第16話 道を往く者、止まる者
「魔族と人間が……共生する村? それはつまり……」
「言葉通りの意味だ。ラギナ」
「──……はっ。冗談もほどほどにしなドミラゴ。争ってたのが今更仲良くなんて、そんなこと出来るわけないだろうが」
自分たちのことをバカにしているのかという不快感を洗い流すように注がれたハーブティーを一気に飲み干していく。
一息つきながらカップを置くとドミラゴの表情は未だに真剣であり目は真っすぐこちらを向いていたことに気が付き、彼の言葉に対して僅かな信ぴょう性が浮かんできた。
「……本当なのか?」
「風っていうのはな、流れ動く存在だ。それに耳を傾ければ遠い場所の事も声としてこちらに伝えてきてくれる。まぁ実際に目にしてないからその時はワシも半信半疑だったがここに入れなかった者たちがそこに向かっていったというのもある。そもそも一部の魔族と人間はそこまで対立してないからな。そう考えれば納得もできよう」
「なるほどな……。しかし風の声か……さすが司祭の力だな」
「ふふ、まだまだワシも現役ということだよ。話を戻すがもしお前たちが行く充てがないならそこに向かってもいいんじゃないか? 唯一気がかりなのは人間側がそこを管理しているようだが……」
「だったらそれはかなり怪しいんじゃないか?」
「お前が警戒するのも分かる。だが平和になっても小さな争いの火が再び起こり、それに巻き込まれる仲間も少なくはない。その者たちにとって安寧を求めるなら藁にでも縋りたいのだろう」
「……厄介払いにするなら丁度いいってことか」
「まぁ聞けラギナ。もしそこが共生可能というのが事実であれば少なくとも魔族のいるこの地よりは安全だ。何よりも人間の血が入っているお前ならワシらよりも信用を得られやすいだろう」
「…………」
「フロルフィーネがあの子に感じた"禍々しい気"というのは恐らく本当だろう。ワシもあの子の内に秘めた魔力からそれを感じている。だがそれでもやろうと思えばワシとお前の二人でフロルフィーネに懇願することで強引にでもワシと暮らす形でここにいさせることは出来るだろうが……結局この世界は力が全てだ。それに利用価値を見出した者が現れればあの子はそれに巻き込まれることになる」
「……お前もそうなるのか?」
「……ワシも自然の万象を探求していた身だからな。否定は出来ん」
「…………」
「ラギナ、あの子はもうお前に懐いている。その髪留めが証拠だ。あの子にとってお前しか頼れないんだ。何かを求めたくて助けたわけじゃないんだろう?」
「……わからない。俺も何故あんなことをしたのか……今でもわからないんだ」
「いいんだ。そういうのでも。あの子にも、お前にもとってはそれが大事だったんだ」
「ドミラゴはそこに行くという気はないのか? 俺たちと一緒に……」
「……残念だがラギナ。それは出来ない」
何故?という疑問の言葉をいう前にドミラゴは椅子に深く腰掛け大きく息を吐く。
その表情は何処か達観しているようにも見えた。
「ワシはな、ここに縛られておる。まぁ悪い言い方をすれば監禁されているということだな」
「なっ……! まさかフロルフィーネ様が……!?」
「うむ」
「そうだったらお前はなんで今もそんなに冷静なんだ! だったら尚更ここを出なければ……」
「そう焦るな。ワシが変に動きを見せなければあっちも下手にワシに手は出せんよ」
ハーブティーのおかわりを注ぎ込み、再びその香りと味をドミラゴは堪能していく。
ゆったりとした雰囲気であったがラギナは集中して周囲の匂いを嗅いでみると確かに家の外には妖精たちの微かな残り香は感じ取った。
「フロルフィーネ様がお前を縛るなんて一体どういうつもりなんだ……」
「簡単な話よ。力の無い者たちが集ったところで強き者に潰されるのは目に見えている。ならばより強い者を仲間にすればそいつらに対して抑止力になる。そういう者どもが妖精園に不用意に攻め入らないのはこれが理由だ。ワシはここに住まわせてもらう代償として少しの自由を払っただけさ。ここを攻撃するということはワシを相手にするということだからな」
「……確かに森の中でドミラゴを敵に回すというのはこの森一帯がそのまま敵になる」
「おかげでここは平和、というわけさ」
「……お前はそれでいいのか?」
