二。見る
僕はベットで目が覚めた。病院のような白い、無機質な空間にベットが一つだけ置いてある。窓からは温かい日の光が差し込み、それが唯一の明かりだった。
「目が覚めましたか。」
「え、ええ。はい。」
僕は戸惑いながらも、看護師の声に答える。看護師は続けた。
「深いキズの跡が少し残るでしょうが、他は完治しています。応急処置は適切だったのでしょうね」
そういうと看護師は、点滴の取り替えをてきぱきと行い、軽く会釈をして部屋を出ていった。
僕はちゃんと生きている。しかも五体満足だ。それで十分すぎる幸運に思える。
2分後くらいだったろうか。扉が開き人が入ってくる。ヴィレと呼ばれていた、青い目の男だった。
「目が覚めたみたいだな」
「先も同じ事を言われたよ。状況の説明を求めたいんだけど。良い?」
「それは良いんだが。お前、そういう話し方だったか?まあ良い。お前、名前は?」
自分の名前がわからない。夢を見ているように曖昧だ。とても、不思議で不安感があった。でも確かに安心もあった。僕は僕ではあるという確信があったから。
「名前は、わからない」
「・・・そうか」
でも、と続けようとしてやめた。これには確信がなかったが、本当は言うべきだとは思っていた。ヴィレはやれやれといった様子で溜息をついた。
「なら、お前はどうするんだ?せめて、あの状況の手がかりでも教えてくれないと困るんだが」
彼からすれば、当然の疑問だろう。記憶喪失の扱いなど困るに決まっている。病院も、当然僕を見つけた彼も困るだろう。僕にはどうすることもできない。知識はあれど、確信がない。記憶は途切れ途切れで、自分の物であるという自信がない。
僕はどうすれば良いんだろうか。記憶を取り戻す事を目標にすべきか、記憶をさっさと諦めて、過去を切り離すべきか。ねえ、私はどうしたい?
「僕は、」
そう口を開き、僕は考えた。とても長い時間悩んでいたと思う。その間、ヴィレは姿勢を正し、待っていた。
「記憶を思い出すことが当面の目的になる。でも、できる限り覚えていることは教える。覚えてることは無いに等しいけどね」
「そうか、頑張って思い出してくれ。思い出したら教えてくれればいいさ。俺は仕事があるから、これで失礼するよ」
少しの落ち込んだか、そのような感情をもった声でヴィレは言い、踵を返して部屋を出ようと歩き始める。やはりというべきか。はっきりとした情報を得れないのなら、彼は骨折り損だ。
「ちょっとまってほしい。手伝えることがあれば手伝いたい。恩返しみたいな」
僕はそう言い、彼を引き止めた。彼は仕事といっていたから、僕を助けたのは仕事であって、善意からではないかもしれない。けれど、僕はお礼をしなければと思った。
「記憶を取り戻すのが目的なら俺を手伝う必要はない。お前の職場にも多分、そういう、専門の部署があるだろうから、そこに行けばいいんじゃないか?」
「それはできません。彼の身分証は消失していましたし、所属を表す物も、なにも持っていませんでしたから。」
音もなく、さっきの看護師が戻ってきている。窓を開き、換気をしながらさらりと僕の現状を言った。手がかりなし、という事実が目標から一歩遠ざけられたように感じた。じゃあ僕はどうしたら。
ベットについている机を弱く叩いた、寝起きだからか力が出ない。机が揺れ、看護師がいつの間にかおいていた食事が少し飛び跳ねて、申し訳ない気持ちになった。
「落ち込むか。目的から遠ざかったわけだからな」
「いや、僕が・・・悪かった。こめん」
「悪くないさ。身分証が消失しているなら失効扱いで新しく作れる。なんと全世界共通だ」
あらゆる地域の自治政府らが、登録に協力しているそうだ。世界が丸ごと同じ共同体に統合されて、国という概念は廃ってしまったらしい。現在は、その自治政府の掲げる【色】で地域が呼ばれている。僕が今いるのは〈赤〉だそうだ。
しかも、戸籍と紐づけられていて、心臓が止まると身分証が失効する。そして、そのまま戸籍が消えてしまうという。心停止から蘇生した場合はどうなるのだろうか。そのための失効からの再発行のシステムか。
僕はこの全てに馴染みを全くもって感じない。何もかもが不可思議で、疑問が尽きない。記憶がなくても、常識くらいは覚えていても良いと思う。
身分証を発行するために色々な検査を受けたが、僕の身元はわからなかったらしい。僕にはそういった調査の知識が無いためなんとも言えない。
僕の身分証は、記憶喪失者としての臨時発行ということになった。
「それで、僕の本当の身元、それと家族かそれに近しい人が分かるまで。という約束で良いですよね?」
