Act.5 『一対の』
夜は過ぎ来るる曙 霞晴れ 思う面影今は遠くに
小鳥の囀る声。
木々の葉が擦れあう音。
眠りにつく虫達が朝に抵抗して鳴いている。
とかく人は忘れがちであるが、自然というのは音に溢れている。
普段人々が出す音に埋もれて目立たないものの、そこには確かに生命の証があるのだ。
朝靄が晴れ、木々は濃く鮮やかな色彩を己の内に秘める。
朝陽は眩しく、眠りから抜けきれていない者を昼の世界へと誘う。
やがて朝靄は全て消え、森の色彩をより一層鮮明にした。
もう、曙はそこには無い。
朝が来て、流れるように昼へと移る。
頭に思い浮かぶ面影。
幾つもの面影。
その顔は、泣いているのか笑っているのか。
人の心の距離。
それは物理的な距離と比例するのだろうか?
一概には答えうることのできない質問は、その人の主観により変化を見せる。
第3生活地区と第2生活地区。この二つの地区は昔から友好関係にあった。交流も盛んで、古くから協力し合ってきた。
そんなわけであるから、当然第3生活地区と第2生活地区の間は太く広い道で繋がれている。
レイオールはその道を通らずに第2生活地区へと向かっている。
太く広い道の両脇に広がる森は、他者から隠れて移動するには好都合である。
道から少し離れて広がる森の木々はほとんど手付かずで、時折獣が生息している証を見つけることができる。
レイオールはその中を、臆することなくひたすらに進む。
木々が進路を変えさせるように生えていたり、蛇がこちらにスルスルと寄ってきたりもした。けれどレイオールは特に気にせずにずんずん進んだ。
一晩その森の中で寝たのだ。もうどうと言うことはない。
第2生活地区へ行かず森の中で過ごすことも考えたが、食料や飲み水の問題があったためにそれは断念した。それに、レイオールには目的があった。その目的を遂げるためには、森の中で引きこもっていられないのだ。
早朝の森は神秘的であり、どこか靄がかかった様にふわふわした印象を与える。
しかし見とれていては限が無い。
レイオールは朝食代わりにクッキーをモソモソと食べ、歩き続けた。
森には終わりが無く、どこまで行っても奥に進んでいる錯覚にとらわれる。だから人々は森の中で迷うのかもしれない。
夜は過ぎ、快晴が空を満たす。
早く顔を出した『炎星』は、ゆっくりと夜に晒されていた『緑星』を暖める。
雲の無いその空が、今や三億光年しか続いていないなど、誰が信じられるだろうか?『炎星』は変わりなく照り続け、人々に恵みを与え続けている。他の星とも行き来が可能で、異状など微塵も感じられない。人間は、自らに関係のない事には無頓着である。
レイオールは、歩を進めた。
目的を遂げるため、第2生活地区と続くであろう森を。
早朝の靄の中、『この世界』の全人類の命が懸かった少女は、ただただ歩き続けた。
太く広い道のほうから、馬の嘶く平和な音が聞こえた。
第2生活地区では、今では珍しい馬車を使う者が多い。
餌代などの問題で今やその数を減らしてしまった馬車は、ほとんどが観光用だったりする。
しかし第2生活地区では実用されているのだ。
かつて第2生活地区は、人が住めるのが奇跡であるような―――汚い町だった。コンクリート造りの高層ビルが立ち並び、道路では車が我が物顔で法定速度を無視し、人々の雰囲気もどこかピリピリしていてあまり余所者を寄せ付けなかった。
しかし今や、第3生活地区をも凌ぐ観光都市となっている。
コンクリート造りの建物はそのままに、至る所に街路樹やら鉢植えやらが置かれ、まさに人と自然が共存しているのだ。
第2生活地区の観光都市としての歴史はまだ浅い。それこそ、百年にも満たない。
2687年、『緑星』の一部がかつて無いほどの地震に見舞われたのだ。その地震は、後に『震度8』と呼ばれる。『震度8』が襲ったのは、第5生活地区、第4生活地区、そして第2生活地区だった。
建物は倒壊を免れたが、第2生活地区の被害は深刻だった。
その時までひた隠していた地下下水道管が土地の隆起によって破損、水銀やカドミウムといった有毒物質が溶けていた下水が地上に溢れ出したのだ。
