第9話 深酒のあとに
オーガ族のギザとその取り巻きに酒場で絡まれたことにより不愉快な思いでラギナは泊っている宿の帰路につく。
ギザが頼んだ度数の高い酒を飲んだせいか少しだけ酔いが回っており、浮遊感のあるこの感覚になるのは久しぶりだった。
(少しのつもりだったが、まさかこんなことになるとはな……)
マスターとの世間話程度だと思っていたが想定以上に時間を取られたことで早歩きで宿に戻り、中に入ると受付にいるカエルの魔族は椅子に持たれかけながら寝息を立てている。
宿の中は出る前まではお盛んであった騒音も今では静かになっておりラギナは音を立てないように静かに上がっていった。
「……ん?」
そんな中で借りている真ん中の部屋まで近づいたラギナは違和感に気が付く。
この周囲に充満している"臭い"の中でこの部屋の扉だけは何故か別の"匂い"が僅かにしたのを感じ取ったのだ。
それは部屋の前を通り過ぎたものではなく、匂いの先は明らかに中に入った痕跡であったためにすぐさま持っていた札を近づけて扉を強く開けた。
「──……ッ! 何だとっ!?」
そこには泊まっていた部屋の中にミリアの姿はなく彼女が眠っていたベッドのシーツは乱れた跡があった。
何が起こったのかをある程度把握するために周囲を観察しつつベッドとその周囲に鼻を近づけて匂いを感じ取っていく。
ミリアの匂いの他には乾燥した汗臭いこの感覚は鬼の魔族の匂いであった。
ミリアは暴れていたようだったがここで何かをされたような形跡はなく、何処かへ連れ去られたというのが容易に想像できた。
「ミリア……!? クソッ!」
ラギナはすぐに部屋を出て一階の受付まで飛び降りるように走り、眠っているカエルの魔族の前に向かうとそのまま胸倉を掴み上げた。
「おいお前! 起きろ!」
「グ……グェ!? お、お客さん!? なんだぁ!?」
「俺が泊まっていた部屋に誰かが入ってきた跡がある。 知っているならそいつらの事を言え!」
「な、なに言ってんだよ……。俺はこの時間はここでずっと寝ていたんだ。知るわけないだろう……」
「そんなバカな話あるか! お前が渡した札がないとあそこに入れないようになっているだろ! その札を持って俺は外にいたんだ。受付のお前が細工か何かしなきゃ開かないのにふざけたこと言うな!」
「……お客さん、知らねぇもんは知らねぇって話なんだよ。そもそもよぉ、仮に俺が何かしたとしてよ~。中の連れが攫われる時にアンタ、一体何処で何してたんだ?」
「……っ!」
「そろそろこの手ぇ、放してくれねぇか? いい加減苦しくてよぉ。それに騒ぎすぎだぜ。ここで寝ている他の奴らにも迷惑だ」
受付の言葉にラギナはハっとなって二階の方を見るとそこには眠っていた魔族たちが瞼を擦りながら様子を見ている光景であり、それを知ったラギナは舌打ちをしながら忌々しく手を放す。
これ以上ここにいても何も変わらないことを悟ったラギナは宿を出るとその入り口の地面に残っている匂いを嗅いでいた。
通りの道であるが今は深夜であり魔族の数は少ない。おかげでミリアの匂いが僅かに感じ取ることができこの痕跡を鼻で感じながら走っていった。
「ここか……?」
匂いに辿り着いた場所は先ほどまでいた酒場でありミリアの匂いはここで止まっている。
鬼の魔族の匂いも分散しており時間を掛ければそいつらの行先が分かるが今はそんな余裕はない。
ラギナは店の中に入ってみるとすでにそこはもぬけの殻でありただ一人、マスターが店を閉めようとしている最中であった。
「……ったく。いつも金払わないで飲みまくりやがって……。こっちは毎回赤字だっつーの……」
「おいマスター。ちょっといいか?」
「……え? うっ、なんだラギナか……。何か用があっても今日は終わりだよ。片づけてるから出てってくれ」
「アンタに聞きたいことがある。宿で寝ていた俺の連れが攫われた。その匂いを追ってみたらここで切れてんだ。マスター、もしかして店閉める前に何か知っているんじゃないか?」
「いや、知らねぇよ……。そんなの……。それに知ってたとしても俺は喋れねぇ……」
「もしかしてさっきのオーガ族、ギザが関係してるのか?」
