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第32話 苦悩は水と共に

 ミクス村に一人で戻ったラギナは疲れからか家に入ってベッドに体を預けるとそのまま意識が遠のいていく。

 それは現実逃避でもあり、忌まわしい過去の記憶を一刻も早く意識を暗闇に投げ捨てたかったのだ。


「…………」


 そんな暗闇は小さな温かみによってゆっくりと消えていく。

 それは背中からじんわりと感じており意識を鮮明にさせながら目を開けるとそこにはミリアが引っ付くように眠っている姿であった。

 いつの間にか寝てしまった自分は縮こまるように丸まっており、そんなラギナに寄り添う彼女はそれが精いっぱいの慰めでもあった。


「ハァ……」


 起きてしまった以上、すぐに眠りにつくとは出来ずラギナは大きなため息をつきながらベッドから離れると外の空気を吸うために出ていく。

 夜はすでに更けているここを照らしているのは月と星の光という僅かな光源のみだが魔族のラギナにとってはそれだけでも十分であるために気分転換にラギナは森の方へと歩いて行った。

 夜の森は明るい時間帯には感じさせない独特の雰囲気があり、聞こえる虫の鳴き声も穏やかで心地よい。

 そんな森の中を歩いていくと、ふと花の香りを感じるとラギナはそれに導かれるように歩いていき、草木をかき分けていった先にそれはあった。


「これは……」


 森の中にぽっかりと空いたような空間には月に照らされた花たちが夜風によって小さくなびかせている。

 その中央には広い湖があり、人間側の森にこんな場所があるなんて想像もしてなかったラギナは目を丸くしていた。

 その中で自分の体臭がマッドマンと戦った時についた腐敗臭がするのを感じるとドミラゴの臭いという小言を思い出し、せっかくなのでこの湖で汚れを落とすために中へと入っていった。


「はぁ……ふぅ……」


 冷たい水が体温が高い自分の体に浸透していき、思わず緩んだ声が漏れてしまう。

 しかも周囲の花たちから香る匂いによって天然のアロマ浴は鼻が利くラギナにとって少しキツかったがそれでも今日の出来事で荒んだ心と体を癒すのに十分であった。

 完全にリラックスした状態で空に浮かぶ月を見上げる。強張った体がこんなにも緩んでいったのはいつぶりだろうか。

 そんな事を考えていると水面が僅かに揺れたのに気が付き、何者かが近くまで寄ってきたことにラギナは思わず立ち上がった。


「誰だっ!?」

「ひゃっ!?」


 バシャリ、と水を荒立てた音を鳴らしながら警戒すると女性の声と共にその姿が見える。

 月に照らされて見えたそれは裸のリンゼルであり、お互いがそれに気が付いた途端、胸が熱くなったのを感じていた。


「そ、その声はラギナなの!? どうして、何故ここにッ!?」

「俺はただ夜風当たろうとしてたらここに……それにそっちもなんでここに……」

「わ、私はここでいつも水浴びを……というか早く"それ"を隠せ!」

「あっ……」


 口調が乱れるほど混乱していたリンゼルは自分たちが生まれた状態の姿をお互いに晒していることに気が付ついて指摘すると二人は恥部を手で隠しながら咄嗟に後ろ側に振り向いて顔も背ける。

 月の光源しかない夜の暗い空間とはいえ、リンゼルの素肌を見てしまったことにラギナは思わず手で顔を覆って「やっちまった」っという気持ちが溢れてくる。

 もしここまで気が緩んでなければ彼女の匂いも探知出来ただろう。自分らしくない事に思わず深いため息をついてしまった。


「み、見たの……? 私の、全部……」

「……少しだけな。それだけだが、凄い体だな。お前は」

「う、うん……? それどういうこと?」

「いや、人間にしてはかなり鍛えているな、と。鎧を着こんでいるからはっきりとわからんかったが……」

「……それは私が"女らしくない"とでも言いたいの?」

「あ、いや、その……。う~……。……はぁ、すまん。そういうつもりじゃなかった」

「……ふふっ、気にしないで。今のはさっきのお返し。ちょっとした悪戯だから。それにそういう感想は慣れているし。……ラギナ、悪いけど背中を貸してくれない? 夜の湖は結構冷えるから」

