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Act.4 『目立たない、小さなカフェで』

「もう、やめて」

 レイオールの口から、弱気な言葉が漏れた。

 レイオールの身体は滑稽なまでに震えていて、今にも崩れ落ちてしまいそうだった。

「来ないで」

 引き攣っている笑みは、最大限の虚勢。

 それが、限界。

 強いと思われた少女の、あっけないまでの精神の素直さ。

 虚勢の下に隠れた純真な精神に、レイオールは折れてしまいそうだった。

 プライドが邪魔して、受け入れられない状態だった。

「レイオールさ」

「来ないでって言ってるだろうがっ!」


 パンッ


「話をき」

「やめてっ」


 パンッ


「頼むからは」

「やめてっ!もう、やめて…」

 レイオールは遂に堪えられなくなり、俯いた。

 撃たれたラミアスは、何も声をかけることなく、静かにレイオールを見ていた。

「うぅ……っ、……っう」

 遂に咽び泣いてしまったレイオールは、よろよろとその場に座り込んだ。静かに、他人を拒絶するように、独りで。

 ラミアスはそんなレイオールの髪に手を伸ばして、そっと撫でた。

 レイオールは駄々をこねる子供のように抵抗したが、ラミアスはそれでも強引に撫で続けた。やがてレイオールも抵抗するのを諦め、疲れた子供のように泣き続けた。

 どれ位そうしていただろうか。

 細い石畳の路地で、二人はずっとそうしていた。

 傍目には、恋人同士に見えたことだろう。実際には、つい数分前に出会った他人同士なのだが。

「泣き止みました?」

 ラミアスの問いに、レイオールは小さく首肯して答えた。そして少しだけ間を空けて、ラミアスを上目遣いに見た。その顔は、赤い。

「いきなり泣き出して、ごめんなさい」

「撃ったことにはノーコメント?」

 レイオールはそれには答えず、立ち上がってスタスタと歩き出した。ラミアスはその背中を呆然と見て、慌てて訊いた。

「ちょっ…待て、何処行くんだ?」

 レイオールは振り返って一言。

「来ないの?」


 ◇


 そのカフェは、知る人ぞ知る、穴場中の穴場。

 第3生活地区のどこかにある、民家に混じって目立たない、小さなカフェ。


 レイオールとラミアスは、そのカフェのテラス席に座った。

「話、聴きます」

 唐突に、レイオールはそう切り出した。

「レイオールさん…、やっと話を聴いてくれる気になったんですね」

 ラミアスは嬉しそうにそう言った。

 しばらくすると、ウエイターがコーヒーとカップチーノを持って、こちらへやって来た。

 無愛想なウエイターがコトン、とテーブルに二つカップを置いたのを確認して、ラミアスは話し始めた。

「それじゃ、まず…、レイオール・フランチェさん、貴女のことから話しましょうか。

 この世界は、一つじゃない。幾つもの違う『一つの世界』が混ざり合って、今の形になっている。どれか一つでも欠ければ、必ず違った世界になる。一人一人が世界を構成しているんだけど、その中でも特に重要な役割をなす人物がいる。

 『一つの世界』には必ず一人、『一つの世界』を自由に操ることができる人物が存在するんだ。僕らはその人物を『綴り手』と呼んでいる。その『綴り手』が君。ここまで、いいかな?」

