流れに乗ると逃げられない
ステラ・コンドレイ伯爵令嬢
十六歳 三女 庶子 美人さん
アルディ・シリュウム公爵
二十三歳 知的美形
母である先代公爵夫人は領知に滞在
眼鏡使用
本文に入っていませんが、こんな設定です
その日の夜、ステラはメイドに手伝われてお風呂に入った。
今までは一人で何でもこなしていたし、なんなら水で濡らしたタオルで体を拭くだけだった時も多い。
庶民として生活していた頃は、毎日湯船に浸かるなんて贅沢で、伯爵家に貰われてメイドとして生活を始めた時には、メイドも毎日お風呂に入って良いと知ってそれだけでも嬉しかった。
ステラは伯爵令嬢なのだから、メイドと同じ風呂に入るということは非常識だったのだが、肩書が伯爵令嬢というだけのメイドだと思っていたステラは、何も考えずメイド達と過ごした。
メイドが伯爵夫人の入浴の手伝いをしていたのは知っていた。
ステラは手伝ったことはなかったが、頭の先から足の先まで洗い、髪を乾かすことまでやっているとは聞いていた。
まさか今、自分がやってもらう立場になるとは思っておらず何度も固辞したが、メイド長がやって来て、『伯爵令嬢を無碍に扱ったとなると、シリュウム公爵家の恥になりますから、どうかメイド達にお任せください』と頭を下げられてしまい、仕方なくお任せるすことになる。一緒にネックレスを探したメイド長には、強く出ることができないステラの負けだった。
しかし、体中を洗われることにはものすごく抵抗があり、『できればパパっと急いでください』と顔を真赤にしてメイド達にお願いしてしまった。
そんなステラを見てメイド達はなぜか、『お任せください!』と素早くではあるが念入りに磨かれて、お風呂から上がって髪を梳いてもらっている頃には、ぐったりと精神的に疲れていた。
ステラがぐったりとしている最中、コンコン、とノックがされ、アルディが執事と共にやって来た。
そしてその後ろにはお世話になった老医師もいる。
「これからネックレスを着けて治療を始めるから、我が家の医師の他にステラ嬢が懇意にしている医師もいたほうが良いかと思いまして、声をかけさせてもらいました」
アルディがステラに伝えると、老医師がニコリと笑って、『ステラちゃん、良かったな。安心して治療を受けなさい』と優しく声をかけてきた。
「ありがとう、先生。先生が思い出してくれたから治してもらえます」
ステラは夜着の上から着ているガウンをギュッと握り、老医師に礼を言い、老医師の一歩前にいる公爵家お抱えの医師にも、『よろしくお願いします』と頭を下げた。
メイドが髪を綺麗に乾かし、軽く三つ編みをしてから下がる。
「それじゃ、ネックレスを着けるからね」
アルディが椅子に座ったままのステラの後ろに回り込み、ネックレスを首にかけた。
するとステラの体から少しずつ力が抜けていき、背もたれに体をあずけた状態で少しずつ瞼も重くなっていく。
「おやすみ、ステラ」
至近距離で優しく微笑むアルディの瞳を見て、『ああ、綺麗な蒼だ』と思ったのを最後に、ステラはそれから五日間起きることはなかった。
ステラの瞼が閉じ、ぐったりとしたのを見届けると、アルディはすぐに抱き上げベッドにそっと降ろした。
これから医師は交代でステラの状態を観察する。
そして、アルディはステラのベッドの脇に簡易ベッドを持ち込み、この部屋で生活することにしていた。
仕事は休みをもらっている。
公爵家としての仕事は、ステラが寝ている間はステラを見ることができるこの場所でやろうと決めていた。
しかし、まずはステラとの婚約を整えるための書類を作らなくてはいけない。
そう考えたアルディは、執事にステラに関する書類を持ってくるように伝える。そして、ステラが同意したという証拠もあった方がいいと、映像を記録できる『映像記録機』を急ぎ手配するようにとも伝えた。
執事はしっかりと頷き、『抜かりなきよう整えます』と部屋を出ていく。
それとともに、公爵家お抱えの医師も、『では私も明日参ります』と出ていった。
入れ違いに入ってきたメイドがアルディと老医師にお茶を入れ、静かに壁際で控える。
とても静かになった部屋の中で、ステラも静かに横になっていた。
『カサ』という紙を捲る音が静かな室内にやけに響く。
そしてその音がステラの耳に届いたことで、ステラの意識が少しずつ現実へと戻ってきた。
しかし瞼は重く、目は未だに開けることができない。
そして再び聞こえた紙を捲る音で、室内に自分以外の誰かがいるのだとステラは気がついた。
耳を澄ますとカツカツとペンを走らせる音も聞こえ、そう言えば自分はどこに居るのだろうとステラは少しずつ覚醒していく。
重い瞼を持ち上げると、『ステラちゃん』と優しい老医師の声が聞こえる。
身体中が重く動かせないので、視線を声の方に向けると老医師が覗き込んできた。
「目が覚めたかい?」
今度は反対側からアルディが声をかける。