「あ、ああ。別に構わんが……」


 ラギナの後ろで水面から立ち上がる音とそれをかき分ける音が静かな夜の森の中で鳴っていく。

 いやに大きく聞こえるそれに戸惑っているとリンゼルは自分の背中をラギナの背中にピタリとくっつくように座り、お互いの体温が背中越しに伝わっていく。

 冷たい水の中で感じるこの温かさはほど良く気持ちがいい。離れてしまえば二度と感じることができなくなってしまうような錯覚さえ思ってしまうほどであった。


「ラギナ……今日の事だけどその、本当に助かったわ。おかげで村の被害はあの数を前にしても被害は少なかった。後に合流した兵士たちの報告によるとあのマッドマンたちは自然発生したらしい。それでも数は多かったし多分自分一人だけじゃもっと被害は増えていたかもしれなかった」

「…………」

「あの時、貴方が逃げたことを思っているならそんなの気にしなくていい。あの後で私が彼らに仲間であるという事情を説明したから。それにそれを証明してくれた人がいてね。貴方が助けた子供たちよ。だから大丈夫」

「そうか……。だが俺は、魔族の姿になって見せてしまった。怯えさせるつもりはなかったんだ……」

「人は魔族に対して悪いイメージしかないからそれは仕方ない。それに初めはそうでも少しずつその認識を変えていかなきゃならないわ。このミクス村から私たちで。それにほら──」

「…………?」

「この髪の毛。三つ編みのそれはミリアちゃんがやったんでしょう? これが貴方が本当に優しく、信頼できるという証だと私は思うよ」


 ラギナの後ろにある編まれた髪の毛がリンゼルの細い手で触られる感触を味わい、彼女にまじまじと見つめられると思うと気恥ずかしさで心が少しだけくすぐったくなる。

 会話が終わりお互いの体が動くたびに水面が揺れて水音だけが鳴るこの空間はひんやりと静かである。

 よくよく考えると男と女、それも魔族と人間が裸で寄り添っているこの空間は異様でありこの状況において経験のないラギナはさっさとここから出るべきなのか、それとも相手に合わせるべきなのか全くわからない状態になっていると、ラギナは場を繋ぐために疑問に思っていたことをリンゼルに話してみた。


「そういえばリンゼル、聞きたいことがあるんだが……」

「ん? なに?」

「なんでこの村を作ったんだ? 魔族と共生できるとかこれを聞いて俺は正直、嘘だと思っていたんだが……」

「亜人っていう例もあって魔族にも人と友好的な種族はいるのは知ってたわ。あの戦争のせいでその繋がりが消えかかっていたけどそれも終わった。私の父さんもまだ小さかった時にそういったことを話してくれて、それがきっかけになって上の人たちの決定でもう一度その繋がりを取り戻そうとしてるの。ある意味、平和を望んでいた父さんの願いを叶えられるなら私はこれを成功させたい」

「繋がり、か……。苦しい道のりになるな」

「わかっている。それでもこの道は少しずつでいいから前に進まなきゃいけない。例え私がいなくなっても誰かがこの道を進めるように、ね。だからラギナ、もし貴方も平和を望んでくれるなら協力してほしい」

「……正直に話すと俺は魔族の性というか掟というか、そういうのが好きじゃなかった。弱肉強食という強い者が支配する世界はいつも争いに巻き込まれるのはもう御免だ。俺が出来ることがあれば喜んで協力しよう。あの子の為にもなる」

「──ありがとう」


 ラギナの言葉を聞いたリンゼルは感謝を述べてながら彼の髪の毛から手を離すとその先端が水面に浮かんで揺れる。

 周囲の花が夜風によって香りと花びらが宙に舞い、それが湖の水面と月の光で反射する妖美な光景を見ながら体に溜まった疲労を洗い流していった。

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