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Act.3 『考察・調査』

 今の時代に、超能力なんてものは、ない。


 全ての物事を科学的に証明できてしまった時代、自然災害さえその例外ではなかった。

 ましてや、超能力。

 どんなに凄いことをやってのけたって、それすらも科学でどうにかなることであったりする。

 魔法なんて、魔術なんて、それこそ以ての外。

 それが本当に魔法であったとしても、科学のほうが数倍優っている。


 神秘という言葉すら、その神秘性が失われている。


 歴史の授業でそんな事をぼやいていた先生の姿を、何故かレイオールはしっかりと覚えていた。

 レイオールには、その先生が酷く落ち込んでいる様に見えた。

 先生のそんなぼやきは、ある生徒には無視され、ある生徒には共感され、またある生徒には馬鹿にされた。

 レイオールは、ただ黙ってその言葉を受け入れた。

 無視するでもなく、共感するでもなく、馬鹿にするでもなく、ただ受け入れた。―――いや、もしかしたら、レイオールは共感していたのだ。

 昔のほうがよかった―――と。

 昔は、超能力者も、手品師も、魔法使いも、魔術師も、一部の人々にはインチキだと罵られながらも、存在し、役に立っていた。

 神秘という言葉も、その神秘性が伝わってきていた。

 それなのに人間という動物は、自ら夢を壊し、幻想を消し去り、ただの現実だけの世界にしてしまった。それはあまり良い事とは言える筈がない。


 心に余裕ができなくなったのだから。


 科学で全て証明できる。それは、全ての物事に隙がないこと。それは、人間の知的好奇心を満足させること。それは、ある程度の物事なら、予測できてしまうこと。

 人は予測し、それに備える。

 しかし予想外の出来事は常に起こりうることで、備えもそれで水の泡となりえる。

 そうなれば、人は慌てる。―――こんなことになる筈じゃなかった―――。

 そうなれば、もうだめだ。予測して行動をしてきた者にとって、予測が外れるのは、本当に想定外の出来事。予測せずして行動するなど、不可能だ。

 だから、あらゆる事柄を予測する。予測するあまり、他の物事がおろそかになる人は、そうそう少なくない。予測するだけして、何もしない。それすらも予測する人はいる。

 予測を予測し、結局何もしない。自然消滅する、いたちごっこ。

 だから、心は、肉体は、疲弊する。

 疲弊すると、余裕なんて作れなくなる。


 余裕がある。それは人が存在する上で必要な理性を保つ、最低条件。


 余裕があれば、冷静でいられる。余裕があるから、冷静でいられる。

 余裕がなければ、慌ててしまう。余裕がないから、慌ててしまう。

 人は余裕がなければ突飛な行動に出てしまう。

 例えば、飛び降り自殺。

 例えば、銃の乱射。

 例えば、通り魔殺人。

 例えば、一家心中。

 普段大人しい人が、人が変わったように凶暴な人になるのは、心の余裕がなくなったから。


 まだ予測ができなかった時代。

 今の、予測ができる時代。

 凶悪犯罪の件数は、今のほうが確実に多い。

 それは、余裕がなくなったから。

 余裕がなくなると、人は精神の箍が外れてしまう。箍が外れれば感情があふれ出す。溢れて、あふれて、制御できなくなる。

 制御できないから、『理性が保てない』。制御できるから、『理性を保てる』。

 要は、本人が感情をコントロールできるかできないか。

 理性なんて、本能と紙一重。



 精神学の授業のとき、友人が先生の話を無視してレイオールに語っていた内容だ。

 レイオールはそれを聴いて、「へぇ」としか言えなかった。

 先生の話より、教本の豪く長い論文より、友人の話のほうが解り易く、説得力があった。

 先生の話より、教本の豪く長い論文より、友人の話のほうが短く、現実味があった。

 それを思い出しながら、レイオールはふと思った。


 あいつなら、正体を掴めるのではないか―――?