 そこまで語ると、ラミアスはウエイターを呼んで追加の注文をした。

「このお勧めのケーキを二つ、モンブランとミルフィーユとシフォンを一つずつと、それから……」

「誰がそんなに食べるの?」

「僕。君も何か食べたい?」

「メニュー」

「メニューを食べるの?」

「見せて」

「ハイ、どうぞ」

「チョコレートクッキーを一袋、テイクアウト。季節のフルーツタルトをホールで一つ」

「ホール!?」

「こだわりエスプレッソをポットでテイクアウト」

「ポットはS,M,Lがありますが…」

「Lで」

「……そんなにテイクアウトしてどうすんの?」

「非常食」

「………」

 そんなやり取りの後、無愛想なウエイターが二回に分けてケーキを運んできた。色鮮やかなケーキはテーブルを埋め尽くしていて、花壇のようにも見える。

 ラミアスは、お勧めケーキである『チーズケーキ ベリーソース添え』を口の中に放り込み、また話し始めた。

「ふふりへは」

「食べながら話さない」

 ラミアスはチーズケーキを飲み込むと、再度話し始めた。

「『綴り手』は『綴り手』がいる世界…、君の場合はこの世界を、自由に操ることができる。例えば、重力を無視させたりとか、生態系を変えるなんてお茶の子さいさい。その世界を消す事だってできる」

 ラミアスは口を潤すためか、冷めかけたカップチーノをズズズと飲んだ。

「下品。行儀悪い」

 レイオールはそれをすかさず注意したのだった。そしてフォークでフルーツタルトを器用に切り分けながら、ラミアスに訊いた。

「なんで、『一つの世界』に『綴り手』は一人だけなの?」

 ラミアスはフォークでモンブランの頂を突きながら答えた。

「矛盾が生じるから。

 例えば、『一つの世界』に『綴り手』が二人になったとする。一方が『花の色は全部黄色』にして、もう一方が『花の色は全部ピンク』にしてしまうと、どうなると思う?結局何も変わらず、元に戻るんだ。でもそうすると、〔『綴り手』は『一つの世界』を自由に操ることができる〕って言う定義には当てはまらない。でも二人とも確実に『綴り手』であり、一方だけが花の色を決めたならばその色になる。

 ほら、かみ合わないでしょ?つまり、矛盾する。

 その矛盾を防ぐために、『一つの世界』には一人の『綴り手』って決まっている」

「ふーん」

 レイオールはフルーツタルトを口に運びながら、ラミアスの話を聴いた。

 ラミアスは話が一段落ついたところで、モンブランを頂から垂直にフォークを刺した。そのままフォークを手前に曳くと、そのフォークに付いたマロンクリームをペロッと舐めた。

「食器を舐めない」

「……レイオールさんって、お母さんみたいだね……」

 レイオールはその言葉を受け流し、またフルーツタルトを口に運んだ。もうフルーツタルトは、円から半円になっている。

 しばらく食器と食器がぶつかる音と、風の音のみが二人を包んだ。夏の風は冷たく乾いていて、それなりに人々を快適にさせている。第3生活地区の夏は、適温適湿で有名だ。

「前ふりはここまでです」

 ラミアスは静かに、今までで一番真剣そうに言葉を発した。


「レイオール・フランチェさん……、あなたは、『この世界』の人ではない」


 今まで吹いていた風は止み、それでもレイオールの体感温度はグッと下がった。

「レイオールさん、もう一度言いますが、あなたは『この世界』の人ではない。しかも、只の人ではない。レイオールさんは『違う世界』の『綴り手』。間違ってこの世界に来てしまった、矛盾を生んでしまう―――『綴り手』」

 ラミアスはレイオールに追い討ちをかけるようにそう言うと、またモンブランの解体作業に移った。ラミアスがまたフォークを舐めたが、レイオールにはそれを注意するだけの気力は余っていなかった。