「……あいつはここ最近になってゴブリン共を手下にしてこの町を根城にしてるならず者だ。どこから調達したのか金だけはあってな、暴力とそれでこの町を支配してる。最もここにはあんまり流してくれねぇが……。それでも言えねぇよ……」
「マスター……。お願いだ教えてくれ。俺がちゃんと見てなきゃいけなかったんだ。油断とか不注意とか、こうなってしまった以上そういうのは言い訳にできん。俺のケジメをつけるために、だから絶対に助けなきゃいけないんだ。……頼む」
頭を下げてまで頼むラギナを見てマスターは少し驚いた後、何かを考えると静かにため息をつき、そして口をゆっくりと開いていった。
「…………、…………はぁ。これは俺の愚痴というか独り言なんだが~、ギザは増える手下を抱え込む為に別のとこを拠点にしてるらしい。この町の外れにある人間が使っていた鉱山っていうのはここの連中から聞いたことがある。まぁ根城にするんだったら建物が残ってる場所が都合いいだろうな」
「──……ありがとう」
マスターからギザの居場所を知ったラギナは店を出る前にもう一度頭を下げると急いで町外れの鉱山へと走っていくのを見届け、一人になったマスターは頭を掻きながらぽつりと呟いた。
「あ~……嫌になっちゃうねぇ、俺のこういうの。でも『ありがとう』か。久しぶりに言われたな、そういう言葉。アンタは魔族のくせに珍しいよホントに……」
──オッドの町から少し離れた場所にその町を潤していた鉱山の跡地が存在している。
人間たちが暮らしていた時は家族を養うためにそこから貴重な鉱石を発掘していたが今は誰もそこは使われず寂しい空気が漂っているだけだ。
そんな場所はいなくなった人間たちの代わりはギザとその手下たちが占領しており、真夜中であるにも関わらずその周囲を手下のゴブリンが歩いていた。
「ふわぁ……。ったく、ダルい見回りだぜ……」
オッドの町を力で支配しているギザたちは当然その恨みも多く買っている。
その為にこういったことを常にする必要があり見回りは当番制で手下たちがやっていた。
今日は月がよく光り、また夜という暗闇の中でも怪しい奴がいたら気が付く程度にはゴブリンは夜目が効いていた。
しかし、誰も来ない夜の見回りほど退屈なものはない。途中で他の見回りをしていたゴブリンと合流すると時間を潰すために雑談をすることにした。
「よぉ、そっちはどうだ?」
「いつもと変わらねえよ。もうあの町で歯向かう奴なんていねぇってのにずっとこんなことさせやがる」
「おい、もっと静かに喋れよ。誰かが聞いてギザの兄貴に密告ってバレたらお前殺されるぞ」
「おっとっと……。流石に頭がぼーっとしてるからかな? はぁ~そろそろ寝たいぜ」
「そろそろ交代の時間だろ。今日はちょっと早めに戻ろうぜ?」
見回りの時間を少し早めに終わらせようと鉱山を管理していた大きな建物に向かおうとしていた時、ふと何か風のようなものが通り過ぎていく。
それはいつも感じているようなものだったはずだが同じ瞬間に夜の世界を照らしていた月が黒くなった雲によって隠れて暗くなる。
いつもであるならば気にも留めないこの現象に歩いていたゴブリンは何故か妙な違和感を覚える。
そんなことを思いつつふと合流して隣にいたゴブリンからの返事が未だにこないことに心の奥底ではほんの少しだけ嫌な予感がしたが、それを塗りつぶそうに「眠すぎて歩きながら寝ているのでは?」という考えをしながらゴブリンは顔を横に向けた。
「おい無視すんなよな。まさか歩きながら寝てんのかって……。は……?」
視線の先にはゴブリンの体が地面に前に倒れており、その頭だけが埋められている姿の彼はすでにピクリとも動いてない。
一体何が起きているのか全く理解できなかった。未曾有の恐怖による全身の血が凍ったような感覚を味わった後、自身の背後に何かいるのを感じた瞬間、危険を感じた体が凍っていた血を一気に沸騰していくような嫌な感覚が広がっていた。
ゴブリンは咄嗟に後ろに振り向むこうとしたがその手前で後頭部は鷲掴みにされ、自分の体が地面から離れていく足の浮遊感に気を取られて声すらうまく出せなかった。
「は、はひっ……」
軽々と持ち上げられた自分の体。そして掴まれた後頭部が僅かに後ろ側にそれた時、次に自分がどうなるかをすぐに理解すると持ち上げられて見えた夜の空の光景が地面へと一瞬で変わっていったのだった。