「…………。……ここの生活は意外と悪くはない。朝に太陽の日差しを浴びながら植物を愛で、昼を過ぎれば自然の恵みを貰ってたまに外に散歩して挨拶をする。夜には心地よい空気に浸りながら魔導の書物を読みながら風と虫たちの声を子守唄にして一日の終わりを迎える。戦争が始まって、そして終わるまではこんなゆったりとした生活はなかった。お前も似たような暮らしをしていたんじゃないのか?」
「それは……」
「いいんだよラギナ、こういうのでも。ラギナ覚えているか? ワシらが別れる前にお前さんと話したことを……」
「……新しい自分を探すってヤツか?」
「そうだ。所詮は魔族のワシらが戦争が終わって新たな時代が来た時に魔族の定めから抜け出せることが出来るのかと……。ワシとお前は気が合ってたからな。互いに自分の未来を話したあの時がもうなつかしくも感じる……」
「ドミラゴ……」
「正直に言うとワシはな、もう疲れたんだ……。この枯れた体と心にこの腐るような生温い水に浸るのが心地良いぐらいにはな……。気が付いたら逃げていたんだよ、ここに……。ワシは変われなかったんだよラギナ。時代が変わるのが分かってもワシ自身が変わるのを恐れてしまったんだ……」
「…………」
「だがお前はワシと違って魔族が見てこなった世界を見てきた。それは新たな時代の扉を開くための鍵になる。時代は変わる時には先導者が必ず存在していた。押し付けてしまうようで悪いと思ってる。だけどお前には新しい時代に閉じている世界から魔族を引き連れていく資格がある。お前があの子と出会ったのもこの為の運命だと感じられずにはいられないのだ」
「…………。……お前の気持ちはわかった。ならあの子を連れてその村まで行って、それを見てきてやる」
「……ありがとう。さっきまで迷いのある顔だったが今はいい顔になったな。おかわり、いるか?」
「ああ、頼む」
ドミラゴはラギナの空いたティーカップにハーブティーを注ぎ入れると互いにそれを手前に持って乾杯をすると、それを静かに飲み干していった。
──旧友ドミラゴとの一時を過ごし、ソファで寝ていたラギナの腹部に違和感を感じると重い頭から意識がはっきりとしてきた。
「んぐ……。んんん……?」
上体を少し起こして瞼を薄く開けてそこを見るとミリアがこちらの上に乗って顔を近づけている姿がぼんやりと見えた。
「おはよ。ラギ」
「んん……お前か……。ふわぁ……」
「全然起きなくてちょっと困った」
上半身を起こして腕を大きく伸ばすと血流が全身に行きわたる感覚を味わいながら大きく欠伸をしながら『こんなにじっくり眠ったのはいつぶりだろうか?』と考える。
そのまま鼻を鳴らしながら動かすと朝食の良い匂いが鼻腔をくすぐり、そこに目をやるとドミラゴがすでに朝食の準備を終えている姿が目に映った。
「だいぶ深く寝ていたな。もしかしてこういうのは久々か?」
「そうだな……最近は色々あったからな」
「そうか。朝食はもう出来てるぞ。ミリアちゃんもほら、席に座りなさい」
「うん……!」
ドミラゴの朝食を三人で食べて腹を満たしていった後にラギナたちは旅立ちの準備をする。
その手には例の村の記された周辺の地図とその分の食糧を彼から貰うと玄関の近くで振り返り立ち止まった。
「何から何まで悪いな」
「いいんだ。ワシに出来ることは今はこれぐらいしかない。そういえば他の二人には会ったのか?」
「ヴァルゴとカルラか? いや、別れたっきりそのまんまだな」
「そうか。ヴァルゴはともかくカルラは今何してるんだか……。再会したらワシからもよろしく伝えておいてくれ」
「カルラだけは会いたくないが……わかった。世話になったな。ありがとう」
「こちらも有意義な一時だった。ミリアちゃんもラギナの言うことをちゃんと聞くんだぞ」
「うん。大丈夫。ドミラゴおじいちゃんありがとう。ご飯、おいしかった」
「──っ。ああ、またおいでな。ミリアちゃん」
「うんっ……!」
二人はそれぞれドミラゴと握手を交わして別れの挨拶を済まして玄関の扉から外に出るとその先に少し離れた場所で出迎えるようにローキアルが待機しているのが見える。
彼に連れられて妖精園の外に向かっていく中、ミリアは後ろを振り返るとこちらの姿が見えなくなるまでドミラゴは玄関の先でこちらに手を振っていたのだった。