「レイオール・フランチェさん、あなたは『もう一人の綴り手』。故に―――あなたは、狙われているんだ。本来の、『綴り手』から……ね」

 少しだけ風が吹いた。冷たく乾いたその風は、カップチーノとコーヒーを冷ますには、微弱すぎた。

 けれど今のレイオールに、そんな事を感じていられる余裕はなかった。

「嘘ですよね?そんな非現実的な話」

「嘘じゃない」

 ラミアスはそう言って、

「僕も『この世界』の人じゃないから」

と付け足した。

「嘘だ」

「本当のことだよ」

「ドッキリでしょ?」

「騙す必要が無いよ」

「嘘だ」

「レイオールさん、もう少し、話を聴いて」

「嫌です、馬鹿馬鹿しい」

「でも話します。

 僕も『この世界』の人ではない。けれどレイオールさんと『同じ世界』の人でもない。もっと『他の世界』の人間なんだ。

 僕とレイオールさんみたいに〔本来は存在しない人物〕を僕らは『読み手』って呼んでいる。

 『読み手』は、ほとんどの場合は、居る世界の影響をほとんど受けない。だから僕は『この世界』では飛ぶこともできるし、瞬間移動もできる。重力の影響も、時間の影響も受けないからね。

 けれど、レイオールさんは別。『綴り手』だからね。

 『綴り手』って、『他の世界』でもその影響を受けるし、『読み手』に触れることもできる。普通の人には、僕の姿は見えてないし、聞こえても無い。

 はい、ここまでで質問は?」

 しばらくの沈黙の後、レイオールは小さな、やっと聞き取れるぐらいの声量で質問した。

「何で『綴り手』って呼んでるの?」

 その質問に、ラミアスは楽しそうに説明を始めた。

「それはね、能力の使い方をそのまま表しているんだよ。

 『綴り手』が世界を操るには、〔操りたい、実現させたいその他諸々〕を紙に書き表す必要があるんだ。例えば、さっきの『花の色は全部黄色』を実現させるには、何でもいい、何か紙に書くんだ。『花の色は全部黄色』ってね。実現させたい日時も書き記せば―――つまり綴れば、日時指定もできる。

 そういうこと。だから世界を操ることができる人を『綴り手』って呼ぶ。それを第三者の視点から見る―――つまり『物語』を読む人を『読み手』って呼ぶ。

 解った?まだ質問ある?」

 ラミアスがまたそう問いかけると、レイオールはまた質問した。

「いる世界の影響は受けないんでしょ?それで他の人には見えないんでしょ?だったら、なぜあのウエイターにはあなたが見えてるの?」

 そう、注文をとり、ケーキを運んできた無愛想なウエイターは、確かにラミアスが注文したものも持ってきた。そして、レイオールとラミアスが会話しているところを見ても、眉一つ顰めたようには見えなかった。つまり、ウエイターには、ラミアスの姿が見えていて、声も聞こえているのだ。

「ああ、それなら簡単。僕と『同じ世界』から来た『読み手』だからね」

 ラミアスはいとも容易くそう答えると、行儀悪くカップチーノをズズズと吸った。

「…そうですか」

 レイオールは俯き、何かを思案している表情になった。

 ラミアスは特にそれを気にしない。だからレイオールもラミアスを気にしない。

「それじゃあ、次にもう一人の―――本来の綴り手のことを話そうかな」

「…はい」

 ラミアスはモンブランの最後の一欠片を口の中に放り込み、話し始めた。

「『この世界』の本来の綴り手。それは君よりも少し年上の綺麗な女性だよ。…まだ女性って年齢じゃないけどね。その人は自分のことを、『カシエ』って名乗ってたけど、多分偽名かな。