これにより住民の2割が死亡、五分は未だに入院生活を余儀なくされている、という。
これをきっかけに、当時の第2生活地区長は辞任、後に『名地区長』と呼ばれる女性が新たに第2生活地区長となった。
責任を丸投げにされた新地区長は、まず下水の処理に力を入れた。と言っても簡単に処理できたわけではない。機械を使い、人の手で、とにかく隅々まで下水を吸い取った。そしてそれが終わると、地下下水道を撤去、関係者を片っ端からクビにした。
そこからが凄まじかった。
コンクリートの要塞のような町を緑化、多すぎる税金の引き下げ、罰則の強化。
ありとあらゆる政策を行い、それだけならまだしも第2生活地区の住民に慕われたのだ。
これほどまでの『名地区長』は、きっといないだろう。
それが第2生活地区の歴史。
現在の第2生活地区の基礎となったのは『名地区長』自身なのかもしれない。
レイオールは授業で聞かされた内容をぼんやりと頭の中で思い出し、先の見えない森を地道に歩む。
朝靄が晴れつつある森の空気は相変わらず綺麗で、都会の薄汚れた空気など比ではない。
短い曙の中で、靄は役目を終えたとばかりに、森の色彩をより一層濃くした。
どこまでも果てしなく続きそうな森は、平和そのものだった。
靄が消え、鮮やかな色彩を放ち始めた木々や草花の緑は、輝いていた星の代わりに光っているようだった。
レイオールはその草花を見るともなしに見て、今後のことを頭に思い浮かべた。
まず、第2生活地区へと向かう。
次に、そこで情報を集める。
そして出発。そこから向かう先は―――
―――第1生活地区。
鞄の中に詰め込まれた膨大な量の情報と、レイオールが聴いた情報。その二つの真偽を確かめるには、やはりあの場所に向かうのがいいだろう。
そして、試すことがある。
もしも『あの噂』が本当なら、紙束の中の情報の一つにも、納得がいく。
確かめるには、まだ情報が足りないが。
だからこそ、レイオールは第2生活地区へとコソコソ向かっているのだ。
そして、その後。
『もしも』が『本当』なら、レイオールはどうするべきだろうか。
―――決まっている。
全力を以ってして、敵と相対するしかないだろう。
それには、まず実行するしかない。
このどこまでも続くような森を抜け、第2生活地区へと向かわなければ。
レイオール自身そう思うも、実は悩んでいるのだ。
『綴り手』の力があれば、瞬間移動もできる。それなのに、レイオールはわざわざ歩くことを選んでいる。
レイオールは未だに『綴り手』の力があるかを試していないのだ。
紙とペンはある。いつでもその能力は使える。しかしレイオールはその超常の力を使わず、己の力で物事を動かそうとしている。
それは、ある一種の恐れ。あるいは、半信半疑が頭の中を駆け巡っているのだ。
レイオールはその無意識下の感情を抑えられず、消極的な行動をとっている。
学習棟機戦科の優等生の面影は、薄れてしまっている。
友人といたならば、レイオールはもっと積極的に行動を起こし、すばやく事態に対処していたことだろう。
けれど、今は違う。
単独で行動していて、未だ無意識下で信用しきれていない超常の力を持ち、敵の目的も漠然としたものしか判らない。
レイオールはこの状況で敵と相対することを恐れているのだ。
だから行動を消極的にして、その時を先延ばしにしようとしている。
レイオールは、所詮十六歳の少女でしかない。
その少女に人類の危機を押し付ける神の意図は、それこそ神のみぞ知るところなのだろう。
レイオールは前進を続けた。
延々と新緑と深緑が続く森の中、一人の少女は物思いに耽った。
―――今、あの友人はどうなっているのか。
きっと、変わらず情報を操っていることだろう。
口煩い八百屋のおじさんは、店頭に野菜を並べている時刻だろう。
酒屋のおじさんはトラックから酒瓶を降ろし、おばさんも店の掃除をしているに違いない。
今いるべき場所にいないレイオールを心配しているだろうか?
友人が事情を説明してくれただろうか?
もし事情を聞いたとして、みんなは心配してくれるのだろうか?
