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一。発

暗い。今は夜だろう。霧の中にいるようだ。息が切れている。

少し立ち止まる。こんなに濃い霧の中だ、無暗に走っても迷うだけだ。チェーンで腰にひっかけている、コンパスを取り出す。針が回り続け、方向が定まらない。

僕は足早に進み始めた。僕は逃げるように走った。暗く、そして深く。霧が立ち込めている。足は止まらない。恐ろしい。すごく怖い。何故かすごく怖くなった。

ネバネバとしたような、とても不快な水音。固まりかけたなにかが崩れる音。歪むような、キリキリ(つんざ)くような、不快な金属音を奏で、僕に迫ってくる。そしてまたどこからか絶叫が聞こえる。


追われている。いやだ、死にたくない。だから、必死に走った。

全力で地面を足で蹴って全力で逃げても、音を引き剥がすことはできない。どんどんと、距離を詰められていく。霧が濃くなった気がする。悲鳴が聞こえる。誰か殺されてしまったのだろう。次きっとは自分だ。

2、3メートル程すら見えない深い霧の中。前後不覚のまま走り続ける。走り続け、走り続けた──

僕の右腕が折れ曲がった。手首と肘の間がひしゃげでいた。少し肩を動かすたび、ぐねりぐねりと、重力に引かれ動く。痛みでうずくまり、何をされたのかわからない恐怖で叫んだ。

また、霧が濃くなったように思う。


力なく跪いた僕の体が飛び跳ねる。浮力が働いたようにふわりと。そしてすぐに浮力がなくなり、重力に手を引かれるまま落ちていく。瞬く間に頭から地面に激突した。地面が傾いていたのだろうか、地面と空を何度か見たのち、どちらも見える向きで止まった。


ぐずぐずと、気味の悪い音が、体を動かすたびに鳴る。気持ちわるい。吐き気を感じ、そのまま、胃酸を口から吐き出すように、体が反射を起こし、えずく。でも口からは溢れてこなかった。


眼の前に自分の靴の裏が見えた。視界の位置が明らかにおかしかった。そして気づいたときには、声を出せなくなっていた。喉仏の下あたりに、首の内側に風を感じた。僕の頭は──切り落とされていた。

ありとあらゆる感情が脳を支配する。やはり一番強い感情は恐怖だった。今や泣き別れした自らの体を、具体的にはその靴裏を見ながらにして、まだ生きているという事実に恐怖した。きっと僕の顔は赤く血濡れている。


この足先の先で広がるであろう自分の死体の光景を想像するだけでも身の毛がよだつ。地面に広がる温かい赤が頬を伝っているから、切られて間もない僕の首の付け根あたりは、蛇口のように血を流しているのだろう。もしかしたら、首以外から溢れたものかもしれないが、恐怖と混乱に支配された僕の脳ではどちらも違いはない。

次に襲ってくる感覚は、痛みだった。切られてたのだから当たり前だ。血も出ているし、どう見ても致命傷。というよりは、即死に見える状態だと予想できた。ならなぜ意識は未だ途絶えないのか。永遠にも思える痛みを感じながら。なぜ死ねないのかと考え続けていた。もはや恐怖と痛み以外考えられなくなっていた。

瞼がうごかない。いや、瞑るための瞼がない。触れる腕もない。歩く足もない。よじる身も、何もかもなくなっていた。記憶までもがなくなっていく。僕は誰だっただろうか。からだから熱がぬけていく。

また、霧が濃くなったはずだ。僕の意識は途絶えた。


(※)


僕は目が覚めた。意識が戻ったにも関わらず何も見えなかった。ただ、爽やかな風を感じていた。痛みはなかった。しばらくした時。途切れ途切れに声が聞こえてきた。恐らく男女が一人づつ。


「う_ぁ___何_起き_らこん____になるんで_か?」


なにかを見た感想のように思えた。でも、助けが来たとは思わなかった。


「お前はあっちの方__。__されてたはず_が。こんな_の、俺たち_手に負____な」


今の僕達の状態がどうなっているのか、半分は知っているし、これ以上知りたくなかった。

足音は近くなってくる。声からして、男の方か。


「肉片しかないな本当に何があったらこうなるんだよおお、これまだ息があるな。被害者──あー。まぁ、一応生きてる奴を確認した。」

数泊の間。

「箱で運ぶのか?───いや、そっちがいいなら良いんだが。ただ、動けるまで回復させれるけど、どうする?」

また数泊の間。

「わかった回復させてから連れて行く。」


彼が言い終わるやいなや、太い針状の物が体に突き刺さった。刺されている位置はよくわからないが、お腹のあたりだと思う。痛みは注射より少し痛い程度で、耐えられない程じゃない。体が捻じれ、関節がまがり、もとに戻っていく。

視界が晴れた。目だけで周りを見渡した。なにもなかった。ただの平地だった。

自分の様子を確認した。僕は何かにもたれかかり、座っている。ちゃんと服も着ているし、肘と手首の間が折れ曲がっていたりはしなかった。ただ視界は少しぼやけて、手元くらいしか見えない。


「起きたみたいだな。これは何本に見える?声は出せるか?」


彼はしゃがみ、僕の眼の前で指を4本立てた。簡易的な意識の確認方法だったか。ちゃんと認識できているから、答え用としたが声が出なかった。声が出せない事実に俯くと、首が動く。体が動かせることがわかった。咄嗟に指を同じく4本立てた。ポケットにメモがあることを思い出した。メモに声がでなくなっている、と書いて見せた。