 僕はその人に、人類を滅亡させてくれって頼んだ」

 断られたでしょ?とレイオールは訊かなかった。何故だか解らなかったが。

「そしたらその人、承諾してくれた」

 レイオールは残っていたコーヒーを一気に飲み干して、ラミアスを改めて見た。

 飄々とした笑顔は、レイオールに最初に声をかけたときから変わらない。

 それは味方にすれば心強いが、敵に回せば恐ろしいタイプである。しかも今はまだ敵か見方かも判らない。

 そしてレイオールは、今目の前にいる人間を、味方に付けたい。

 ギリギリの心理戦になるだろう。けれど―――


 ―――それを考えると妙に高鳴る、この心は何だろう。


 今命が狙われていて、目の前にいる人間との心理戦が困難を極めそうで、親しい人には頼りたくなくて、敵の正体も解らない。

 とても危険な状況を、レイオールは他人事のように楽しんでいた。


 そしてそれは、レイオールの近い未来を左右する。


 レイオールは高鳴る胸を押さえて、ゆっくりと質問した。

「…なんで、人類を滅亡させたいの?」

 その当然の質問に、ラミアスは当然のように答えた。

「バランスが崩れたからさ。……言っとくけど、レイオールさんのせいではないよ、本当に」

 ラミアスは言い終えると同時に、ミルフィーユにフォークをザックリと刺した。パリパリパリッといい音がする。

「なんで、バランスが崩れたの?」

 レイオールは注意することを諦めて、ラミアスに質問を重ねた。ちなみにレイオールのフルーツタルトは残り四分の一も無く、今も徐々にその残りは少なくなっている。

「……えっと、………………よく、分からないんだ」

 ラミアスはそう気まずそうに答えつつも、ミルフィーユと食べかけだった『チーズケーキ ベリーソース添え』を交互に口に詰め込んでいる。味は混ざっていないのだろうか?気になるところである。

 レイオールはラミアスの答えにやはり不満だった様だ。

「分からないって、何で?」

 食べかけだった『チーズケーキ ベリー(以下略)』は先に無くなったらしく、ミルフィーユをザクザクパリパリ言わせながらラミアスは一時沈黙。

「……レイオールさん、質問好きだね」

 それだけ言って、レイオールの視線から逃れるようにまたミルフィーユをパリパリ。

 パリパリパリ。

 カチャパリパリ。

 ゴクン。

 ラミアスは先程見せた異次元の精神力の強さが嘘のように、明らかに沈黙に耐えかねている。

 一方のレイオールは、冷静にラミアスを見据えている―――と思いきや、いつもは感情が表に出ないその瞳を好奇心でいっぱいにしている。表情が静かな分、その好奇心の塊はよく目立っている。それに気付いたラミアスは、先程の質問を忘れようとするようにレイオールに質問した。

「…レイオールさん、どうしたの?」

「……なんでもありません」

 と言いつつもその視線の先には色とりどりのケーキがある。

 ラミアスは質問した後にそのことに気がつき、先程の質問から逃れるように訊いた。

「……ケーキ、いる?」

「…いえ、結構です」

 微妙な間こそあったもののレイオールはそう言うと、またフルーツタルトをフォークのみで器用に切り分けて口へと運んだ。そして先程の質問を再度した。

「なんで、分からないんですか?」

 ラミアスは少し唸ると、唐突に顔をパッとさせてレイオールに語りだした。

「レイオールさん、1×1の答えが何故必ず1になると思う?」

 レイオールは答えなかったが、ラミアスはそのまま続けた。

「それは1が1つあることを表す式であり、当然のように1が1つなのであればそれは只の1と何も変わらない。けれどこの世にも無意味に思える1×1は『この世界』にも『他の世界』にも必ず存在している。1×1を経た『1』と只の『1』。この違い、レイオールさんには分かる?」

 分かる筈も無い。それは誰にも分からない。

「分からないでしょ?正直僕も分からない。

 それと同じことなんだ。僕らは誰にも分からないことを『分からない』と言っているんだから、それが何故分からないのかも伝えるに伝えられない」

「奇弁ですね」

 レイオールの答えは、優しく吹いた夏風のように乾いていて冷たいものだった。

 ラミアスはレイオールの冷たい言葉などどこ吹く風、ミルフィーユをまたパリパリと口に運び続ける。

 レイオールは気付かれないように、小さく溜め息を吐いた。

 一体この少年は、何なのだろうか。

 敵かもしれない。かと言って確証があるわけでもなく、こうして共にケーキなど食っている。普通とは思えない行動と異常な精神を見せられたと思ったら、普通の沈黙は苦手。子供っぽく振舞ったかと思えば、出任せにしては意外と筋の通った奇弁を述べる。しかも非現実的なことを――笑い話を真面目な顔で語っている。