僕はヴィレと契約をした。もしもの時のために後見人がいるらしく、ヴィレの部下になる代わりに後見人になってもらった。期間は僕の本当の身元、それと家族かそれに近しい人が分かるまで。僕の記憶が戻れば一番いいが、記憶が戻らない場合も想定して、僕の家族が見つかるまでだそうだ。
ヴィレの職場は、よくある事務所だ、と言っていた。恩を返せなくなってしまうから、早く仕事を覚えて精一杯働かないと。
「ああ、それで良い。元々そのつもりだ。行くぞ、デルン。」
僕の名前はデルン・ムリアーデ。僕の新しい名前だ。僕の失われた記憶の余りから、名前らしきものを繋いで作ったと言われたが、正直なところなんだかしっくりこない。やっぱり、本当の名前の方が良い。
2週間ほどたった。僕は事務室の隣の部屋を自室として借りている。衣食住のすべてをヴィレが提供してくれた。
僕はヴィレの職場で書類仕事をしている。嬉しいことに、僕は物覚えが良い方のようで、直ぐに仕事に取り掛かることができた。僕が扱うのは、重要度があまり高くない案件だと先輩から聞いた。僕は部外者であるから、重要なことは任せられないのだそうだ。
「いや〜助かりますよ、ホント。君が来るまで、事務作業は僕だけのワンオペだったんですからね?」
隣のデスクに座る、見た目の印象が軽薄な、特徴を上げにくい先輩が言った。リチュカリアル・フォン・アウスロウエン、という長い名前を持っている。なんと貴族だそうだ。貴族といっても、貴族制が形骸化していて権力などないに等しいらしい。事務所の皆がリヒと呼ぶので、僕もリヒと呼ぶ。
「やっぱりヴィレってヤバい人だったりします?」
「やばい人ですよ?まぁ、嫌われてはないんですけど。あ!そうだ。そろそろお昼ですね。」
リヒがそう言ってインスタント食品とエナジードリンクを取り出している。リヒは、内部の重要な処理をすべて一人で行っている。そして、彼はエナドリが友であった。この2週間彼が食事以外で休憩を取っている姿を見たことがない。いつか過労死してしまうのではないだろうか、というくらい働いていると思う。
僕もカップ麺にお湯を注ぐ。湯を入れて、蓋を閉じ、もう一度開けばもうできている。技術の進歩とはなんと素晴らしいことか。たった5秒で昼食が完成するとは、感激である。しかも美味しい。
「やっぱりこれに限りますね〜」
「そういえば、リヒ先輩って誰に対しても敬語ですよね」
「クセになっているだけですよ、治らないんです。それに、すべての人に、常に一定の敬意を持って接したいのです。また、僕に敬語は必要ありませんよ。先輩も必要ないと、ずっと言ってるでしょう?タメで良いんですよ。タメで。」
タメで良いというが、この事務所の中で一番関わりが多いし、人柄も尊敬できるから少しためらいがある。しかし、リヒ以外全員、自分の話しやすいように話しているから、お言葉に甘えてもいいだろう。
「リヒ、いるか?」
「はいはいはい、いますいます。」
「これ、よろしく。」
ヴィレがファイルを持って事務室に入ってきて、ファイルを一枚置く。
ヴィレの事務所は毎日一件以上、依頼という仕事をしている。内容は人探しから害獣駆除のようなモノまで、様々だった。僕とリヒはその依頼についての色々な処理を行う。たとえば、危険物を使ったりする場合は行政や自治政府への許可をとる、といった事をしている。
「はい、赫夢大研究所からの案件ですね。これまた大掛かりな。」
「俺達以外にも研究所が直々に部隊を出すらしいから、字面ほど大層じゃないし簡単だ。デルンにも来て貰おうと思ってる。」
リヒがファイルの中の書類をとりだし、僕はそれを一緒にみた。依頼主は赫夢大研究所、〈赤〉の地域の中で一番大きい研究所で、今日まで処理を手伝った案件の内9件はここからの依頼だった。ヴィレの事務所は大きく分類するとここの傘下に当たるらしい。
「え?僕も?」
「人手不足ってわけじゃないけど。記憶を取り戻すためにも、刺激がいると思ったからな。書類仕事だけだと退屈だろ?」
「そうかもしれないけど、本当に僕が行っていいヤツですか?」
「良いんだよ、俺が言うんだから。できなくても見てりゃ良い。そのために良いものをやろう」
ヴィレから箱を渡される。手のひらサイズの長方形の黒い箱のような何かだった。手榴弾のようにピンがついている。気になる。
「なんですかこの箱は。」
「持っとけ。きっと役に立つ。そのピンを引き抜くと」
どうなるんだろう。と、好奇心に負けピンを引き抜いた。歯車が噛み合い、カチカチと回るような音がする。箱が広がっていき、あっという間に5倍ほどの大きさのナイフ型の剣になった。ナイフと言うには大きすぎるが、剣と言うには少し短い、片刃の刃物。確か名前はメッサーだったか。