「ありがとう。まだ喉が治りきってないんだろう。戻ったら治療を受けられるから、それまでは筆談で。こっちに来てくれ」

『戻るってどこへ?』

「所属している事務所か研究所はあるだろ。ああ、いや確か。そうか。すまない、記憶もダメになったのか。」


そう話しながら彼は手を差し伸べる。視界が晴れてきて、彼の容姿もしっかりと見えるようになった。紫がかった紫の髪、輝く青い目をしており軍服に近いような、きちりとした服を着ている男だった。


「ほら、とりあえず立て。」


彼の手を取り、立ち上がろうとして手を地面についた時、沼のようなぬかるみに左手が沈んだ。地面についた左手を見ると、赤く染まっていた。人の内側にあるべきものだった。周りも見渡せば、これも思わず息を呑む恐ろしさだった。


「非戦闘員だったか。無理はないな、こんなの普段見ることないだろ?でも吐かない方が良い、ひどくなる」


僕は口を抑えながら頷き、彼についていく。

そういえば彼の名前はなんだったか、聞くことができないので知らないままだ。自己紹介くらいはすべきだろうかと考える。


(あれ、自分の名前があいまいだ。私は誰なんだろう。)


そう一瞬、自分の頭の中に僕ではない誰かが居た。奇妙な感覚だったが、それはすぐに収まった。それが収まってすぐに、周囲への恐怖もなくなっていた。


「あ!ヴィレ、どうでしたか?って言うまでもないですね。」


目が見えないときに聞こえた元気のよい女性の声。赤い目、その目と同じ色をした宝石のようなものがちりばめられた一つ結びの黒い髪。服装はヴィレと呼ばれた男にどことなく似ているだが、その両手には鋭い爪のような籠手がつけられていた。


「ああ、1人以外全滅。こいつの所属してる事務員たち面倒な事になりそうだな。」

「そうですね、もう少し生存者がいればどうにかなったでしょうけど。1人だけでも良かったですね」

「あーそれなんだが。コイツはどうやら脳が少し傷ついたようだから、記憶が少し曖昧みたいだ。」


赤目の彼女がポケットから時計を取り出し言う。


「ヴィレ、そろそろ時間ですね。」

「わかった。急ごうか。」


ヴィレがベルトについたポーチから何か小さい物を取り出しそれに声をかけた。


「全員、離脱準備。推定時間は残り・・・あー、どれくらいだレ二?」

「56分です!」

「そいうことだ。えーというわけで各自、頑張って離脱してくれ。」


赤目の女史はレ二というらしい。ヴィレの持った推定通信機から叫喚が聞こえる。


「ははは!騒がしー!」


その叫びにかかわらず、笑顔で片耳をふさぎながら通信を終え、通信機をポーチの中に戻した。僕はその絶叫の中にふざけるなだのバカだのと言っているのが聞こえた。その声には、不思議と怒りがあるようには思えず、呆れているんだなと感じた。本当に不可思議だ。ただの上下関係のようには思えない。私はそうできなかったから、とても羨ましく思う。通信を終えた笑顔のヴィレがこちらを向き。


「じゃ、行こうか!ははは!」

「ひどいですよヴィレ」


ヴィレとその仲間たちの関係は、本当にいったいどのようなモノなのだろうか、仲が悪い理由ではないだろうとは思うが。友人関係か。いやまさか仕事に私情を挟むわけはないか。

僕はヴィレとレ二についていった。


(※)


彼らについて行って16分ほどだった。平地から急に森になった。ヴィレとレニは驚く様子もなく森をずんずんと進み続けている。歩きながら声を出そうと頑張っていたら、急に森になったことに驚いて遂に声が出るようになった。


「わあ!森!?」

「お、話せるようになったか。それで、ブロックも忘れたのか?結構深刻だなぁ」

「これが普通なんですか?」

「はい!いつからかはわかりませんが、一定距離を移動すると景色が変わるんです。ちゃんと地図でもそうなってますよ。」

「昔は違かったんですか?」

「そういうのはあとで知れるし、多分思い出せるだろう。一度静かにしてくれ。」


ヴィレがそう言い、僕とレニが黙ると、獣や鳥の声が聞こえる。本当に森なんだな、などと考えているとヴィレが四角いリボルバー銃を取り出し、正面の茂みに7回発砲した。異常な程の早撃ちだった。僕は銃声に驚き、頭を抱えその場にしゃがみ込んだ。


「そんなに驚くなよ。さっきまでもっと地獄にいたじゃないか。」


レニは平然と発泡した茂みに寄り、かき分けてその中いた何かを引きずり出した。右手と左肩に1発づつ、胸に2発、そして頭に3個の小さい風穴が空いている迷彩を着て短銃を持った人型の何かだった。レニが、やっぱり早いですね、などと言っている。この人たちが恐ろしく感じた。僕はその壮絶な死体を見て口を思わず抑えていた。


それから24分程度たったころだった。レニが空を空を見上げ叫んだ。


「鈴鳴らしさん!お願いします!」


鈴のようなリンという音が聞こえたかと思うと、視界が真白になった。

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