視線をそちらに移すと、相変わらず優しく微笑むアルディが見えた。
「喉乾いたでしょう?」
アルディはそっとステラの上半身を起こし、背中にクッションをあててくれた。
そして近くにあるポットからグラスに水を注いて、ステラの口元に優しく押し当てる。
少しずつ口に入る水分は、すぐに体に吸収されるような感覚で、もっともっとと思ってしまう。
何より、ミントが入っているようで、口の中がスッキリして気持ちいい。
グラス一杯のミント水を飲み、やっと少しだけ頭が回り始める。
それを見越したようにアルディが『五日間ずっと寝ていたんだ』と教えてくれた。
「ほら見て。手首に出ている症状がかなり薄くなっている」
アルディはステラの手をそっと持ち上げ、ステラに見えるようにあの打ち身のアザのような箇所をステラの視界に入れた。
確かにかなり薄くなっている。これならば白粉をのせたら分からなくなるのではないかと思えるほどだ。
ステラは回らない頭でもそんなことをぼんやりと考える。
「それでね、一応ステラ嬢に後遺症がないか確認なんだけど、これ、何本に見える?」
アルディは自身の人差し指を立て、ステラの視界に入れた。
「······い、ち」
「正解。じゃあ次はこの指を目で追って」
アルディはその指を左右にゆっくりと動かす。
ステラは言われた通りその指を目で追うと、『大丈夫だね、良かった』とアルディが確認を終わらせた。
「それでは、次はあなたについて話をさせてもらうよ。今のステラ嬢はコンドレイ伯爵家から除籍されています。きっと伯爵が勝手にしたことだと思いますが、これについて私は保護者ではないため何ともできません。この国の貴族はデビュタントを行うことで成人とみなされますが、あなたはまだしていない。伯爵が保護者だったため、除籍についても伯爵が決めたのならばそれが最終決定になります。つまり、今のあなたは一平民。しかし、こちらにいらっしゃるあなたの馴染みの医師は準男爵であると伺いました。ですからこちらの医師の養女になるのはいかがでしょう。まずこの方の養女となり、その後コンドレイ伯爵家とは関係のない家に養女となって、最終的には私と結婚という方向にしたいのですが、いかがでしょう。もちろん、ステラ嬢の悪いようにはしません。信じてください」
これだけの長文をアルディはスラスラと途切れること無く言い切り、ステラを見つめる。
正直、ステラは最初の除籍のあたりだけ頭の中で理解できたが、その後からはどんどん話がでてきて、気がつくと『信じてください』と言われて返事待ちのような顔で見られている。
何を言われたのか今ひとつ理解しきれていなかったが、再度聞くのは面倒だととっさに思い、『はい』と返事をしてしまった。
すると、大きく目を見開いたアルディが嬉しそうな声で、『ありがとう。あなたが負担にならないように短期間でまとめますからね。ああ、まだ体が動かないでしょうから、ゆっくり休んでください』と、背中にあるクッションを退かしてベッドに優しく寝かせてくれた。
ステラはこれだけの時間でも疲れたのか、目を閉じるとすぐに寝入った。
この国の平民は識字率が低い。そのため平民を養女に迎える場合は署名の代筆が認められている。
ステラが寝入ったのを見どけると、アルディは既に作成しておいた老医師とステラの養子縁組の書類を執事に渡した。
もちろんその書類にはアルディ・シリュウム(代筆)との署名も入っている。
「至急で」
「承知いたしました」
にこやかに執事が退室すると、老医師がアルディに恐る恐る声をかける。
「公爵様。これは騙し討のような感じで、なんとも」
「ステラはきちんと状況を理解していたでしょう?こちらの言葉を理解して指の本数を答えたし、指を目で追うようにとの言葉も理解してちゃんと目で追っていた。その確認が取れてから、養女の話にも結婚の話にも『はい』と返事をしてくれた。見ていたでしょう?騙し討は酷いな」
「しかし、この子はきちんと最後まで理解できていなかったような」
「映像記録機にその時の記録が残っているからね。もしステラから異議申し立てがあったらそれらを見てもらっても良いですよ」
ステラが目覚めた時からアルディの侍従が映像記録機を動かしていた。あれは病を克服する過程を記録していたのだと老医師は思っていたが、どうやらそうではなかったのだと気がついて、ステラに対していつもにこやかな公爵の腹黒さを見たようで不安を覚えた。
「大丈夫です。大切にします」
老医師の考えを読み取ったようなタイミングでの言葉に、もう何も言えないと老医師は諦めた。
「あなたほどの身分なら、言葉一つでどうとでも動かせるのに面倒なことがお好きなようですね」
「ステラの意思で嫁いでもらいたいんですよ」
アルディはそう答えると、愛おしそうにステラの寝顔を見つめた。
次話は21時に投稿予定です。
あと数話で完結します。