第15話 水浴びでひんやり
家の裏手にある木々を抜けるとそこには少し大きめに湧いてる水場があり、ひんやりとした空気の中に水が流れる音が心地よい。
ラギナはドミラゴから貰った水着の入った籠を置いてミリアにそれを渡しつつ自分も後ろを向き、サイズがバスタオルほど大きいタオルで下半身を隠しつつズボンを脱いでいった。
魔族といえども知恵がついた為か陰部を晒すことに恥じらいはあるのだ。
(しかしドミラゴはああは言ったが、俺の過去の何を話せばいいのか……)
「準備出来たか?」
「うん……」
彼女の声を聞いて後ろを振り向くとそこには簡素な布で出来た水着を着ているミリアの姿があり、少しだけ恥じらっている彼女に手をとりつつ一緒に水場へと入っていった。
「ふぅ……」
「うう、冷たい。でも、気持ちいい……」
「ああ、確かにな」
ひんやりとした水が二人の熱していた体に纏っていく。
これまでの旅による汚れが流れる水に洗い流されるような気分に浸っていたが、そんな事よりもミリアに何を言えばいいか悩んでいると先に口を開いたのは彼女の方からだった。
「ねぇ、ラギ」
「……ん、おう。な、なんだ?」
「その……尻尾、どうしたのかなって」
「尻尾……」
恐らくズボンを脱いでいる時に見てしまったのだろう。獣の魔族のほとんどに存在する尻尾がないことに疑問を持ったミリアの言葉には少しだけ緊張した様子があり、それは意を決した行動でもあった。
「昔な……ガキの頃にやらかした事があって、その罰として切られたんだ」
「あっ、うぅ……、ごめん……」
「別に謝ることじゃないさ。そのおかげで親友とも言える奴にも出会ったからな。ヴァルゴっていうんだ」
「その人もラギみたいなの?」
「そうだな、アイツの毛は俺とは違って真っ黒くてな。一緒に戦争を生き乗った戦友さ。二人で色んな場所に行ったよ。その中でドミラゴにも出会ったんだ」
「ドミラゴお爺ちゃん、あの人、とっても優しい」
「昔からああいう奴だったよ。でも気をつけろ? 怒らせるとかなり怖いぞ?」
「そ、そうなの?」
「今のアレを見ても想像出来ないと思うがあいつは"歩む自然"と恐れられるほどに魔術に長けているんだ。あの時代では後方での支援がほとんどで本人は前に出て戦うことに積極的ではなかったが……、もしあいつが本気で戦っていたらおそらくは戦争はもっと早く終わっていたかもな」
「そんなに? すごいね」
「そうだぞ。まぁ、今の姿を見ても余生を過ごしている老人みたいだしな。俺と旅していた時は険しい顔してずっと魔導書を読んでいたのに。かなり変わってしまった」
「でもそれって凄くいいこと、だよね?」
「……ああ。平和ってことだな。少なくともここでは」
冷たい水に二人は肩まで浸かって汚れと垢を落としていく中で空ではすでに太陽が傾いており、上を見上げると橙色が混じった景色が広がっていたのだった。
「だいぶ冷えてきたな……」
「うん」
「そろそろ上がるか」
夕暮れの時間帯になり吹いてくる風にも寒さを感じ始めた時に水場に入っていたラギナたちは体を出して夕日に晒して体を温めなおしていく。
水場から上がったラギナは全身を震わして毛に絡みついた水気を払うとそれを見たミリアは少し驚いた様子だった。
「ん……くう~……」
「わわっ!」
「す、すまん。いつもの癖でな……」
「ううん。大丈夫。……くう~……」
ラギナが体を震わしたようにミリアも同じような真似をしているのを見てなんだか微笑ましい気持ちになる。
少しだけ彼女の心を溶かすことが出来たのかもしれないと思い、乾いたタオルを籠から取り出して彼女の近くに寄るとタオルを頭に被せた。
「後ろ、拭いていいか?」