 そう思ったと同時に、レイオールは駆け出していた。

 右手首に巻かれた携帯ツールを起動、電話で相手を呼ぶ。

 キュィン、と相手が電話に答えたことを合図する音が鳴る。

「今からそっち行く。いい情報があるよ」

 それだけ言うと、一方的に電話通信を切断、携帯ツールを省エネモードに切り替えた。


 今から行くのは、友人の家。

 第3生活地区でも3本の指に入る大豪邸。

 レイオールが何度も訪れた、白壁と煉瓦の、どこか落ち着くあの屋敷―――


 ◇


 雨の下、レイオールはその屋敷を眺める。

 『マディウェス』と書かれている、白い表札。

 簡単に泥棒に入られるのでは、と思うぐらい低い柵。

 柵の内側に広がる、芝生の庭。

 

 それが、レイオールの友人の住処。


 レイオールは躊躇うことなく低い柵を乗り越えると、堂々と屋敷の裏口へ向かって歩き出した。

 つい最近、勉強を教えるために訪れた。それ以前にも、何十回、何百回と訪れた。

 レイオールは慣れた手つきで、古めかしい銅のドアノッカーをコンココンコン、とリズムよく鳴らした。するとすかさず、やはり慣れたように、優しそうなおばさんが裏口のドアを開けて、レイオールを手招きした。

「いらっしゃい、レイちゃん。お菓子、後で持っていくからね。ささ、あがって」

 見た目を裏切らず優しいおばさんはそう言うと、お菓子の準備をするためか、レイオールの視界から消えていった。

 それと入れ替わりに、

「レイ~、いい情報ってのは、金融関係かい~?それとも治安とか~?大企業の告発だったら事足りてるよ~。今特に欲しい情報は…」

 友人が奥の扉から、のんびりとやって来た。


 ◇


「……ネタとしては美味しすぎるね~、それ」

 善悪関係なく、情報を一つの物としてみた意見であった。

 つい数十分前の出来事を、レイオールは淡々と語った。レイオールが人を殺したことも含めて。

 メモを取りながら聴いていた友人の第一声が、これだった。

「『古代文明対最先端技術』ってだけでも十分注目度高いのに~、『人類滅亡』『隕石』『お嬢様』まで加わって~、相当価値ある情報になるね~、これ~」

 友人は緊張感無くそう言うと、メモに落していた視線をレイオールに向けた。

 レイオールはその視線を、静かに受け止める。

「本当だったら、保護したいんだけど~、レイオールはそうゆーの、嫌いでしょ~?」

 レイオールは首肯する代わりに、視線を逸らした。

 友人はそれを見て、何も言わずにクスリと微笑んで、優しいおばさんが持ってきてくれたお菓子を口の中に放り込んだ。


 部屋に、心地よくも居ずらい沈黙が流れる。

 その沈黙は、お菓子の様に。

 ほんのり甘くて、ほんのり酸っぱく。

 お酒のように、どこかほろ苦かった。


 ◇


「じゃ~。また会える日が来るといいね~、レイ~!」

「…行って来ます」


 友人に見送られ、レイオールはその家をあとにした。

 雨は、もうほとんど止んでいた。

 結局、確実な情報は得られなかった。しかし、可能性のある情報は幾つか教えてくれた。

 レイオールは受け取ったメモを、静かに見直した。

 そのメモに書かれた幾つもの住所は、どれもこれも、人通りの少ない場所だった。

 近い所は100m以内、遠い所では他の地区。


 ―――その場所に行けばね~、もっと正確で、もっと最新の情報が貰えるよ~。

    ―――……嘘も多いんじゃない?

 ―――大丈夫~。信頼できるところしか書いてないから~。

    ―――…いくら位する?

 ―――『マディウェス』って名前出せば、タダでいいと思うよ~。結構有名だからね~、あたしの家族~。

    ―――この住所は?

 ―――ああ~、そこ?そこはね~―――


 レイオールは、ある建物の前でその歩みを止めた。

 メモに書かれていた、一番近い住所。薄暗い建物には、人の気配が感じられない。

 半開きのドアは不気味さを倍増させ、人を近寄らせなかった。

 レイオールはその建物で合っているか確認して、ゆっくりと、半開きのドアから建物の中へと入っていった。

 