―――心配、して欲しい。
心配なのは、大切だから。心配なのは、相手のことを知っているから。
心配されるのは、愛されている証拠なのだ。
そしてレイオールは、そんな人達を巻き込まないために離れたのだ。
人類滅亡なんて馬鹿げた事が起こってしまわないように、こうして歩いているのだ。
―――それは、レイオールが彼らのことを大切に思っている証拠。
愛し愛される普通の幸せを知っている少女が人類滅亡を阻止しようとする、最大にして数少ない理由の一つである。
レイオールは彼らの顔を静かに思い浮かべてみた。
友人はいつもののんびりとした笑顔で、八百屋のおじさんはいつものサングラスとニカッとした笑み、おじさんとおばさんは、柔らかく優しい微笑。
そして何故か、最後に思い出したその顔。
仄かに赤い頬、色素の薄い髪、青い瞳は真っ直ぐこちらを捉えている―――。
その顔を思い出して、レイオールは首を振った。それ以上考えないように。そして溜息を一つ。
緩んだ歩調を引き締め、歩く速度を速めた。
無意識下の恐怖に気付かず、知らず知らずのうちに自信を失っていたその顔は、少しの気合によって幾分か輝いていた。
思い浮かべた面影。その幸せそうな面影は、レイオールの心にクッキリと『再記』され、レイオールの励みとなった。
レイオールは徐々に歩く速度を増し、いつの間にか走っていた。
どこか吹っ切れたその顔は、見る人にある種の清々しさを与える。
不意に、拓けた場所に出た。
木はおろか切り株も無く、名前も知らない雑草が地面を緑に染め抜いていた。円のようで、直径は10mといったところか。
人工的に作られたような、広場を思わせる場所である。
明らかに怪しいその場所へ、レイオールは警戒しながらも入って行った。
それは罠かもしれないのに。
一歩、二歩、三歩、四歩―――と、中心へ近づいていたレイオールの足は四歩目を地面につけることができなかった。
では、足はどうなったか。答は簡単、単純明快にして不可解。
足は地面まで下ろされず、その10㎝ほど上―――空中でその動きを止めた。
それはレイオール自身にも一瞬何が起きたのか理解できなかった。何しろレイオールは、自らの足が地面を踏みしめると思っていたのだから。そして、レイオールの足裏には何かを踏みしめている感触があるのだ。これを不可解といわずして何を不可解といえば良いのだろうか?
とにかく、これは異常であった。
昨日一日だけでも不可解なことがたくさん起きた。そして今日もまた。
そして未だ常識の範疇を抜けきれていないレイオールは、その『不可解』に振り回されつつも、徐々に慣れ始めていた。
レイオールは慎重に空中に置かれた足に体重をかけてみた。足は動くことなく、その場に止まったままである。それを確認し、レイオールは心の中でカウントダウンをした。
その行動は、純粋に好奇心から来たものである。
一、
体重を空中の足へかける。
二、
体の重心を地面に取り残されている足へと移す。
三。
一気に重心を空中の足へとかけ、地面に接していた足を蹴る。その勢いと重心を移動したときの勢いで、レイオールの体は勢いよく空中へと浮ぶ。今やその体重を支えているのは、空中に置かれたままの足。レイオールの体は、大して高くは無いところにある足を越え、斜め上へと動く。
そして、レイオールは空中に置き去りにされた足も蹴った。
更に勢いを増したレイオールの体は止まることなく前方へと進み、徐々に向かいの木々へと近づく。そして、
スタッ
そんな音が聞こえるような着地をした。そこは木と木の間。
ただ子供がそうするように、レイオールは好奇心のみで跳んだ。
それは、数分前のレイオールならやろうとしなかったことだろう。いくらか前向きになったレイオールは、好奇心に突き動かされるままに行動した。
好奇心が生まれる―――それは、心に余裕ができたから。
親しい人達の顔を思い浮かべ、自信を取り戻したからかもしれない。何がきっかけか、正確にはわからないが―――今のレイオールには、余裕が生まれていた。
それは、良い事。
心に余裕があれば、必要以上に悩む必要が無くなる。楽観ではない。余計なことに頭を使わなくていいのだ。それは、自らの行動を見直す余裕。
レイオールは、やはり歩き続けた。
無意識下の恐怖はまだあるものの、その存在は小さなものとなった。
鞄から、紙とペンを取り出す。
白い紙上に浮ぶ文字は、レイオールの筆跡でこう綴られた。
『私の大切な人達は、必ず無事であること―――』
◇
遠くへ駆けていくその姿を見て、僕は胸が締め付けられるようだった。
僕の気持ちは届いただろうか。
その言葉に秘められた魔法の力を信じ、僕もまた動き出そうと思う。
別れはまた新たな出会いを生む。
再会という名の出会いを。 手を伸ばしても、届かない。物理的距離は大きな障害となりうる。
けれど、声ならば。
光には敵わなくても、音はすばやく伝わっていく。 郵便物の運搬ミスがあるように、人の意思疎通にも間違いが生ずる。
意図がそのまま相手に伝わるとは限らないのだ。
けれど、それでも願ってしまう人間は弱いのだろうか?