「うん」
「……っ」
彼女のベージュ色の髪の毛を拭いていたラギナの力が考え事をしたせいで少し入ったようであり慌ててその力を緩め、優しく毛づくろいをするように意識して拭いていくとミリアも少し気持ちがよさそうだった。
そんな彼女の様子を伺いつつ頭から背中の部分にかけて丁寧に拭いていくその途中、彼女の背中の肌を初めて見たラギナは思わず言葉を失った。
そこには彼女とあの崖下で出会った時の生傷の跡ではなく、明らかに古い傷がいくつもある。
あの時に何があったのかは詮索しなかったが人間を警戒しているようなあの態度を含めるとこれである程度の予想はついてしまった。
(この傷跡は……。やはり俺と出会う前に人間に何かされた感じなのか……)
「ねぇ、ラギ」
「ん? なんだ?」
「私もラギにしたい」
「なんだ? 背中拭いてくれるのか?」
「うん……」
「それじゃあ頼む」
二人は入れ替わるように交代し、座っているラギナの背中を丁寧にミリアは拭いていく。
誰かに背中を拭いてもらうことに新鮮さを味わっていると後ろ髪が少し引っ張られるような感覚を味わった。
「あ、痛い?」
「ん? いや? 絡まってたか?」
「えっと、ちょっと違うの これ……」
そういって後ろから小さな手が顔の横に伸びるとそこには髪留めの紐が握られており、恐らくそれはドミラゴが渡したものだと分かる。
「えっとね。おじいちゃんがコレでラギの毛を纏めてほしいって言ってたから……いい?」
「……そっか。じゃあ頼んだ」
「……! うんっ!」
髪留めの紐を使いミリアは不器用ながらも丁寧にラギナの後ろの毛を纏め上げると一本の長髪の形になっていき少し楽しかったのか一本の長髪に纏めるだけじゃなく三つ編みを作っているのが多少強く引っ張られる感覚でわかった。
「で、できたよ」
「むっ……これは……」
「どう……?」
「悪くない。おかげで後ろが軽くなった感じだな」
「よかった……」
水面に映る自分の姿を見てラギナの感想を聞いたミリアは思わず笑みが零れ、それを見たラギナも思わず硬かった表情が緩んでいく。
その後、体を洗い終えてドミラゴの家に戻ったラギナたちを出迎えたのはテーブルの端まで広がった料理の数々であった。
新鮮な木の実をビネガーに漬けたものに川魚をオイルで焼いたもの、そして今日採れたての野菜がたくさん入ったスープと少しのパンが添えられていた。
「さぁ、遠慮せず食ってくれ」
「わぁ……! すごいいっぱい!」
「おいおい、作りすぎだろ」
「わははっ! 久々の客人だったからな。張り切ってしまったわ」
「ん……ラギの作るのよりもおいしい」
「うっ……」
「うはっはっはっ! 薬草のスープばっか飲んでたんだろう。まぁあれしか教えてないがな!」
ドミラゴの言葉を聞きつつラギナたちは夕飯に手をつけていく。
先につまみ食いをしていたミリアは手あたり次第口に運んでおりうま味のある温かな料理に舌をうならせていた。
ラギナも少しずつ料理を口に入れて堪能していく。こんなに凝った料理は一人でいた時も作ったことはなくスローペースで食べるつもりだったがいつのまにかがっついてしまうほどだった。
夕飯を食べ終え、腹がいっぱいになったミリアは瞼を擦り、うとうととした様子でいるのを見てドミラゴは彼女に話しかけた。
「すまんが客人用の部屋はなくてな。ミリアちゃんはワシの使っている寝床で今日は休んでくれ。ワシとラギナは一階のソファでいいか?」
「構わんぞ」
「よし、それじゃあ案内しよう」
「うん……」
水場で汚れと疲労を落とし、空腹だったお腹に美味い飯をたらふく入ったミリアの顔は蕩け、瞼も落ちそうであった。