 カツコツと、足音が響く。

 物音一つしない建物は、意外と隅々まで掃除が行き届いていた。

 それが逆に、不気味だった。

 しかしレイオールはしっかりとした足取りで、メモに記されたとおり、二階の、右から三番目のドアへと向かった。

 二階の、右から三番目のドア。

 他のドアと、特にこれといった違いは無い。


 ガチャン


 ドアノブを左に回すと、開錠する音が聞こえた。そしてドアノブを一旦放して、今度はノブを回さずにもう一度握る。そのままドアを押すと、音も無くドアが開いた。

「いらっしゃい、お嬢さん。誰からの紹介かな?」

 レイオールが部屋の中に入ると、小柄で優しそうなお爺さんが声をかけてきた。

 ただし、お爺さんのベルトには、小型の光線銃が無造作に差し込まれている。

 レイオールは特にその事を気にした様でもなく、近くにあった木椅子に座って、お爺さんの質問に答えた。

「『マディウェス』のお嬢さんから」

 お爺さんはそれを聞いて特に驚かず、ゆっくりと、にこやかに頷いた。

「なるほど、あのお嬢さんから。とするとお嬢さん、余程の事をお聞きになりたいと?」

「はい」

「では、その余程の事とは何かな?お嬢さん」

「『隕石』『お嬢様』『人類滅亡』―――『大企業』で、最新の情報」

 レイオールがそう言うと、お爺さんは引き出しから分厚い紙束を出して、事務的にそれを読み始めた。

「『隕石』についての報告。第1生活地区に落ちた隕石については謎が多く、その噂も多々ある。もっとも有名なのは人為的に隕石を落した、というもの。不可能ではないが、莫大な資金が必要となり、目的もわからない。更にそこから派生した噂は、『大企業』が何かの目的のために人為的に隕石を落した、というものだ。やはり目的がわからないのだが、一部では『人類滅亡』を目論んでいたのではないかといわれる。

 目的が無くても隕石を落す意味を見出せるのは、何でも屋。依頼されれば、どんな事であろうとも必ず成し遂げる、闇の職業。依頼された何でも屋が隕石を落したのならば、それはある意味自然なことである。しかし依頼人の意図がわからない為、この説も有力とは言えない。しかし、この説が確かならば、隕石を落すことができる何でも屋が特定できる」

 お爺さんはそこで一旦読み上げるのをやめると、レイオールをじっと見つめた。

 レイオールはお爺さんの目を見つめ返した。

 しばらくその部屋に、ピンと張り詰めた静寂が舞い降りた。

「お嬢さん」

 お爺さんは静寂を破り、そう切り出した。

「ここからは〔もしも〕の話。確実ではないのだ―――。残念ながらの。それでも、聴くのかな?」

 お爺さんの質問に対して、レイオールはゆっくりと首を縦に振って答えた。

「お嬢さんなら、そう答えると思ったよ。……では、話すとしようかの、〔もしも〕を。

 隕石を落すほどの科学力、財力及び人脈を持つ何でも屋は世界広と言えども、その数は三つ。

 一つは『カースフィン』。財力ならばどの何でも屋にも引けを取らない。二つ目は『イリュセント』。科学力ならばどの何でも屋にも負けないが、財力はあまり無い。そして」

 お爺さんは一瞬間を置いて、聴きなれない言葉を発した。

「『Dagger of Collapse』」

 それは、昔の言葉。人類がまだ地球に住んでいたころに使われていた『英語』である。

 レイオールは表情を一つも変えることなく、その言葉をただ聴いていた。

 お爺さんはレイオールの反応を見て、何を思ったのか、今迄で一番楽しそうに笑い出した。

「アハハ、ハハ、ハハハ。お嬢さん、ハハ、気に入ったよ。普通はキョトンとしたり、何かしら変化があるものなんだが……。お嬢さん、情報提供員になってみたくは無いかな?」

「…考えておきます」

 お爺さんはそれを聴いて、満足そうに微笑んだ。そして何事も無かったかのように、続きを読み始めた。

「『Dagger of Collapse』は最近起業した何でも屋だが、今では有名な何でも屋となりつつある。財力人脈、共にそろっている。請けた仕事は必ずこなす、真の何でも屋である。

