきているということなんだ。まぁ彼らからしてみれば君の試みは無謀とも言えるしそれによるリスクもある。最近はモンスターだけじゃなく賊も増えてきているからな。運び屋たちがもしそれに襲撃されたらと思っていたその矢先だよ。貴族たちはこれを見て声を大きくしてきたんだ。そこに魔族の影響が出てみろ。そうなれば取返しのつかないことになるかもしれん」
「し、しかしあの村で済む魔族はこちらで友好的と判断した者だけになっています。そこまでのことが起きるとは……」
「私だってそう思いたいしリンゼル殿の父とは仲が良かったからな、力にもなりたい。だが今は百年続いた戦争の傷を癒すのにどこも必死なんだ。ただでさえ民たちを抑えるのに精いっぱいな状況で貴族までとなると……。財源をそっちに回すほどの余裕が今の私の力だけじゃどうしようもないところまできている」
わかってくれ、と言わんばかりの顔を見たリンゼルは悔しいが何も言えず、握られた拳だけに力が入っていく。
何かないかと模索する中でラギナはふと、"さっきのこと"を思い出すと恐る恐る口を開いていった。
「……一つ、俺からいいか?」
「ラギナ……?」
「なんだ? 言ってみなさい」
「その、さっきアンタが飲んでいたのは薬か?」
「おい、口の利き方……!」
「大丈夫だ。これのことか? 合っているがそれがどうした?」
「いや、知り合いに調薬師がいて、その同じっぽいモノを見たことがあってな。こういう薬っていうのは貴重なんだろ?」
「作るための素材の数が少ないからな。それで?」
「ということはその素材は特薬草か。そういうのこっちでは貴重な物っていうをもし、たくさん採れればそれはこっちでは金になるのか?」
「そうなるな。そういう物を特産として売りに出している町もある」
「だったらそれを利用してあの村を発展させることはできないか? 金をこっちで賄えばそっちの負担も減るだろう」
「面白い意見だがそう簡単にいくとは思えないな。あそこの周りはすでにこっちで調査している。そこはどのような場所で何があるかなど知らないとでも──」
「その調査は魔族の方面もやったのか?」
「何……?」
「……すまん。リンゼル」
「ラ、ラギナ……?」
ラギナの謝る一言でこの部屋の空気の緊張が僅かに高まっていく。
そんな不穏な中でリンゼルは彼の名を呟いて顔を見ると、ラギナの体が人間の姿から白狼の魔族の姿へと変わっていくと、魔族の鋭い視線がバード公に向けられると口を開いた。
「俺はウルキア族のラギナ。魔族と人間の血が混じった魔族だ」