 一言で言えば、変。

 親しみやすさと儚さと孤独さが喧嘩しながらも同居している、そんな感じ。

 色素の薄い髪は女性のように柔らかそうなのに、海とも空ともつかない青い瞳は、男性の堅さを帯びている。

 中性的な容姿。けれど男だとわかる。

 やはり、変だ。

 そして、厄介だ。

「レイオールさん?」

 その声で、意識はすぐさま周囲に―――目の前に向けられる。

 そうだ、まだ問答は続いている。

「何故、バランスが崩れたから人類を滅亡させる、なんてことになったの?」

 内容は馬鹿馬鹿しくて仕方がないけど、今までに起きた事を考えるとこの問答は馬鹿に出来ない。

「うーん、やっぱりその質問が来たか。

 そうだね……、積み木を積み上げていっているとしよう」

「例え話と奇弁は結構です」

 そう、必要な情報ではないから。

「酷い…。一番解り易い説明だったのに……。じゃ、話すよ、話す。

 僕たちが今いる『この世界』は、バランスを崩してしまった。過去にもバランスを崩した『世界』が幾つもあった。だから珍しいことじゃない。

 『世界』がバランスを崩すと、もうその『世界』は安定できない。二度と戻れない。『世界』は綻び、徐々に消えてなくなる。それは人為的な消滅の仕方だったり、自然現象の一種としか言えない消滅の仕方だったりする。

 バランスが崩れた『世界』は、例外なく消えた。

 この世界も、徐々に消えつつある。もう、かつて人類が暮らしていた『地球』は消えているはずだよ。残っているのは、『中央星系』と周囲3億光年ぐらいのものさ。

 これが現状。ここからが理由ね。

 バランスが崩れた『世界』では、その消滅を聖書の一部に擬えて『黙示録』と呼び、自分たちが消える日を戦々恐々と待ったんだ。だから当然、精神を病む者が現れた。

 精神を病んだ者は、心に余裕が無くなり、大規模なテロや大量殺戮をしたんだよ。それはそれは、盛大に、凄惨に。そして殺された者の中に、『綴り手』がいたんだ。『綴り手』は死んでしまうと、その能力を他の誰かに託さなければならない。そして死ぬ間際、一番近くにいた者は、精神を病んだ者だった。

 『綴り手』になった精神を病んだ者―――精神病者は、その能力を悪いほうに使ったんだ。他の『世界』を、道連れにしたのさ。

 ……こんなケースは幾つもある。そして道連れにされた世界も幾つもある。無関係の者たちが、これからも普通に幸せになれた者達が、殺されたんだ。

 だから、そうならないようにするんだ。

 『綴り手』の能力は、継ぐ者がいなければ消滅する。だから、継ぐ者もいなくなればこんなことにはならない。つまり―――ひとり残さず皆殺しにすれば、他の『世界』は道連れにならない」

 それは、なんて嫌な理由だろうか。

 他の幸せを守るために、不幸を更にどん底の不幸にする。

 ラミアスはニコリと笑っていた。

「これが理由だよ、レイオールさん。満足してくれたかな?」

 異常、歪曲、恐怖。

 今のラミアスには、この言葉がぴったりだろう。

 やはり、ラミアスの思考は―――否、ラミアス達の思考は、レイオールには不可解でしかなかった。

 道ずれを出したくないのは解る。それは戦場などでも同じこと。

 しかしここは戦場ではなく、普通の人々が暮らす星である。

 それに、レイオールはまだ信じてなどいなかった。自らが『他の世界』から来た『綴り手』であり、その能力で世界を自由に変えられることを。信じるには根拠やその他色々なものが無かったからだ。