そんな眠そうな彼女の手を取りつつドミラゴは二階に上がり、寝かしつけた後は降りてキッチンの方に向かうとティーカップを用意して茶を入れるとそれをラギナの方へ持ってきた。
「これは?」
「ワシが育てたハーブの茶だ。お前さん、ここに来るまでだいぶ無茶しただろ。これは疲れた体と心によく効く」
「すまんな」
ミリアが二階で眠りについて静かになったリビングで大人の密やかな休憩を嗜んでいく。
嗅覚が鋭いラギナに合わせたのかハーブの匂いにくどさはなく、ほろ苦い味が食後の舌には丁度よかった。
「ふぅ……」
「どうだ。落ち着くだろう?」
「悪くはない。ところでこの髪留め、お前の仕業か?」
「そうだぞ。ミリアちゃんがそれをしたってことは、つまり仲直りができた印ってヤツだな」
「なるほどな……」
「ところでラギナ、人間の方ではどうだった?」
「……お前の言う通り意外と悪くはなかった。人間の姿というのもあって皆優しくてな。とても平和だった。何故バレたのかはわからんが結局出ていく羽目になってしまったが……」
「そうか。ならアドバイスした甲斐があるな。まぁどこかでバレたのは仕方あるまい。そういうのはいつかは起こることだからな。隠し事っていうのは墓まで持っていっても誰かに暴かれたりするモンさ」
「……むぅ」
「それであの子のことだが結局どうするんだ? お前さんの話を聞くにここには置いていけないだろう。他に行く宛てがあるのか?」
「…………」
話題がミリアの事に変わり、二人は間を置くようにハーブティーを啜る。
「本当だったら俺はあの子の面倒は見切れないはずだった。混血だからな、魔族の方でも人間の方でも俺は厄介払いにされる身だ。だから俺は一人で生きていたし、その方が気が楽だった」
「だけど助けた。お前が本当にその気持ちだったら何故オーガ族に連れ去られた時にまた助けたんだ? 放っておけばよかっただろうに」
「そ、それは……」
「ラギナ、お前は混血故に非情になりにくい所がある。それは魔族の血ではなく人間の血のおかげだとワシは思う」
「人間の、血……」
「優しさだよ、そこにあるのは。お前は他の魔族とは持っている価値観が違う。強さが全ての魔族の世界では無いものであり、だからこそここで光るものだ。その優しさに感化された者もおる。ワシもその一人だ」
「だがそんなのは戦争ではクソの役にも立てなかったぞ。そもそもこの血のせいで俺がどれだけ……」
「それはその時だからだろうに。ラギナ、百年続いた戦争はもう終わったんだぞ。今は強さが全ての時代ではないということを数は少ないだろうが魔族の中でも気づいている者がいる」
「…………」
「あの戦争が終わって皆変わりつつある。お前も変わる為に人間の村で暮らそうと思ったんじゃないのか? ……茶、おかわりいるか?」
「ああ、貰おう……。だけどあの子を連れて俺は何処にいけばいい? 宛てのない旅に出ろってことか?」
「まぁそれも悪くはないと思うが、あの子の事を考えると安心した場所がほしいだろうなぁ。実はな、面白いことにこんな閉じた場所でも風の噂というのは耳に入るんだ。お前が知っているかどうかはわからんが──」
「……?」
「ロミナ大陸の中央部分……境界線になっている山岳地帯の人間側の方に魔族と人間が共生する村があるというのを最近、風たちの声で知ってな。もしそれが本当ならお前たちがまともな暮らしをする場所はそこしかないだろう」
「魔族と人間が一緒に……?」
空になったティーカップにハーブティーを注ぎ入れながらそれを話すドミラゴにラギナの眉が潜む。
人間と魔族が共生する村。そんなことが実現するのかという疑問がカップの中に揺らめくハーブティーが自分の心を表しているかのようだった。