 …さて、お嬢さん。お勧めは最後なのだが……」

 その言葉を最後に、お爺さんは動かなくなった。

 ドサッと、バランスを崩したお爺さんの亡骸が倒れた。

 お爺さんの後頭部には、鈍く光る鉛球が一つ。そこから、血が滴り落ちていく。

 レイオールは嫌な予感がし、とっさに伏せた。


 パンッ


 小さく乾いた音がし、直後にはドアのガラスが割れ散った。

 レイオールはとっさにお爺さんが持っていた分厚い紙束を掴み、ドアから飛び出した。

 廊下を走り、階段を下り、建物を飛び出して、人ごみに紛れ、逃げる。

 人の波に逆らうことなく、同じような歩調で紛れる。さすがにここまですれば、男たちも撃ってはこないだろう。

 しかし―――


 パンッ


―――レイオールの目の前を歩いていた人が、倒れた。


「キャーーーーーーーーーーッ!!」

 女の人の悲鳴が聞こえる。

 悲鳴は波紋のように広がり、そこそこ広い通りは悲鳴で埋め尽くされた。


 パンッ


「カ…………ッ」

 レイオールの隣の女が、パタリと倒れた。

 後頭部には、鈍く光る鉛球一つ。

  ―――それはまるで、

 やがて鉛球は赤く染まり、輝きを失った。

 鉛球の赤は、徐々に他の赤と同化して、分からなくなった。

  ―――警告のように、

 人々はしばし呆然とした後、倒れて今は死体と化した女から離れた。無論、レイオールも。

 人々は怯えた。何時自分に降りかかるとも知れない鉛球と、それを発射する者を。

  ―――レイオールの脳裏に、網膜に、


 パンッ


 音がして、また血の噴水が揚がった。今度はレイオールの斜め後ろの少年。

 周囲の人々の衣服は血に染まり、感情は暗澹とした絶望と恐怖に染まった。

 何人かが、通りから逃げ出した。

 悲鳴が、加速する。

  ―――こびり付いて、離れなかった。

 レイオールは、群衆に紛れるしか無かった。

 『義手』で襲撃者を殺すには、あまりにも人が多く、広すぎた。

 けれど、レイオールは諦めていなかった。

 隙を見て、襲撃者を殺すつもりだった。

 話しかけられるまでは。

「レイオール・フランチェさん、ですね?」

 その場に似合わない安穏とした声と、いきなり自分のフルネームを言われたことで、レイオールは警戒した。

「あの……、そこまであからさまに警戒されても困るんですけど…」

 安穏とした声は、本当に困っているようだった。少なくとも、声音だけは。

 だからレイオールは、無視することにした。

「ちょ、ちょっと!レイオールさんっ!話を、話を!きぃ………!待って、待ってくださ…」

 無視して、通りから外れるために歩いた。猛烈なスピードでスタスタと。

 逃げる人々に紛れて、レイオールはスタスタと進んだ。

「ま、まっ、ちょっ!」

 後ろで叫んでいる声は充分目立っていたが、逃げることに必死なのか、誰も気にも留めない。


 パンッ


 また銃声が聞こえて、悲鳴が上がった。けれど誰も振り向かず、己の安全のために逃げた。


 細い路地に入って後ろを確かめても、誰もいなかった。だからレイオールは油断してしまった。

「やっと話せますね、レイオール・フランチェさん」

 すぐ後ろから、またあの安穏とした声が聞こえてきた。

 レイオールはつい反射で、左手で裏拳を食らわせた。機械化されているので、かなり硬い。

「ううぅ、酷いですよ。初対面の人にこんな仕打ち、もう一人の人とは大違いですよ!」

 あまりにも喚くものだから、仕方なくレイオールは振り返った。

 そこに立っていたのは、一人の少年だった。

 色素の薄い髪に、浅瀬のように薄い青。そこそこ格好いいのだが、鼻血が出ている。

 少年はにっこり笑うと、またあの安穏とした声で喋りだした。

「ああ、やっと相手してくれる気になりましたか。粘ってみるものですね」

「誰?」

 レイオールは少年を殺さんばかりの勢いで睨み、そう訊ねた。

 少年は特に怯む様子も見せず、飄々と答えた。

「そうですね…。戸籍を持っていないものだから、とりあえず自称になるけど……ラミアス・カーティウス…ってことで」

「何のために声をかけたの?」

「頼み事があるから…って事で」

 少年はニッコリ笑うと、レイオールの前に回りこんだ。そして、あっさりと用件を伝えた。


「人類滅亡を……手伝って欲しいんだ」


 レイオールはそれを脳が完全に理解する前に、『義手』を『兵器』に変えて、直径が1㎝もないエネルギー弾を少年―――ラミアスに撃った。

 凝縮されたエネルギーはラミアスを打ち抜き、空中で霧散した。

 撃たれたラミアスは当然のようにふらつき、そして―――


 ―――そして、倒れなかった。


 吃驚した?