答は、おそらく出ない。
追いかけてはならないのだろうか?
できることならば、この目で確かめたい。
けれど、それをするには今のままではいけない。
見送ることしかできない背中を空しく見つめ、それでもまだ諦めきれない。
いつか、追いかけられるように。
目から零れ落ちそうな想いの雫を、己の内に留めた。
去っていく背中。流れるような髪。
石畳の路地へと消えていくその背中に、僕は何を感じたんだろう。
銃弾の雨が止んだのを確認して、ゆっくりとレイオールさんがいたのとは別のテーブルの下から這い出てみた。
空が青い。真っ先に目に映った空は、雨なんて降っていなかったとでも言うように澄み渡っている。
そうだ。まだお会計が済んでいない。
「すいませーん」
僕が呼ぶと、ウエイターはゆっくりとこちらに歩み寄り、長い紙切れを僕に押し付けた。その長い紙切れは、今では滅多に使われない古風なレシート。
僕はそのレシートの一番下に印字された金額を見て―――危うく卒倒しかけた。
いやだって、そんな…。
「嘘だ………」
「合ってますよ、金額」
そこに表示されてる金額は、大型犬が一匹飼えそうなほど高く、ボッタクリかと本気で思う。
高すぎだろ、これは。
「何で、こんなに…」
「椅子とテーブルの修理費です」
それを差し引いても、この額は常識から逸脱してる。僕自身も常識から逸脱してるから何とも言えないんだけど。
「冗談…ですよね」
「いえ、合ってます」
本当にこの額らしい。冗談にしか聞こえない。
僕は溜息一つ、しぶしぶ席へと戻ってまだ食べれそうなケーキを食べた。どうせ払うなら、キチンと食べた額を支払いたいからね。
無傷で残っていたシフォンを口に運びつつ、レシートを順に見ていく。
お勧めケーキが二つ、モンブランが一つ、ミルフィーユが一つ、シフォンが一つ、フルーツタルトがホールで一つ―――これが一番高価らしい―――、クッキー一袋、コーヒー一杯、カップチーノ一杯、こだわりエスプレッソLポット、椅子とテーブルの修理費。
何故これだけでこんな額になるんだ。本当にボッタクリなんじゃ?
ふわふわしたシフォンとは裏腹に、僕の気持ちはガッチガチ。頭を抱えたくなる。
だけどこのまま悩んでも仕方が無い。
シフォンの最後の一口を口へ運び、咀嚼。飲み込み顔を上げたときには悩むことは何も無い。
「お会計」
と言いつつ、昔から変わらず使われる硬貨と紙幣を必要分財布から取り出す。
近寄ってきたウエイターに硬貨と紙幣を押し付け、僕はゆっくりと歩きだす。
行く先は勿論、『あの場所』。
去っていった背中を瞼の裏に描き、僕はレイオールさんの前でそうしたように、飛んだ。
着いた先は、第一生活地区の公衆便所の一室。
外に出ると、家族連れで賑わう公園だった。
平和を絵に描いたら、きっとこうなるだろう。
そんな光景をぼんやりと眺めつつ、僕は『あの場所』へと歩いている。
きっとそこには、レイオールさんもいるだろう。
……緊張するな………。
僕は何であの場であんなことを言ったんだろう。
後悔しているわけじゃないけど、今思うと恥ずかしい。
ま、いっか。
いっそ開き直ってみようと思う。
それでだめなら、その時はその時。
計画性が皆無だけど、気にしたらおしまいだ。
さっきの大出費のことなんてどこへやら、僕の心はウキウキと軽い。
これからする事を考えれば、それは何だか色々間違っているけれど。
それでもあの背中とか顔とか声とか仕草とか、思い出すと甘く苦しくなる。
どうしようも無いぐらい、僕は『恋』してしまったらしい。
……どうしよう。
今からでも反側するべきか、悩んでしまいたい。
悩まないけど。
僕は僕がしたいようにするし、したくないことはしない。
きっと僕は―――
ヒュンッ
目の前をボールがすごい勢いで横切った。当たらないとわかってはいても、思わず避ける。
そう、ここは公園の中。
ボーっと歩いていては、いつ誰とぶつかるか分からない。滅多なことじゃぶつからないけど。
緩みまくっていた気を引き締めて、歩いてみる。
ヒュンッ
またボール。敵襲か?と周りを見渡すけど、子供達が遊んでいるだけ。
―――あ。
すっかり忘れてた。と言うか、考え事をしながら歩くとろくな事にはならないらしい。
子供達が遊んでいる中を歩けば、当然子供達とぶつかりやすくなる。
いつもなら公園でも端のほうを歩いているのに、いつの間にやら中心を堂々と歩いていたらしい。
恋の病とは、恐ろしい。
簡単なことさえ気がつけなくなるのだから、全くもって、恋とは危険なものである。
一人考察しながら歩いていたためか、いつの間にやら子供達は遠く、公園の出口も近かった。
そのまま出口を出て右に曲がる。交通量が多いなあと頭のどこかがそんなとりとめもないことを考えていると―――
誰かにぶつかられた―――?