「ナイフになるんだな、これが。なんだかんだ丈夫だから使いやすいはずだ」
「すごい。しかも軽い。」
箱の時と重さが全く変わっていない。初めて持つのに、よく手に馴染む。なんとすごい技術だろうか。本当に技術進歩というのは素晴らしい。何よりデザインがかっこいい。
「よし、じゃあ行くか。」
そう聞いた時。リヒが言った
「ではお二人とも、良い眠りを。そして良い目覚めを願っていますよ」
まぶたが急に重くなって、眠くなって。抗えないそれに、意識を渡した。
(※)
気がつけば、白い部屋だった。扉が一つだけあって、他に何もないし、僕の他に誰もいなかった。僕は無意識に扉を開いた。暗闇がある。扉の先にはなにもなかった。僕はその扉をくぐった。
落ちていく。恐怖は感じない。
落ちていく。風を感じない。
落ちていく。息はできないが苦しくはない。
落ちていく。暗闇を落ち続けた。
落ちていく。ただただ、落ち続けた。
落ちていく。僕は、転がり落ちた。
落ちていく。傷ついていない。
落ちた。地面についた。
僕は地面と激突したおれている。僕は倒れているから、立たないと歩くことができない。僕は立ち上がった。ここは、どこだ。
「ちゃんと眠れたみたいですね!でも着地はしっかりしないと駄目ですね」
聞き覚えのある声がする。ヴィレにレニと呼ばれていた女の声だ。声だけだが、元気があってよろしいと思う。元気があるのは良いことだ。今、僕にはそれが無い。感覚が無いまま落ち続けるという体験は、あまり好ましくない。頭がどっと疲れ、精神がすり減ったをひしひしと感じる。
「うう、不思議だ・・・夢みたいな体験だった。」
「まぁ、夢の中ですからね。」
「お、いたいた。二人ともちゃんと眠れてるな。」
気づけばレニの隣にヴィレがいた。
「当たり前です。リヒ君は優秀ですから。適当なヴィレと違って」
「そりゃ無いよ。俺そんなに信用無い?」
「はい。そうです。皆そう思ってますよ。ねえ、デルン?」
「信頼はあっても信用はちょっとできないかな・・・僕は・・・」
正直に伝えた。ヴィレは不服のようだ。僕がヴィレの事務所に来てから、ヴィレの姿を見てきたがとても事務所のトップとは思えないような振る舞いをしていた。最初に所長と聞いたが、見れば見るほど信じられなくなっていった。仕事しないし、イスを回してはコケていたり。なんとういうか、威厳が欠片もなかった。仕事となると、急にしっかりとしだすのだから困る。たまに、語尾に星がついたような調子も、その原因だと思う。
「そういえば、夢の中って」
「ヴィレ教えてないんですか!?だから信用がないんですよ!」
「はは、俺教えるの下手だから。必要になったらって思ってたんだよ。急に全部教えても覚えられないだろうし。知らなくても困ることはないと思う。うん」
「言い訳ですよね?」
「言い訳してるよね?」
「わかった!ちゃんと教える!許して!」
ヴィレがそう言って、説明を始める。
まず、ここは夢という空間だ。自分の夢ではなく、誰かの夢、もしくは集団の意思や意識。僕達はその中に入って、夢の中にある幻想や空想を現実へと引っ張ってくる。そうしてこの世界は発展した。入り方や出方が特別なだけで、現実と遜色は無いそうだ。
「そんなとこだな。他は必要になったらだ。
「ありがとうございます。ヴィレ。」
「まぁ、良いでしょう。これからは最低限くらいは教えてあげてくださいね。」
ガチャガチャと、鉄の鎖がこすれる音がする。その音がする方を見る。鎧を被った人間がいた。片手には血のこびりついた剣を持っており、数は20とちょっと。ところどころ、鎧の隙間に矢が刺さっており、敗残兵のような印象を受ける。ゆったりと、こちらに近づいてくる。
「さ、デルン。やってみろ。」
やってみるって、何を。まさか戦えとでも言うのか。武器の扱い方なんて、振り回す以外できない。僕は戦えないも当然だ。そうして困惑をしている間に、僕はメッサーを取り出していた。
「わかった。やってみる」
「使い方はわかるな?」
「知らない。振り回す以外は」
「じゃあそれでいい!全力で殴ってこい!」
ヴィレが僕の背中を押して、僕は敗残兵らへと向かって走り出す。ナイフを振りかぶって、全力で刃をボロボロの鎧に叩き込んだ。するとスルリと、水のように断ち切れた。手応えがなさすぎて、僕は振り下ろした勢いのままに転がった。
「何してる!早く立て!」
手を付き、見上げる。腰についた剣を引き抜き、今に振り下ろさんとする敗残兵が見えた。
キャラ紹介その1
:デルン・ムリアーデ
本章の語り部であり、現在は彼の一人称で物語を書いている。現在記憶喪失中で、しかも二重人格みたいだ。また、記憶を失っても中二病は治らないようである。19歳




