第1話 青肌の少女
森の中で柔らかい草を踏みしめる音だけが鳴り響く。
空は少し曇っており周り、さらに深い森というのもあって薄暗い空間の中で足音を鳴らすその者の姿は特に目立っていた。
体長二メートルほどの巨体で全身を覆う白毛は特に背中側がよく生えており、少しだけ鼻が前に伸びているその顔は人の顔ではなく獣の顔である。
──その姿はウルキア族。人型の狼であるその魔族は静かに生えている薬草を摘んでおり、丁寧に皮袋に入れていっていた。
「ふーむ……。ん、これは……」
誰もいないこの森で独り言を言いながら大樹に生えた白いキノコを見つけると触る前にズボンのポケットから自身の大きな手に収まるほどの本を取り出すとそれを開いてページを捲っていく。
紙を擦る音がしばらく鳴らしながら目的の部分までいくと魔族の文字で書かれたそれを指でなぞりながらそれを確認していった。
「おお、あったぞ、これだ。何々……」
片手間で本を見ながら白いキノコを摘み上げて形と模様を見ながらその匂いを優秀な獣の嗅覚で確認する。
キノコの傘から落ちる胞子から僅かに香る独特な菌類の匂いを吸い込みすぎないようにそれを慎重に嗅いでいくとそのキノコが目的のものだと知って警戒していた顔を緩ませた。
「なるほど、これがそうなのか……。むっ、まだいくつかあるな。念のためにもう少しだけ採っておくか」
手に入れた白いキノコを皮袋に入れると再び同じものを探して採取していく。
キノコは似たような姿で毒を持つ類も存在する。そこにある全てが同じだと油断しないように手に取るキノコを一個一個調べながら採取していると、この大樹の上の方が僅かに動いた。
大樹の模様に擬態した巨大な蛇。獲物が真下にいることを目視すると巻き付いている体を動かして地面にいるウルキア族に近づいていく。
閉じていた口を少しずつ開けていくとその大きさは巨体であるウルキア族の上半身をすっぽり飲み込んでしまいそうなほどであった。
獲物は未だにこちらに気が付いていないが相手は魔族。モンスターである巨大な蛇は本能で獲物が危険なものだとを察しており油断せず襲い掛かる距離まで慎重に体を下ろすと射程範囲まで辿り着いた。
「──シャアッ!!」
間合いを詰め、伸縮していた胴体をバネのように一気に伸ばして獲物に向かった。
鋭い毒牙が少しでも相手の体に食い込めば全身に猛毒が瞬時に蝕んでしまう。
たった一撃を与えればいい。そんなことを思っていた巨大な蛇は視点が変わっていた。
「──ッ!!?」
地面に向けていた視線が気が付けば空中を舞いながら森の景色を見ている。
状況を確認するために瞳を動かせるが体が動かないことを認識した時にはその意識は消えていった。
「何かと思えば【マガサスネーク】か」
ウルキア族の爪には襲い掛かろうとしたマガサスネークを切り刻んだ時の血がべっとりとついており、それを振るって地面に落とす。
背後から迫っていたモノはこの爪によって目に見えぬ速さでバラバラにされ、肉片と化して転がっていた。
「こんな場所に出るなんて珍しいな。もっと奥側にいるはずだったが……」
マガサスネークの死体を見てウルキア族はポツリと疑問の声を呟く。
モンスターや魔族には生息圏というテリトリーから外れることはほとんどなく、その場合の大半が不吉な予感を感じさせるものだからだ。
ふと空気が変わったことに気が付き、空を見上げながら鼻を動かすとそこには曇った空から雨が降る匂いと気配を感じた。
「しまったな。夢中になってかなり奥まで行ってしまった。間に合うか……?」
魔族とはいえ雨に濡れるのを嬉しいと思うのは少ない。
雨の気配は自分の予想通り的中し、ポツポツと降り始めてきた雨は少しずつ勢いを増していくことにウルキア族の駆ける足も速くなる。
自身のしなやかな脚を動かしながら密林の中を駆けていく中でふと何かの匂いを感じ取った。
(……なんだ? この匂い……モンスターの匂いじゃないな? ……血?)
鼻腔から感じる鉄に混じる独特な魔力の匂いに違和感を感じたウルキア族は立ち止まるとその方向に体を向けてその先を見る。
向いている場所は崖が並び立っている場所であり好んで行く所ではない。
嫌な予感をしながらも気になったウルキア族はそこへと足へ運んでみると際立つ崖の下に辿り着き、そしてそこには何かが倒れていた。
「──っ! お、おい! 大丈夫か!?」
慌ててそこに近づいて倒れたそれを見る。
その姿は薄着の姿をした幼い子供であるが人間でないことを知らせる青い肌が目立っていた。
ベージュ色の短い髪の毛は傷んでおり、状態を確認するために彼女の体に触れるとこめかみ付近から髪の毛を掻き分けて僅かに伸びている黒い角を見て確信した。
「この子は魔族だがどこの種族だ……? しかしなんでこんなところで……。周囲に敵の気配は無い。息は……まだある。だがこれでは……」
魔族の体は他よりも丈夫である。だがこの子の容態は四肢は違う方向に曲がっており、着ている薄い布の服が破けた部分から見える傷が生々しい。
唯一首だけは無事であるために息はしているがそれも虫の息である。このままでは子供ということもあって未熟な体で放置すればこの重傷を耐えられるほどの命は強くはない。
「なるほど、崖上から落ちてきたのか。……魔族、か。…………。……薬はたしか、まだ余っているはず」
崖上を見上げて状況を整理した後、ウルキア族は死にかけた魔族を助けるか悩んだがそれでも苦しそうな顔をしていても生きようとするこの子の顔を見るとそれが出来なかった。
降り注ぐ雨はもう少しすると勢いを増しそうは雰囲気の中、ウルキア族はこの子を抱えると急いで家に戻っていった。
──雨の冷たさはなく暖かなものに包まれていると感じた時、青い肌の魔族は静かに目を覚ましていく。
体中に広がる痛みに意識が再び消えそうなのをなんとか堪えて顔を動かすと自分は木製の家の中にいることに気が付いた。
「…………。……ん? もう気が付いたのか?」
「…………」
声がする方に顔を向けるとそこには人型の白狼がこちらに体を向けて椅子に座っているのが見える。
白狼はこちらに視線を合わせると静かに近づき、そのまま顔を見ながら喋った。
「安心しろ。俺は敵じゃない。意識が戻ったようだがまだ動くな。今のお前はかなり酷い」
「…………」
「何があったかは知らんが、今はゆっくり寝ていろ」
「…………。……ア」
「……ん?」
「……ミ、ミリア…………」
「ミリア……。そうか、それがお前の名か。俺はウルキア族のラギナだ」
「……ラギ……ィ」
お互いの名を語り、助けた彼の名を聞いたことに安心したのかミリアは静かに目を閉じると夢の中に入っていったのだった。