そう、ぶつかられた。
決して干渉されないはずなのに―――。
僕は思わず振り返った。期待は大きい。
そこにいたのは―――
「何だか楽しそうね?良い事でもあったのかしら」
―――カシエ。
「……人の顔を見て露骨に落ち込むなんて、失礼よ」
いや、だって、うん、そうだよね、そうだよね…。
レイオールさんが『綴り手』の能力をすぐさま使うわけ無いよね……。
「……僕、そんなに落ち込んでます?」
「ええ、かなりよ。何を期待したのか知らないけど、こっちとしてはいい気がしないわ」
「はいはい……」
カシエはそのままずんずんと進んでいくので、僕も慌ててついていく。
「第一生活地区へはどんな用事が?」
皮肉をこめて言ってやる。
けどカシエは動じた風も無く、ただ淡々と質問を質問で返してきた。
「あなたこそ、こんな隕石騒動の後の街へどんな用かしら?」
あー、だからこのヒト苦手なんだよなー。レイオールさんとは違った意味で駆け引きがしずらい。
「ちょっと……ね」
「………そう」
僕は心の中で溜息を一つ。隣の人がレイオールさんだったら、とついつい考えてしまう自分がいる。
それっきり会話は無く、どこへ行くでもなくブラブラ。
僕はカシエについて行ってるだけだから、どこへ向かっているか分からない。
「……何処へ向かってるんですか?」
「…………滅び往く世界の片鱗を見に、よ」
「そうですか」
どこか希薄な声になってしまう。いまいち会話が盛り上がらなくて、僕としては早くこの人と別れたい。けどこの人は大切な商売の相手で、『他の世界』の命運を分けるのだ。
それにしても、滅び往く世界の片鱗なんて、詩的なようでずばり言い得ている。
実際に『この世界』は、もう既に滅びつつあるんだから。
しばらく歩いた後、だだっ広い場所に出た。
そこは土が剥き出しで、枯れた草木がちらほらと乗っかっているような場所だった。
まさに、片鱗。
『この世界』の滅びは、『緑星』まで到達しているのだ。
いつか枯れた草木も消え、海面も下がり、コンクリートも風化したように消えてなくなる。
滅ぶのだ。
そして人類も、精一杯抗った後に消えてしまう。
僕は―――僕らは、それが『他の世界』へ及ばないようにするだけ。
滅びは止められない。たとえ『綴り手』であろうと。
カシエと別れた後、僕は適当に店へ入っていった。
勿論、そこの店員は『読み手』。
知り合いは少なかったが、それでも『綴り手』以外の人との会話は盛り上がった。
「よう、あんちゃん。計画の調子はどうだい?」
「まずまずです。一人は乗り気なんですけど…、」
「あー、分かった。もう何も言うな。あれだろ?『他の世界』のお嬢ちゃん。こっちでも有名さ」
こうして計画の話が気軽にできる人物がいると、なおさら楽だ。
「枝豆一皿。……レイオールさんにはこっちも苦労しますよ」
「あいよー。………お前も厄介な役を押し付けられたよな」
「本当に厄介です」
「ははは」
レイオールさんの名前を出してしまい、思わず別れ際のことを思い出してしまった。必死になって思い出さないようにしていたのに。
「……お前さん……その様子じゃ、『他の世界』の嬢ちゃ」
「違います全然そんなことはありません!」
「…俺まだ最後まで言ってないぞ?」
「……」
しまった。年の功には勝てそうに無い。
「…お前も大変だな」
「…………ハイ」
恥ずかしい。運ばれてきた枝豆に手が付けられない。
対面に座る話し相手である壮年の男は、少佐である。僕みたいな下っ端ではないのだ。
「…お前さんに、一つ話してやろう」
と言いつつ、少佐は僕の枝豆をゆっくり食べている。話とは説教だろうか?