 ラミアスの口がそう動いたような気がして、レイオールは形容しがたい感情に囚われた。

 その感情は、恐怖でもなく、憧れでもなく、畏敬でもなく、怒りでもなく、悲しみでもなく、嫉妬でもなく、喜びでもなく、嫌悪でもなかった。

 何か、とてつもなく大きな何か、形容しがたい感情に囚われた。

 ラミアスはゆっくりと体勢を戻すと、ニッコリとレイオールに微笑みかけた。

「吃驚した?体を―――しかも肺を打ち抜かれたのに、こうして立って話せる人なんて普通はいないからね。でもやっぱり痛かったよ……」

 そう、レイオールは確かに肺を打ち抜いた。

 それなのにラミアスは、倒れもしなければ、こうして立って話までできている。

 異常だった。

 それはもはや、人間とは言えない。

 別次元の生き物としか考えられなかった。

「それにしても酷いよね。用件を伝えただけで殺そうとするなんて。まともな人間のすることじゃないよ、本当にね」

 ラミアスはそう言いながら、レイオールの手を取った。

 機械化されている、左手を。

「とりあえず、話ぐらいは聴いてほしいな。―――君にとって、損な情報でもないしね」

 そう言うと、あろう事かレイオールの左手に顔を近づけ―――そのまま、軽く口付けた。

 この第3生活地区に、挨拶代わりにキスをする習慣はない。

 それよりも、なによりも。

 レイオールは、何処であろうとキスをされた記憶はなかった。

 つまり、ある意味で、ファーストキスになった。

 そのためか、レイオールは左手を大きく振り上げ、ラミアスの顔にまたもや裏拳を食らわせた。

 グチャリ、と肉が潰れる嫌な音がした。

「何すんの!二度と触んな!」

 レイオールはそう怒鳴りつけると、細い路地の奥へと進んでいった。

 残されたラミアスは鼻を押さえて、石畳の路上に転がっている。


 ◇


 レイオールはずかずかと、ストレスを全て脚に籠めているのではないかと思わんばかりに、足音を鳴らして進んだ。

 そう、レイオールは苛々している。

 仮にもレイオールは乙女なのである。

 何処であろうと、最初にキスをされるもしくはするのは、自分の意思で決めたかった。

 勝手に、それもつい数分前に会ったような不審な奴に、されたくなかった。

 プライドが、許さなかった。

 あまりの怒りに、レイオールはその小さな音に気付かなかった。


 スコッ


「レイオールさん、機嫌は直ったかな?」

 安穏とした―――少年の―――ラミアスの声は、レイオールの前方から聴こえてきた。

 数秒前まで誰もいなかった、前方から―――。

「吃驚した?」

 ラミアスはウキウキしたように、レイオールに問いかけた。

 まるで、子供が母親に訊くかのように、楽しそうに問いかけた。

「キスの一つや二つ、何ってことないと思うけど?」

 乙女心が解っていない。

 レイオールはもう、遠慮も躊躇も容赦もしなかった。

 つまりは、この一言に集約される。

「退け」

 その一言に籠もった怒気を測定できる機械があったならば、きっと計測不可で壊れてしまったことだろう。それ程に、その一言には力が在った。

 そう、それなのに。

 まるで何も聞かなかったのではないかと疑ってしまうほど、少年は落ち着いていた。

 そう、別次元の精神である。

「嫌だと言ったら?」

 少年はニッコリと、意地悪く訊いた。

 答えなくても解っているのだろう。

 だからレイオールは答えずに、撃った。しかも連射である。


 パンパンッパン


 レイオールも、何と無く解っていた。

 こいつは撃った程度では死なない、と。

 だからか、留めに、顔面に思いっきり拳を捻じ込んだ。

 グチャプッと、何かが潰れて砕ける音が聞こえた。

 それなのに。


 もう動けない筈のラミアスの指が、レイオールの服を掴んだ。


「…………っ!」

 レイオールは声にならない悲鳴を残して、細い石畳の路地の奥の奥へと走っていった。

 止まらず、振り返らず、スピードを上げて。

 走って走って走って走って。

 消えない悪夢から逃げるように。

 走って走って走って進んで。

 恐怖から逃れるために。

 今までで一番速く、速く、ラミアスという名を持った恐怖から、悪夢から逃れるために。

 レイオールは、あの男たちよりもラミアスのほうが怖かった。


「レイオールさん」


 ―――悪夢は、続く。

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