 いきなり現れた知らない人に『私は異世界から来ました。あなたも異世界の人で、特殊な能力を持ってます』と言われて、それを素直にはいそうですかと信じられるだろうか?よっぽど異世界人願望があったり人を信じすぎる人でなければ、それは難しいことだと思う。大抵はその人の頭を心配するだろう。

「レイオールさん、信じてないでしょ?」

 ラミアスの言葉に、少しドキリとする。レイオールは初対面の人に対しては常に無表情で、何があろうと動じない。そして今も、リアクションの半分ぐらいは演技だったりする。

 それなのに―――、とそこまで考えて、レイオールは鎌をかけられていると気づいた。

「……信じてますよ」

「本当に?」

「はい」

 多少大袈裟に首を振りながら、レイオールは嘘を吐いた。

 思ったよりも多くの情報は得られた。『世界』云々の真偽は別として、人類滅亡を目論んでいることも分かった。そして『世界』云々が本当の話だった場合、その方法も大体の予測がつく。

 ならば、レイオールは何をすべきか。

 ―――レイオールは、どうしたいのか。

 レイオールは冷静に頭を働かせながら、フルーツタルトの最後の一口を咀嚼しつつ、ラミアスを見た。

 甘い味が口の中に広がり、それが脳を働かせるのに役立つことを知らせてくれる。

「レイオールさん、まさか協力しない、とか言うんじゃないだろうね?」

 答は決まっている。

「協力、しません」

 レイオールははっきりと述べた。

 これで、この少年を敵に回してしまった。


 ラミアスは、静かに頷いた。まるでそれが最初から分かっていたみたいに。


「そう言うだろうと思ってたよ」

 静かに、笑っていた。

「僕は個人的にはレイオールさんと戦いたくない。レイオールさん、絶対容赦しないだろうから。だから、レイオールさん、―――伏せて!」


 パンッ!


 レイオールの耳に、聞きなれた破裂音が届く。

 ラミアスが叫ぶ少し前に、レイオールは既にクッキーの袋とエスプレッソのポットを持ってテーブルの下に潜りこんでいた。

 レイオールが数瞬前まで座っていた椅子の、頭があった辺りに、丸い弾痕。

 ラミアスは狙われないはずなのに、なぜか一緒になってテーブルの下に潜りこんでいる。

「レイオールさん、止めるなら今日から九日間、なんとしてでも逃げ延びて。あと、『綴り手』の力で殺されるかもしれないから、レイオールさんも『綴り手』の力で自分の身を守って!」

「なんで、」

「え?」

「なんで、敵なのに私に味方するんですか?」

 去る前に、これだけは聞きたかった。

 ラミアスは今までで一番年相応な表情で以って答えた。


「レイオールさん、君が好きだからさ」


 レイオールは、不覚にも固まった。

 敵の言葉一言に逐一反応してはいられないのが戦場であるはずなのに、今まで他人から―――それも異性から言われたことのない言葉に、レイオールは意識的に反応できなかった。

 顔が赤くなり、俯いたのは反射に等しい。

「……それじゃ、またいつか」

 すぐ近くから、ラミアスの声。

 そのすぐ後にはラミアスの気配なんて無く、レイオールは一人ぽつんとテーブルの下に取り残された。


 パンッ


 頭上でテーブルが穿たれた音と銃の発砲音。

 古い映画でしか知らない鉛球の銃が、現実の痛みを伴って存在する。

 レイオールは、笑っていた。

 御伽噺の世界が現実に現れたとき、それはそれは滑稽なものとなる。昔の人類が現代にタイムスリップしたら、今では考えられないようなことをしでかす。

 今この状況は、それと似ているのではないだろうか?