「お前みたいな経験をした奴は、他にもいるぞ」
「……………はぇ?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。そして次の一瞬で、それが説教ではないことを何と無く悟った。
「お前さんみたいに『綴り手』に首ったけになった兵は結構多い。そんでもって恋慕を優先させようとした奴もいたし、計画を優先させようとした奴もいた。俺はどっちも正しいと思ってる。
……お前さんはどうするんだい?」
その言葉が、やけに重く胸に残った。少佐はゆっくりと枝豆を食べながら、続きを話す。
「俺はお前がどっちを選んでもいいと思ってる。しかしお前はまだ若い。必ず二者択一じゃないんだ。妥協案やらなんやら見つけて、お前さんがこうしたい、と思ったことをやり通せ。…例え俺を敵に回してでも、だ。その覚悟が無いなら、その恋慕は邪魔なだけだ」
……なんて少佐と言う階級に合わない、下っ端思いの言葉だろう。
僕も枝豆を食べる気になってきた。とりあえず三つ入っているのから食べ進める。
…アレ?少佐って今枝豆を運んできたから…。
「……少佐はここで働いているんですよね?一緒に枝豆食べちゃっていいんですか?」
「……。細かいことは気にするな」
ダメなのか、少佐。
「それよりお前さんは、本当にどうするつもりだい?お前は計画に必要不可欠だが、同時に計画の中で最も予測できない。なぜならお前には選択肢があり、それを決められる。
他の誰かがどうしようとも、お前が全てどうにかできるんだ。
改めて訊く。お前は、どうしたい?」
その問いには、しばしの時間を要した。
会話の流れからすると、それは話を逸らすための質問であるように思える。実際にそうかもしれない。けれど言葉の重みは話を逸らすためだけにしては重く、そして辛い。
僕だって仲間を裏切りたくない。かといってレイオールさんを助けたくない訳ではないんだ。
今は、こう答えるしかない。
「…妥協案を見つけたいです」
「……そうか」
僕は何だか、即答できなかったのが恥ずかしかった。
本当に我を忘れるほど恋情に支配されていれば、きっと即答できただろう。けれど現実はそうはいかない。
僕には仲間がいて、現にこうして会話ができる相手がいる。そして僕自身の身の危険、それに巻き込まれるレイオールさんの危険。……レイオールさんのほうは、杞憂かもしれないけど。
とにかくそういうものを考えると、即答するのは難しい。
ここはゲームの中じゃない。現実だ。
クエストをクリアすれば良いだけのゲームと違い、現実はそこに『関係性』『金銭』『地位』『名誉』そして『感情』が複雑に絡み合う。アイテムを手に入れてモンスターを倒して終わり、じゃない。
それこそアイテムなんか無いし、モンスターもいない。倒せば世界全体が揺るぐため、縛り上げるだけに留めなければならない敵もいる。それだけじゃない。
目に見える敵はおらず、己が敵となりうる事だってある。
現実は、複雑なのだ。
だから即答できなかったのも、当然ではある。
けれど、それでも恥ずかしく思ってしまう。
「……正直、」
少佐が口を開いた。
「正直、お前さんならいい妥協案が見つけられると、俺は思う。そうであって欲しい。俺だって味方と戦いたくは無いさ。
もう一度言う。お前さんはまだ若い。若いから、今のうちにできることをしとけ。俺みたいな年になる前に、な」
「…はい」
僕は何だかホッとしていた。少佐の言葉は、不思議と励みになる。
「少佐」
僕は枝豆を口に抛りながら、感謝の意を伝えた。
「ありがとうございます」
「……ハハハ、俺は良いことなんざ言ってないさ。感謝されても、困る。感謝するぐらいなら、幸せになって俺にその幸せを分けろ」
「……了解」
少佐は、父のように頼もしかった。
過ぎ去りし君の背中に送る声 届けと願い君を見送る