 今まで信頼して依存していた『世界』が、本当はたった一人の人間の我侭でどうにでもできるのだ。しかも自分は、どうにでも出来てしまう人間であり、誰とも知らないどうにでもできる人間から命を狙われている。

 考えてみれば、滑稽な話である。

 何と無くで首を突っ込んだ噂話の真相を知り、それ故に命を狙われ、情報を集めようとすれば奇襲され、敵と一緒にケーキを食べて、挙句告白までされる。新たに得た情報は、自分の身の更なる危険と、全人類の危機。

 まったく、何時かどこかで読んだ本の主人公は、もっと危機感を持って華麗な逃避行を成し遂げていたのに。やはりそれはフィクションでしかない。


 パンッ


 更なる発砲音。レイオールはすばやくテーブルから身を乗り出し、音のする方向へと左腕を向けた。左腕―――『義手』を。


 パンッ


 音こそ実弾銃のそれだが、銃口から発せられるのはまばゆい光線。鉛弾の数十倍の威力があり、初心者には扱いにくい代物である。レイオールはそれを、躊躇いなく襲撃者へ撃った。命中すれば、重傷で済めば僥倖にあたる。

 果たして、レイオールが撃った光線は襲撃者の右側の鎖骨の下辺りに当たった。―――それ即ち、肺に穴を開けたことになる。

 レイオールは一瞬でそれを確認、入り組んだ第3生活地区の石畳の道へと紛れていった。


 かつてこの第3生活地区で、たくさんの兵士が死んだ。

 そしてその上司も、民衆の手によって処刑された。

 レイオールはそんな惨い過去のある石畳の道を、ひたすらに歩き続けた。

 クッキーの袋と大き目の保温瓶と何やらとても分厚い紙束を鞄に入れることなく、手で持ち競歩のようにすたすたと歩く姿は、思わずそちらに目を向けてしまう。けれどレイオールは、そんなことを意に介すことは無かった。

 とにかく、真偽を確かめたかった。

 もしも本当に『綴り手』及びその力が実在して尚且つレイオールが『綴り手』なら、その力は必ずレイオールに味方するはずである。

 確かめるには―――そこに行けばいい。

 レイオールは頭の中でいくつかの仮説を生み出し、目的地を目指した。



 今レイオールが立っているのは、第3生活地区の端にある、とある雑貨店の前。女の子向けの可愛らしい小物が置かれたウインドウの向こうには、レイオールを知らない、そしてレイオールが知らない同世代の女の子達がはしゃいでいるのが確認できる。

 レイオールは雑貨店に入ると、大きめの鞄とシャープペンシルと替え芯、かなりの枚数が綴じられているメモパッドを引っつかみ、偶然にも空いていたレジへ。すばやく会計を済ませて、雑貨店から出た。

 ここまでの過程、五分と掛かっていない。

 何故レイオールは長居せずに雑貨店から逃げるように出たのか。―――それは、レイオールの優しさ。

 レイオールは、関係ない人々を巻き込みたくなかったのだ。

 雑貨店に長居して、居場所がばれてしまったら。襲撃者達は無関係である女の子達を巻き込むだろう。つまり、殺してしまうだろう。それは、レイオールが望むことではない。


 これから先、無関係である人々を巻き込まないようにするには、今のようにコソコソと隠れていかなければならない。見つかれば、周りをも巻き込んで、無意味な撃ち合いになるかもしれないからだ。

 レイオールは歩き慣れた石畳の道の上で、静かに決心した。

 この第3生活地区を出ることを。

 レイオールは見慣れた白い土壁とそこに絡まる蔦を見て、つい数分前に決心したことを再確認した。

 『人類滅亡』という大それた計画を阻止することを。

 雨が降っていたのに今ではそれが嘘みたいに青く澄んだ空が夕焼けに包まれ始めるのを眺め、先程の少年について考えた。

 自分は少年に対してどう思っているかを。


 いずれにしてもそれはレイオールが決めることであり、他の誰がどう思おうが、関係のないこと。

 レイオールはまた高鳴る胸を押さえ、静かに歩を進めた。

 その先にあるものは、闇か、光か。

 向かうのは、第2生活地区。



 ―――歯車は、回転を始める。

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